データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[内閣名] 第19代原敬内閣(大7.9.29〜10.11.4)
[国会回次] (帝国)第43回(特別会)
[演説者] 内田康哉外務大臣
[演説種別] 外交演説
[衆議院演説年月日] 1920/7/3
[貴族院演説年月日]
[全文]

諸君、私は本年一月本院に對しまして、外交に關する報告演説を致しましたが、それ以來今日まで發生致しましたる重要外交事件の經過を、茲に陳述するの光榮を有します、先づ第一に申上げまする事は、獨逸との平和條約に關する事でありますが、本件に就きまして帝國の執るべき處置、又外國に對する交渉等は、誠に多々あります次第でございますが、其最も重要なるものは山東問題に關する事でございます、山東問題に就きましては、過日外務省より、其經過を發表致しました次第でこざいますから、茲に其成行を繰返しまして、御報告致しますることは差控へたいと存じます、{原文に、なし}右公表文に依りて御承知になりましたことゝ存じますが、日本は膠州灣租借地の還付等に關係致しまして、本年一月對獨平和條約が其効力を生じまするや否や、直ちに支那に向つて商議を開かんことを提議致しました、尚ほ其後の機會に於きましても、更に商議を催促しましたこともございます、多數の月日を費しました末に、漸く支那政府より一應の回答がありましたが、其回答は不幸にして、我が商議に應ずることが出來ないと云ふことであります、即ち支那は對獨平和條約に調印せざりしことを理由とし、又本問題に關し直ちに日本と交渉を開くことは、國内の政情が之を許さないと、此二つの理由に依りまして、之に應ずることか出來ないと云ふ趣意を申して參りました、是は帝國政府の甚だ遺憾とする所でございます、さりながら支那に於て我が誠意ある−−我が正當なる要求に應じ難しとすれば致方ありませぬ、今日に於きましては、現状を維持して行くより外はない、然れども若し今後支那が態度を改めまして、商議開始を希望することになりますれば、何時にても之に應じまして、日支兩國に取つて、滿足なる解決を圖りたいと思ふて居ります、次に申上げたき事は矢張支那に關する問題でございます、即ち對支新借款團に關する問題、又西伯利に關する問題でございます、順序と致しまして、新借款團問題の經過を先づ第一に申上げます、此問題に就きましては、一方に於きましては米國代表者が態々米國より來朝致しまして、我が銀行代表者と商議を開きました、此米國代表者は單り米國を代表するのみならず英佛の銀行團とも相當の諒解を遂げて參りましたものでございまして、實際に於きましては、英佛米の銀行團を代表した者と商議を開いたと申しても、事實上差支はないと存じます、此兩代表者の間に於ける交渉も、幸に圓滿に進行致しました次第でございますが、此問題は單に銀行代表者間の問題に止らない問題でありまして、現在の借款團に關しても、其行掛が軍に經濟關係のみでない、關係政府間に、相當の交渉を有して居る問題であります、それ故に他方に於きまして、帝國政府に於きましても、關係各國政府との間に隔意なく所見を交換致しました次第でこざいます、其意見交換の結果と致しまして、本件に關し、我政府が最も重きを措いて居ります所の日本の國防、並に國民の經濟的生存の安全を保障すると云ふ途を講じたいと云ふ、日本政府の主張に對しまして、各國政府に於ても、十分なる諒解を與ふるに至りました、茲に始めて新借款團の組織を完了する域に達した次第でこざいます、此經過の詳細は先般外務省より公表文を發して居ります故に、既に御承知のことゝは存じますが、將來に亘りまして、如何にも重大な關係を有つて居る問題でございますから、御參考までに重ねて茲に經過の大要を申上げたいと存じます、此新借款團組織に關しましては、唯今申しました通りに、本年三月本件商議の爲に遙遙米國より參りました米國の銀行代表者と屡々會商を重ねました次第でございます、互に圓滿なる諒解を得て、本年の五月十一日遂に文書の交換を行ふ事になりまして雙方に得た所の諒解を確認する事になりました、抑々對支借款に關しましては日本は常に列國と恊調する方針を恪守致しまして、先年英、米、佛、獨、露の五國と、所謂六國財團を組織した次第でございます、不幸にして此財團よりして米國は其後間もなく脱退いたしまして、又獨逸は對戰の結果除外せられることになりました、我が日本は英佛と共に依然として現在に至るまで此財團の一員と致しまして、支那政府の借款商議に應じ來つた次第でございます、此間日本は屡々米國財團が此財團に復歸して、相倶に支那の事業に當ることを希望いたしまして、屡々勸誘を試みたこともございます、又最近五百萬磅、即ち約我が五千萬圓の借款を支那に許すことに就きましても、日、英、米、佛の恊調に十分努力を致しました、更に今回の新借款團に對しましても、主義上直ちに賛同を表した次第でございます、此新借款團は大正七年六月に、米國政府より提議いたしましたものに淵源いたしました次第でございます、米國政府の提議に依りますれば、日英米佛此四國の銀行團を以て、新たに新借款團を組織いたしまして、支那政府を對手とし、又は其保障を致しまする借款でありまして、且つ公募することを條件と致しました、支那が列國に要求する所の借款は其政治借款たると實業借款たるとを問はず、之を新借款團の、共同の事業と致すと云ふ趣旨でございます、其後此提案は關係各國政府の賛同する所となりまして、遂に客年五月巴里に於て、右四國銀行團代表者會合討議の上、大體米國政府の提議を基礎と致しまする、新借款團組織に關する綱要を決議いたしました、其決議の結果と致しましてそれ/\各自の屬する本國政府及右代表者の屬する自國の銀行團本部の確認を求むることになりました、故に日本に於きましても、昨年八月新たに十八箇−−能く覺えませぬが、十八箇内外の銀行團を寄せまして、一の組織を爲して之に參加することに決しました、又英、佛、米の三國に於きましても、此巴里の決議を確認することになりまして、茲に新借款團組織の根本議が確定せらるゝことになつた次第でございます、元來借款團を組織いたしまする最も重要なる理由は、どうせ今後支那に於ては、各國の投資に待たざるを得ないことは判り切つて居る話でありますから、此支那の要求に應じて、各國の間に競爭を起すことは雙方の爲めに甚だ面白からざることであるから、列強間の競爭を阻止いたしまして、支那の福祉を増進し、又關係國間の友好恊調を鞏固にし緊密にならしめんとするの趣旨に外ならぬ次第でございます、固より此事柄は、帝國政府の切に希望するところであります、先刻申しました通りに、往年米国銀行團の現在の四國銀行團に復歸することを勸説いたしましたことも、即ち其の趣旨より出てたるものでございます、隨て前申しまする通りに、更に此の關係列強恊調の範圍を擴大いたしまして、且つ之れを益々緊密ならしめんとする、米國此度の新提案に對しましても、帝國政府は進んで之れに賛同の意を表した次第でございます、次で巴里會議をも確認いたした次第でございます、唯だ新借款團問題は、他の關係諸國に取りましては、主として單純なる經濟問題、即ち業務上の利害問題に止りますけれども、我日本に依りましては、往々國家の緊切なる利害問題を包含いたして居ります、支那が我が領土に接續して居ります關係上、我國防並に我國民の經濟的生存に、重要緊密なる關係を有して居ります、此日本の特殊の地位に關しましては、従來とても關係國政府に於て、之を諒認するに躊躇せさりし次第でございますが、帝國政府は此巴里會議の決議を確認するに方りまして、我が日本の立場に就きまして、關係國との間に更に明確なる諒解を遂けんことを圖りまして、屡々關係政府の間に意見の交換を遂けまして、其結果英米、佛三國側に於きましても、接壤關係に基きまする我が國防、並に我が國民の經濟的生存の安全を保障せんとする、日本の提議の主眼とする所に就きまして、十分之を諒解し、右三國政府は、日本の緊切なる利益に背反する、何等の措置に出づるの意圖を有するものでないのみならず、進んで日本の利益を保護するに足るべき、一般的保障を與ふるに躊躇せさる旨を聲明して參りました、此に於きまして日本政府に於きましては、上記關係銀行團代表者の恊定を承認することに決定いたしまして、遂に最初に申上けましたる本年五月十一日、差當り日米兩國銀行團代表者の間に、諒解の確立を見るに至つた次第でございます、追て更に日、英、佛三國銀行團の間にも、同様諒解の成立を見るに至ることゝなつて居ります、乃ち來る九月には、紐育に於て關係代表者が會合することになつて居りますから、遲くとも其時に於ては、最後の決定を見ることゝ思ひます、尚ほ本問題に就きまして一言申添えたいが、それは此借款團の活動の範圍でございます、支那政府を對手とし、其の支那政府の直接又は其保障の下に、公に募集せらるることを條件として居る借款に止る次第でございます、決して對支借款全部に對して、此の新借款團が獨斷的の地歩を獲得せんとするものではありませぬ、隨つて支那の企業家又は私的團體の起さんとする所の借款は、固より自由でありまして、新借款團の干渉すべき限ではありませぬ、次に西伯利問題に就きまして申上げますが、本年一月「コルチヤツク」提督の沒落いたしました後貝加爾以東に於きましては、過激派の勢力が次第に勃興いたしまして「ブラゴエチエンスク」、「ニコリスク」、「ハバロフスク」等は、一二月の頃に於て其掌中に歸した次第でございます、浦潮に於きましては一月下旬に臨時政府の成立を見まして、爾來同政府は、兎も角も東部西伯利に於きましては、各種の政團中比較的秩序あるものになつて居ります、目下の所東部西伯利に於きましては、右浦潮臨時政府の外に、尚ほ、「ウエルフネウヂンスク」「ブラゴエチエンスク」等の政團であります外に、「チタ」には「セメヨノフ」政團なるものがあるのでございます、斯くの如く未だ統一的の政府は出ませず、各々それ/\小區域に對して、政治を行ひつゝある有様でございます、然るに是迄大分各政團の間に闘爭が行れて居りましたが、目下「チタ」方面に於きましては、停戰の状態を呈して參りました、且つ「チエツクスローヴアツク」軍も、既に全部同方面より撤退した次第でありますから我が政府に於きましては豫て宣言の趣旨に從ひ本日の官報號外を以て聲明せられました通り同方面の撤兵を愈々開始することに決しました、尤も浦潮方面に於きましては、朝鮮に對する脅威が啻に排除せられざるのみならず、却て惡化せんとする傾向がありますので、同方面に於きましては、御承知の通り多數の在留民が居ります次第で、是等の保護の必要をも、考慮に加へざるを得ない次第でございます、又「ハバロフスク」「サガレエン」洲に通ずる要衝の地點でありまするに依り、是等地方の安定を得るまで、已むを得ず我が軍隊を駐むる積りでございます、此の西伯利問題に就きまして、尼港に於ける虐殺事件を陳述せざるを得ないのは私の最も悲痛とする所であります、該事件の眞相に就きましては、尚ほ取調完備せず各方面に就きまして、今取調を進行せしめて居りますが、今日まで政府の得ました報告は、それ/\既に發表を致しました通りでございます、政府は同地状勢危急の情報に接しました以來、種々探知救援等の方法を講じましたなれども、何分交通最も困難なる時季に際會いたしまして如何ともすること能はざりし次第でございます、それ故に黒龍江及海路の開通するを待ちまして、其開通を見るや否や、直ちに軍艦、軍隊、及調査員を派遣しました次第でございます、我軍は六月三日を以て始めて尼港に到著いたしました、然るに時既に遲く、軍人居留民共老幼男女の區別なく、約七百名非業の最期を遂げた後でございまして、洵に遺憾千萬に堪へざる次第でございます、斯く數百の帝國臣民が異きょうに於て徒らに虐殺せられたことは、我が歴史上絶無のことであります、政府は此殘虐無比なる事件の善後策に就きましては、其最も適當と信ずる方策に出づる所存であります、唯た如何せん尼港方面には、實際上我が交渉に應じ得べき何等の政團も存在して居りませぬ、故に將來責任ある政府樹立いたしまして、本件の滿足なる解決を見るに至るまで、「サガレエン」州の必要地點を占領する積りでございます、以上今日迄の重要間題に關する要點のみを申上げました次第でございますが、尚ほ日英同盟條約の改訂更新等に就きましては、近來獨り日本のみならす、英國又は其他の國に於きましても、大分議論の題目となつて居ります、此事に就きましては、唯今総理大臣より申述べられました通り帝國政府に於きまして、必要なる考慮を加へ居る次第でありまして、英國政府とも必要なる打合を開始して居る次第でございます、其經過等は未だ申上げる譯に參り兼ねますでございますから、左様御承知を願ひます(拍手起る)