データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[内閣名] 第32代廣田(昭11.3.9〜12.2.2)
[国会回次](帝国)第70回(通常会)
[演説者] 廣田弘毅内閣総理大臣
[演説種別] 施政方針演説
[衆議院演説年月日] 1937/1/21
[貴族院演説年月日] 1937/1/21
[全文]

 諸君、茲に昭和十二年の新春を迎へ、我が皇室の御隆昌を拜しますることは、我等國民の齊しく慶賀し奉る所でございます 殊に 聖上陛下には天機彌々御麗はしく、玉體益々御健かに渉らせられ、帝國の隆盛、國民の福祉と世界の平和との爲に日夜御宸念あらせ給ふことは、洵に恐懼に堪へぬ次第でございます

 本日、此新議事堂に於て政府の所信を披瀝し、諸君と共に洪猷輔翼の重責を竭し、國運の進暢を圖りますることは、私の最も光榮とする所であります

 帝國は正を執り邪を斥け、萬邦協和、共存共榮、以て世界の恆久的平和確立に寄與することを其使命と致すのであります、皇室の御稜威と國民の勵精努力とに依り、國力は愈々充實し、國際的地位は益々向上して、有ゆる方面に於て躍進を續け、我が高遠なる使命達成に向って進みつヽあることは、洵に御同慶に堪へぬ所であります

 併ながら熟々帝國内外の情勢を稽へまするに、一方國内的には思想、國防、産業、經濟、財政、教育其他幾多の問題を控へ、他方世界の現状は混沌たる状態に在り、帝國を繞る國際政局は愈々機微を加へ、各種の對外問題は益々複雑化しつつある状況でありまして、帝國の前途には幾多の難關あるを覺悟せねばならぬと存ずるのであります、是等の難關を排して我が國運の進暢を期せんが爲には、外に向っては克く帝國の崇高なる使命を世界に宣揚して正しき認識を深め、内に於ては諸般の施設經營の徹底を期して庶政一新の實を擧げ、以て國力の充實を圖らねばなりませぬ、而して其根本は光輝ある國體觀念を愈々明徴にし、内外諸般の方策をして總て之に朝宗せしめ、又國民精神を振作し、我が皇室を中心として、國民一致團結不退轉の決意を以て、淬礪の誠を輸すに在りと考ふるのであります、是れ即ち政府が邦家興新の聖謨を翼贊し奉るの基調を爲すものであります 

 帝國外交の方針は、前述致しましたる帝國の使命に則り、終始一貫渝らざる所であります、政府は右根本方針に基き、滿洲國との特殊不可分の關係を益々強化して、東亞の安定勢力たるの地位を確保し、又東亞永遠の平和を維持するの大局的見地より、日支兩國の國交を調整するの肝要なるを信じ、善隣協調和親の實を擧げんと努力しつヽあるのであります

 帝國政府は我が尊嚴なる國體に悖り、且つ人類の福祉を害する共産主義的活動に對しては、嚴重なる取締を爲し來ったのでありますが、所謂コミンテルンの危險性は近來益々増大の兆候あり、其國際的赤化宣傳工作は、愈々巧妙深刻となりつヽある情勢に鑑みまして、國際的協力に依る防衞の必要を痛感し、今囘先づ對コミンテルン關係に於て、我邦と立場を同じくする獨逸との間に、防共協定の締結を見るに至ったのであります、帝國政府としては日蘇關係の調整は依然之を重視し、大に努力致して居りますし、又對英、對米の親善關係も益々敦厚ならしむるの決意を有する次第でありまして、國際信義に立脚し列國との交誼を敦くするは言を俟たざる所であります

 次に現内閣が昭和十二年度以降豫算に關聯して實現を圖らんとする重要政策に就て申述べたいと存じます、昨春第六十九囘帝國議會に於て開陳致しましたる方針に基きまして、其後政策の具體化に鋭意力を效して參ったのであります、其結果政府は國防の充實以下七項目に亙る具體的政策を決定し、其實行の爲に必要なる豫算案及法律案を、今期議會に提出することに致しました、前議會に於きましても申述べました通り、庶政各般に亙り施設改善すべき事項は多々あるのでありますが、現下内外の情勢と財政の現状とに鑑みまして、是非とも實現せねばならぬ最も緊切なるものに、集中することに致したのであります

 第一は國防の充實であります、我邦が其生存を確保し、諸般國策の遂行に遺憾なきを期し、名實共に眞に東亞の安定勢力たるの實を擧げ、平和の裡に躍進を遂げんが為には、國防上些の缺陷あるを許さないのであります、殊に現下の國際情勢に顧みれば、一層其緊要なるを痛感致すのであります、陸軍としては急速に軍備を充實して、大陸方面の國防の安固を期せねばならず海軍としては本年一月一日以降の軍備無條約の時代に處して、所謂不脅威不侵略の根本方針に則り、而も國防上必要なる軍備を整へねばならぬのであります、尤も帝國は自ら進んで軍備競爭に乗り出すの意思なきことは勿論でありますが、國防の充實を圖るは國際情勢の變轉に對應し、戰爭の惨禍を未然に防止し、帝國の使命を達成し、國運の隆昌を期する所以なりと考ふるのであります

 第二は教育の刷新改善であります、文教を刷新して時代の要求に適合せしめ、以て國民精神を作興することは、特に現下の時局に處して緊切なるを信ずるのであります、國民教育は一切の教育の根幹であり、爾餘の教育施設は此教育の健全なる基礎の上に立つものでありますから、茲に義務教育の年限を延長し、且つ其内容を改善することを以て教育の根本的刷新の先決要件とし、是が實施を圖ることに決定したのであります、而して之に伴うて教育の他の方面にも、適切なる改善を加へて行きたいと考へて居ります、又國體の本義を闡明し、之を基として現下我邦教學の缺陷を匡正すると共に、進んで國體の具現を以て其精神とする眞の我邦教學の興隆を圖ることは、現下の國情に鑑み緊要なるものと認めまして、昨年の十一月教學刷新評議會に於きまして議定されました教學刷新に關する答申の趣旨を、實現するに勉めつヽある次第であります

 第三は中央地方を通ずる租税制度の整備であります、租税制度の改正は從來屡々企圖せられた所でありますが、今囘政府は國防の充實、國力の伸張、國本の培養上幾多重要なる施設經營を爲さんが爲に、租税收入の増加を圖ると共に、國民租税負擔の均衡、彈力性ある税制の樹立を目標として、中央地方を通ずる租税制度の整備を期し、改革案を樹てたのであります、案の内容に付きましては大藏大臣より詳細説明せらるヽことと思ひます

 第四は國民生活の安定であります、國運の進暢を期せんが爲には、進んで國民生活の安定を圖らねばならぬこと固より言を俟たざる所であります、而して其方策は一にして足らぬのでありますが、差當り災害防除對策、保健施設の擴充、農山漁村經濟の更生振興及中小商工業の振興等を中心として、國民生活の安定に資せんことを期したのであります

 災害防除對策と致しましては、近年頻發する水害の脅威に鑑み、治山治水に關する施設の充實に力を效し、保健施設としては結核豫防施設の擴充、國民健康保險制度の創設、救護法及軍事救護法の改正等を企圖し、以て健康の増進、國民體位の向上を期したのであります、又自作農創設維持制度の整備、農地の使用收益關係の適正を圖ると共に、農山漁村負債整理促進の方途を講じ、農林漁村の災害に因る損害の填補輕減の方策を樹つる等、農山漁村經濟の更生振興に力を竭し、中小商工業者組織化の擴充強化、資金融通損失補償制度の實施、工業の地方化等諸般の施設を講じて、中小商工業の振興助長を企畫致したのであります

 是等諸方策の外、政府は窮乏甚しき東北地方の振興の爲め、東北振興綜合計畫を樹立して實施に著手し、庶民金庫、恩給金庫を創設して金融難の緩和を圖り、又後に申述ぶる如く、産業の振興、貿易の伸張に關して幾多の施設を講じ、勉めて國民生活の安定に寄與する所多からんことを期したのであります

 第五は産業の振興及貿易の伸張であります、産業を振興し、貿易の伸張を圖り、國力の根幹を培ふことは、國民生活の安定に資すると共に、國家の躍進に缺くべからざる要件であります、其方策固より多種多様でありますが、政府が今囘特に力を注いだ事項を、次に申述べたいと思ひます

 先づ電力の統制強化であります、輓近電氣科學の進歩發達著しく、電氣の重要性は各方面に加重されたのであります、而して電氣の普遍性と電氣事業の公共性とに鑑み、電力の國家管理を行ひ、以て水力資源の合理的開發、大送電網の完成、料金政策の確立、國防上の必要充足等の諸方途を講ぜんとするものであります、是は産業振興の上に極めて緊要なるのみならず、又國家の興隆、國民生活の安定に資する所少くないのであります

 次に液體燃料及鐵鋼に付きましては、現下内外の情勢より液體燃料の自給促進を圖るの要愈々緊切なるに鑑み、從來の施設を擴充すると共に、人造石油工業の確立振興方策を樹立して是が實現に勉め、一面燃料國策實施機關の擴充整備を圖り、又鐵鋼の自給自足、鐵鋼業獨立の爲に日滿兩國に亙る綜合的鐵鋼政策の樹立、本邦製鐵業の改善竝に是が適當なる統制、製鐵原料資源の開發確保等、各般の根本的施設の擴充強化を圖りつヽあるのであります、此の如きは啻に産業振興上のみならず、我邦資源の保育、其他統制運用準備の上よりするも大切なることであります、更に纖維資源に關しましては、棉花、羊毛等の重要工業原料の確保又は是が代用原料の自給を圖る爲には、原料供給地の開拓、代用原料工業の確立等に關し力を效す所存であります 帝國の通商貿易が世界的經濟不況の裡に年々増進を續け、順調の發展を遂げましたことは、偏に國民多年の勤勉努力と生産技術の進歩とに依るものでありまして、甚だ心強く感ずる所であります、併ながら國際通商は尚ほ依然として各種の障碍に依り制限せられて居り、本邦貿易の前途は必しも樂觀を許さざるものがあるのであります、仍て各國と協調して通商障碍の除去乃至緩和を期すると共に、国内に於ても官民一致して貿易の振興に資すべき各般の措置を講ぜねばなりませぬ、即ち政府に於きましては貿易統制を強化し、相手國の産業と本邦産業との調和を圖り、取引上の諸弊害を矯正し、本邦貿易の圓滿なる發展を期し、併せて海外販路の開拓、内地産業の輸出産業化、海外市場の擁護開發の爲に、積極的努力を拂はんとする次第であります

 次に航空及海運事業の消長は國運の隆替に至大の關係を有するのでありまして、今や速に民間航空事業の振興を企畫し、又我が海運の積極的進出に一段の努力を拂ふの急務なるを認むるのであります、仍て政府は航空路の完備擴張、航空機工業の助長統制、定期航空の開設改善、優秀船舶の建造及遠洋航海の助成等、諸般の施設の實現を期することヽ致したのであります

 以上の外、邦人の海外移住竝に企業進出に對する助長の方途を講じて、産業の振興に資すると共に、人口資源の問題を緩和し、郵便事業の改善、電信電話事業の擴充、又は鐵道運輸施設の整備を實施して、産業の發達に寄與せんことを期して居るのであります、又組閣以來逐次實施致しました低金利政策は、國民全般の金融上の負擔を輕減し、併せて公債政策の圓滑なる遂行に資せるのみならず、又實に一般産業を振興助長し、産業經濟の發展に寄與することを得ましたのでありまして、今後も尚ほ之を繼續致したいと存じて居ります

 第六は對滿重要策の確立でありますが、滿洲移民を奬勵するは、即ち兩國の不可分關係を強化し、滿洲國の健全なる發達に寄與する所以であり、又滿洲國の經濟發展を援助するは、日滿經濟提携の實現を圖る捷徑でありますから、多數移民送出の計畫を樹立し、對滿投資助長の方策を講じたのであります

 第七は行政機構の整備改善であります、抑々時代の推移に伴うて複雑化する行政を、最も妥當圓滑に遂行して國利民福に寄與するには、之に相應じて行政機構の整備改善を緊要とするは、言を俟たざる所であります、殊に上述致しましたる各般の施設經營を有效適切ならしめ、其實績を擧げんが爲には、一層緊切なるを覺ゆるのであります、仍て中央及地方行政機構を整備改善し、以て行政の圓滑なる遂行を期する爲め、目下鋭意考究を重ねて居る次第でありまして、成案を得次第、順次實現せしむる所存であります

 行政機構の整備改善と共に、議院の機構制度改善の必要も認められ、前議會に於ては、之に關して建議案が決議せられたのであります、仍て政府は曩に議院制度調査會、選擧制度調査會、貴族院制度調査會の三調査會を内閣に設置し、朝野有識の方々を委員に奏請しまして、調査を進めつヽある次第でありますが、其中議院制度及選擧制度に付きましては、改正を要する諸點に關し答申を得ましたので、之に基きましてそれぞれの手續きを經たる上、本議會に改正法律案を提出し、御審議を煩はしたいと考へて居ります、顧ふに憲政の發達を期するが爲には、平素から國民をして憲政及自治に對する理解と責任觀念とを深からしむることが肝要でありまして、此方面にも一段の力を效したいと考へて居る次第であります、如何なる事情の下に於ても、政治が苟も我が憲法政治の本義に背くやうなことがあっては、斷じて許すべからざることであります、萬邦無比の國體の下に於ける立憲の洪猷は、國民擧げて之が翼贊に勉むべきものと考へて居るのであります

 以上縷々申述べましたが、要するに諸般の部門に亙って國力の充實を圖り、國民生活の安定と國防の完璧とを期するは、内外の時局に處し躍進日本の前途を保障する爲め刻下の急務であります、今囘政府の施設せんとする所は、右の目的から見て規模に於ても經費に於ても決して十全であるとは申されませぬが、少くとも此程度の施設は萬難を排して實現することが必要と信じて居るのであります、之が實現の爲には眞に擧國一致邁進するの決意と氣魄とが必要であります、政府は此見地に於きまして全力を盡し報效の誠を輸さねばならぬと考へ、諸君の國家的立場よりせらるヽ嚴肅なる御意見を十分に傾聽し尊重致しまして、重要なる國策の遂行に過誤なきを期し、國運の進暢に力を效したいと考ふるのであります、幸に時勢の須要に顧みられまして、政府の意の存する所を諒とせられ、政府提出の諸案に對し速に協贊を與へられんことを切望致す次第であります