データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[内閣名] 第5代第2次伊藤(明25.8.8〜29.9.18)
[国会回次](帝国)第7回(臨時会)
[演説者] 伊藤博文内閣総理大臣
[演説種別] 日清交戰に就ての演説
[衆議院演説年月日]
[貴族院演説年月日] 1894/10/19
[全文]

諸君、此節の事件に附きまして大體の御報道を申します

朝鮮事變よりして延て日清間の交戰と爲り我 皇上陛下既に大纛を茲地に進められ親ら統帥の天職を盡させられ而して諸君をして軍國の急務に參與せしむるため臨時帝國議會を大本營の下に召集せらるヽに當り本大臣は其奉ずる所の職務に由り日清兩國間終に此時局を生ずるに至りたるの顛末を略述するの光榮を荷ふ、抑々朝鮮は夙に我帝國が率先して其獨立を認め之と條約を締結し宇内列國に紹介したる所にして爾來數年の間各國も亦齊しく自主對等の一獨立國として漸次條約を締結し交通の道を開けり、朝鮮我と僅に一葦帶水を隔つ其國の治亂盛衰我に於て緊切の痛癢を感する最も深し然るに其國力微弱にして國勢振はず政治も亦從って其宜を失し動もすれば内亂を釀し上下相訌くに至って而して政府の力遂に之を鎭壓すること能はず其禍害時に或は延て居留の外人に及すに至る其國情既に此の如く日に衰頽に赴くに當り我國其自滅に一任して顧ざれば即ち止む苟も然らず率先其獨立を確認し列國に對し先蹤を啓きたるの初志を完くし併て我帝國の權利利益を保護せんと欲せば斷じて其獨立を鞏固ならしめ以て東洋大局平和の基礎たらしめざるべからず、我國維新以來中興の宏謨に則り内は文化を敷き外は交通を開き專ら東洋大局の平和を重んじ倶に與に文明の域に進まんことを冀圖せり故に朝鮮に事あるに際しても毎に此方針を以て之に臨み又清國に對しても誠を披き正を履み隣交を重んずるを以て主要とす既に今囘の事の如き日清共同事に從ひ天津條約の精神に依り共に同一の地位に立ち隣邦の孤弱を拯ひ東洋の平和を維持するの責任を兩國間に分たんと欲す然るに清國は之を顧念することなく徒らに口實を求めて我の提議を峻拒したり是に於てか我政府は止むを得す獨力以て朝鮮に勸むるに其秕政を釐革せんことを以てし朝鮮は已に之を肯諾したるも清國は終に陰に陽に百方術を盡して之を防碍し終に戰争の以て避くべからざる形勢に陷れしめたり、本大臣は茲に此時局に關する兩國間往復の公文を諸君の前に提出し其顛末を見るの一端に供せんとす、當初東學黨の亂起るに際し清國北洋通商大臣李鴻章より東京駐在の其國全權公使に訓令の出兵のことの公文を第一に諸君の前に朗讀致します、彼の公文は漢文でありまするが其は日本文に翻譯致してござります

 以書簡致啓上候陳者今般北洋大臣李より本使へ左の通電報有之候

光緒十一年清日兩國にて議定せし條約中に將來朝鮮にて若し變亂事件有之清國にて派兵を要する場合有之候節は應に先づ行文知照すべく事定りたる上は直に撤囘し再ひ留防せずと有之本大臣今朝鮮政府の來文に接し候處全羅道所轄の人民は習俗凶悍に有之東學教匪に糾合し衆を聚めて縣邑を攻陷し又北のかた全州を竄陷致候に付前に已に錬軍をして往て征討せしめ候得共戰利あらず就ては若し滋蔓日久しきときは憂を上國に胎すること尤も多かるべし然るに壬午甲申敞邦兩度の内亂の節にも中朝の兵士に頼りて代て爲に之を戡定せしこと有之因て其例に沿り數隊の兵を酌遣せられ速に來て代て征討せられむことを懇請致候尤悍匪の挫殄する上は直に其兵を撤囘せられ候樣致度敢て之を留防せしむることを請ふて以て天兵の久しく外に勞せらるヽことを致さヾるべしとの趣に有之本大臣之を覽るに其情詞迫切なるのみならず兵を派して援助することは我朝が屬邦を保護するの舊例に有之候得者奏聞の上論旨を奉じ直隷提督葉をして頸旅を選帶し馳て朝鮮全羅忠清道一帶の地方に赴かしめ時機を見計ひ防堵攻討し期を剋して之を撲滅せしめ務て屬邦の境土をして●安ならしめ{●は「又」の上の横棒のない字}各國人の朝鮮地方にて貿易を爲す者をして皆各々其生業を安ずることを得せしめ度尤も平定次第直に右兵を引揚け更に留防せしめざる樣可致候右至急條約に從ひ行文知照すべき筈に付貴大臣へ電報致候間早速日本外務省へ照會有之度候

 右の通り申來候に付本使は之を貴大臣へ及御照會候敬具

光緒二十年五月三日(我六月七日)

清國特命全權公使 汪鳳藻

日本國外務大臣陸奥宗光閣下

此照會に對しまして我政府より彼に囘答に及びました、文案は則ち其次であります

 以書簡致啓上候陳者今般貴國政府にて朝鮮國へ派兵被成候に付明治十八年四月

十八日日清兩國政府にて訂結の約書第三款に遵ひ行文知照の趣本日貴を以て御申越相成致承知候然るに貴簡中保護屬邦の語相見居候處帝國政府に於ては未た會て朝鮮國を以て貴國の屬邦とは認居不申に付此段御囘答旁言明致置候本大臣は茲に重て敬意を表し候敬具

明治二十七年六月七日

外務大臣 陸奧宗光

清國特命全權公使汪鳳藻閣下

之に引續きまして我國より朝鮮に出兵致すに附いて北京駐在の我代理公使をして清國の總理衙門に通牒致しました公文であります

 以書簡致啓上候陳は朝鮮國に於て現に變亂重大の事件ありて我國より派兵の必要有之候を以て帝國政府は若干の兵を派遣する積に有之因て明治十八年四月十八日貴我兩國政府にて議定せし條約の明文に從ひ清國政府へ行文知照すべき旨唯今我政府よりの電訓に接し候に付右之趣及御照會候敬具

明治二十七年六月七日

日本國臨時代理公使 小村壽太郎

清國總理各國事務王大臣御中

其次には總理衙門より我出兵に附いて種々の異存を申述べたのであります、總理衙門王大臣より我公使館への照會であります

 以書簡致啓上候本月四日我六月七日貴簡を以て朝鮮國に於て現に變亂あるを以て若干の兵を派遣せらるへきに付兩國の條約に從ひ右の趣行文知照すべき旨貴國政府よりの訓令を受けられ候旨御申越相成候處我國にては朝鮮の求に應じて兵を派遣し其亂民討伐の援助を爲す次第にして是は從來屬邦を保護するの慣例に有之且つ專ら内地の亂民を討伐するためにして平定次第直に引揚可申目下仁川釜山各港の模樣は靜穩なれども通商の地に候へば保護のため暫く軍艦を留置候のみに有之候貴國より兵を派遣せらるヽは專ら公使館領事館及商民を御保護相成候ためなるべければ申迄もなく多數の兵を御派遣相成候必要可無之又朝鮮より請求したる次第にも無之候得ば決して朝鮮内地へ進入して驚疑を起さしめざる樣被致度加之我國の兵士と出逢ひ言語不通軍禮の差異あるため或は不慮の事を生ずるが如き場合も有之候半と懸念致居候に付ては右の趣貴下より貴國政府へ電報にて御申送相成度致希望候右及囘答候敬具

光緒二十年五月六日(我六月九日)

清國總理各國事務王大臣

日本國臨時代理公使小村壽太郎貴下

之に對して我代理公使は政府の訓令を奉じて下文の通り囘答に及びました

 以書簡致啓上候陳者本月九日貴簡を以て貴國より朝鮮へ派兵せられしは從來屬邦を保護せらるヽの慣例に有之我國よりは多數の兵を派遣するの必要可無之又決して朝鮮内地へ進入不致樣致度との趣御申越相成候に付本官には早速其旨我政府へ致電報置候處只今我政府よりの囘電接到帝國政府に於ては未た會て朝鮮か貴國の屬邦なることを認居不申今囘我國より朝鮮へ派兵せしは濟物浦條約に依りたる儀に有之而して出兵の手續は天津條約に依りて取計置たる次第に候又帝國より派遣の軍隊の衆寡は帝國政府自ら之を裁決可致儀に有之又其行動の如何に至りては赴くべき必要なき處へは無論赴かざるべけれども他より掣肘せらるべき筋毫も無之又兩國の兵士相出逢ひ言語不通軍禮の差異あるため或は不慮の事を生ずるが如き場合も可有之との儀に至ては我國の兵士は紀律を守ること嚴粛なれば貴國の兵士と出逢ふことありとも故らに事を生ずるか如きこと決して無之は我政府の固く信ずる所なれば貴國政府に於ても其邊已に預め御加意相成居候事に可有之旨申越候に付右及囘答候敬具

明治二十七年六月十二日

日本國臨時代理公使 小村壽太郎

清國總理各國事務王大臣御中

此間段々談判もありましてございまするが東京駐在の清國の公使と我外務大臣とも談判を致して又本大臣の所へも來訪致し我政府の主意の在る所を十分彼の公使へも申聞かせました、然して我政府より一の企を爲して彼の公使へ照會を致しました、其書翰は左の通りであります

 以書簡致啓上候陳者朝鮮國に於ける目下の事變及善後の方法に關し昨日御面晤の節帝國政府の提案として貴國政府へ御協議致候要旨は左記の通りに有之候

 朝鮮事變に付ては日清兩國相勠力して速に亂民の鎭壓に從事する事

 亂民平定の上は朝鮮内政を改良せしむるため日清兩國より常設委員若干名を朝鮮に派し先つ大略左の事項を目的として其取調に從事せしむる事

  一財政を調査すること

  一中央政府及地方官吏を淘汰すること

  一必要なる警備兵を設置せしめ國内の安寧を保持せしむること

 右爲念茲に申進候本大臣は茲に重て敬意を表し候敬具

明治二十七年六月十七日

外務大臣 陸奧宗光

清國特命全權公使汪鳳藻閣下

之に對して清國全權公使汪鳳藻は本國政府の訓令を奉じて左の如く答へました

 以書簡致啓上候陳者本使は唯今本國政府よりの電訓に接し候處貴國政府より御商議相成候朝鮮事變及善後の方法に付ては篤と考慮を加へたる上左の通り及囘答候

  一朝鮮の變亂は已に鎭定したれは最早清國兵の代て之を討伐するを煩はさす就ては兩國にて會同して鎭壓すべしとの説は之を議するの必要なかるべし

  一善後の方法は其意美なりと雖も朝鮮自ら釐革を行ふべきことヽす清國尚ほ其内政に干預せず日本は最初より朝鮮の自主を認め居れば尚更其内政に干預するの權なかるべし

  一變亂平定の後兵を撤することは乙酉の年兩國にて定めし條約に具在すれば今茲に又議すべきことなかるべし

 以上は本使より已に御面話に及置候得共尚爲念以書簡申進候敬具

光緒二十年五月十八日(我六月二十二日)

清國特命全權公使 汪鳳藻

日本國

外務大臣陸奧宗光閣下

之に對して我外務大臣より尚ほ又左の通り照會に及びました

 以書簡致啓上候陳は閣下は貴國政府の訓令に從ひ朝鮮國變亂鎭定竝に善後の辯法に關する帝國政府の提案を御拒絶相成候趣貴暦光緒二十年五月十八日附の書簡を以て御申越相成致閲悉候

 顧て朝鮮國刻下の情勢を察するに於て貴政府と所見を同ふする能はさるは帝國政府の遺憾とする所に有之候

 之を既往の事蹟に徴するに朝鮮半島は朋黨爭鬩内訌暴動の淵叢たるの慘状を呈し而して斯く事變の屡々起る所以は獨立國の責守を全うするの要素を缺くに職由するものと確信するに足るべき儀に有之候

 疆土接近と貿易の重要とを慮るに於ても亦朝鮮國に對する帝國の利害は甚だ緊切なるを以て彼國内に於ける斯る慘状悲況を拱視傍觀するに堪へず候

 情勢此の如くなるに當り帝國政府惜て之を顧ざるは啻に平素朝鮮に對し抱持する隣交の友情に戻るのみならず我國自衞の道にも背くの誚を免れず候

 帝國政府に於て朝鮮の安寧靜謐を求むるために種々の計畫を施すの必要は已に前述の理由なるを以て更に之を看過する能はず今にして遲疑施す所なくして日を曠うせば該國の變亂愈々長く滋蔓するに至るべく候是を以て帝國政府に於て其兵を撤去するには必ず將來該國の安寧靜謐を保持し政道其宜しきを得ることを保證するに足るの辯法を協定するにあらざれは決行し難く候且つ帝國政府が斯く撤兵を容易に行はざるは啻に天津條約の精神に依遵するのみならず復た善後の防範たるべくと存候

 本大臣が斯の如く胸襟を披き誠衷を吐くに及び暇令貴國政府の所見に違ふところあるも帝國政府は斷じて現在朝鮮國に駐在する軍隊の撤去を命令すること能はず候此段御囘答旁本大臣は茲に重ねて敬意を表し候敬具

明治二十七年六月二十二日

外務大臣 陸奧宗光

清國特命全權公使汪鳳藻閣下

此間數日の間に於て雙方の平和の局に至らんことを試みました末、遂に十分の結果に至りませぬので我政府より左の通り總理衙門に申込ませました

 以書簡致啓上候陳者明治二十七年七月九日貴衙門にて朝鮮事件に付及御面談候

節貴王大臣より御陳述の次第は總て即日我外務大臣へ電報致置候處唯今我政府より電報到達朝鮮にて屡々變亂有之候は其内政の紊亂に基因する儀に有之而して我政府は日清兩國の該國に於ける何れも其關係常に緊要なれば今該國をして内政を釐革し以て變亂を未萠に絶たしむるには日清兩國勠力同心して之を爲すに如かざるへしとの意見にて此意を清國政府に提出したりし處●ぞ料らむ清國政府は{●はごんべんに巨/ナン・イズクン}此提議に從はず只望むに徹兵の一事のみを以てせらる其れ實に我政府の深く訝る所に有之又其後在北京英國公使は友誼を顧重し日清兩國をして妥協の局を結ばしめむことを欲し盡力調停せられたりし趣なれども清國政府は依然徹兵の事のみを主張し毫も我政府の意に應ずるの色なし是に由りて之を勸れば清國政府は意ありて事を滋するものにして則ち事を好むにあらずして何ぞや就ては今後因て以て不測の變を生ずることあるも我政府は其責に任せずとの旨申來候に付右電報譯文相添此段申進候敬具

明治二十七年七月十四日

日本國臨時代理公使 小村壽太郎

清國總理各國事務王大臣御中

表面往復を重ねました兩國の間の照會文は唯今朗讀を致しました通りであります、此外にも其以後に於て雙方の公使を徹囘するに附きましても往復文がありまするけれども格別諸君の電覽に共するの必要を見ませぬに依って省きます、清國の妄慢此の如く漸く甚だしきを致し一方に於ては屬邦を主張し又一方に於ては朝鮮の自主を認むと云ひ己自ら干渉して他の客喙を拒み獨り其事を專にせんとす想ふに其意朝鮮内亂の時機に投じ先づ自國の權勢を擴充し毫も其不振を囘復し自立を扶持するの念なくして却って終に其獨立を滅して之を併呑せんと欲するに在るや必せり故に彼一面に於ては東徒の未だ平がざるに既に鎭定すと説き以て我兵を撤囘せんと請ひ而して時機を緩にし漸次自國の兵を増進し以て威壓を試みんとし他の一面に於ては天津條約の精神を●視し{●は2点のしんにょうに貎/バク}陰に朝鮮を使嗾して我好意の勸告を拒絶せしめんと圖れり其證左歴々掩ふべからざるもの許多ありと雖も今爰に之を縷陳するの要を見ず、此間一二の大國は好意を以て居中調停の勞を試み由て以て兩國の間に往復したるも清國は終に之を聽かず是に於て我政府は我代理公使をして清國の事を滋うするに意あって將來不測の變あるも其清國に在ることを宣言せしめたり清國已に我好意を斥け東洋の平和を阻格せんとするのみならず早く已に戰端を開く則ち我の之に對する唯交戰の一途あるのみ宣戰の詔勅下りし以來、上は 皇上の威徳と下は陸海軍の精鋭忠武に依り屡々戰捷の報に接したるは諸君と倶に國家のため齊聲賀稱する所にして諸君は已に聖詔を奉す上下一致以て此大局に當り其目的を達するために諸君の能く奮勵して協贊の任を盡されんことは本大臣の信じて疑はざる所なり