データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[内閣名] 第34代第1次近衞(昭12.6.4〜14.1.5)
[国会回次](帝国)第72回(臨時会)
[演説者] 近衞文麿内閣総理大臣
[演説種別] 施政方針演説
[衆議院演説年月日] 1937/9/5
[貴族院演説年月日] 1937/9/5
[全文]

 昨日開院式に當りまして、時局に關し特に優渥なる勅語を拜しましたことは、眞に恐懼感激の至に堪へませぬ、私は諸君と共に謹んで聖旨を奉戴して一意奉效の誠を竭し、宸襟を安んじ奉りたいと存ずるのであります

 去る七月七日北支に事變が勃發致しまして以來、帝國政府が支那に對して採り來りましたる根本方針は、飽までも支那政府の反省を求めまして、其誤れる排日政策を抛棄せしめ、以て日支兩國の國交を根本的に調整せんとするにあるのでありまして、此方針は今日と雖も何等變る所がないのであります、唯此方針を遂行致しまする手段と致しまして、從來政府は出來るだけ事件の擴大することを防ぎ、局面を限定して事態を收拾すべく努めたのであります、此事は今日まで屡々聲明致した通りでありまして、諸君も御諒承のことと思ふのであります

 然るに支那側は公正なる帝國政府の眞意を諒解せざるのみならず、帝國政府の隱忍に乗じまして益々侮日抗日の氣勢を擧げ、統制なき國民感情の激する所、事態は急速なる惡化を來しまして、局面は北支のみならず、中支南支にまでも波及するに至ったのであります、隱忍に隱忍を重ねて參りました我が政府も、是に於て從來の如く消極的且つ局地的に事態を收拾することの不可能なるを認むるに至りまして、遂に斷乎として積極的、且つ全面的に支那軍に對して一大打撃を與ふるの已むなきに立至りました次第であります

 抑々一國が特定の他の一國を排斥侮蔑することを以て其國策となし、國民教育の方針として斯る思想を幼少なる兒童の頭脳にまで注入するが如きことは、古今東西の歴史に於て未だ曾て類例を見ざる所でありまして、是が將來に於ける結果を考へまする時には、獨り日支兩國の國交の爲のみならず東洋の平和、延ては全世界の平和の爲に眞に寒心に堪へないものがあるのであります、帝國政府と致しましては從來屡々支那政府に對し、其態度を更めんことを要求したに拘らず、毫も顧みる所なく、遂に今次の事變を惹起せしむるに至ったのであります、斯の如き國家に對して其の反省を求むる爲に、帝國が斷乎一撃を加ふるの決意を爲したることは、獨り帝國自衞の爲のみならず、正義人道の上より見ましても、極めて當然のことなりと固く信じて疑はぬものであります、蓋し東亞の和平なくして東亞國民の幸福なしと信ずるからであります、固より帝國の打撃を加へんとする目標は、斯る誤れる排外政策を實行しつヽある所の支那政府及び軍隊でありまして、帝國は斷じて支那國民を敵とするものではないのであります、又支那政府に致しましても、眞に能く反省を致し、今後我國と提携して、相共に東洋文化の發達と、東洋平和の確立に向って力を盡さんとする誠意を示すに至りましたならば、帝國としてはそれでも尚ほ之を追求せんとするものではないのであります

 併ながら今日此際帝國として採るべき手段は、出來るだけ、速に支那軍に對して徹底的打撃を加へ、彼をして戰意を喪失せしむる以外にないのであります、斯くして尚ほ支那が容易に反省を致さず、飽まで執拗なる抵抗を續くる場合には、帝國として長期に亙る戰も勿論辭するものではないのであります、惟ふに東洋平和の確立の大使命を達成するが爲には、尚ほ前途に幾多の難關が横はって居るのでありまして、此難關を突破するが爲には、上下一致堅忍持久の精神を以て邁進するの覺悟を要すると思ふのであります

 今や、我が忠勇なる將兵は全支に亙り萬難を排して堂々正義の陣を進め、皇軍の威力を内外に宣揚しつヽあることは、國民の齊しく感謝感激に堪へぬ所であります、又是と同時に全國津々浦々に至るまで銃後の熱誠が湧立ちまして、美はしき舉國一體の實を示しつヽあることも、誠に力強く感ずる次第であります、願くは一時の戰勝に酔ふが如きことなく、此緊張を持續致しまして、時艱を克服し、終局の目的を達成しなければならぬと思ふのであります

 政府は茲に時局の急務に應ずる爲に必要なる豫算案及び法律案を帝國議會に提出致して居ります、是等の法律に於きまして政府は此非常事態に對應するやうに財政經濟の體勢を整ふることヽ致したいのであります、固より是が爲に財界に無用の衝撃を與へることは、出來るだけ之を避くるやうに十分の注意を拂ふ積りであります、尚ほ事變の經過、外交の事情、財政の計畫等に付きましては、それぞれ主務大臣より申述べます

 政府は此重大なる時局に當り、諸君と共に此國家の大事を翼贊し奉ることを以て、洵に光榮とすると同時に、其責任の愈々重大なることを痛感するのであります、諸君に於かれましても、宜しく政府の意のある所を諒とせられまして、愼重御審議の上協贊を與へられんことを切望する次第であります