データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[内閣名] 第30代齋藤(昭7.5.26〜9.7.8)
[国会回次](帝国)第65回(通常会)
[演説者] 齋藤實内閣総理大臣
[演説種別] 施政方針演説
[衆議院演説年月日] 1934/1/23
[貴族院演説年月日] 1934/1/23
[全文]

 諸君、茲に第六十五囘帝國議會の開會に方り、諸君と相見えて施政の方針に付き政府の所見を陳述致しますことは、私の光榮とする所であります

 昨年の末、畏くも皇太子殿下の御降誕を拜しましたことは、皇室の御繁榮、天壊と與に窮り無く、國家の基礎愈々鞏固を加へたる無上の吉祥として歡喜踴躍全國民と共に慶賀措く能はざる所であります

 帝國外交の方針は、曩に国際聯盟脱退の通告を爲すに當って渙發せられました詔書の御趣旨を奉體し、新興滿洲國の發達を促進して、東洋の平和を確保し、延いては世界の平和に寄與せんとするものであります、滿洲國に於きましては、同國官民の努力と、帝國の援助とに依って、治安の維持は愈々確實となり、財政、金融、交通、通信は何れも次第に整備し、産業は益々振興して面目頓に一新し、著々として健全なる發達を遂げ、日滿共存共榮の實を擧げつヽあることは、眞に同慶の至りに堪へませぬ、又列國との交誼は愈々敦厚を加へて、何等渝る所なく、隣邦諸國との關係又漸次改善の跡を認め得ることは、邦家の爲め深く喜びに堪へない次第であります

 昭和九年度の予算に付きましては、大藏大臣より詳細なる説明を致す筈でありますが、其編成に當りましては、我國財政の將來に關して愼重なる考慮を加へ、務めて緊縮を旨としましたけれども、國際情勢の現状に稽へ、陸海軍の國防費に多額の増加を必要とし、又滿洲事件費、時局匡救費、又爲替相場の變動に基く經費等は、昭和八年度に引續きまして、相當多額を計上するの餘儀なき状態にありますが爲に、一般會計歳出豫算の總額は二十一億一千二百餘万圓に達して居ります、之に對して歳入は、經濟界の恢復に伴ひ、相當額の自然増收を見込み得たのでありますけれども、未だ増税其他の増收計畫を樹立するの時期に到達致しませぬので、歳入不足額は昭和八年度同様、公債の財源に依ることヽ致したのであります

 政府は金融の梗塞を打開し、低利産業資金の供給を容易ならしめて、財界の更生を圖ると共に、之に竝行して、全國各地に時局匡救事業を起しましたが、是等諸政策は輸出貿易の活況と相俟って、漸次其效果を現はし、昨年來、産業界の恢復は頗る顯著でありまして、我が財界は漸く景氣好轉の兆を示すに至りましたことは、眞に喜ばしい次第であります、併ながら都市農村を通じて、普く景氣が恢復する迄には、尚ほ前途非常の奮勵を要するのみならず、現下世界を擧げての經濟不安の裡に在って、我國のみ獨り好景氣を望むことは容易なことではありませぬから、此經濟難局を打開するが爲には、全國民更に一般の緊張と努力とを要することヽ信ずるのであります

 國民思想の動揺は最も憂慮すべき所でありまして、政府は不穩思想の豫防鎭壓に力を盡し來ったのでありますが、前議會に於きまして、思想對策に關する決議の次第もありましたので、會議直後、思想對策協議委員を内閣に設置し、調査審議を盡さしめましたる結果、或は日本精神を普及徹底せしめて、國民精神を作興せんとする思想善導の方策、或は不穩思想の取締を嚴にして、是が防衞鎭壓を全うすべき思想取締の方策、或は不穩思想醸成に與って力あるべき諸原因に對應して、之に匡救を加ふべき社會改善方策の一部等に付て成案を得ましたので、關係官廳に於てそれぞれ是が實現を期することに努めて居ります、政府は更に對策を立つるに鋭意力を致し、遺憾なきを期するものであります

 教育の制度及内容の刷新を斷行すべきことは、政府の夙に其必要を認めて居る所であり、且又思想の對策としても、喫緊の要務と認めますが、殊に前議會に於ける建議の次第もありますので、文部省に教育調査部を特設して、調査を進めて居るのであります、而して先づ師範教育の方針を新にし、人格識見共に高き國民教育者を養成すること最も急務なりと認めましたので、目下是が改善案の審議を重ねつヽある次第であります

 最近に於ける失業應急事業其他各種事業の遂行と、軍需工業竝に輸出工業の好況とに依って、漸次勞働の需要を増進し、失業状況も自ら緩和せられたやうでありますが、更に昭和九年度に於きましても、失業問題の推移、及其對策に注意を怠らず、一層失業の防止及救濟の徹底を期する所存であります、又今囘勞働者其他一般少額所得勤勞者階級の疾病負傷に因る生活不安を一掃し、其保護救濟の實を擧ぐるが爲に、健康保險制度を改善致すことにしたのであります、軍人及其遺族、殊に傷痍軍人の保護を普遍ならしむるが爲め、癈兵院制度の改正を企てました所以のものも、皆以て生活不安の緩和を期するの一助たらしむる考であります

 農山漁村の疲弊困憊を匡救し、以て其生活の安定を圖ることは、政府の鋭意努力し來った所でありますが、幸に政府諸般の施設と、國民自力更正の精神と相俟って、其成績の見るべきものあるに至ったのは喜ばしきことであります、米穀の對策と致しましては、前議會に於て協贊を經ました米穀統制法の根幹とし、之に依って極力米穀の數量及價格の調節に力を盡しつヽある次第でありますが、本米穀年度に於ける米穀供給の數量に考へ、米穀統制法の運用と相俟って、地方の實情に應じ、農家をして自治的に籾の貯藏を行はしむることを緊要と認め、籾の貯藏に依って需給の調和を圖り、以て米價の調節に資せんとする次第であります、又蠶絲の對策と致しましては、現況に基きまして是が根本的改革を圖るの必要緊切なるを認め、各方面に亙って具體的方策を研究し、是が實施を期して居ります、尚ほ農家負擔に關する問題に付きましては、其均衡を適正ならしむるが爲め、特に審議の機關を設けて調査に著手することとし、農村負擔調査會を内閣に設置しまして、目下愼重考究を重ねつヽある次第であります、更に政府は農民精神の作興に務め、農村協同組織の普及徹底を期し、重要肥料の統制を圖り、其他農村對策に付きましても、引續き考究の上、速に是が成案を得んことを期して居る次第であります

 中小商工業者の匡救に付きましては、政府施設の進行と、輸出貿易の増進とに依りまして、其窮況も漸次緩和せられたるの感がありますけれども、政府は更に一層是が改善振興の施設を講ずるの緊要なるを認め、組合制度を活用し、其共同事業を助成して當業者の自力更正に資し、進んで金融の改善、統制の促進に力を致し、以て中小商工業者匡救の實を擧げんことを期して居ります、産業の統制は雜然たる我國産業の改善振興上缺くべからざる所でありますから、政府は從來重要産業統制法、各種組合法を制定し、統制の促進に努め來ったのでありますが、最近内外に於ける經濟情勢は益々其強化を緊要とするものがありますので、今後更に是等諸制度の運用に依り産業統制の普及徹底を圖り、以て國民經濟の健全なる發達を期したいと思ふのであります、尚ほ製鐵事業に付きましては、近く日本製鐵株式會祉の設立を見る筈でありますので、政府は是が指導監督に遺憾なきを期し其完全なる統制と、堅實なる資力とに依り、斯業の合理化を十分ならしめ、以て我國製鐵事業の確立を期せんとする次第であります

 海外移植民の保護奬勵は、我國の實状に顧み最も肝要なりと信じまして、從來政府は移植民竝に海外拓殖兩事業に對して鋭意保護奬勵を加へました結果、近時著しく是等事業の進展を見るに至りましたので、今後益々助成の方途を講じ、以て其伸暢に資する考へであります

 世界的不況に際しまして、主要産業國の貿易が概して萎微不振に陷りたるに拘らず、我國の貿易は前年に比して著しく増進を見るに至りました、是れ固より圓價の低落に依り、輸出貿易上利便を加へたことに基く所少くないのではありまするが、畢竟我が國民が多年の苦難に堪へ、精勵能く事業の整理、技術の改善其他産業の合理化を圖った結果に因るものと謂ふべきであります、然るに近時海外諸國に於て高率なる關税、輸入の割當、其他各種の通商障壁を設けて、他國品の輸入を防遏せんとするもの多く、殊に最近我國商品の海外進出に刺戟せられて、是等の趨勢は一層顯著となりつヽあるのであります、政府は從來是が豫防緩和の為め、當業者を指導して輸出の統制を圖ると共に、海外市場に於ける情勢に周到なる注意を拂ひ、必要に應じ或は直接に諸外國政府と協商を進むる等、機宜の措置を講じ來ったのでありますが、此際更に輸出の統制其他貿易調整の徹底を圖るに適切なる方策を樹立し、我國貿易の維持進展に遺憾なきを期したいと思ふのであります

 選擧法の改正は豫てより懸案となって居りまするが、政府は更に研究を進めましたので、適當なる改正案を提出する積りであります、之に依り選擧の自由公正を確保し、選擧に關する宿弊を改めて、憲政の圓滿なる發達に資せんことを期して居ります

 朝鮮、臺灣其他外地に於ける統治の状況を觀まするのに、治安、文化、産業其他各般の方面に於て、治績年と共に擧り、住民齊しく聖代の惠澤に浴しつヽあるを認め得ますることは、同慶の至りに堪へませぬ、殊に内地外地の聯繋を密にし、相倶に國運の隆興民福の増進に寄與するの要は、益々緊切なるを覺ゆるのであります、政府は外地の統治に關して深く意を用ひ、是が完璧を期したいと思ふのであります

 之を要するに我國は内外ともに多事を極め、依然として尚ほ非常時の實状に在るのであります、併ながら非常時として現はるヽ所のものは、實は國家躍進の姿と見るべく、此時期こそ寧ろ國民試練の秋であります、擧國的なる協力一致の下に、非常時局の打開に當らなければなりませぬ、國際の情勢に照し、國内の局面を顧み、愈々多事多難なるべき此時に於て皇太子殿下御降誕の國家的御慶事に際會し、皇室中心の我が國體が益々其精華を發揚する時に當りまして、我が國民は愈々國民精神の作興に務め、建國の理想實現と、帝國の使命達成とに力を致さねばならぬと思ふのであります、而して此場合國際聯盟脱退に關する詔書に於かせられ「文武互に其の職分に恪循し衆庶各其の業務に淬勵し嚮ふ所正を履み行ふ所中を執り協戮邁住以て此の世局に處し」と仰せられたる聖旨に副ひ奉ることこそ、總ての根本なりと信ずるのであります、此擧國振張の秋に於きまして、政府は鋭意力を國運の進展に傾倒し、大儀を宇内に顯揚せんことを期して居ります

 以上の所見に基きまして、昭和九年度の豫算を編成し、各般の法律案を提出致したのであります、何卒政府の意の在る所を諒とせられ、現下の要務に對し、速に協贊を與へられんことを希望して已まないのであります