[内閣名] 第1代第1次伊藤博文内閣(明治18.12.22〜明治21.4.30)
[国会回次](議会開設前)
[演説者] 伊藤博文内閣総理大臣
[演説種別] 地方長官に対する訓示
[宮中演説年月日] 1887/9/28
[全文]
維新以來内治外政百端織るか如し而して一に皆國本を鞏固にし國權を振張し人民の幸福を進め永遠の基業を建立し後世に繼くへきの遺緒を貽さんとするを以て目的とし以て一定の進路を取るに非さるはなし是我天皇陛下の夙夜に聖慮を焦勞し中外の臣僚をして奉體服膺して貮三なきを期し以て今日に至るらしめし所なり
顧みるに八年四月始めて漸次立憲政體を建るの詔旨を發せられ元老院及大審院を設く十二年に始めて府縣會を開く十四年十月の詔に二十三年を期し議會を開くの旨を宣言す十八年十二月官制を定む此皆廟謨一定し漸を以て歩を進め以て全局の成果を期する者なり今や聖意乾健積久愈々堅く中興の業今日に在て實に山を造るの一簣に虧くへからさるの時に當れり而して民間或は皇猷の在る所を詳にせす地方士民危疑の念の爲に其方嚮を誤るか如きことあらは大業の累を貽すもの亦少小なりとせす茲に敬て聖意を奉し明かに各員に告るに内外政圖の標準を以てし竝に各員の爲めに施治の針路を指示せんとす
第一 我か立憲政體の大義は將に立國の源に基き祖宗の遺訓に遵由し時の宜を酌み臣民の權利を優重して其公議を伸暢せんとす蓋皆聖明の親しく裁酌を降し以て一國臣民に惠賜する所たらさるは莫し今祖宗以來國體の尊嚴なると八年四月及十四年十月の聖詔とを欽仰せは蓋多議を待たすして其要領を得るに難からさるへし惟ふに各國に在て各其沿革の事蹟に由り取る所の軌轍相同からす從て各種の主義互に流派を別ち未た歸一する所あらす學説を講する者亦各々意見を持し敷衍皇張して互に相譲歩せす皆一の理趣意象ありて以て世人の視聽を聳動するに足らさるはなし而して其間理論相投するの徒漸くに團結を爲し互相衝磨するの現象を呈することを免れさるは此れ亦各國往々見る所の情勢なり抑々我國に於て上祖宗の神器を永遠不侵の地に置き皇室の乾綱を維持し下臣民に向て代議の權利を附與せんとするは是れ神祖以來國體の大事にして皇家繼述の宏謨に係る而して臣民何人か敢て之を私議することを得んや今の時に當り憲法發布の前或は後に於て敢て憲法の親裁を異議する者あらは斷して言論集會及請願の自由の範圍の外に出る者とし若し或は此を以て名として暴動を謀り又は教唆する者あらは治安を維持するか爲に臨機必要なる處分を施すへし
第二 行政の事は社會の進歩と倶に相併行せさることを得す維新の後封建の制度と共に社會の景況を一變し凡そ人民生活の状態諸般の作業は總て皆更新の塗轍に就き駸駸として方に進路の中間に在り其舊を改め新に就くの際往々停滯して疏通せさる者あり兩々元素互相衝突して混和を妨くる者あり而して之を監督し之を保護し其方嚮を指示して徐々に其結果を収局せんとす此れ乃行政の事今日に在て非常の盤錯と艱難とを見るの已むを得さる所以にして而して亦方に進行の中塗に在る者なり此時に當て行政の責に當る者は確實と永久とを以て目的とし目前の近功を貪らす人民と倶に敢爲勉強忍耐の氣風を振作し其幸福昌榮を進め完全獨立覊不侵の國民たるの能力を宇内に證明し永遠強盛なる帝國の榮譽を後世に貽さんことを務むるの外豈他あらん乎而して凡そ行政の事務教育なり勸業なり土木なり經濟なり地方自治の制なり諸般の營爲は總て皆此の一方に向て其目的を取り直線前往するに外ならす此れ皆我廟猷一定の規模にして先覺諸臣の聖意を遵奉し其心力を盡して經營措畫し以て今日に貽して終局の責に當らしむる所なり今に於て若し一時政論の紛擾に因り人民の心志を動搖するか爲に或は地方の事業を弛廢し二十年經畫の行政をして萎靡敗壞に歸せしむることを免れさるか如きことあらは我國民前途の運命を何の地に置かんとする乎各員は實に直接に牧民の任に當る者なり最宜しく意を加へて綏撫の道を怠らさるへし
方に今國運進歩の時に當り内外の事百端併せ興る殊に陸海軍務に至ては立國自衞の道に於て無事の時を以て之を一日の緩慢に付すへからす顧みて之を宇内の大局と國家の長計に問ふときは我國民は重荷を負擔し重苦を忍耐して以て現在及未來の爲に國光を維持することを務めさることを得す故に人民をして租税及兵役の二大義務を盡すことを怠らしめす以て帝國忠愛の臣民たることを證明せしめ從て支費益々精確を務め無用を省て有用に就き富源を塞かすして以て要需の急に應するは即ち我か政府の取らんことを願ふの針路なり各員宜しく此の意を體して人民の爲に正當の方嚮を指導することを誤らさるへく亦宜しく意を加へて休養の道を侵害せさることを務むへきなり
第三 四年岩倉大使を派遣せられし以來我か條約改正の目的は一定して動かす屡々時機を以て結果を得んことを試みたり曩に訂盟各國と各々委員を命し商議せしも未た局を結ふに至らすして我か政府より延期を宣告したるは不幸にして彼此所見未た一致の點に歸せさる者あるに由る蓋條約の事は國の内外に於て重要の關係を有するを以て政府は之を反覆慎重し以て將来國運の爲に追ふへからさるの悔を遺すことを避けさるへからす但た現行治外法權の約款を改めて新に列國の間に平衡の交際を締ひ彼我の便益を増進せんとするの目的に至ては仍一定不變の軌道を執り而して將来に之を遂行せんとするは偏に我か國内治法律の進歩完成に倚頼せさるを得す此れ即ち前後緩急の間操縦宜きに從ふの已むを得さるに出る者なり若し乃外交の事を以て之を人民の公議に附せんとするの説あるに至ては凡そ立憲王國に於て斷して取らさる所なり蓋兵馬及交際の大權は皆帝王の躬親から總攬する所にして或る場合を除く外肯て之を臣民の公議に謀るものあらす若し宣戰講和盟約の權を擧て之を公衆に委ぬるか如きことあらは帝王主權の存する所果して何くにか在る乎此れ即ち我が國立憲の主義に於て斷して之を拒否せさることを得す此れ亦各員の宜しく之を體知して人民の爲に方向を指示すへき所なり
其他政府は總て聖詔に欽遵し凡そ立憲設備の要務に屬する者は逐次擧行することを怠らす百般の事益々整肅著實の路に就き以て行政の機關をして弛緩敗壞の弊失なからしめんことを期せんとす各員に在て亦必聖明の盛旨を奉體し從前既定の針路を誤らす始あり終あり以て分憂の責に對へ以て中興の大業を垂成の際に翼贊するの光榮を完くすることを怠らさるへし