データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[内閣名] 第30代齋藤(昭7.5.26〜9.7.8)
[国会回次](帝国)第62回(臨時会)
[演説者] 齋藤實内閣総理大臣
[演説種別] 施政方針演説
[衆議院演説年月日] 1932/6/3
[貴族院演説年月日] 1932/6/3
[全文]

 諸君、犬養内閣總理大臣が第六十二囘帝國議會の召集を前にし、不慮の兇變に依って俄に薨去せられましたことは、國家の爲め眞に痛惜の至に堪へざる次第でございます、此時局多難の際に當りまして、不肖圖らずも組閣の大命を拜し、寔に恐懼措く所を知らず、乃ち各方面の協力を求めまして、時局匡救を目的とする所謂擧國一致内閣を組織致し、謹で此重任に膺り、以て匪躬の節を盡さんことを期したる次第であります、茲に其初に當り諸君と和見えて、一言新内閣の所信を述ぶるの機會を得ましたことは、私の最も光榮とする所であります

 對外政策に就きましては、新内閣は國際の信義を重んじ、列國と協調致しまして、世界人類の進歩發達に貢獻せんとする、傳統的政策を維持することは勿論でありますると共に、我が權益の擁護と、國際正義の命ずる所とに對し、自から獨自の立場を執ることのありますることも、亦已むを得ざる次第と考へて居るのであります、此機會に於きまして支那方面の状況に就き一言しますれば、上海に於きましては五月五日日支兩軍の間既に停戰協定の成立を見るに至ったのでありますが、是は誠に御同慶に堪へない次第であると同時に、私は同地方の状況が今後益々平靜に赴かんことを切望して止まない次第であります、次に滿洲に於きましては、去る三月上旬を以て樹立せられたる新國家は、逐次發達の道程を辿りつヽあるのでありますが、同國が今後益々健實なる發達を遂げますことは、啻に同地方の治安及繁榮の囘復増進の爲めのみならず、東洋平和の確保の爲にも極めて有意義と思考するのであります、私は我が國民が同國の前途に對して多大の希望を繋げて居ることを確信するものであります、茲に私は滿洲及上海地方に於ける我が陸海軍將士の努力と勞苦とに對して、厚く感謝の意を表すると共に、四月二十九日上海に於て不逞分子の爲め危禍を蒙りましたる、陸海軍、外務官憲及民團主腦部等に對して深厚なる同情の意を表します

 現下の時局は、世人が之を稱するに、非常時の形容詞を以てしまする程重大であると考へます、深刻なる經濟上の不況は、今猶ほ恢復の曙光を見難く、農村の困憊と都市の沈滯とは共に益々甚しからんとするの状況であるのみならず、近時兇變相繼いで行はれ、人心極めて不安、寔に重大なる危機と申さねばなりませぬ、此人心の不安を一掃し、國民生活の安定を圖りますることは、苟も任にある者が、粉骨碎身、萬難を排して努力しなければならぬ所であります、即ち嚴に治安の保持に務めて、非違を戒むると共に、財界の苦難を緩和し、失業の救濟を計り、農村の振興に勉めて、以て國民大衆の生活を安定せしむるの途を講じなければなりませぬ、是れ寔に刻下の急務でありまして、新内閣の重要なる使命の一つであると考へます

 今次の兇變から致しまして、往々軍紀を云爲するの聲を聞きまするのは、寔に遺憾の至りであります、凡そ皇軍は唯大命のみに基き行動を律せらるべきは勿論、嚴正なる軍紀の裡、忠節、禮儀、武勇、信義、質素、貫くに一誠を以てすべきは、是れ我が建軍の精神でありまして、同時に又皇軍の光輝として衆庶の齊しく仰ぎ來った所であります、私は今後我が陸海軍が上下一致して益々勅諭の御趣旨を徹底し、皇軍の光輝を永遠に確保し、以て 陛下の信倚に答へ奉る所あるべきを確信するものであります

 政界の浄化を圖り、其宿弊を艾除することは、立憲政治更新の爲めに、此際特に考慮せらるべき重要使命の一つであります、立憲政治の下に政黨相對立し、各自其政策に基いて所信を鬪はすことは當然の現象でありまして、何等怪むことを要しないのみならず、其運用宜しきを得ますれば、與論の統制に資し、政策の研鑽に便しまして、國政の運行を公正ならしめることを得るのでありませう、併ながら黨爭の餘波が、動もすれば累を中央政府の行政に及ぼしまして、選擧に各種の情弊を伴はしめ、延いては立憲政治の前途に疑惧の念を懷かしむるが如き懸念なきを保しないのであります、新内閣は現下重大の國情に稽み、一黨一派に偏せず、所謂擧國一致と申す基礎の上に組織せられて居りますけれども、議會を尊重することは申すまでもなく、又決して政黨を經視するものではありませぬ、唯其病弊に對しましては、極力之を排除致し、今正に眞面目なる國民の胸底に湧起りつつある政界革新の要望に副ひ、今日の非難を一轉して明日の信頼に替へしめんが爲め、十分なる誠實と熱意とを盡さんとするものであります

 之を要するに、我國は目下政治、外交、經濟、思想の各方面に亙って、重大なる時機に在ると存じます、隨て前に述べました所の要綱以外に、産業の開發、教育の改善、思想の善導等、爲すべきの事項は極めて多いのであります、而も是等のものは何れも唱ふるに易くして行はるるのは容易でありませぬ、吾々は此難局打開の爲に、速に必要なる具體的方策を樹立致し、其行ひ易きものよりして難きものに進み、著々之を實行に移し、全國民協力の下に、時局に適應せる施設を完うせんことを企圖して居る次第であります、又從前の政府が考究せる諸方策にして剴切有效なるもの、就中現下經濟界の不安を匡救すべき財政經濟の緊急方策は、大體之を踏襲し、追加豫算案竝に各般の法律案として、茲に協贊を求めた次第であります、豫算又は法律を要せざるものに付きましては、著々是が實行を期し、其他の方策は本議會に提出するものヽ外、之を次の通常議會に提案致す見込であります、斯の如くして此重大なる時局匡救の大任を盡し、聖慮を安んじ奉り、國民の期待に副はんことを期して居るのであります、幸に此趣旨を諒とせられ、速に協贊を與へられんことを切望する次第であります