[内閣名] 第24代加藤高明内閣(大13.6.11〜大15.1.28)
[国会回次] (帝国)第49回(特別会)
[演説者] 幣原喜重郎外務大臣
[演説種別] 国務大臣の演説
[衆議院演説年月日] 1924/7/01
[貴族院演説年月日]
[全文]
諸君、外交問題は往々一國國運の消長に影響するものでありますから個々の場合に對する具體的方針を決定するに付きましては、最も愼重なる考慮を要することは言を俟たない次第であります、然るに現内閣は成立以來未だ三週間を出でませず、斯の如き具體的方針を決定致しまするのには餘り短時日であります、随て本日は唯々大體の方針の筋道のみに付きまして所見を申述べまして、諸君の御諒解を得たいと存じます、第一に帝國の外交は我が正當なる權利利益を擁護増進すると共に、列國の正當なる權利利益は之を尊重致しまして、以て極東並太平洋方面に於ける平和を確保し、延いては世界全般の平和を維持することを根本義と致して居る次第であります、是は餘り抽象的に聞えるかも知れませぬが、事實に於きまして帝國の外交上に於ける百般の政策及行動は、之を出發點と致して居るのであります、吾々は何等他國を犠牲として、非理なる慾望を滿たさんとするものではありませぬ、又所謂侵略主義とか、領土擴張政策と云ふが如き、事實不可能なる迷想に依つて動かさるゝものではありませぬ、之と同時に日本の正當なる權利利益は之を擁護増進することは、政府として當然の責務であると考へて居ります(拍手起る)此責務を遂行致して行く上に於きまして、列國の正當なる權利利益と衝突を見るべき理由は毫もないと考へます、{原文に、なし}凡そ國際間の不和は、一國が他國の當然なる立場をも無視し、偏狭なる利己的見地に執著することに依つて生ずるものであります、之に反して吾々の主張致す所は、畢竟列國の共存共榮の主義であります、今や世界の人心は一般に此方向に向つて覺醒せんとするの徴候を示して居ります、國際聯盟の制度の如きも、此人心の覺醒に根柢を有する事は疑を容れませぬ、列國が共に以上の根本義を認むるに於ては百般の國際問題は自ら解決の基礎を發見するに難からざる事と考へます、第二に申述べたい重要なる點は所謂外交政策の繼續性と云ふ事であります外交政策の繼續性と云ふのは、其の政策を實行する手段方法が一定不變であると云ふ意味ではありませぬ、又一旦定めたる外交方針は之を永久に變更しないと云ふ意味でもありませぬ、外交政策を實行する手段方法は勿論、外交方針其ものも四圍の環境に應じて随時變更する事は何れの國に於ても屡々見る所であります、併ながら一國の政府が公然外國に與へたる約束は、條約に依ると否とを問はず如何に政府又は内閣が更迭致しましても、是等の更迭に依つて變更し得べき者ではないのであります、之が外交政策の繼續主義の要締でありまして、之に依て始めて國家の威信も保たれるものであります、其遵守せらるゝと否とは、國際平和の依つて懸る所であります、吾々は自ら此主義を遵守すると共に、列國に於ても亦同様の精神を以て我國を迎へることを期待するものであります(拍手起る)目下我國の對外關係に於きまして國民の注意を惹きつゝあるのは、米國新移民法に關する問題、露國「ソヴイエト」政府との交渉案件に關する問題、並に支那の一般時局に關する問題であると考へます、仍て此三問題に付きまして大體の所見を述べまして、諸君の御參考に供したいと考へます、{原文には、なし}御承知の如く合衆國議會は過日新移民法を可決致しまして、同法案は大統領の裁可を得まして法律となつたのであります、其由來を尋ねて見ますると云ふと、近年米國に於きましては、外國殊に南部及東部歐羅巴よりの移民激増の傾向を示すことゝなりまして、合衆國が是等の諸外國の分子を渾然融合して、本來の米國民の社會組織中に統一せしむることには、事實上困難であると云ふ觀察が一般に行はるることとなつたのであります、是に於て外國移民の入國に對し、從來よりも一層嚴重なる制限を加ふる必要を感ずるに至つたのであります、日本勞働者の米國移住に付きましては、所謂紳士協約なる一の取極がありまして、日本政府は現に米國に居住する者の一定の近親及再渡航者を除くの外、一切勞働移民の米國行出國に付きまして、禁止的の取締を行ひ來つたるが爲め、新なる日本移民の増加は事實に於て殆ど問題とするに足りなかつたのであります、随て今回の移民法は、一般移民の入國を嚴重に制限すると云ふことが本來の目的でありまして、特に日本移民排斥の意味を含むべき理由がなかつたのであります(拍手)然るに合衆國議會に於て同法案審議中、若干排日論者の運動遂に其効を奏しまして、歸化權なき外國人は原則として入國を拒絶せらるゝと云ふ一箇條が、新移民法中に挿入せらるゝことになりましたのは寔に遺憾の次第であります、本問題の經過を觀察致しまするのに、三つの注意すべき要點があると考へます、第一は日本人排斥論者とこ雖、近來は日本人が劣等人種であると云ふが如き議論を注意して避けて居ります、唯々彼等の言ふ所は日本人と米國人とは恰も油と水との關係である、油と水とは孰れが優等とも劣等とも言ふことは出來ませぬが、何れの場合に於ても油は溶解して水と一體となることが出來ぬものである、即ち日本人は米國に同化し得ないものである、同化せざるものを米國の社會組織中に入れると云ふことは、米國の將來に向つて禍を爲すものであると云ふ事が、日本入排斥論の最も重要なる前提となつて居るものと認められます、日本人種の劣等を理由として、排斥條項を可決致した次第ではありませぬ、尤も吾々は日本人不同化性の前提が、今日まで何等確定的事實に依つて證明せられざる所の一片の獨斷的見解なることを信じまして、其趣旨は既に去る五月三十一日、日本政府の米國政府に送りましたる公文中にも大體説明致してある通りであります、第二には各國は國家固有主權の當然の作用と致しまして、自國版圖内に來るべき移民に付き、制限及取締の自由を有すと云ふ原則は、米國に於きましては既定の國策として、常に主張し來つた所であります、過般排日條項の制定に當りましても、是が一の重要なる論據を成して居るのであります、米國が特に此點に重きを置きまするのは同國特殊の國情に基くものでありまして、吾々も此原則を爭ふ次第ではありませぬ、併ながら此原則を認めましても、之が爲め排日條項は日米條約の規定と何等牴觸することがないと云ふ結論を來すものではありませぬ、第三に今回の排日條項は、米國大統領及國務卿に於きましても、夙に反對意見を表明致しまして、之が削除の爲めに百方苦心せられたのであります、又米國の輿論も同國多數新聞紙の反映する所に依りますれば、一般に我が立場を能く諒解して居るものと認められます、本件立法が斯の如く多數の有力なる新聞紙に依つて、一般に一様に非難を受けて居ると云ふことは注目すべき現象であると考へます、{原文には、なし}之を要するに吾々が排日條項に抗議致しますのは、同條項の規定する差別待遇が正義公平の觀念と兩立しませず、又國際禮讓の通義にも副はざる所があるものと確信するが爲めであります、随て今回米國に於きまして、本件立法が既定の事實となつたに致しましても、到底本問題は既に終了せるものとは認むることが出來ませぬ、吾々は我が正當なる主張が滿足を得られざる限り我が抗議を維持致しまして、本問題の圓滿なる解決の爲め、又日米兩國間の親交を永遠に確保せんが爲め、及ぷ{前1文字ママ}限り努力する覺悟であるのであります、(拍手)次に露西亞問題に付きましては、元來日本は露國と地理的に接壤の關係があります、又經濟上の關係に付きましても、重要なる點に於いて利害を共にする次第でありますから、結局兩國は親善友好なる隣國として、互に接近すべき運命を有して居ると考へます、殊に露國民が歐洲大戰の初期に當りましては、聯合與國共同の目的の爲めに重大なる犠牲を供し、其後大戰の末頃に至りまして勃發したる革命内亂の爲めに、名状すべからざる艱難に遭遇致したことは、吾々の露國民に對する同情をして一層深からしむる所以であります、吾々は露國民が能く此艱難の試練に堪へ、速に平和的發展を遂ぐるに至らんことを衷心より祈らざるを得ませぬ、露國の内政問題に至っては、固より吾々の彼此れ批評すべき事柄ではありませぬ、併ながら兩國間には現に解決を要する幾多重要案件がありまして豫め十分明確に是等案件の解決を遂げ置くにあらずんば、國交開始後に至りまして、更に不愉快なる紛議を生ずるの虞があることは明瞭であります、就きましては數年來或は大連に於て、或は長春に於きまして、又最後は東京に於きまして、兩政府當局者間に非公式の交渉を試みましたが、不幸にして商議成立を見るに至らなかつたのであります、最近前内閣時代に於きまして、更に北京に於て正式交渉を開始致しましたけれども、未だ種々の點に於きまして意見の一致に到達せざる際に、我が内閣の更迭を見るに至つた次第であります、吾々は固より既に開かれたる交渉を斷續し、愼重に考慮して、百方滿足なる解決を得ることに努むる覺悟であります、尤も交渉未決の今日に於きまして、今後我等の執らんと欲する所の措置の具體的方針を明言することを碍ない次第は諸君に於ても御諒察下さることゝ考へます、對支間題に至つては、是亦吾々の極めて軍要視する所であります、由來日支兩國が政治上、繼濟上並に文化上に於て最も密接なる關係を有することは言ふを俟たざる所でありまして、兩國間に十分なる諒解を遂げ置くの必要なることも自明の理であると考へます、列國殊に日本と致しましては、支那の政情が一日も速に安定を告げることを希望するのは當然でありまするが、遺憾ながら未だ著しき結果を見るに至らぬのであります、近年支那の諸地方に於ける外國人被害事件の頻發致したるが爲支那の不滿足なる政情は一層痛切に外國人の注意を惹くに至つたのであります、併ながら支那が百般の施政に渉つて改善を斷行することは寔に容易ならぬ事業でありまして、其事情は吾々に於ても深く諒察しなければならぬと考へます、吾々は同情と耐忍と希望とを以て支那國民の努力を觀望し、偏に其成功を祈るのみならず、支那の我に求むることあるべき友好的協力は、我に於ても及ぶ限り之を提供することを辭せざる考であります、支那の内政上の事柄に付きましては、固より吾々の關與すべき限りではありませぬ、又吾々は支那の合理的なる立場を無視するが如き、何等の行動を執らんとするものではありませぬ、是と同時に支那に於きましても我が合理的立場を無視するが如き、何等の行動を執らざるを信じます、吾々は固より支那に於きまして、機會均等主義の下に兩國民の經濟的接近を圖らんとするものでありまして、之が爲めには單に日本を利するのみならず、又支那をも均しく利するの方法を以て目的の遂行を期するものであります、吾々の公明正大なる政策は、支那國民に於ても必ず之を認むるに至ることゝ信ずるのであります(拍手起る)先般の華盛頓會議に於きまして支那に關する諸條約が調印されましたことは、夙に御承知の通りであります、同條約は調印國中批准未了のものもありまするが爲めに、未だ効力を發生するに至りませぬけれども、其規定する政策は吾々の執らんと欲する所の政策と全然一致するものでありますから、政府は同條約の精紳に依りまして終始致さんとする次第であります、對米、對露、對支問題に對する大體の意見は以上述べましたる通りでありまするが、申すまでもなく政府は單に是等の當面の問題のみに注意を集中致す譯ではありませぬ、米、露、支、三國のみならず、極東及太平洋方面に於て重要なる領土上、又は經濟上の利益を有しまする諸國、其他の列國と絶えず友好的關係を維持増進し、全局の國際平和に貢獻せんが爲めに誠心誠意努力致す覺悟で居ります、私は此際外交の局に當りましたる責任の極めて重大なることを自覺致しまして、幸に諸君の御諒解を得まして、此任務を遂行致したいと考へるのであります。
〔拍手起る〕