[内閣名] 第57代第2次岸(昭和33.6.12〜35.7.19)
[国会回次] 第34回(常会)
[演説者] 岸信介内閣総理大臣
[演説種別] 施政方針演説
[衆議院演説年月日] 1960/2/1
[参議院演説年月日] 1960/2/2
[全文]
第三十四回国会の休会明けに臨み、当面する諸問題と、これに対処する施政方針を明らかにしたいと思います。
まず、外交施策の基本に関して、私の所信を率直に披瀝いたしたいと存じます。
私は、このほど、日米両国間の相互協力と安全保障に関する条約等に署名のため訪米いたし、あわせてカナダを訪問の上帰国いたしたのであります。その際、米国におきましてはアイゼンハワー大統領及びハーター国務長官と、カナダにおきましてはディーフェンベーカー首相と親しく会談いたし、現在の国際情勢を検討するとともに、今後の日米、日加友好関係の強化、世界平和への努力等に関して十分に意見の交換を行なったのであります。
その際、私は、これら両国の首脳、特にアイゼンハワー大統領が世界平和のためになみなみならぬ熱意と決心とを有せられることに深い感銘を受けたのでありまして、同大統領が、来たるべき巨頭会談に際して、国際的緊張緩和のためにあらゆる努力を払うべき旨披瀝せられましたことは、まことに力強く感じたところであります。
近く東西巨頭会談を迎えようとする世界の趨勢は、自由主義社会と共産主義社会とが共存し得るための最小限度の共通の場を見出そうとする方向に向かっているのであります。しかも、この機運は、東西の集団安全保障を背景とする軍事的均衡のもとにかもし出されているのであります。従って、現在の段階におきましては、平和と共存への努力が実を結ぶことを強く希望しつつも、なお自由諸国がみずからのかたい決意と団結と力とを保つ必要を認めざるを得ないのであります。
今や、世界は人類の将来を決する上にきわめて重要な段階に入りつつあります。この時期にあって何よりも大事なことは、国際社会を形づくるすべての者が、口に平和を唱えるのみでなく、みずから平和への道を実践することであります。すなわち、すべての国家、国民がひとしく国連憲章の精神に徹底し、人間の尊厳と自由とを尊重しつつ、国際紛争はすべてこれを平和的に解決するという原則を実践することによって、初めて本来の意味における世界の雪解けも期待し得るということであります。
今回の訪米の際、アイゼンハワー大統領と私は、日米両国の現在の関係が、このような認識の上に、主権平等と相互協力の原則に基づいて結ばれたものであり、両国は、単に政治面におけるのみならず、経済面におきましても、ひとしくその利益を共通にするものであるということを、あらためて確認したのであります。ここに、日米両国の友好関係は、今日まで多少とも残存しておりましたその戦後的色彩を一掃し、全く新たな段階に入ったのであります。
今回署名いたしました両国間の相互協力及び安全保障条約は、世界のすべての国々が平和と自由とのために国連憲章の原則を厳格に実践し、自国の安全を国連の平和と安全を維持する機能にゆだねることができるようになるまでの間、理想と進路とを同じくする日米両国が、厳に国連憲章のワク内において真に対等の協力者として団結を強固にし、それぞれの国家及び国民の平和と安全とを擁護すべきことを約束したものであります。本条約は、国連憲章によって否認された侵略行為が発生しない限り、決して発動されることのない平和と自由のための条約なのであります。従って、両国が極東の平和と安全の確保に力を合わせますことは、そのまま、また世界平和の維持につながるものでありまして、両国のこのような努力が世界の緊張緩和の方向に逆行するものであるかのような見解は、本条約の本旨とする平和的目的を全く見誤ったものと申すべきであります。
私は、わが国外交の基調を、自由主義世界との緊密な提携に置いているのでありますが、もとより、これは決して共産主義の世界を敵視いたすものではありません。わが国は、自由主義世界の一員として、共産主義世界との共存の道を見出すための熱意と努力を欠くものではありません。ただ、平和と共存の道は、相互の立場の尊重と内政不干渉の原則が誠実に実践されることによってのみ可能であると確信いたします。わが国といたしましても、東西会談をもたらした世界情勢の推移を見守りつつ、平和外交の本旨に従い、あとう限り善隣外交を推進いたしますことは、私がつとに強く念願しているところであります。
さらに、今回の訪米に際しまして、米国政府との間に意見の一致を見ました点は、日米両国がアジアの発展のために今後とも一そう密接に協力すべきこと、及び、アジア問題の国際的討議にわが国が積極的に参加することが望ましいということであります。特に、低開発地域の経済的発展を促進することが世界平和に資するゆえんであるという認識の上に、わが国民が今後ともアジアの経済的発展のために果たすべき使命の重要性については、日米共同声明にも述べられているところであります。御承知のように、わが国は、本年初頭より国連経済社会理事会の理事国としてその活動を開始いたしたのでありますが、特に、国連を通じて低開発諸国の経済開発に協力いたしますことは、単にこれら諸国の繁栄と福祉に資するゆえんであるのみならず、同時にまた世界の平和とわが国自身の繁栄にも資するところ大なるものがあると信ずるのであります。
政府は、本年が真の意味の雪解けを世界にもたらし始める年であることを衷心念願いたしつつ、米国を初めとする自由民主主義諸国と相携え、平和を愛好する国際社会の一員として、いよいよ平和と自由のために積極的にその力をささげるべく、その決意を新たにするものであります。
顧みまするに、終戦後ここに十数年、この間、わが国の経済はたゆまざる国民の努力と英知とによって飛躍的な発展を遂げて参りました。すなわち、最近十年間の経済成長率は戦前の実績を上回り、欧米先進諸国に比しおよそ二倍の速度を示しており、それとともに国民生活も向上し、最近では、国民一人当たりの消費水準は戦前に比し三割強の上昇を示しております。このようにすみやかな経済の成長率は世界の驚異とされており、まことに同慶にたえないところであります。われわれは、この際、過去の輝かしい経済回復の足取りを回顧し、自信と誇りを持って今後の国力発展の施策を進めるべき時期に際会していると思うのであります。
最近の国内経済を見ますと、生産活動の上昇は著しく、国際収支は依然として黒字基調を維持し、これとともに雇用情勢は改善され、国民生活も一段と充実して参っております。しかしながら、最近の企業の根強い投資意欲や旺盛な資金需要にもかんがみ、政府といたしましては、今後、経済が行き過ぎに陥ることなく、引き続き全体として堅実な姿をもって伸張する配慮いたす所存であります。
また、世界経済は、本年もおおむね順調に推移するものと考えられますが、商品、資本などの国際流通の活発化による相互利益を増進するための貿易・為替自由化の動きは急速に進展しつつあります。わが国も、自由主義諸国の一員として、世界の大勢におくれをとることなく、貿易・為替の自由化を推進し、わが国経済の一そうの発展をはかっていく方針であります。これが推進に伴い、わが国産業の一部には多少の摩擦を生ずることもあろうかと思いますが、政府におきましては、自由化に対する所要の準備に遺憾なきを期しつつ施策を進めていきたい考えであります。民間企業におれても、国際競争力を強化するため、設備の近代化、自己資本の充実、経営の合理化など、体質の改善にあらゆる努力を傾注されるよう希望してやみません。
このような情勢のもとにおける今後の経済運営の基本的態度としては、経済の安定と均衡を堅持し、着実な経済成長を実現して参ることにありますが、なお、さらに長期的な観点から、今後おおむね十年間に国民所得を倍増し、もって雇用を改善し、国民経済と国民生活の均衡ある発展をはかるため、新しい経済計画の策定について現在準備を進めております。政府は、この計画の推進にあたりましては、各種産業間の跛行的発展の是正などに十分意を用い、経済全般が均衡のとれた発展を遂げるよう留意することはもちろんであります。
昭和三十五年度の予算と財政投融資計画は、右のような基本方針に基づき、財政の健全性を堅持し、財政面から経済に刺激を与えることを厳に避けたのであります。これとともに、この予算におきましては、当面の緊急課題である国土保全及び災害復旧対策に最重点を置き、その対策に遺憾なきを期したのでありますが、その他の重要経費につきましても、世界経済における貿易・為替自由化の大勢に即応しつつ、わが国経済を一そう安定した成長に導き、もって国民所得倍増の基礎的諸条件を整備するために、社会保障制度の充実、文教及び科学技術の振興、農業基盤の整備、中小企業対策、貿易の振興、東南アジアを中心とする海外経済協力の推進及び道路、港湾、工業用水等を主体とする産業基盤の強化などについて特に配慮を加える等、諸般の対策につき充実を期したのであります。
明年度予算の詳細については、これを関係閣僚の演説に譲り、私は、施策のおもなるものについて述べたいと思います。
まず、治山治水等国土の保全については、民生の安定、産業基盤の強化等の見地から、政府は、つとに施策の重点としてその促進をはかって参りましたが、昨年の大水害の経験にもかんがみ、明年度予算においてはこれらの国土保全事業を政府の最重点施策として取り上げ、新たな構想のもとに総所要経費一兆円余に及ぶ治山治水十カ年計画を樹立し、計画的かつ総合的に治山治水及び高潮対策事業の強力な推進をはかることにいたしております。なお、これらの事業を実施するため、治水特別会計の設置等必要な諸体制についても、あわせて整備する所存であります。
社会保障の充実は、かねて私が最も重視してきたところであります。昨年発足した国民年金制度は、本年三月、老齢・障害・母子の三福祉年金が実施される運びとなり、明年四月からは拠出制の国民年金制度が発足することとなりますが、政府は、この制度の運営の円滑な実施のため、所要の準備に遺漏なきを期する所存であります。昭和三十五年度末を目標とする国民皆保険の達成は、関係各方面の深い理解と協力とによりきわめて順調に進展を見ておりますが、医療金融公庫の設立、環境衛生諸施策の拡充と相待って、国民保健の向上への大きな飛躍が期待されるのであります。また、住宅問題についても、明年度は特に低額所得者の住宅供給に力を注ぎたい所存であります。
文教の振興は、わが国が世界の進運に伍して将来の繁栄を確保するための根本であります。いわゆるすし詰め学級解消のため、文教諸施策を整備し、教職員定数を充実するとともに、道徳教育を振興し、基礎学力を高める等、教育内容の刷新充実に遺憾なきを期したいと存じます。
世界各国の科学技術の進展は近年特に目ざましく、その影響するところは、政治・経済・外交等広く国政の各分野に及び、今や一国の経済成長と国民福祉の向上のかぎを握る重要因子であります。政府は、従来とも青少年に対する理科教育・産業教育の充実、大学・試験研究所の整備等に特別の留意を払っておりますが、特に明年度は、基礎科学の強化はもちろん、科学技術振興の長期的かつ総合的基本方策を樹立し、科学技術振興の確固たる体制を確立いたしたい決心であります。
農林漁業の振興については、その生産性の向上、農漁民の経済的安定等を目途として、将来にわたる基本政策を樹立する所存でありますが、当面、他産業との関係において均衡的発展をはかることに重点を置き、農業基盤の整備を強力に推進するとともに、農林水産物の価格の安定と流通の合理化には積極的措置を講ずることといたしております。なお、農漁村子弟対策を強化し、特に二、三男の就業機会の拡大をはかる考えであります。
中小企業については、政府は、つとにその振興策に力を注いで参ったのでありますが、明年度におきましては、さらに施策の飛躍的強化をはかるとともに、特に商工会の活用を中心として小規模事業者の事業活動の促進に意を用いる所存であります。
地方財政については、財政健全化のための諸施策の推進と経済状況の好転等と相待ち、ここ数年著しく改善されて参りました。今後とも、国家財政と地方財政との調整を保ちつつ、地方財政の長期的健全化の確立を期したい所存であります。幸い、明年度においては、地方税等に相当の自然増収が生ずる見込みでありますが、他方、住民税の減税に伴う地方歳入の減収も考えられますので、当分の間、所要の財源措置を講ずることといたしました。
雇用問題については、政府は、経済の安定的成長をはかるとともに、特に公共事業と財政投融資との増大により積極的な雇用の拡大を期したい考えであります。また、最近特に著しい技術革新に即応する近代的技能労働力の養成と確保との必要に対処し、職業訓練制度の積極的推進に努めるとともに、農漁村、石炭産業等の労働力移動を円滑にし、もって就業構造の近代化をはかりたいと思います。
わが国の労働運動が、労働者諸君の良識によって逐年健全化の道をたどりつつあることは、まことに同慶にたえません。わが国が世界の先進諸国に伍して繁栄を得るためには、労働者諸君が社会的責任を自覚し、公共の福祉を無視することなく、秩序正しくその正当な権利を主張し、行使するという健全な労働慣行と労働秩序の確立がはかられなければならないのであります。
遺憾ながら、今なお、労働運動あるいは大衆運動の一部には、法秩序を無視して、もっぱら政治闘争や権力闘争を推進することにより、その特殊な政治的意図の実現をはかろうとするものがあります。このようなことは、民主政治の基盤たる法治主義を否定するものでありまして、政府は、これに対し断固たる態度をもって臨む決意であります。また、前途有為な学徒諸君の一部に見られる暴力的破壊行動に対しては、特に深い反省を促すものであります。
思うに、わが国永遠の繁栄を期する政治の前提として忘れてならないのは、青少年と婦人の生活並びに文化の向上であります。政府は、社会教育の振興、スポーツの普及奨励、母子保健の充実はもちろん、青少年及び婦人、特に母性に対する諸施策を、社会・経済・文化のあらゆる分野において強力に推進する考えであります。わが国の将来をになう青少年諸君と婦人諸君が、明るい希望に燃えて心身の修練に励み、社会におけるめいめいの重要な役割を正しく自覚され、強い自信と誇りを持ってわが国の発展に貢献せられるよう念願してやみません。
以上申し述べたところで明らかなように、明年度予算の特色は、健全財政の線に沿って、政府及び与党の重要な公約をことごとく取り入れ、その実現をはかった予算であるということであります。私は、この予算の実施により、わが国の経済はいよいよ安定した成長発展を続け、国民所得倍増の基礎的諸条件は整備され、国民生活も向上し、雇用も拡大し、福祉国家の建設に巨歩を進めるものと確信いたす次第であります。
最後に、私は、民主政治のあり方について一言したいと存じます。
民主政治が真の成果を上げるためには、各政党が、国会という共通の場において、良識と寛容の精神に立脚して、あくまでも言論によって審議を尽くし、最終的には多数決によって決するという議会主義が根底になければならないと信ずるのであります。
しかるに、最近、国会における審議権を放棄して、話し合いの場から離脱することがしばしばであり、他面、院外においては、国会周辺における集団示威運動による言論府に対する不当の圧迫等が繰り返され、ために、国会運営の正常化が阻害されるのみならず、国会の神聖を傷つけ、議会政治の秩序を乱したことは、まことに遺憾のきわみと申さなければなりません。
この際、われわれは、議会主義に対する認識を新たにし、国会の権威を高め、憲政の常道を確立することについて、渾身の努力を尽くしたいと心から願うものであります。
ここに、所信の一端を述べ、国民諸君の一段の理解と協力を切望してやみません。