データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[内閣名] 第27代濱口雄幸内閣(昭和4.7.2〜昭和6.4.14)
[国会回次] (帝国)第58回(特別会)
[演説者] 幣原喜重郎国務大臣
[演説種別] 国務大臣の演説
[衆議院演説年月日] 1930/04/25
[貴族院演説年月日]
[全文]

諸君、我國ノ直面致シテ居ル各般ノ外交問題ニ付キマシテ、政府ノ執ラントスル大體ノ方針ハ、本年一月二十一日私ガ當議場ニ於テ説明申上ゲタ通デアリマス、此方針ハ今日モ何等變更ヲ加フベキモノガアルノヲ認メマセヌ、隨ッテ茲ニ之ヲ繰返スコトヲ省キマシテ、唯々二三國際問題ノ最近ノ經過ヲ概略申述ベルニ止メタイト考ヘマス

日支兩國間ニ於キマシテハ、過般愈々關税協定ノ假調印ヲ見ルニ至リマシタガ、其主要ナル點ハ支那關税自主權ノ承認竝ニ若干ノ貿易品ニ對スル税率ノ相互的約束デアリマス

第一ニ支那ノ關税自主權ニ付キマシテハ、既ニ大正十四年ノ北京會議ニ於キマシテモ、主義上之ヲ承認スル趣旨ノ決議ガ、同會議ノ特別委員會ヲ通過致シタノデアリマス、當時我ガ代表者ガ此決議ヲ取纏メルガ爲ニ、誠意ヲ以テ斡旋盡力致シタノハ周知ノ事實デアリマス、其後支那國内ノ動亂急ヲ告ゲマシタル結果、北京會議ハ何等確定ノ成績ヲ擧ゲ得ラレズシテ休會トナリマシタケレドモ、爾來支那ト關係列國トノ間ニハ、關税協定ガ續々締結セラレマシタ、尚ホ不日日支間ニモ同樣ノ協定ガ成立致シマシタル上ハ、支那ノ關税自主權ハ茲ニ關係列國全部ヨリ正式ニ承認セラルヽコトニナルノデアリマス、吾々ハ隣邦ノ爲ニ斯ル顯著ナル成功ヲ喜バザルヲ得マセヌ、固ヨリ權利ハ責任ヲ伴フモノデアリマス、列國ハ何故ニ此問題ニ付テ、多年享有シ來ッタ實質的價値ノ多イ條約上ノ保障ヲ抛棄スルノデアルカ、畢竟支那ガ其新ナル地位ヲ利用シテ、妄リニ對外貿易ヲ迫害シ、破壞セントスルガ如キ税率ノ變更ヲ行ハナイコトヲ信ズルガ爲デアリマス、私ハ支那ガ徳義上ノ責任ヲ重ンジテ、必ズ此列國ノ信頼ヲ空シクセザルコトヲ期待スルモノデアリマス

第二ニ此度ノ日支協定ニ於キマシテハ、兩國相互ニ若干ノ貿易品ニ關シテ一定ノ期間内、一定ノ税率ヲ維持スルコトヲ約束セントスルノデアリマス、吾々トシテハ固ヨリ對支貿易ノ安定ヲ希望スルモノデアリマシテ、支那ニ於ケル關税率ノ頻々且ツ急激ナル變更ハ、忍ビ得ラレナイコトデアル、又支那トシテハ我國ニ向ッテ或ル支那製産品ノ販路ヲ確實ニ致シタイト云フ意嚮ガアル、此雙方ノ希望ガ合致シテ、税率ノ相互的協定ヲ結ブコトニナッタノデアリマス、斯ル協定ハ日支共存共榮主義ノ實現ニ一歩ヲ進ムル所以デアリマシテ、兩國間ノ特ニ密接ナル經濟關係ニ顧ミマスレバ、當然ナル筋合デアルト申サナケレバナリマセヌ、又關税自主權トハ毫モ衝突スルモノデハナクシテ、國家主權ノ平常ナル發動ニ過ギナイコトハ申スマデモアリマセヌ

尚ホ吾々ハ既定ノ方針ニ依リマシテ、通商條約ノ規定中、關税以外ノ事項ニ付キマシテモ、引續キ改訂ノ商議ヲ行フ考デアリマス、私ハ兩國相互ニ他ノ一方ノ正當ナル立場ヲ諒解シ、以テ交渉ノ圓滿ナル進捗ヲ見ルニ至ランコトヲ望ムモノデアリマス

最近支那國内ノ政局ハ又々不幸ニシテ不穩ノ状ヲ呈スルト共ニ、此際何等カ我國ニ於テ之ニ關係シ、畫策スル所ガアルカノ如キ報道ガ往々支那ノ新聞紙ニ傳ヘラレテ居リマス、斯ル風説ハ眞面目ニ之ヲ打消スニハ餘リニ荒唐無稽デアリマス、吾々ノ絶對ニ公正ナル態度ハ、最早多言ヲ要シマセヌ

前議會ニ於キマシテハ、私ハ海外貿易ノ問題ニ言及致シマシテ、吾々ハ從來通商條約ヲ有タナカッタ諸國トノ間ニ、及ブ限リ新條約ノ締結ニ努ムル方針デアルコトヲ申上ゲタノデアリマス、就中日本ト挨及トノ貿易ハ、世界大戰以後俄ニ膨脹シテ、重要性ヲ加ヘルコトニナリマシタカラ、政府ハ夙ニ埃及ト通商條約ヲ締結スルノ必要ヲ認メマシテ、屡々交渉ヲ試ミマシタガ、種々ノ難問題ニ妨ゲラレマシテ、容易ニ其目的ヲ達シ得ナカッタノデアリマス、然ルニ今囘幸ニ其難問題モ解決セラレマシテ、去ル三月十九日兩國間通商暫定取極ノ成立ヲ見ルコトニナリマシタノハ、兩國ニ取ッテ寔ニ慶賀ニ堪ヘマセヌ、尚ホ吾々ハ引續キ其他世界各方面ノ市場ニ於テ、我ガ商工業ノ活動ニ便ナラシメンガ爲ニ、同樣ノ條約關係ヲ結バンコトヲ期シテ居ル次第デアリマス

倫敦海軍會議ノ經過ニ付キマシテハ、未ダ詳細ニ説明シ得ベキ時機ニ達シマセヌケレドモ、同會議ガ去ル一月二十一日開會以來、絶大ナル努力ヲ續ケ、遂ニ關係列國相互ノ讓歩ト友好的協調トニ依リマシテ、本月二十二日條約ノ調印ヲ了スルコトニナリマシタノハ、苟モ國際間ノ平和親善ヲ念トスルモノヽ、衷心ヨリ歡迎セザルヲ得ナイ所デアルト信ジマス(拍手)殊ニ補助艦ノ造艦競爭ヲ阻止スベキ協定ニ至ッテハ、日・英・米三大海軍國ガ華盛頓會議以來、八年有餘ニ亙ッテ、失敗ニ失敗ヲ重ネタル末、今囘漸ク萬難ヲ排シテ協定ヲ遂グルコトヲ得マシタル事實ハ、其條文ノ書キ顯ハス法律上ノ效果ヨリモ、遙ニ重要ナル意義ヲ有スルモノデアリマス(拍手)凡ソ國際關係ニ於テ、造艦競爭程有害無益ナルモノハアリマセヌ(拍手)孰レノ當事者ニ取ッテモ、之ガ爲メ自國ノ國防上ニ於キマシテ、毫モ安全感ヲ増サヽルノミナラズ、却テ徒ニ危惧ノ念ヲ深クスルバカリデアリマス(拍手)世界大戰前ノ歴史ハ、明瞭ニ此傾向ヲ示シテ居ル、倫敦條約ハ、尠クトモ其有效期間内ニハ、一切ノ造艦競爭ヲ阻止スルモノデアリマシテ、其好結果ハ啻ニ國民負擔ノ輕減ト云フガ如キ物質的方面ニ止マラズ、國際關係ニ及ボス精神的影響ニ於テ更ニ大ナルモノガアルコトハ疑ヲ容レマセヌ(拍手)

倫敦條約ハ千九百二十六年末迄ノ事態ヲ律セントスルモノデアリマシテ、其以後ノ各國ノ兵力量ハ別ニ千九百三十五年ニ開カルベキ會議ニ於キマシテ、協議決定セラルルコトニナッタノデアリマス、今囘ノ協定ニ依リマスレバ、主力艦ニ付キマシテハ、各國共ニ千九百三十六年ノ末迄、一切華盛頓條約ノ規定スル代換建造ニ著手スルノ權利ヲ行使セザルノミナラズ、英國ハ五隻、亞米利加ハ三隻、日本ハ一隻ヲ、ソレ/\處分スルコトニ決シタノデアリマス、又補助艦ニ付キマシテハ、我國ノ保有量ハ、全體ニ於テ現有量ヨリモ差引五万餘噸ヲ減ズルコトニナリ、而モ千九百ニ十五年ノ會議ノ際、我國ノ現實ニ保有スベキ兵力量ハ、八吋砲巡洋艦ニ於テモ、亦補助艦ノ總括的噸數ニ於テモ、我ガ本來ノ要求ト殆ド差異ガアリマセヌ(拍手)唯々潛水艦ノ保有量ハ、 我ガ主張セル噸數ヨリ著シク縮少サレマシタケレドモ、是トテモ英米兩國ノ均勢ハ完全ニ保タレ(拍手)又英米共ニ其當初ヨリ主張スル潛水艦全廢論ヲ抛棄シタノデアリマス(拍手)

斯ル協定ノ結果、我國ニ取リマシテ軍事費ノ節約ハ實現シ得ラルヽコトニナリ、而モ尠クトモ其協定期間内ニ於キマシテハ、國防ノ安固ハ十分ニ保障セラレテ居ルモノト信ジマス(拍手)若シ千九百三十六年末迄ノ間ニ於テ、我國ノ保有スベキ兵力量ヲ以テシテハ、到底國防ノ安固ヲ期シ得ラレナイト云フガ如キ批評ガアリマスルナラバ、餘リニ極端ナル悲觀説デアルト申サナケレバナリマセヌ(拍手)政府ハ軍事專門家ノ意見ヲモ十分ニ斟酌シ、確固タル信念ヲ以テ、此條約ニ加入スルノ決心ヲ採ッタノデアリマス(拍手)或ハ千九百三十七年一月以降我國ノ保有スベキ兵力量モ、結局次囘ノ會議ニ於テ、今囘ノ協定ト同樣ノ制限ヲ受ケルデアラウ、其場合ニハ、我ガ國防上重大ナル缺陥ヲ生ゼザルヲ得ナイト云フ議論モアリマセウ、併ナガラ世界ノ形勢ハ絶エズ變遷シツヽアリマシテ、軍事上ノ施設ニ於キマシテモ、吾々ノ今年特ニ重キヲ置クモノハ、必ズシモ明年モ同樣ノ價値ヲ持ッテ居ルモノトハ限リマセヌ(拍手)又目下餘リ必要ノ認メラレナイモノデモ、他日必要缺クベカラザルモノトナルコトガアリ得ルノデアリマス(拍手)隨ッテ千九百三十五年ノ會議ニ當ッテハ、我國ハ其當時ノ形勢ニ應ジテ如何ナル要求ヲモ主張シ得ル、自由ノ立場ヲ留保シナケレバナリマセヌ(拍手)而シテ之ヲ主張スル自由ハ條約ノ明文ヲ以テ承認サレテ居リマス、此際我々トシテ倫敦條約ガ恰モ未來永遠ニ我ガ國家ノ行動ヲ束縛スルモノヽ如キ虞ヲ抱キ、此推測ノ下ニ、餘リニ神經過敏ナル態度ヲ示スヤウナコトガアリマシテハ、如何ニモ自信アル國民ノ態度ニ相應ハシカラヌコトデアルト申サナケレバナリマセヌ

尚ホ我國ニ於キマシテハ、補助艦保有量ノ縮少ニ依リマシテ、製艦技術及能力ノ維持ニ困難ヲ來スヤウナコトガアッテハナラヌト考ヘマシテ、此點ニ關シテモ十分ノ審議ヲ加へ、斯ル場合ニ備ヘンガ爲ニ、別ニ一定ノ範圍内ニ於テ、代換繰上建造ヲ行ヒ得ルノ便法ヲ協定致シタノデアリマス

以上ノ經過ニ徴シマスルナラバ、今囘ノ倫敦條約ノ規定ノ中ニハ我々ガ交渉ノ決裂ヲ賭シテモ爭ハナケレバナラヌ程ノモノガナイノデアリシテ{前4字ママ}(拍手)我々トシテハ及ブ限リ列國ト協力シテ會議ノ成功ヲ圖ルベキ立場ニ在ッタコトハ、必ズ公平ナル觀察ノ一致スル所デアルト考ヘマス(拍手)世間デハ我國ガ他國ノ厭迫ニ依ッテ協定ヲ強ヒラレタモノデアルト云フガ如キ、全ク事實ノ眞相ニ無理解ナル臆説モアルヤウニ傳ヘラレテ居リマス(拍手)私ハ茲ニ之ニ對シテ辯駁ヲ加ヘルノ程ノ價値ヲ認メマセヌ(拍手)我々ハ外交上ノ見地カラモ、又國防ノ基礎タルベキ兵力、財政經濟ノ能力、其他ノ國力ニ關スル見地カラモ、有ラユル利害得失ヲ比較攻究シタル結果、此度ノ協定ニ參加スルコトガ帝國ノ爲メ、斷然得策ナリト確信致シタノデアリマス(拍手)終リニ我ガ全權委員竝ニ其隨員諸氏ガ過去數箇月間會議ノ劇務ト、難局トニ當ッテ苦心慘憺、以テ最善ノ努力ヲ盡サレマシタルコトハ顯著ナル事實デアリマシテ、我々ノ寔ニ感謝ニ堪ヘザル所デアリマス(拍手)