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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[内閣名] 第10代第4次伊藤(明33.10.19〜34.6.2)
[国会回次](帝国)第15回(通常会)
[演説者] 伊藤博文内閣総理大臣
[演説種別] 施政方針演説
[衆議院演説年月日]
[貴族院演説年月日] 1901/2/14
[全文]

諸君、本日私は豫算の議が本院の日程に上ると申すことを承って取敢へず出席致したのであります、實は今日政治上の所見を特に御話申すと云ふ積もなかったのであります、御承知の如く前日來風邪のために未だ全く平癒も致さぬやうな譯でありますが、唯今岡部子爵の御質問に對して御答申す意味合を演説の中に含めと云ふことでありましに依って、一通り右に對するの趣意を陳述致す積であります、其他、豫算のこと及既に政府より提出して居る所の増税案又彼の三基金を北清事件のために使用した所の事後承諾を求むる件等もありまして、本件の議會に於ては是等の問題が最も緊要なることに相成って居りまするに依って、未だ議案も本院の議事に上って居りませぬものにも自ら論及致すかも知れませぬに依って、此段豫め陳述に及んて置きます、本年度の豫算は既に机上に備って居りまする譯でありますに依って、之に附いては追々豫算委員會も開かれて種々の御質問も起りますれば當局の大臣をしてそれそれ説明の任に當らしむる積でありますから、大體に於ては特に私が今日此處に於て豫算全體を通じての所見を述ぶるの必要はなからうと考へる、唯豫算中に於て政府も重きを置いて居る所の事柄は彼の海軍に於て新規に起す所の製鋼所の問題の如きに於ては成るたけ各位に於ても十分に審査を遂げられて其実行を期することに贊成あらんことを希望致す譯であります、而して増税の一般を御話申すに附いては自ら支那の事件に起因致して居る譯でありまするが、支那の事件に附きましては既に諸君の御熟知の通り昨年五月頃より彼の拳匪の亂が卒然として北清の野に起って爾來拳匪の動亂は一事鎭定致して居りまするけれども、延て以て北清の事件と云ふものは尚ほ今日も終局を告げざる有樣である、之に附いての詳細なる報道は過日も衆議院の議場に於て當局大臣も一通り陳述致してある趣でありますに依って必ず間接に諸君の清聽にも入ったことヽ考へる、此北清の事件に附いて前内閣以來採って來た所の軍事上及外交上の處置に附いては尚ほ今日も繼續致して居る譯でありまするが、此事件と云ふものは前古未曾有のことであって愚論を待たずして諸君の既に御熟知に相成って居ることでありまするが、各國の之に對する意向も大概世上一般に知れ渡って居る譯でありまするが、各國共に北清の事件が突然に起り而して之を處するの方法に至っては當初より十分なる見込が立って參った譯にあらずして事の進行するに從って各國共に協議を調べて而して成るべく協同一致の方針に外れぬやうに致して終局を見ると云ふことの希望で、即ち我邦に於ても此各國協同の範圍内に於て之を處置すると云ふことを最も緊要なることヽ認め、又極東の前途に於ても各國の一致を缺かざるやうにするのを以て利益と認めて今日も進行しつヽある譯でありまするに依って、前申すやうに叛亂は鎭定を致したけれども、尚ほ前途に於て事件の處分を付けて參ると云ふことは各國協同で以て支那と共に畫って參らぬければならぬことでありまする故に、何れの日に此局を結ぶかと云ふことは孰も認めは付き難いことであって、從って各國共に兵を派して居る、其兵を何れの日に撤去すると云ふことも定め難い有樣でありまする、故に已むことを得ず之に要する所の費用の供給を増税に待たざることを得ぬと云ふ次第でありまする、又此事件は突然起った譯でありまする故に、前内閣に於ても之に應ずる手段を彼の三基金に取って以て急に應じたやうな次第である、其三基金なるものは法律の命ずる所に依って自ら補填をしなければならぬと云ふ譯合よりして一面に於ては支那の事件に對して其費用を供給し、從って法律の命ずる所に依って支那事件の結了後は基金の補填にも歳入を充てなければならぬと云ふ目的を以て重なる増税の主意と致して増税案を既に衆議院の方に提出してありまするから、必ず不日本院の議に上ることでありませうに依って豫め諸君の審議を盡されて、而して國家の急に應ずるの重要なる議案を贊成あらんことを希望致して置きます、次に唯今岡部子爵の御話であった行政及財政の整理の事件を一通り述べまするが、多分行政財政と云ふことの整理に附いての所見が世上に流布されて居る所より右の御質問も出る譯と考へまする、行政財政の整理のことに就きましては日清戰爭の以前に當っては財政上のことも先づ順を以て進んで參って居りました故に、格別整理をしなければならぬと云ふ程な必要も見なかったやうに考へまするのであります、尤も財政上の話を諸君に委しく御話を申せば大分時間を要することでありまするが、今日は今日の顯れて居る形勢の上より私が如何に其整理を必要とすると見るかと云ふの上より所見を起して參った御話をするに過ぎぬ譯であります、御承知の通に二十七八年の戰爭以前に當っては政府に於ても財政上には餘程餘裕を持って居った、二十三年の議會解説以來は兎角經費の節減、或は成るたけ行政上に於ては金を使はせぬやうにすると云ふやうな意向が一般に行れて居った所よりして二十七年戰爭の起る前には政府の剰餘金と云ふものも三千五六百万にも達して居ったやうな譯でありまして、財政上には頗る餘裕を持って居ったのでありまするが、二十七八年の戰争と共に餘裕どころではなくして年々殆ど増税に依らなければならぬと云ふやうな譯になって居る、それで二十八年戰爭の終に於て二十九年度に對するの豫算案を經畫して當時の帝國議會に提出したるは即ち本官でありましたが、戰後の經營として陸海軍の増設擴張と云ふやうなことも一方にはあって、之に伴ふ所の經費も先づ二十九年度に向って凡そ明に出來るだけはして置いたのでありますけれども、其以後の年々に向っての經費を詳細に當時之を豫測することも出來難かったことも多い、然るに多く擴張に係る所のことは臨時の費用に依ることが多くって即ち日清戰争の軍備の賠償金に依った所のものが多い、又それよりして海陸軍の擴張に伴って年々必要とする所は即ち年々の經常費でありまするが、當時其經常費を増税に待つの外はなくて即ち二十九年度のために増税案を提出して參った所が獨り政府の海陸軍備擴張と云ふのみに止らずして、各般の事業の一時に著手することの必要と云ふことが起って獨り政府の事業のみならず、民間に於ても國費に待つ所の事業が相伴ふて多い、即ち種々な補助を要するやうなこと、或は民間のために或は政府のためになりする所の鐵道の事業の如きと云ふやうな交通機關に關係するやうなものヽ勃興等よりして政府の豫算案なるものを繙いて見ると云ふと、種々の費用の増加を見ることになったのであります、而して二十九年度の豫算は上下兩院の協贊を經て成立って其次に三十年度、三十一年度となって參った、海陸軍の擴張も當時稱して第一期第二期と稱へるものが續々實行されて參る、第二期なるものが實行さるヽに至って政府の歳入不足を再び告げて參って、而して其歳入の不足なるものを増税に待つと云ふことになって此増税案なるものが三十年度に向っては、たしか提出をされなかったと考へて居りまするが、されんと欲して其議案は中途にして歇って而して議會の解散と爲って三十一年の春に至って又本官は復職を命ぜられて當時四箇月の間、總理大臣を奉職致した、ところで實際に前年の議會は解散に相成って豫算案も議場に上らずして前年度の豫算に依るの外はないと云ふことになって居りました、即ちそれが三十一年の春のことでありまするが、議會解散後の政府を引受けて政府の財政上の都合を段々取調を致して見た、段々取調をして見ると云ふと即ち第二擴張に對するの歳入は不足であって、之を補ふ方法は成立って居なかったのでありまする、それで一方に於て増税の計畫をし一方に於ては成るたけ經費の節減を圖って見た、又節減を圖ると一方に於ては成るたけ此事業の年限を延長する手段方法を取って見た、それで海陸軍の仕事にしても目前の急を要するものと年限を延長しても事實に於て差支なからうと認めるものヽ區別を付けて餘程金額に於ても即ち歳出の上に於ても相應することの出來るやうに考へて、さう云ふ經畫を當時して見ました、尤も三十一年の五月に開く所の議會は臨時議會でありましたから豫算案を提出するの議會ではなかった、其調査したる所の結果と云ふものは三十二年度に向って提出するの準備を爲しつヽ居ったのでありまするが、臨時議會に於て増税案を提出して而して三十二年度に對する所の經費の豫算案は別に其年末に至って議會に提出する積で調査に掛った、然る所が臨時議會に於て政府と議會の衝突に因って已むことを得ず議會を解散せねばならぬことになって、即ち私が當時の總理大臣で議會を解散した、其結果として當時制作の相容れざる所のものがあって遂に自分も辭職をしなければならぬことになった、其次に憲政黨内閣と當時稱して居る所の内閣が出來たのであります、此内閣の存命も甚だ短うして僅に七月から十一月まで位のことでありました、恐らく十分の財政上の整理調査等のことの著手はしなくって終ったと推察します、尤も本官は當時支那に旅行して留守中であって當時の形勢は明に熟知致して居りませぬ、而して憲政黨内閣と稱ふる即ち大隈伯爵が總理大臣を勤めてやって居った内閣でありまするが、是が三十一年度の終に又辭職するやうなことになって三十一年の暮よりして昨年の十月に至るまで前内閣が引受けて此間に於て増税のことも行れた、而して此財政の上を見るに戰後の經營に著手した以來屡々内閣も交迭を致して居る、而して内閣の交迭と財政上の經畫と云ふものはいつも所謂國家の歳入増税と云ふが如きことには渉らざることを得ぬ事情であって、渉って居りまするが、或は其増税の目的を達した時もあれば達せぬ時もあって、而して政治上はどうであるかと云ふと實際政府の車は囘って居らなければならぬ譯であるから増税に依らなくてはならぬ時も税は増すことが出來ずして矢張事務の進行は一方に於てせぬければならぬと云ふやうな譯で參って居った、且つ唯今申す通に數箇月の間に政府が幾囘も代ると云ふやうなこと、政府の代る事情は他に至って存する譯であるから、是は已むことを得ぬことでありまするが、又政務上のことに至って見ると政府が永續しなければ最初より財政の經畫も成立つ筋はないが、殆ど財政上や何かの見込を立て、而してそえを實行するまでに往々至らずして政府が交迭する譯であるから前の經畫などと云ふものは如何なる案を前内閣が懐いて居ったかと云ふことは十分に攻究を盡すの遑なくして又新規の手段を考へると云ふやうなことになり、さう云ふやうな誠に不幸短命なる内閣が續いて來た結果として財政上のことに就いては十分に調査を要するの現況を存して居ると云ふことを私は認めて居る、現に三十一年に於てもそれに著手して事業の延長を圖り或は政費の節減を企てヽ見て其實行を遂げることが出來ずに終ったことでありまするが故に、其時より財政上のことは深く思慮を盡さヾることを得ぬと信じて居りまするから、此節又昨年突然拜命をしたに就いても財政上の調査は最初よりせざることを得ぬと考へて居ったやうな譯である、又行政上のことに至っても行政上の沿革は私が述べるまでもなく諸君の御熟知になって居ることでありますが、重もなる組織と云ふものは明治十八年から十九年に掛けて唯今の體に改正をして而して爾來は時に臨んで多少の修正増補も致し或は官衙の廢合等もありまするが、要するに全局を通覧して以て經畫した所のものにあらずして、唯時に取って便利を主としたものと考へられる、それで或は行政上に於ては行政機關機能の働と云ふものが十分に貫通をして居る事柄もあれば、又大いに齟齬して居るやうなこともある、又重複して居るやうなこともある、要するに行政の機關組織構造は成るたけ此行政事務の運用に相伴ふて沮滯することのないやうにすることが必要であると又機關と名前を附けても活動する所のものは人であるから、其人が十分に責任を執って、さうして其責任なるものが明になるやうに出來て居らぬければならぬのと、又國家の事と云ふものは或は時に於ては頗る繁劇を加へるも、又或る時は隨分閑なる時もある、其繁閑を別たずして行政の機關機能なるものが働かれるやうに出來て居らなければならぬと私は信ずるので、何れの國に於てもさう云ふやうな仕掛に出來て居ると認める、さうしてそれに附いては又所謂行政の組織なるものに就いて先づ永遠に考を盡して見なければならぬ、固より事務の繁劇を加へて參るに從って、或は人を増さなければならぬと云ふが如き場合もあるけれども、多く是は責任を論ずるべき位置にあらずして、多く人手を要すると云ふやうな如きことが多いと考へまするが、それ等のことは官衙の組織を變更することなくして出來て行かぬければならぬ、それで右樣に段々變遷の結果として多少の改正は出來て居りまするが、全局を通覧して十分に改正をされたと云ふことは爾來餘り見ぬと考へまするで、行政上の組織も今日に於て十分の研究を盡して、將來のために於て是で十分なるや否やと云ふことは明に認めなければならぬ、又其手腕をして益々敏活にやって行かれるやうにしなければならぬのと、又新規の事物が段々開けて參り民間の事業上のことにしても又官民相通じた上から見ても、是は次第々々に緻密になって參ると云ふことは論を俟たぬ譯でありまするから、官衙なるものも之を扱ふ所の行政部であるから、其扱ふ行政の機關機能なるものは、それに相應じて以て一歩先んじて、其利弊の在る所を見られるやうになって居ることが必要と考へる、して見ると俊秀な人を學校で養成をして、さうして其新規の學識を得て居る所の者の腦力と云ふものを行政の中へ一つ叩き込んで働かせるやうにしなければならぬ、且つ固よりそれには熟練と云ふものが相伴はなければならぬから、獨り學校出の書生を捉まへて直ぐに責任の地位に置くと云ふ考ではありませぬが、要するに行政上に於ては一層の進歩を見ることが必要と考へる、それから前にも申した通に財政上の整理も行政の機能の働と相待たなければならぬことは、官衙の組織に要する所の經費、それから又國家の事業としてすべき所の經費は即ち財力の如何に依って自ら消長を爲さヾることを得ぬ譯であります、それも今日のやうに三五年を出でずして時境の然らしむる所で、已むを得ぬことでありながら増税も三囘せぬければならぬと云ふことになって來る、固より北清の事變の如きことは豫め測り知ることの出來ぬことであって、國家が之に相對して遭遇する形勢には、如何なる費用が掛るも已むことを得ぬ次第でありますが、是等の豫期し難きことを除く外のことに至っては、國家の財政上に立って凡そ國力の相應じられる度合以外の事を經畫した所が詰り根を枯して枝葉の繁茂を望むが如きことはいかぬと斯う云ふ私の考である、それで近來に至ると云ふと政府の行政の各部に於ても又或は民間の有樣を見ても帝國議會の議員などの提供する所の事を見ても何分其國力の基礎如何、或は其基本の有無如何と云ふが如きことには問ふことなくして、唯何でも彼でも新規な事を企てさへすれば宜い、此事業も必要、彼の事業も必要と言って同じやうなことを幾許となく經畫して出る、之に應ぜざることを得ぬと云ふやうに亦官吏も心得て居ると云ふやうな有樣であると私は察して居りまするが、斯の如くの形勢をして永續せしむることは到底出來ない、然らば此有樣を永續せしむることが出來ぬと言へば國の財力なるものヽ根據を一つ明にして見せて、さうして右等の如き大體を十分に明にせずに經畫する所のものヽ實行を成るべくされぬやうにしなければならぬ、唯國の財源と共にに力の許す限を圖って行くと云ふことなくして、どかどか組立って行き居ると、經畫と著手が實際に於て其端緒を開いて見た所が、其成功を望むことは到底出來ないと云ふやうなことになって參って、大きに其結果は不經濟のことに陥るであらと云ふ虞れがありまする故に、先づ本年に於ては成るたけ此行政上財政上の整理と云ふことを十分の調査を遂げて見たいと云ふことは、前年即ち奉職以來其懸念を抱へて居って、多少其著手を仕掛けて其事が遂に成らずして中途に廢した譯合でありますが、爾來大いに其形勢が一變したかと云ふと、決してさうでなくして、益々其當時憂慮した所の勢は増加して參って居ると考へまするから、尚ほ前日に倍して私は調査の必要を感じて居るやうな次第でございますに依って、十分の調査を致すに附いては固より此行政官衙の組織や何ぞに關係するやうなことになっては多く官吏のみを以て成るたけ調査をせしめて宜からうと考へるが、財政上のことになって來ると、獨り官吏のみでは不十分と考へる、上下兩院の議員の中からも選定をして、どうか十分調査に盡力せらるヽやうに致したい、さうして此議會と云ふものが平素に當っては政治上の事は唯傍觀、所謂客觀的に物を見て居るからうと云ふことであって僅か三箇月の會期中に卒然と事に當ると云ふやうな次第であるから、自ら其責任上、固より法律上の責任とか何とか云ふことではありませぬが、見る所が大いに違ふ、政府の當局に居る所の者と又違ふ、違ふと云ふが其違ふ所のものは已すことを得ぬとして見た所が、憂のある所、物の眞相を見る所が同じく違ふ、是れ即ち伸縮があって面白いのであるが、其根據とする所が土臺違って居ると云ふことになると實に國力の厚薄を論ずるに至っても大に異動を生ずることになる、それは調査や何ぞの根據が十分明になって居らぬ所から起ることヽ考へまするが、是は國の安危得喪の上に於て重大なる政治上の必要なることヽ考へまする故、兎に角帝國議會も政府も力を合一して、之を十分に調査を遂げて將來の國家の繁榮の上に於て互に相助けて行くやうにありたいと考へます、右等の考を以て調査の目的に從事しやうと云ふことは、決して此政黨だとか或は民間の議論に幾分か誘掖されたとか云ふやうな説を唱へる者もあるやに承るのでありますが、私の考として起った所は決して其處ではなくして與論がどうあらうが、與論は大に私の所見とは反對であると認める、今の與論なるものはどうであるかと云ふと、頻に事業などを企てヽ、一向財源國力などは問はぬと云ふ有樣が與論と認めますが、與論の斯の如く暴進暴行する所に反抗する所の手段方法を採らぬければ、國の安危の上に於て甚だ安からぬと考へる譯であります、右の次第より起った私の所見であります、一通りの大略は唯今の岡部子爵の御質問に對して申した積であります