データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[内閣名] 第57代第2次岸(昭和33.6.12〜35.7.19)
[国会回次] 第31回(常会)
[演説者] 岸信介内閣総理大臣
[演説種別] 施政方針演説
[衆議院演説年月日] 1959/1/27
[参議院演説年月日] 1959/1/27
[全文]

 第三十一回国会の休会明けに臨み、昭和三十四年度予算を提出して国会の審議を求めるに際し、私は、当面する内外の諸情勢と、これに対処する所信を明らかにしたいと思います。

 国民がひとしくお待ちしていました皇太子殿下の御婚儀が近くとり行われますことに対し、私は、心からお喜びの言葉を申し上げたいと存じます。皇太子殿下は、伸び行くわが国の希望の象徴であられます。全国民の胸に抱いているこの喜びが同胞親愛のきずなとなって、明るい次の時代が築かれることを期待してやみません。

 施政の方針を述べるに当り、まず、私は、さきの国会が変則のままに推移したことについて、深く遺憾の意を表します。

 申すまでもなく、緊張する国際間にあってよくわが国の自立をはかり、福祉国家を築き上げることは、わが国の民主政治に課せられた使命であります。私は、この見地に立って、さきに日本社会党の鈴木委員長と率直な意見の交換を行い、自民、社会の両党が、その政策を異にするところはあっても、議会政治という共通の場において、寛容と互譲の精神に立脚した話し合いを進め、もって国政運営の実をあげることを誓い合ったのであります。

 私は、今般再び自由民主党の総裁に選ばれたに際し、反省すべきは反省し、党内、閣内の結束を固め、議会政治の信用を回復し、ここに、思いを新たにして国政の推進に当ることにより、積極的に責任を果す決意であります。

 最近、多年にわたる貴重な試練の結果ようやく樹立された二大政党制に疑いを抱く者が一部にあるのでありますが、二大政党制こそは、憲政の常道を確立するものと、私はかたく信ずるのであります。もとより、政府、与党に反省すべきものもありますが、社会主義政党の性格を労働者階級を主導力とする階級政党であるべきでありとし、その目的達成のためには社会経済の機能を麻痺させるようなストライキをも辞さないと揚言する政治的主張のありますことは、厳に戒心を要するところであります。政治は、高い理想を追いつつも、国の安全と国民生活の向上に責任を持つべきであって、現実を無視して足元を踏みはずすことは許されないのであります。われわれは、いかなる場合においても、秩序のうちに着実な進歩を求めるものであります。そこには、少なからぬ忍耐を要し、一見回り道と思われる経路をたどらなければならないこともありますが、このような努力なくしては、民主主義政治の進展は期せられないと信ずるのであります。私は、両党がもろもろの政策の是非を論ずる前に、このような反議会政治思想の動きに明確に対決する基本的立場を堅持し、民主主義のよりよき発展を見出す共通の場としての国会の権威をいよいよ発揚していくことを深く期するものであります。

 最近の国際情勢を顧みますと、各国首脳の不断の努力にもかかわらず、東西両陣営相互の不信の念は依然根強く、その対立関係はいまだ解消を見るに至っておりません。他方、科学の急速な進歩は、ついに人類の活動を宇宙にまで広げましたが、大国間において、これを平和目的にのみ利用する保証はいまだなく、今日到達し得た科学技術は、一たびその目的を誤まれば、直ちに人類の破滅を招くこととなります。このような世界の現状において、われわれは、単に手をつかねて平和を望むような消極的態度をとることなく、建設的かつ具体的な努力によって、世界平和の維持と促進に貢献しなければなりません。このような使命に基づき、わが国は、世界の安全保障機構としての国際連合に協力し、核実験の禁止、中近東等の局地的紛争の解決等に関して積極的な努力を払ってきたのであります。

 かくのごときわが平和外交の目標は、人間の自由と尊厳を基調として国民の福祉を増進しようとする自由民主主義国家の理念と秩序の維持発展にあるのであります。国民の一部に、わが外交の方向を中立主義に求むべきであるとする主張がありますが、このような政策は、わが国を孤立化し、ひいては、共産陣営に巻き込む結果を招くこととなるのであります。いわんや、当初から、これを積極的に意図するもののありますことは、特に警戒を要するところであります。従って、わが国は、このような中立主義をとらず、みずからの安全を保障するに当り、志を同じくする自由民主主義諸国と固く提携し、国際社会における信義を貫きたい考えであります。わが国が日米安全保障条約を締結したゆえんもここにあったのであります。しかしながら、その締結後七年を経過した今日、わが国の自衛力の漸増と内外情勢の推移に伴い、これに合理的な調整を加え、日米両国が対等の協力者としてその義務と責任を明らかにすべき段階に到達したので、政府は、国民の納得と支持を得て米国との交渉を進めたい考えであります。

 翻って、世界各国との国交は、年を追ってその範囲を広げ、かつ、緊密の度を加えて参りました。特に、インドネシア、イラン、インド、フィリピン各国の元首を初め、海外諸国からの指導的人物の来訪により、これら諸国との親善関係は一段と深められたのであります。また、かねてから政府が重視してきた東南アジア諸国等の経済開発については、今後、技術と資金の両面において協力の道を広げることとし、一そうその促進に努める方針であります。

 昨年五月以来日中間の貿易が中絶しておりますのは、双方にとってまことに不幸なことであります。双方が、いたずらに過去の経緯にとらわれることなく、互いにその政治的立場を理解しつつ、通商の再開を望むものであります。

 わが経済界は、調整の過程にあった一年を送って、明るい展望を持つ新しい年を迎えることができました。すなわち、政府のとった適切な諸施策が企業の自主的な努力と相待って、経済の基調は、昨年秋ころから次第に回復に向かうに至りました。本年においては、さらに、世界経済の新たな動向に伴う輸出の伸びが見込まれるのでありますが、国内経済が再び行き過ぎにならないよう、投資と消費に堅実な態度が望まれるのであります。政府は、このような見地から、底の浅いといわれるわが国経済の安定した成長とその体質の改善をはかり、もって、国民生活の向上と雇用の増大を期し、確固たる経済基盤の上に立った福祉国家を実現することに一そう力を注ぐ方針であります。

 明年度の予算と財政投融資計画は、このような基本方針に基き、財政の健全性を堅持することにより、通貨価値の維持と国際収支の安定を確保するとともに、かねての公約に従い、減税の実施、国民年金の創設、文教施設の充実、道路港湾の整備等の重要施策を積極的に推進することに重点を置きました。

 予算の内容の詳細については、関係閣僚の演説に譲り、私は、施策のおもなものについて述べたいと思います。

 まず、国民の税負担を軽減するため、国税、地方税を通じ、初年度五百三十億円、平年度七百億円をこえる減税を行うこととしました。これにより、所得税、事業税、物品税、入場税等について特に大衆負担が軽減されることとなり、この面からも国民生活が明るさを増すことを期待しているのであります。なお、中央、地方を通ずる今後の税制のあり方については、国民各層の意見をも徴し、その改善合理化をはかる所存であります。

 わが国経済の特質から考えて、輸出の増大をはかることは、経済成長の基本的な要件であります。昨年末実施された西欧諸国の通貨の交換性の回復によって、輸出競争が一そう激化することが避けがたい現段階においては、わが国産業が、自由と責任の原則にのっとり、みずから生産性の向上と経営の合理化に努めることが必要であります。政府としても、資金面において海外市場開拓の基盤を強固にし、また、輸出取引秩序を確立して過当競争を防止するなど、輸出振興のための施策を一そう積極的に進める方針であります。なお、中小企業については、税制上及び金融上、助成の措置をさらに強化することといたしました。

 農林漁業の生産力の持続的向上と経営の安定をはかることは、わが国農政の基調であります。政府は、土地改良等生産条件の整備に努めるなど、農林漁業全般について各般の施策を進めることとしております。しかしながら、今日の零細経営が、工業技術の進歩や流通経営の発展の趨勢の中にあって、よく安定を保ち、その近代化をはかり得るようにするには、根本的には、広い視野に立った総合的な検討を行うことが必要であります。政府は、わが国において占める農林漁業の大きな役割とその特性にかんがみ、新たに調査会を設け、農林漁業に関する基本政策を確立いたしたい考えであります。

 産業経済発展の基盤を強化するため、総投資額一兆円に及ぶ道路整備五カ年計画を強力に推進するほか、新たに東海道鉄道新幹線と首都高速道路の建設を計画し、これを実施に移すことといたしました。さらに、港湾緊急整備のため特別会計を設け、輸出専用の埠頭を新設するとともに、石油、鉄鋼、石炭等重要産業に関連のある港湾の整備を急ぐこととしました。また、治山治水対策の緊要性にかんがみ、関係予算を増額するとともに、災害の早期復旧には特段の配意をいたしております。

 消費水準が上昇して国民生活が年とともに安定した方向をたどっている反面に、低所得階層の生活は一般水準との開きが大きくなり、加えて、老齢人口が目立って増加していることなどは、見のがすことのできないところであります。社会保障制度の確立は、このような傾向にもかんがみ、政府が最も力をいたしてきたところであります。政府は、拠出制を基本とする包括的な国民年金法の制定により、老齢、障害、母子等の年金を創設することとし、とりあえず、明年度においては、無拠出制の年金を発足させることといたしました。また、国民健康保険は、順調に普及を見ているところでありますが、さきに成立した新法律の実施によって、医療保険未加入者約千六百万人の早期加入を期し、かつ、その内容の充実をはかりたい考えであります。この国民年金制度の実施と国民皆保険の達成により、わが国の社会保障制度の基礎は確立されることとなります。しかし、社会保障制度の充実は、今後膨大な財政負担を伴うものであり、国民一人々々の懸命な努力に待たなければその実をあげ得ないのであります。この際、特に国民諸君の深い理解によって、本制度がいよいよ堅実に発展することを期待してやみません。

 多年にわたる懸案であったいわゆるすし詰め学級や危険校舎の解消は、これを五カ年計画をもって達成するほか、文教諸施設を整備し、教職員を充実することといたしました。また、道徳教育を振興し、基礎学力を高めるため、教育内容の改善を行い、義務教育の刷新充実をはかることとしたのであります。これと並んで、科学技術振興の長期かつ総合的な政策を樹立し、技術者の養成と施設の拡充に意を用い、世界の科学の進展におくれないように努めたい考えであります。

 なお、昨年来、勤務評定の実施をめぐり、教育界にまことに憂慮すべき事態が発生したのでありますが、教職員の良識ある行動と国民の協力とにより、今日においては、大部分の府県において、これが実施を見るに至っております。私は、本制度の趣旨がなお一そうよく理解され、教育秩序の確立によって教育界が一そう明るくなることを期待してやみません。

 青少年が明るい希望に燃えて心身の修練に励む機会を与え、その健全な育成をはかることは、かねて私が重視してきたところであります。貧困によって勉学の機会を与えられない有為の青少年のため進学保障の育英制度をさらに推し進めるとともに、新たに、全国から選抜された青年を海外に派遣してその国際的視野を広める道を開き、また、国立中央青年の家の設置を初め、青少年活動のための施設の整備を行うことといたしました。

 わが国の労働運動は、逐年健全化の道をたどってきておりますが、なお一部に、かなり未成熟な面が見られることは事実であります。政府は、今後とも健全な労働慣行と労働秩序の確立をはかるため、さらに一そうの努力をいたす考えでありまして、公共の福祉を無視するがごとき労働運動については、きぜんたる態度をもって臨む決意であります。

 雇用問題は、最近ようやく落ちつきの傾向を見せており、今後における経済活動の着実な上昇によって逐次改善の方向に進ものと思われますが、労働人口の増加にもかんがみ、特に、公共事業と財政投融資の増大によって積極的な雇用の拡大を期したい考えであります。また、最低賃金制度、中小企業退職金共済制度、産業災害防止計画等、諸般の施策を総合的に推進することにより、主として日の当らない中小企業従業員の労働条件を改善し、その福祉を増進いたしたいのであります。

 最近、社会の一部において、法秩序を無視し、国会を軽視して、議会外の勢力によって社会変革を遂げようとする反民主主義的勢力や集団による暴力が、公共の福祉を侵害していることは、青少年の非行化の傾向とともに深く憂慮すべきところであります。かかる事態にかんがみ、政府は、さきに警察官職務執行法の改正を提案いたしたのでありますが、その提案の時期、方法等において十分意を尽し得なかったことを率直に認めるものであります。しかし、このような社会事情は、なお解消していないので、政府は、国民世論の動向を慎重に見きわめつつ、国民の自由と規律が一切の暴力的支配から守られることを念願し、国民の理解を得て、これが検討を引き続き行うこととしているのであります。

 最後に、私は、一言いたしたいと存じます。

 一部極端な分子が、外交、教育、労働等の各分野にわたり、イデオロギー一点張りの公式論を振り回して、国家と民族との思想的な基礎を脅かす傾向のありますことを、私は、深く憂うるのであります。すなわち、科学や産業技術が日進月歩の勢いをもって進展している今日、このような古い公式的な階級闘争論によって国論が分断されることがあるとすれば、わが国は、世界の進運からひとり取り残されることとなるのであります。世界各国の趨勢は、その政治形態は別として、いずれも生々はつらつとして、その国力の充実増進に全力を傾注しているのであります。私は、この変転する世界情勢のさなかにあって、わが国民が、民族的自覚と誇りをもって、世界の平和と人類の福祉に貢献することを、心から期待するものであります。

 以上、所信の一端を述べ、国民諸君の一段の理解と協力を切望してやみません。