データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[内閣名] 第32代廣田弘毅内閣(昭和11.3.9〜昭和12.2.2)
[国会回次] (帝国)第69回(特別会)
[演説者] 有田八郎国務大臣
[演説種別] 国務大臣の演説
[衆議院演説年月日] 1936/05/06
[貴族院演説年月日]
[全文]

此度、内外多事ノ秋ニ際シ、外政ノ重責ヲ擔フコトト相成リマシテ、本日茲ニ帝國ノ外交方針ニ付、所見ヲ開陳スルコトヲ得マスルノハ、私ノ光榮トスル所デアリマス

抑々東亞ノ安定ヲ確保シ、由テ以テ世界平和ニ貢獻スルト共ニ、國際正義ノ確立ニ依リ、人類ノ福祉ヲ増進スルハ、帝國ノ國是デアリマス、而シテ我ガ國民ノ生存ヲ確保シ、其發展ヲ期スルト同時ニ、諸國民相互ノ融和ヲ計リ、特ニ日滿兩國ノ特殊不可分關係ヲ基調トシテ、東亞ノ安定力タルノ實ヲ擧ゲマスルコトハ、右國是ヲ遂行スル帝國外交ノ指導精神デアルト信ズルノデアリマス、此國是及ビ指導精神ノ下ニ國際案件ヲ處理スルニ當リマシテハ、自主積極的ナルト共ニ、大國日本トシテノ品格ヲ傷クルガ如キコトナキヲ期シ、畏多クモ國際聯盟脱退ニ關スル御詔書中ニ宣ハセラレタル、信ヲ國際ニ篤クシ大義ヲ宇内ニ顯揚スベシトノ大御心ニ副ヒ奉ラントスルモノデアリマス

熟々國際ノ現状ヲ見マスルト、不滿焦躁ノ気分ハ世界到ル處ニ瀰漫致シ、平和ノ紊亂セントスル情勢ハ随所ニ現ハレテ居ルノデアリマス、隨テ先ヅ此不滿焦躁ノ氣分ヲ醸成スル原因ヲ除去シマスルコトハ、言フ迄モナク世界平和ヲ確保スル所以デアリマス、各國ガ自國ノ利益擁護ニ専念スルハ當然デアリマスガ、唯之ニ忠ナラントスルノ餘リ、他國ノ立場ニ十分ノ理解ヲ持タザルガ如キコトアルハ、世界ニ不滿焦躁ノ氣分ヲ醸成スル原因ヲ成スモノデアリマス、私ハ各國政治家ガ深ク思ヲ茲ニ致シテ、政治上、經濟上ノ關係ノ調整ニ當ルベキモノナルコトヲ確信スルノデアリマス

次ニ私ハ帝國ト列國トノ關係ニ付テ逐次見解ヲ申述ベタイト存ジマス、帝國政府ハ東亞ノ平和維持ノ爲メ、日滿兩國ト「ソヴイエト」聯邦トノ關係ガ正常且ツ平穩ナランコトヲ冀フモノデアリマシテ、帝國政府ガ滿洲國政府ト共ニ何等侵略的意圖ヲ持ッテ居ナイコトハ、今更申ス迄モナイノデアリマスルガ、近時滿洲國ト「ソ」聯邦トノ國境方面ニ事件續出シ、又滿洲ト外蒙古トノ間ニモ同樣事件ノ頻發ヲ見マスルコトハ、遺憾ニ堪ヘナイノデアリマス、殊ニ境界不明確ナルニ拘ラズ、國境ヲ越エタリトノ一方的判斷ニ基キマシテ、直チニ武器ヲ使用スルガ如キコトハ、徒ニ國交ヲ尖鋭化スル以外、何等ノ實益モナイコトデアリマシテ、斯ノ如キヤリ方ニ付キマシテハ、既ニ「ソ」聯邦政府當局ノ注意ヲ喚起致シテ置イタ所デアリマスルガ、此機會ニ於テ更ニ猛省ヲ促シタイト存ズルノデアリマス、帝國政府ハ滿洲國政府ト協議ノ上、去ル三月中旬「ソ」聯邦政府ニ對シ、滿「ソ」國境全線ニ亙リ、國境線ヲ明瞭ナラシムル爲メ有效適切ナル措置ヲ講ジ、是ト並行的ニ國境紛争平和的處理ノ機構ヲ設定スルコトト致シ、先以テ紛争ノ最モ多ク發生シマスル東部國境ノ興凱湖ヨリ圖們江ニ至ル區間ニ於キマシテ、之ヲ實行セシムルコトヲ提議シタノデアリマス、近時發生セル滿「ソ」國境事件ハ、殆ド皆此區間デ起ッテ居ル事實ニ照シマスルモ「ソ」聯邦政府ニ於テ速ニ我方ノ實行的ナル提議ヲ應諾スベキモノト考ヘタノデアリマスガ、同國政府ニ於テモ遂ニ之ニ應諾ノ意ヲ表シマシタノデ、逐次具體的協議ノ進展ヲ見ルニ至ランコトヲ希望シテ居ルノデアリマス

滿洲國ト外蒙古トノ關係ニ付キマシテハ、目下滿蒙間ニ直接話合ガ行ハレテ居リマスルガ、滿洲國ニ於キマシテハ、此話合ノ進展ニ連レ、種々ノ懸案ノ平和的解決ヲ計リ、善隣友好關係ヲ樹立セントスル意嚮ヲ有スルモノト承知致シテ居リマス、帝國政府ハ、滿蒙間ノ直接交渉ニ依リ、速ニ諸案件ガ解決セラレ、殊ニ兩者ノ間ニ代表者ノ交換ヲ見ルニ至ランコトヲ希望スルモノデアリマス

只今ノ説明ニ依リ、略々推察セラレマスル通リ、日「ソ」關係ノ現状ハ遺憾ナガラ決シテ明朗デアルト云フコトヲ得ナイノデアリマス、是ガ根本的原因ハ、率直ニ申シマスレバ、「ソ」聯邦爲政者ノ東亞ニ於ケル帝國ノ地位ニ對スル認識ノ不足及ビ疑心暗鬼ニ在リト申サナケレバナラナイノデアリマス、「ソ」聯邦ガ邊境ノ極東地方ニ過大ノ軍備ヲ施シテ居リマスル事實ハ、實ニ東亞ニ於ケル平和ヲ脅威スルモノデアリマシテ、帝國政府ハ東亞ノ平和ヲ衷心希望スル見地ヨリ致シマシテ、右事實ニ對シ無關心タリ得ナイト云フコトヲ、此機會ニ明瞭ニ致シテ置キタイト思フノデアリマス(拍手)

滿洲國ニ付キマシテハ同國トノ不可分關係ヲ基調トシテ、日滿支間ニ正常關係ヲ樹立セントスル不動ノ外交方針ニ從ヒマシテ、滿洲國ノ經濟開發等ニ出來得ル限リノ援助ヲ與フルト共ニ、同國ニ於ケル帝國ノ治外法權撤廢及ビ滿洲鐵道附屬地行政權ノ調整乃至移讓ニ關シマシテモ、是ガ漸進的實現ヲ期スベク、目下其準備中デアリマス

次ニ日支關係ニ付キマシテハ、曩ニ第六十八囘帝國議會ニ於テ廣田外務大臣ヨリ詳細説明セラレマシタガ、對支三原則ヲ基礎トシテ、日支間ニ話合ヲ進ムルコトニナッテ居ルノデアリマス、唯此基礎ノ下ニ話合ヲ進メテ行キマスガ爲ニハ、支那當局者ガ眞ニ東亞ノ大局ヲ洞察シ、一大決心ヲ以テ之ニ當ルヲ要スル次第デアリマスルガ、此點ニ付キマシテハ、不幸ニシテ支那側ノ決心、未ダ十分ナラザルモノアルヤニ見エマスルノハ、甚ダ遺憾デアリマス、サリナガラ日支國交ノ調整ガ、兩國ハ固ヨリ、東亞ノ平和ノ爲ニ極メテ必要デアリマスルコトハ言フヲ俟タナイノデアリマスカラ、私ハ支那側ノ決意ヲ促スト共ニ、有ユル方面ニ於テ、日支國交ヲ調整スルコトニ遺憾ナキヲ期シタイト思ッテ居リマス

東亞ニ於ケル赤化勢力ノ侵入ニ付キマシテハ、帝國政府ハ常ニ細心ノ注意ヲ拂ヒツツアルノデアリマス、曩ニ四川省方面ヨリ陝西省ニ移動致シマシタ共産軍主力ノ一部ハ、最近山西省ニ侵入シ、同方面ニ於テ頻リニ活動ヲ續ケ居ルヤニ傳ヘラレマスルノミナラズ、今後ノ情勢如何ニ依ッテハ、更ニ北上セントスル姿勢ヲ執ッテ居ルヤウニモ見受ケラレマスルコトニ付キ、帝國政府ハ深甚ナル注意ヲ拂ッテ居ルノデアリマス

英國ニ於キマシテハ、去ル一月二十日、皇帝「ジオージ」第五世陛下ガ崩御遊バサレマシタ、故陛下ハ御承知ノ通リ、二十五年餘ノ久シキニ亙ッテ英帝國ニ君臨セラレ、其間世界大戰ヲ初メ、内外ニ於ケル至難複維ナル時局ニ當ラレ、遍ク智徳ヲ賞ヘラレタ御名君デアラセラレマシタ(拍手)新帝「エドワード」第八世陛下ニ於カセラレマシテハ、夙ニ多端ナル國際政局ニ御理解深ク、曾テ本邦ニモ御來遊遊バサレタコトモアルノデアリマス、私ハ大英帝國ノ前途ガ、同陛下ノ治下ニ愈々多幸デアルト共ニ、日英兩國ノ傳統的親善關係ガ、益々増進セラレンコトヲ希望スルモノデアリマス(拍手)尤モ英國トハ世界各方面ニ亙リ調整ヲ要スベキ利害關係ガ尠クナイノデアリマスガ、日英親善ノ傳統ト、世界平和ニ對スル兩國ノ責任トニ稽ヘマシテ、各自ノ有スル特殊ノ必要ニ對シ、十分ノ考量ヲ加ヘマスルニ於テハ、其利害ノ調整ハ決シテ難事デナイト信ズルノデアリマス

日米兩國ノ親交ガ太平洋平和ノ關鍵デアルコトハ申ス迄モアリマセヌガ、兩國ハ經濟上相互依存ノ關係ニ在ルノミナラズ、兩國民間ノ理解モ次第ニ深マリツヽアルコトハ、誠ニ欣バシキ次第デアリマス、兩國ハ今後愈々相互ノ立場及ビ使命ヲ尊重シ、太平洋ノ平和確保ニ益々協力セネバナラナイト存ジマス、私ハ兩國ノ諒解親善ニ付キ此上トモ最善ノ努力ヲ致サントスルモノデアリマス

次ニ國際貿易ノ現状ヲ觀察致シマスルニ、諸外國ニ於キマシテ、或ハ諸種ノ口實ヲ設ケテ外國生産品ノ排斥ヲ企圖シ、或ハ數國間ニ所謂經濟「ブロック」ヲ結成致シマシテ、經濟的武装ヲ固メントスルノ趨勢愈々顯著トナリツヽアルノデアリマス、斯ル趨勢ヲ放置スルニ於テハ、世界的經濟不況ハ益々深刻化シ、窮極ニ於テ世界貿易ノ萎縮、延イテハ人類經濟生活ノ退嬰ヲ招來スルニ至リマスルガ故ニ、帝國政府ニ於キマシテハ、機會アル毎ニ各國ニ對シ此種經濟的武装ノ撤廢コソ、眞ニ世界的經濟不況ヲ打開シ、民族ノ共存共榮ニ資シ、世界平和ニ寄與スル所以ナル旨ヲ強調シ來ッタノデアリマス、然ルニ不幸、斯ノ如キ我國ノ主張ハ、多數諸國ノ容ルヽ所トナラズ、國際貿易ノ障碍トナルガ如キ措置ガ、益々其範圍ヲ擴大スル傾向ニアリマスルコトハ、洵ニ寒心ニ堪ヘナイ所デアリマス、殊ニ諸外國中ニハ、専ラ我國製品ノ壓迫ヲ旨トシ居ルモノ等モ見受ケラレマシテ、我國ノ如ク原料品ノ供給ト製品ノ販路トヲ、海外ニ確保スルコトニ依リ、國民ノ經濟的生存ヲ維持セザルヲ得ザル國ニ取リマシテハ、眞ニ事態ノ重大ナルモノガアルノデアリマス、仍テ我國ト致シマシテハ、友好的方法ヲ以テ如上經濟的武装ノ撤廢、又ハ緩和方ニ極力努力セネバナラヌノデアリマスガ、若シ不幸ニシテ我國ノ斯樣ナ努力ニ拘ラズ、事態ノ改善ヲ見ザル場合ニハ、我國ニ於テモ巳ムヲ得ズ之ニ對應スル爲メ、新ニ必要ナル措置ヲ採ラザルヲ得ザルニ至ルベキモノト考ヘテ居リマス、此場合ニ於キマシテモ我國ノ意圖シマスル所ハ、即チ之ニ依ッテ相手國ノ反省ヲ促シ、以テ國際通商關係ヲ明朗ナラシメントスル外、他意ナキコトハ勿論デアリマス

最後ニ一言致シタイノハ、文化ト國際關係ニ付テゞアリマス、國際間ノ理解親善ヲ増進スル爲ニ、文化ノ紹介ガ重要ナルコトハ言フマデモナイコトデアリマシテ、此見地ヨリ帝國政府ハ、從來ノ對支文化事業ノ外、昭和九年度以降國際文化事業ノ創設擴充ニ努メテ參リマシタガ、其結果諸國民ノ日本研究ガ一層盛ニナリツヽアルヲ認メルノデアリマス、今後益々此種事業ノ振興ニ努メテ、國際間ノ理解ヲ深メ、世界ノ文化ヲ進メ、人類ノ福祉増進ニ貢獻シタイト存ジマス、又從來ノ對支文化事業ニ付キマシテモ、諸般ノ設備ヲ一層改善シテ、日滿支ノ文化的提携ヲ促進シ、深奥幽玄ナル東方文化ノ發揚ニ依リ、世界ノ文運ニ寄與センコトヲ期スル次第デアリマス

先頃帝都ニ起リマシタ不祥事件ハ、諸外國ニ非常ナル衝動ヲ與へ、我ガ對外關係ニ甚シク累ヲ及ボス虞モアッタノデアリマスルガ、天皇陛下ノ御稜威ト、擧國公ニ奉ズル精神ノ發揚ニ依リマシテ、時局ノ收拾ヲ見、懸念セルガ如キ事ナキヲ得マシタコトハ、不幸中ノ幸デアリマス

私ハ時艱ヲ克服シ、國策ヲ遂行スルノ道ハ、先ヅ第一ニ朝野各方面ガ國際ノ現状ヲ十分ニ認識理解シ、一致協力、其達成ニ勇往邁進スルニ在ルコトヲ確信シ、茲ニ諸君ノ熱心ナル御援助ヲ翹望スルト共ニ、渾身ノ努力ヲ以テ重責ヲ果サンコトヲ期スル覺悟デアリマス(拍手)