[内閣名] 第32代廣田(昭11.3.9〜12.2.2)
[国会回次](帝国)第69回(特別会)
[演説者] 廣田弘毅内閣総理大臣
[演説種別] 施政方針演説
[衆議院演説年月日] 1936/5/6
[貴族院演説年月日] 1936/5/6
[全文]
諸君、第六十九囘帝國議會は、新に當選せられたる諸君を迎へて、既に早く召集せらるべき筈であったのであります、然るに過般の事件に因って内閣は更迭致し、不肖圖らずも大命を拜し、敢て自ら揣らず、重任を辱う致しまして、茲に政府所信の大要を開陳し、諸君と共に此非常時局の打開に當り、邦家興新の聖謨を翼贊し奉るべき責に任じますることは、私の眞に光榮とする所であります、殊に一昨日の開院式に當りましては、特に優渥なる勅語を拜し、眞に恐懼感激の至りに堪へませぬ、私は謹んで 聖旨を奉戴し、誓って報效の誠を竭したいと存じます
顧みますれば、去る二月二十六日の不祥事件は畏多くも深く宸襟を惱まし奉り、人心には著しき衝動を與へ、遂に戒嚴令中一部規定の適用を見るに至りましたことは、寔に恐懼措く能はざる所であります、而して國の重寄に任ぜられたる顯官が、俄に薨去せられましたことは、國家の爲め誠に痛惜に堪へぬ次第であります、時艱の克服未だ成らずして、今囘の事件の勃發を見るに至りましたことは、現下の時局が如何に多難であり、其淵源が如何に深いかを思はしむるのであります、此未曾有の不祥事は國民の齊しく遺憾とする所でありますが、固より是は軍内外の一部不穩分子の策動に基くものであって、之が爲め軍の基礎は微動だもするものにあらずと信ずるのであります、併ながら之に依って崇高なる國民兵役の義務心に疑惑を與へ、銃後の後援に動揺を生ずるが如き事あらば、由々しき邦家の一大事であると思ひます、軍に於きましても鞏固なる決意の下に、建軍の本義を明かにし、軍紀の振肅に邁進しつヽあるのでありまして、政府も之と相竝んで時艱の本を拔き源を塞ぎ、以て國政一新の實を擧げんことを期して居るのであります
是が爲には先づ時局に對する周到なる認識を深め、擧國一致して積弊を芟除し、確固たる國策の樹立と、其實行とに邁進すべきであると信ずるのであります、政府は此精神を基根として、協心戮力、報效の誠を竭し、以て 聖明に應へ奉り、國民の信倚に副はんことを期して居る次第であります
而して之を達成するに當りましては、須く矯激を誡め、中正を尚ぶべきであります、是が爲に常に國憲、國法の尊嚴を保持すべきは、現下の時局に處して極めて緊切なるを信ずるのであります、我が立憲政治は畏多くも欽定憲法に依って定められたる、制節ある政治でありますが、遺憾ながら其眞の意義が未だ十分に國民に透徹せず、其運用宜しきを得ざるものありしが爲め、諸々の弊害を釀し、延いて矯激なる行動に出づる者を見るに至ったかと察せられるのであります、此故に世運の進展に伴ひ、社會の要求に應じて、力を政治の進歩向上に效し、諸般の革新も亦憲法の條規に則って之を遂行し、以て立憲の洪猷を翼贊するに勉めたいと思ふのであります
政府の當に採るべき政綱は、組閣の當初に聲明致した通りであります、凡そ我國に於ては肇國の理想を顯揚し、一君萬民、擧國一體の美を濟すことが、直ちに是れ内外政治の基本でありまして、此故に諸般の方策を總て此鞏固なる國體觀念に朝宗せしむべき言を俟たざる所であります、政府は今後政綱の具現に當り、一に此根柢に基いて邁進するものであります
國體觀念を明徴にすることは常に深く留意すべき事でありますが、殊に最近の情勢に鑑みまして、現下喫緊の要務であります、是が爲め有ゆる方途を講ずべきは勿論、就中文教を刷新し、國民精神を作興すると共に、國體と相容れざる思想を芟除することに鋭意力を效す所存であります、顧念ふに明治以來歐米文化の輸入は、我國の文運に大なる貢獻を爲したことは申す迄もありませぬが、一面其弊も漸く繁く、教學上刷新を要すべき幾多の事態を生ずるに至ったのでありまして、外來の文化を醇化して、日本固有の精神の下に、我國の教學を確立し、我國獨自の文化の進展に努めたいと思ふのであります
帝國一貫の外交方針が、國際信義に立脚して列國との誼を敦うし、東亞諸國の共存共榮、特に日滿兩國の特殊不可分關係を基調として、東亞の安定力たるの實を擧げ、延いて世界の平和、人類の福祉に貢獻するに在りますことは今更申す迄もありませぬ、政府に於きましては此趣旨に依り統一ある自主積極的外交の確立を期するものであります
此故に對滿關係に於きましては、國民全般の對滿認識の徹底を圖り、滿洲國との經濟上其他の關係を益々緊密にすべく努力せねばなりませぬ、然るにソ聯邦は帝國の意圖に關して不當なる憶測を加へ、極東に過大なる軍備を施すが如きは、帝國の甚だ理解に苦しむ所でありまして、政府は先般來同國政府との間に、國境紛爭防止の爲に有效適切なる措置を講ぜんことを交渉中でありますが、速に日ソ間の諸懸案を解決し、同國政府が右事態の緩和に協力せんことを期待するのであります、之に引替へ支那の政局が引續き比較的平靜の状態を保って居りますことは、政府の欣快とする所であります、併ながら既往の經驗に鑑みまして、表面平靜なるが如き支那の政局には、新舊幾多の難關の存することも亦看過し難き所でありまして、政府としましては常に支那政局の推移に對する深甚の注意を怠らず、支那が其抗日反滿の態度を是正し、日滿支三國間に親善提携が促進せられ行くやうに、是が施策に遺憾なきを期して居る次第であります、仍て支那側も一日も速に帝國の此眞摯なる期待に應じて、右共通目的達成の爲に、進んで我方と協力すべく、一段の努力を拂はんことを希望するのであります
此の如き國際情勢の現状に鑑みまして、克く列國の動向に留意し、國防の充實竝に之に關する諸施設の整備擴充に力を效して、國防上の不安を一掃すると共に、廣義なる國防の見地に立脚して、我國資源の保育と其統制運用準備とに、一層の策勵を加へんことを期する次第であります
國運の進展に伴ひ、現下内閣の情勢に察し、重要なる國策の實行を要するもの尠からず、隨て新なる國費支出の増加をも覺悟せねばならぬ實情でありますから、速に將來の歳出の見透しを付け、之に對應する歳入計畫を樹立し、財政の基礎を鞏固ならしむるべきであります、是が爲には税制の改革、金融の改善等、財政經濟の刷新に努むるの要があるのであります
飜って地方財政の現状を觀まするに、其歳入歳出は比年膨張を告げ、地方税負擔は累年重きを加へ、就中經濟力薄弱なる地方團體の財政は著しき切迫の窮状に陥り、之に基く負擔の重壓と公共施設の不備とは、益々是等の地方を疲弊せしめつヽあるのでありまして、政府は應急的に窮乏町村に對して國庫補給の途を講じたのでありますが、更に進んで地方財政の根本的改善を講究せんとするものであります
右の財政政策と相俟って力を産業貿易の伸張に盡し、國力の根幹を培ふことは、洵に現下緊切の要務でありまして、政府の特に力を注がんと欲する所であります、而して是が爲には國防と産業との調和、基礎的産業に對する施設、農村の更生、中小商工業の振興、各種金融施設の改善等に付きまして、眞に時代の要求に應ずべき工夫を施すの要ありと考へるものであります
貿易に付きましては近來好調を續け、年々目覺しき躍進を示して居りますことは、畢竟我が國民多年の努力を然らしむる所であると考へますが、現今國際貿易上、各種の障碍が次第に増加するの情勢にありますので、我國としては、務めて各國との協調を保ち、其緩和に努力して居りますけれども、若し其改善を見ざるに於ては、必要に應じて適當の措置を執らざるを得ざるに至るものと考へます
最近國民生活に對する重壓が愈々加はらんとし、各般の利害随處に對立を惹起しつヽあるの情勢に察し、政府は國民生活の有ゆる分野に於て、其安定向上を目途として施設經營の徹底を圖らんことを期するのでありまして、如上の産業經濟に對する施設と相伴ひ、都市郡村を通じ、社會政策に關する諸施設の整備充實を圖らんとするものでありまして、今後速に是が實現を圖りたいと考慮しつヽある次第であります、米穀の自治管理、産繭處理改善統制、重要肥料生産販賣統制等の如き、或は商工組合中央金庫の設置、自動車工業の確立、液體燃料自給促進施設等の如き、或は民間航空の振興、海運監督の強化、鐵道新線の敷設、移植民及び海外拓殖事業の保護等の如き、何れも産業の振興に寄與すべきもので、一面には又國民生活の安定に資する所あるべきものであります、殊に農山漁村の經濟更生に一段の力を效し、就中東北地方の窮乏打開には、出來得る限り振興の施設を講ずると共に、更に政府の施設と相俟って、統一的方針の下に資源の開發を圖るべく、殖産興業及び電力に關する特殊會社の設立を、企圖致した次第であります庶政の匡革は今や單に作用運營のみに於て、其完璧を期し難き状況でありまして、大に吏道を振肅し、行政機構の更新を急とするに至って居るのであります、政府は徒に舊慣に囚はれず、一時を糊塗して百年の大計を忘るヽなからんことを期して居るのでありますから、廣く内外の大勢を達觀して時世に適切なる改善を行はんことを企圖して居るのであります
行政機構改革の目標とする所は、時代の要求に即應して、能く其實績を擧ぐるに存するものと信じます、隨て時代の推移に伴ひ、各種機構の改訂すべきを改訂し、以て社會の情勢と機構との間に生ずる乖離の點を調節統合せしめ、制度の固定より生ずる各種の弊害を除くに努むべきは、固より當然の事であります、近時各省各局課の間、動もすれば連絡統制を缺き、或は重複撞著を免れざるの状況を呈するに至ったのであります、是等の弊害を矯め、總ての國策が全面的綜合的に樹立せられ、組織的計畫的に實行し得らるヽやうにすることが當面の急務であります、此意味に於て、中央地方を通じて廣く各般の行政機構に再檢討を加へ、時代の進運に合致せしむるやう妥當なる措置を講ずることが、最も肝要事であると信ずるのであります、政府は此趣旨に於て今後適當なる改革に著手せんことを期するものであります
昭和十一年度歳入歳出總豫算は不成立となりましたので、憲法の條章に基き、前年度豫算を施行せらるヽことになったのでありますが、組閣後日尚ほ淺く、遺憾ながら本年度豫算に於ては、政府の新なる政策方針を十分に具現するの遑なく、隨て今囘豫算の編成に當り、大體不成立豫算に依らざるを得なかったのであります、而して實行豫算は歳入歳出共に二十三億三百三十餘万圓で、其内追加豫算として今囘議會に提出致しましたものは、三億六千二百三十餘万圓であります
諸君、現下の時局は眞に容易ならぬ實情でありまして、政府に依って解決を要する重要問題は、正に枚擧に遑あらずと謂ふも過言ではありませぬ、政府は此多事多難なる時局に對處するの方途を誤らざらんことを期し、而も及ばざらんことを是れ惧れ居る次第でありますが、此際時弊を匡し、國政を一振するが爲には、須く時勢の要求に察し、擧國一致、協心戮力、以て興隆日本の實を擧げたいと念願致して止まないのであります、幸に是等趣旨の存する所を諒とせられ、速に協贊を與へられんことを切望する次第であります