データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[内閣名] 第56代第1次岸(昭和32.2.25〜33.6.12)
[国会回次] 第28回(常会)
[演説者] 岸信介内閣総理大臣
[演説種別] 施政方針演説
[衆議院演説年月日] 1958/1/29
[参議院演説年月日] 1958/1/29
[全文]

 本日、第二十八回国会の休会明けに際しまして、昭和三十三年度予算を国会に提出し、施政の方針を述べる機会を得ましたことを、深く喜びといたします。

 現在、世界の平和は、東西両陣営の間の力の均衡によって保たれておりますが、最近における軍事科学の進歩は、相互に相手を追い抜こうとする激しい競争を招いて、とどまるところを知りません。このような力による安全の保障が、一時的な平和維持の役割を果していることは事実でありますが、これによっては、決して恒久の平和はもたらされないことも明らかであります。いかにすれば、真の平和を、もっと安定した、もっと恒久的な基礎の上に築くことができるか。これこそ、今日、全人類が当面している最大の課題であり、わが国にとっても、国家の安危にかかわる政治の眼目そのものであります。私が、機会あるごとに、核実験の禁止を全世界に向って強調し、また、このたび、わが代表が、国際連合安全保障理事会の席上において、大国間における拒否権発動の制限を訴えたのも、このためであります。平和への道には幾多の障害が横たわっておりますが、平和を求める全人類の要望は、今や無視することができない声となっております。こうした見地から、私は、いわゆる東西最高首脳会談も、その実現の機運を進めていく必要があると思います。

 このような国際情勢に臨むわが国の外交は、国際連合を中心とし、自由諸国との協調をはかり、アジアの一国としての立場を堅持するという三原則を貫くことはもちろんであります。特に、国際連合安全保障理事会の一員としての地位と役割にふさわしい活動を展開し、わが国の安全を確保するとともに、進んで世界の恒久平和の達成に最善の努力を尽す覚悟であります。

 当面する東西の緊張の中にあって、アジアは、その歴史にかつて見ない重要な地位と役割を持つに至りました。今や、アジアは、世界を動かす新しい原動力であります。これらの国々の大部分は、過ぐる大戦によって大きな痛手を受けたのであり、また、この戦争を契機として、永年にわたる隷属から解放されたのであります。

 アジアへの関心のゆえに、私は、二回にわたり、各国を訪問し、戦争中のできごとに対し心から遺憾の意を表するとともに、親善の復活に努めて参りました。これによって、アジア諸国民の間にわだかまる感情は漸次やわらぎ、わが国に対する信頼と協力の念は一段と深まったことと信じます。

 これらアジアの各国が、民族の希望を託した新しい国旗のもとにおいて、それぞれ真剣な努力を傾けている姿を見て、私は深い感動を覚えました。しかしながら、反植民地主義の旗じるしのもとに結集する民族主義運動は、ともすれば国際共産主義宣伝の場に利用されがちであり、その原因が、主として、経済基盤の弱さと、国民の生活水準の低さにあることを見のがしてはなりません。私が、多年の懸案であったインドネシアとの賠償問題の早期解決をはかり、また、東南アジア開発のための諸計画の早急な実現を提唱しておりますのは、このような見地に立つからであります。

 韓国との間の恒久的な友好関係を熱意をもって築こうとしているのも、アジア連帯の自覚によるのであります。新しきアジアが、その復興と繁栄を通じて、相互の連携を強めることこそ、世界の平和を達成する道であります。

 アジア外交は特に力を注いでいこうとするところでありますが、自由諸国、特に米国とは、昨年夏、私とアイゼンハワー大統領との会談に基く日米共同宣言の趣旨に沿って、一貫して協調を保っていく方針であり、両国間における諸懸案についても、さらに、相互の立場の理解を深め、率直な話し合いを続けることにより、逐次合理的な解決をはかるよう努力を続けたいと思います。

 なお、繰り返して強調して参りました外交の三原則の今後における展開につきましては、その詳細を外交演説に譲ります。

 戦後におけるわが国経済の復興、発展は、世界の驚異の的となっているところであります。このような経済の急速な成長は、国民の勤勉な活動によることはもちろんでありますが、同時に、今日まで政権を担当してきた保守政党の自由経済主義を基本とする政治の方向が誤っていないことを立証するものであります。しかしながら、わが国経済の基盤は、いまだ必ずしも強固とはいいがたいのであって、国際経済変動の影響を受け、ややもすれば動揺することを免れないのであります。このような経済の弱さを根本的に改めるため、政府は、昨年末、新たに昭和三十七年度に至る長期計画を定め、経済の安定した発展を確保するよう、あらゆる努力を傾けることといたしたのであります。この計画は、生産と消費の水準を着実に引き上げ、雇用の大幅な拡大を実現しようとするものであります。この計画の初年度である明年度においては、最近のわが国経済の行き過ぎを考慮して、国内消費と投資の伸びを控え目なものとし、また、積極的に輸出を増進することによって、経済発展の基礎をかたくすることに全力を注ぎたいと思います。

 このような経済運営の基本方針に基き、明年度予算も、財政が景気をいたずらに刺激しないよう、堅実な基調を保つこととしました。かかる立場から、過年度剰余金については、新たな構想によって、経済基盤強化のための資金と、東南アジア開発協力基金など五つの基金とに充て、適切な活用をはかるとともに、これらを除く一般歳出の実質的増加は一千億円にこれをとどめました。

 また、国民の税負担と経済の現状にかんがみ、産業の振興、資本の蓄積及び大衆の租税負担の軽減を目的とする減税を行うこととしました。なお、地方財政を確保するため、地方交付税率を一・五%引き上げることとし、また、防衛については、変化する世界情勢とわが国力に応じ、漸進的にこれが整備を進めることとしました。

 予算に組み入れました施策の詳細については関係閣僚の演説に譲り、私は、特に重点として取り上げた若干の問題について述べたいと思います。

 道路交通の立ちおくれは、産業発展の隘路となっております。政府は、道路の急速な整備を経済基盤確立の面から特に重要視し、新たに五カ年計画を定め、特別会計を設けて、幹線と地方重要道路の双方にわたり、逐次整備を進めていく考えであります。なお、湾岸の近代化にも特に意を用いております。

 中小企業は、わが国の産業構造の上から見ても、また、輸出振興に果す役割から見ても、きわめて重要な地位を占めております。このため、組合組織の強化と企業経営の安定を促すとともに、信用力を補うための基金を新設するなど、健全な中小企業の育成に努めたいと思います。

 わが国人口の半ばを占める農民諸君は、絶えず創意工夫を怠らず、その業に励んでおられることは、私の常々敬意を表するところであり、農民諸君のこの努力の結晶が年来の豊作をもたらしたことについては、同慶にたえません。政府は、農林水産業の経営の安定化と所得の増大をはかることを農政の基本とし、食糧の総合的自給度の向上に努めていきたいと思います。

 青少年の意気盛んなるところ、必ず国家の繁栄と文化の向上を見ることは、東西歴史の示すところであります。私は、機会あるごとに、次の世代をになう青少年諸君への期待を強調してきました。青少年諸君が、りっぱな国家、明るい社会を作り上げる人となるために、心身の修練を積み、人間としての徳性をつちかっていくことを、切に望みます。また、すぐれた才能を持っている青少年が、経済的な理由によって進学の道をはばまれることがあるならば、これは国家としても大きな損失であります。このため、明年度から新たな構想による進学保障の制度を創設し、青少年に明るい希望を与え、積極的に有為な人材を育成することといたしました。

 学校教育と並び、青少年に対する社会教育も特に重視するところであります。今回、全国各地に「青年の家」を設けることとしたのも、このためであります。私は、青少年諸君が、健全な環境の中にあって、集団生活を通じ、社会生活に必要な規律を体得することを強く期待しているのであります。

 戦後、婦人の地位は着々向上してきたのでありますが、その福祉増進のためには、なお、社会、経済等の各分野にわたって施策を進めていきたいと考えているのであります。

 最近、科学技術は日を追って飛躍的に進歩を遂げつつあり、現代はまさに技術改革の時代ともいうべきであります。この科学技術の急速な進歩は、産業、経済、文化その他あらゆる分野において革命的な変化をもたらしつつあります。特に、国土は狭く、国内資源に恵まれないわが国が、世界の進運に伍していくためには、科学技術の画期的な振興をはからねばなりません。政府は、長期的観点に立って、基本方針を確立し、試験研究とその実用化を推進するとともに、科学技術教育の充実をはかっていきたいと思います。ただ、科学の振興に関し私が痛感しますことは、科学を支配すべきものは人間であって、人間が科学に支配されてはならないということであります。科学の飛躍的進歩に道義が取り残されるところに、実は、今日の世界平和の根本問題があるのであります。

 わが国の労働運動は、戦後、賃金問題を中心として激しい労使の対立を繰り返してきたのでありますが、労働運動に対する公正な世論と、最近の政府の諸施策をきっかけとする労使の自覚とによって健全な労使関係を確立し、もって産業平和を実現しようとする動きが見られるに至ったことは、まことに喜ばしいことであります。政府は、この際、わが国産業の特質と企業の実態に即した最低賃金制を実施することとしたのであります。これによって、ただに労働者の労働条件が向上するばかりでなく、中小企業の公正な競争も確保されて、ひいては輸出産業の対外信用が高まるものと確信いたします。

 社会保障制度の確立については、本年度から国民健康保険全国普及四カ年計画に着手し、その効果を上げつつありますが、明年度においては、さらにその基礎的諸条件、特に医療保障の改善、地方財政との調整等に意を用い、引き続き国民皆保険の実現に努めることとしております。また、全国民を対象とする国民年金制度を創設するために本年度よりその調査に着手しましたが、これが実現には、慎重にして周到な準備を必要といたしますので、明年度もさらに調査を続け、本制度の早急なる実現を期することとしております。

 政官界からいわゆる汚職を追放して、清純明朗な民主政治を確立することは、私のかねてからの念願であります。政府は、行政の監察をさらに強化して、汚職の根絶を期するよう、綱紀の粛正に一段の努力を払いたいと思います。こうした見地から、いわゆるあっせん収賄罪に関する立法の準備を進めておるのであります。また、暴力については、その温床である社会環境の改善と取締りの徹底に努めていきたいと考えております。

 今や、きびしい試練期ともいうべき国際政治の新局面に臨み、私は、人類社会に恒久的な繁栄をもたらすものは道義に貫かれた民主政治であることを、あらためて強調いたしたいのであります。このような激動期に際し、国際共産主義の脅威を排して民主主義の真髄を堅持し、国際情勢の分析把握と国内問題の処理に誤まりなきを期していきたいと考えております。しかるに、国内の一部に、民主政治を軽視し、暴力的直接行動を懸念させるような言動の行われていることは、きわめて遺憾とするところであります。私は、わが国における二大政党が、民主政治の秩序を破壊せんとするこれら内外の脅威に対し、明確なる態度を示して、民主主義擁護の大道を歩むことを期待いたします。そして、国会が常に政策論議の場として正常に運営されるよう特に期待してやみません。

 ここに所信の一端を述べ、国民諸君の協力を切に望みます。