データベース『世界と日本』(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 早稲田大学講演会(岸田内閣総理大臣)

[場所] 
[年月日] 2023年6月18日
[出典] 首相官邸
[備考] 
[全文] 

 皆さんこんにちは。御紹介いただきました内閣総理大臣の岸田文雄です。今日は、休日にも関わらず、こうして大勢の皆さん方にこの会場に駆けつけていただきました。心から厚く御礼を申し上げます。

 今、田中総長から御紹介いただきましたように、私は1982年法学部を卒業いたしました。そして、これもまた総長からお話がありましたが、早稲田大学においては、創立者であります大隈重信公の他、卒業生として、私を含めて8人の総理大臣が出ています。今日も森元総理もお越しでいらっしゃいますが、こうした総理大臣を輩出している。また、今の内閣においても、松野官房長官、また鈴木財務大臣、西村環境大臣、また渡辺復興大臣、こうした閣僚を早稲田大学は輩出しています。また、今日は会場にも山本有二先生を始め、国会稲門会の皆さんにもお越しいただいています。こうした政界のみならず、経済界、スポーツ、文化、学術、あらゆる分野で有能な人材を輩出している、この早稲田大学で今日こうして講演をさせていただく機会を頂きましたこと、大変光栄に思っています。田中総長を始め、早稲田大学関係者の皆様方に心から感謝を申し上げたいと思います。

 さて、私が早稲田大学を卒業して、今年で41年の月日がたちました。当時のことを思い返しますと、正に幾つもの「まさか」、まさかこんなことは起こらないと思っていた、こうした幾つもの「まさか」を実感せざるを得ません。

 私はまず受験で失敗を繰り返し、そして早稲田大学に入学いたしました。本来であるならば、そこで心を入れ替えて勉学に励んだといえば、大変人生として美しいのでありましょうが。しかし、やはり人生というのは道草、回り道の連続が常のようでありまして、私もそこからいろいろと道草、回り道をいたしました。 大学時代、確かに多くの本は読みました。また、人生の中で最もたくさん映画を見た、これも大学の4年間でありましたし、また全国でナップザックを抱えて旅をする。特にあの頃は一人で旅をする、いろいろ物事を考える貴重な時間ももらいました。こうやってみますと、本当に大学の授業に出たのかと思われるぐらいですね、自由な時間を過ごしました。また、大学当時、友人にも恵まれました。例えば、元防衛大臣でありました、岩屋毅君は、大学時代から大変仲の良い友人でありました。それ以外にも、多くの友人に恵まれた、こういったことでありましたが、例えば岩屋君は当時から雄弁会に所属し、そしてあのときはたしか、鳩山邦夫先生の事務所にもう秘書としての仕事もしていた。要は、当時から政治を志して大きな目標を持って生き生きと生活をしていた。そんな姿を思い返します。

 ところが、一方、私は日々どうやって、これから人生生きていこうか、人生の目的を考える、こうした日々だった気がいたします。要は、大学時代も道草、回り道の連続であった、こんなことを思い返しています。このように、お世辞にも模範的な大学生とはいえなかった自分があれから40年以上たって、こうして母校の大隈講堂で内閣総理大臣として講演をする。正に当時としては想像もできない、正に「まさか」であったわけであります。また、先ほど総長の方からG7広島サミットについて御紹介いただきましたが、G7広島サミットは多くの皆さんのお力添えによって無事終了することができました。

 私は、思い返すんですが、早稲田大学在学中、1979年でありましたが、日本で初めて先進国首脳会議東京サミットが開催された。1979年は、正に私は早稲田大学在学中でありました。当時はイラン革命後の第2次石油危機の中で、日本がG7の結束を保つことができるか、こうしたサミットであり、当時の大平正芳総理が大変な苦悩の中で議長を務められた、こういったサミットでありました。私もニュースで大平総理の姿、議長を務められてる姿は鮮明に覚えています。しかし、当時、私は早稲田の学生でありました。ラーメン屋でラーメンをすすりながら、テレビに映るニュース映像、大平総理の姿をぼんやりと見ていたのを記憶しています。

 あのときの学生が40数年たって、今度は自分がサミットの議長を務め、G7をまとめなければならない。こういった立場に立つ、もう、正に「まさか」の世界でありました。皆さんにまずお伝えしたいこと。これは人生の「まさか」、すなわち学生時代には思いもよらなかったことがこの先待ち受けている、こうしたことです。もしかすると、今日この会場に来てくれている皆さんの中から政治家になり、そして内閣総理大臣になられる方もおられるかもしれません。ビジネスの世界で成功される方もおられるかもしれない。また、文化や芸術、スポーツの世界でスーパースターになる、こういった方もおられるかもしれない。ただ、もちろんこの良いことばかりではないかもしれない。しかし、何が起こるかわからない未来に尻込みすることなく、希望と好奇心を持って飛び込んでいってほしいと心から思います。人生の「まさか」、これを前向きに捉えて、希望を持って生きていく。それだけでも、この日々、人生随分気が楽になるのではないか、明るくなるのではないか。こんなことも感じます。

 いろんな人生があるけれど、お互い、明るく前向きに生きていこうではありませんか。これが幾度となく失敗を繰り返した人間からの皆さんへの最初のメッセージです。そして、その上で、今、日本の総理大臣という立場に立って、今の時代についてどんなふうに思っているのか、これについて申し上げたいと思います。

 私は一昨年10月に、第100代内閣総理大臣として就任しました。あれから1年9か月、振り返って改めて思うことは、今、何十年に一度という難しい課題が次々と生じている、こうしたことです。例えば、3年余りにわたって、新型コロナとの戦い、世界が取り組んできました。日本においても先月、ようやく感染法上の分類が変わった。平時を取り戻すための大きな一歩を踏み出したわけです。これから世界が経済を復活させ、社会を取り戻していかなければいけない。こういった大事なときを迎えているわけですが、しかしこの今、世界の経済を見るときに、気候変動ですとか、格差の拡大ですとか、人口問題、あるいは高齢化、こうした様々な大きな課題、地球規模の課題を抱えています。今までのこの資本主義のモデル、この経済のモデル。今までのままでは、持続可能性を維持することができないのではないか。こういったことで、EU(欧州連合)もアメリカも、そして多くの主要国が、この経済のモデルを見直さなければいけない。こういった議論を行っています。EUにおいては次世代EU、あるいはアメリカにおいては現代サプライサイドエコノミーが言われるなど、要は経済、市場や競争に任せているだけでは、持続可能性を維持することができない。持続可能な経済をつくっていくために工夫をしなければ、せっかくコロナを乗り越えても経済を復活させ、持続させることができない。こういった経済の議論が進んでいます。

 また、国際社会においてはポスト冷戦期が終わったと言われています。1989年、ベルリンの壁が崩壊してから後、米ソの冷戦期が終わった。新しい時代がスタートしたと言われています。そして、そこから今日まで、世界はグローバリゼーション、グローバル化の取組を進めることによって、平和や繁栄を獲得することができる。こういった思いで、様々なグローバル化が進んできました。しかし、今、グローバル化を進めて競争を続けてきた世界、この中にあって、大国が正にむき出しの国益をさらけ出し、そして競争を始めてしまっている。また、国連の安保理の常任理事国、世界の平和と安定に責任を持つはずの大国が、国際法を破って他国を侵略する、こういった事態が起きている。

 要は、従来のこの国際社会の秩序、これが揺るがされている。国際社会を安定させるために、いま一度秩序を考えていかなければいけない。こういった時代が来ています。今、私たちは歴史の転換点にあると思います。こうした時代の変化、世界規模の地殻変動が起こる中で、難しい課題、インフレですとか物価高騰ですとか、エネルギー危機、また食糧危機、さらには新型コロナを始めとする様々な医学的な問題、こうしたものに直面している。これが今の時代だと思います。そして、こうした大きな変化を伴う時代においては、分断や対立がどんどん進んでいってしまう。しかし、だからこそ、分断から協調へ、そして対立から協力へ、こうした気持ち、精神を大切にしながら、分断から協調へという流れを先導する。こうした外交が今求められている。こうしたことを強く感じています。

 総理大臣には、たくさんの仕事があります。経済、生活を守る教育や分権、様々な課題に取り組んでいかなければなりませんが、その中でもとりわけ外交については、よく「首脳外交」という言葉が使われるように、国のトップ、総理大臣の果たすべき役割、これは極めて大きいものがあると感じています。

 そこで本日は、こうした歴史の転換点にある複雑な状況にある。そういった中にあっての外交、特に先般のG7広島サミットに焦点を当てて話をしたいと思っています。私は外交においては、理念をしっかり持ちつつも最も現実的な判断を下す、「新時代リアリズム外交」という外交を掲げています。これは、正にこの早稲田の校歌にあります。現世を忘れぬ久遠(くおん)の理想、大きな理想を掲げながら、一方で徹底的な現実主義を貫くという、こうした早稲田の理念にも沿うものであると思っています。

 そうした思いを持ちながら、先日5月18日から21日まで3日間、広島においてG7広島サミットを開催し、議長としてこの会議を取り仕切りました。G7広島サミットは、正に今申し上げたような私の外交姿勢を鮮明に打ち出す場となりました。今回のサミットの中身については、これは多岐にわたり、なかなか短時間で紹介する、説明することは難しいわけですが、私は大きく言って歴史的な意義は3点あったと思っています。

 まず、第1は、今申し上げたような国際秩序が揺るがされている中にあって、改めて法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序を維持強化するということを確認するということでありました。歴史的な転換点を迎え、そして複雑化し混乱する国際社会においては、ややもしますとみんなが受け入れられるような考え方、これが見失われてしまう、欠如してしまう。こうしたことを強く感じています。ですから、私はこのサミット前にアフリカ、アジア、そして中東や南アメリカ等、各地の国々と対話を積み重ねてきました。それぞれの国は立場も様々であり、また複雑化する国際社会の中で利害関係も様々です。しかし、そういった国々と対話する中で、私は必ず確認したのは、やはり領土や主権の一体性を守る、あるいは力による一方的な現状変更は許してはならないといった、国連憲章を始めとする国際法。これを守っていくということについては、一致することができるのではないか、こういったことを訴え続けてきました。どの地域においても、様々な地域事情があります。しかし、どんな地域においても、その地域の大国が、国際法によらず、力によって一方的な現状変更を行う。国際社会がまた弱肉強食に戻ってしまっては困る。これについては、どの地域のどの国の首脳と話しても一致することができた。こういった対話を積み重ねてきました。こうした国際法による国際秩序、これは国際社会における弱い立場の国のためにこそある考え方であるということを申し上げてきました。弱い立場の国も自らの国益を考え、経済においても様々な活動においても、思い切って国際社会の中で活動ができる国際法というものが守られているからこそ、こうした弱い国も国際社会の中で自信を持って安心して行動することができるのではないか。よって、法の支配に基づく国際法を始めとする法の秩序に基づく自由で開かれた国際秩序を守るということにおいては、国際社会は一致することができるのではないか。こういった議論を積み重ねてきました。今回のG7広島サミットの1つ目の大きな意義は、G7、そして招待国を含めて多くの国々と、法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序、力ではなく法の支配に基づいて国際秩序を考えていく。こういったことで一致することができた。このことが第1の大きな成果だったと思っています。

 そして、第2の意義としては、グローバルサウスと呼ばれる新興国、途上国を含めた多くの国際的なパートナーとともに協力していくことの大切さ、これを確認することができました。 今回のG7広島サミットには、今年のG20の議長国インド、来年のG20の議長国ブラジル、今年のASEAN(東南アジア諸国連合)の議長国インドネシア、また、今年のアフリカ連合(AU)の議長国コモロ、また、PIF(太平洋諸島フォーラム)の議長国であるクック諸島、そしてさらには、今回はインド太平洋で行われる唯一のG7サミットですので、インド太平洋地域からベトナム、韓国、あるいはオーストラリア、こういった国も招待国として招きました。 こういった国々と協力をしていかなければ、今地球規模の課題、気候変動ですとか、あるいはコロナを始めとする、医療の分野、あるいは様々な軍縮、開発、さらには災害対策など、こういった地球規模の大きな課題には立ち向かっていくことができない。やはり、こうしたグローバルサウス、新興国、途上国、こういった国ともG7が協力をしていかないと、こういった地球規模の課題に取り組んでいくことができない、結果を出すことができない。こういったことを確認し、協力をしっかりとしていくことで一致した。こうしたグローバルサウスとの協力が、今回のG7の2つ目の大きな柱でありました。

 そして、3つ目のG7の大きな柱として、平和、核軍縮・不拡散という課題があります。今、核兵器による威嚇によって、大国が隣の国を侵略しようとしている。国際社会においても、核軍縮・不拡散の機運がどんどんと衰退している、後退している、こういった指摘があります。そういった中でG7広島サミットを開く、平和への誓いを確認するということにおいて、平和を象徴する広島の地ほどふさわしい場所はない。こういった思いも、G7広島サミットの中に込めさせていただきました。もちろん、今、厳しい安全保障環境の中で、まずはどの国の政府も自らの国の国民の命や暮らしを守らなければならない。厳しい現実にしっかりと立ち向かっていかなければならない。こうした現実的な政策を進めていかなければならないわけですが、しかし、その一方で、将来に向けては核兵器のない世界を目指す、こうした理想を求めていくこと。これをしっかりと追求しなければいけない。こうした現実と理想とは決して矛盾するものではない。これは現実にはしっかりと対応しなければならないわけですが、現実を理想にどのように結びつけていくのか。そのロードマップを示すことこそ、政治の、そして外交に課せられた大きな課題ではないか。厳しい現実にしっかり対応しながらも、決して理想を忘れることなく、この理想に向けてどのように世界を進めていくのか。これをG7の中で議論し、そして核兵器のない世界を目指すということについて一致し、そしてそれを他の核兵器国にもしっかり広げていく。こういったことを確認することができた。こうした平和や核軍縮における思いにおいても、今回のG7広島サミットで大きな意義があったと思っています。

 そして、G7広島サミットに、最終日、ウクライナのゼレンスキー大統領が対面で参加いたしました。このゼレンスキー大統領の参加、これは今申し上げた3つの大きな歴史的意義、G7の意義に、それぞれ大きな重みを与えたと思っています。1つ目の法の秩序に基づく自由で開かれた国際秩序を、再び国際社会においてしっかりつくっていかなければならない。今、正に国際法を犯した侵略を受けている国、ウクライナのゼレンスキー大統領に、議論にしっかり参加してもらう。また、グローバルサウス、新興国、途上国、こういった国とも先ほど申し上げたように、気候変動等、地球規模の課題において協力することはもちろん大事ですが、ゼレンスキー大統領にはこうしたグローバルサウス、新興国、途上国とも、同じテーブルに着いてもらって、改めて法の支配に基づく国際秩序を守っていくということについて思いを共有してもらった。一致することができた。このことも大変大きな重みであったと思っています。さらには3番目の平和、核軍縮ということを考えても、ウクライナは核兵器を放棄した国です。核兵器を放棄した国が核兵器を持っている国に威嚇され、そして侵略される、こういったことを許したならば、国際社会における核軍縮において、そして核軍縮・不拡散において、決定的なダメージを与えることになってしまう。すなわち、核兵器を放棄したことによって侵略されるという結果を招いてしまったならば、これは今、世界で北朝鮮を始め、多くの国々が核兵器を持とうとしている。そして、そういった国々に、やはり核兵器を持たなければ駄目なんだというメッセージを与えてしまうことになりかねない。こうした、ウクライナのトップにG7広島サミットに参加してもらい、平和について、また核軍縮について思いを語ってもらう。このことも、この議論に重みを与えることになった。こういったことでありました。こうしたG7広島サミット、これ以外にも、気候変動、AI(人工知能)を始めとするデジタルなど、様々な現代的な課題に議論を広げたわけでありますが、いずれにせよ全世界から注目される3日間となりました。

 結果として今申し上げたこの考え方を国際社会に力強いメッセージとして発信することができた。存在意義を示すことができたと思っていますが、肝腎なのはこの成果を今後にどうつなげていくかということです。日本外交の総力を挙げて、今回G7サミットに臨み、世界に向けて大きなメッセージを発することができましたが、この意義を今後の国際社会にどういかしていくのか。

 今後、今年だけ考えても、インドでG20サミットが予定されています。アメリカでAPEC(アジア太平洋経済協力)が予定されています。インドネシアでASEAN首脳会議が予定されています。また、日本、東京においても、今年は日ASEAN友好関係50周年という節目の年を迎えて、東京で日ASEAN特別首脳会合を予定しています。こうした会議に向けても、今申し上げたように、法の支配に基づいて国際秩序を考えていく。こうした思いを共有することができるかどうか。また、グローバルサウス、新興国、途上国としっかり協力をしながら、国際社会の繁栄安定を考えていくことができるか。さらには平和についても思いを一つにできるか、こうしたことが問われます。是非、今回のサミットの成果、これを今後の様々な外交での議論にしっかりとつなげていきたいと思っています。

 今日はこうして外交についてお話をしてきましたが、是非今日、お集まりの多くの学生の皆さんにお伝えしたいことは、国際関係とは決して国家レベルだけの営みではないということです。外交、国と国との関係もちろん、これは大きな責任を担って取り組まなければいけないことではありますが、それ以外にも市民レベル、スポーツ、文化、芸術など様々な分野、レベルで、外交と人の交流が行われる。そういったものが土台にあってこそ、国際社会は、その国々は外交を進めていくことができる。こうしたことであります。

 是非、今、国際社会が大きな転換点を迎えているとき、学生の皆さんにも是非世界の多様な考え方に触れて、狭い世界に閉じこもらずに世界にかかわっていただきたいと心から思っています。例えば、大学ということで、人、国際社会とのつながりということを考えた場合に、留学が一つのキーワードとしてあります。 今の政府においては、2033年までに日本人学生の海外留学者数50万人、そして外国人留学生の受入数40万人を実現する。こうした目標を掲げています。今回の目標は、受入数のみならず、海外への留学者数の目標にも重点を置いている。これが一つの特徴であります。今、日本の学生の皆さん、内向きになっているのではないか。こういった指摘があります。その中で、女子学生の皆さんは大変まだまだ意気軒高であるけれど、特に日本の男子学生、内向きになっているのではないか、こういった指摘があります。アメリカへの留学者数、中国、韓国、どんどんと増えている中にあって、日本からの留学生の数、足踏みをしている。滞っている、あるいは減少している、こういったことが指摘されています。早稲田大学においては、直近約15年間で留学生数が倍増するなど、急速な国際化が進んでいる。多様な人材交流が進んでいる。このように聞いています。今日もアジアを始め、留学生の皆さんにもおいでいただいていると聞いています。是非、こうした国際社会とのかかわり、これを是非それぞれの立場で考えてもらいたいと思います。今、留学ということを申し上げましたが、留学だけがかかわりではありません。もちろん、いろんな事情によって留学、なかなか難しい、こういった方も大勢おられる。これは現実だと思います。しかし、今のような情報化時代、別に留学しなくても、世界とつながる道はたくさんあります。是非、それぞれの立場で世界に目を向けて、何よりも多様性、包摂性、こういったものに思いを巡らしていただきたいと、心から思っています。

 そして、この早稲田大学を私自身思い返すときに誇りに思うのは、早稲田大学のリベラルな自由な校風、そして多様性であると思っています。早稲田大学においては、最近は東京出身者も随分増えてきてしまったというお話も聞いてはおりますが、しかしもともとは地方出身者も多く、それぞれの地元に誇りを持ち、また最近は女子学生の皆さんの割合もどんどん増えていると聞いております。また、海外からの留学生もどんどんと増えている、すばらしい多様性を示してくれてると思っています。母校愛をしっかり持ちながらも、決して排他的に集まるのではなく、多様性や包摂性を大事にしながら、世界に挑戦してくれている。これが我が母校、早稲田大学であると感じています。今振り返りますと、この包摂性や多様性が大事だという私自身の国家観や外交政策の原点も、母校早稲田の気風の中で育まれたのではないかと思っています。

 そして、最後に申し上げたいことは、私自身、失敗や道草や、あるいは回り道をしてきた人間として皆さん方に伝えたいこと。それは人生で経験するあらゆることに意味があるということであります。人生に無駄なことはない。失敗したと思っても、その失敗は必ず将来に意味をなすということ、こういったことを伝えたいと思います。学生の皆さん、是非今の早稲田での時間、あるいは人との交流。これを大切にしてください。もしかすると、それが皆さんの将来の「まさか」につながっていくかもしれません。皆さんの輝かしい将来を心から祈念して、私の話を終わります。御清聴ありがとうございました。