データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[内閣名] 第60代第3次池田(昭和38.12.9〜39.11.9)
[国会回次] 第46回(常会)
[演説者] 池田勇人内閣総理大臣
[演説種別] 施政方針演説
[衆議院演説年月日] 1964/1/21
[参議院演説年月日] 1964/1/21
[全文]

 国民の一人一人が働く意思とすぐれた創造力を自由に遺憾なく発揮し、豊かで平和な生活を営み得る社会をつくることは、政治の究極の目標であります。

 このためには、疾病、失業、老齢を原因とする貧困と不幸に対し、社会保障が確立され、この基礎の上に、民族的創造力が躍動し、不断に進歩と成長が約束される国の実現が必要であります。

 ここでは、個人の尊重と自由が守られつつも、社会連帯の意識、公共奉仕の精神が横溢していなければなりません。個人個人の心に関する問題、すなわち、道徳や宗教がその支柱であります。また、議会民主政治は、国民大衆の希望の達成と苦悩の除去に敏速果敢であり、ことに、暴力の排除と平和の実現に対して最も積極的でなければなりません。これが高度福祉国家の真の姿であります。

 ここに至る道は決して平たんではなく、多くの困難が予想されます。しかし、国民の団結と信頼を背景に、外交も、文教も、治安も、経済も、政治のすべてがここに集中するならば、必ずや輝かしい将来が約束されるものと確信いたします。このことは、一内閣の目標たるにとどまりません。私は、この信念のもと、みずからを省み、今後の精進を誓うものでございます。

 昨年は、部分的核実験禁止条約の成立に見られるとおり、世界の緊張緩和に一歩を踏み出した年でありました。その背後には、キューバの危機が、東西両陣営を通じて核戦争回避の契機となったこと、安保体制下にあるわが国を含め、自由諸国の確固たる防衛努力のあったことを忘れてはなりません。一方、冷戦の意識から解放された各国が、それぞれの自国の利益を主張し、多元化の方向にあることも事実であります。この新しい動向に対処して、われわれは、共存の精神を基礎としつつ、世界の平和と人類の繁栄のため、冷静な判断のもと、英知と勇気をもって、わが国の置かれた環境と地位にふさわしい役割りを積極的に果たすよう心がけねばなりません。

 今後変転を予想される国際情勢に応じて、私は、自由諸国との接触をますます幅広く、かつ多角的に進めていく考えであります。特に、自由諸国との協力のもと、世界経済発展のために積極的な寄与をいたす所存であります。そのためにも、わが国としては、開放経済体制を整備拡充するよう一段の努力を必要とするのであります。本年はOECDへの正式加盟、ガットにおける関税一括引き下げ交渉の本格化、さらに国連貿易開発会議への参加等を控え、わが国の対外的経済活動の真価を問われる年であります。私は、わが国がよくこの使命を果たすことによって、輝かしい国際的地位を確保し得ると信じておるのであります。

 東西関係が緊張緩和に向かいつつあるとき、アジアの情勢は依然として不安と動揺を続けております。地域全体に対する共産勢力膨張の潜在的危険性、諸国民の強い民族主義的対立、さらには各国に内在する政治的、経済的、社会的困難等、そのよってくるところは根深く、かつ複雑であります。このような錯綜する不安定の根源を一朝にして除去することは、もとより不可能であります。私は、アジアの安定と繁栄を期するため最も肝要なことは、アジアとこれに隣接する西太平洋の諸国が一体となって進み得るよう、連帯関係の素地を育成強化することにあると信じます。それには、アジア諸国相互間の信頼関係が何よりも大切でありましょう。わが国としては、アジア、西太平洋諸国の間に国際正義と寛容の精神に基づく融和と協調が促進されるよう努力を惜しんではならないと考えます。この間にあって、わが国が、強固で品位ある民主主義国家として発展を続けることこそ、アジアの安定と繁栄に有形無形の貢献をなすものと確信いたします。

 発展途上にある世界の諸国、なかんずくアジア諸国に対し、政府は、今後とも他の自由諸国と協調しつつ、各種の経済技術協力を行なうつもりであります。また、技術を身につけた青少年が、東南アジア等の新興国へおもむき、相手国の青少年と、生活と労働をともにしつつ、互いに理解を深めることを重要と考え、その準備を進めておるのであります。

 日韓国交正常化の交渉は、両国当事者の忍耐強い努力にもかかわらず、いまだ妥結を見るに至っておりません。しかし、漁業をはじめ、残された諸問題の解決は、大局的な見地に立って、相互に熱意と良識をもってすれば決して困難ではないと思います。隣合った両国が一日も早く正常な国交を持つことが、両国国民大多数の共通の願望であることは、もはや疑いをいれる余地のないところであります。政府は、この輿望にこたえて、諸懸案の合理的な解決のため、さらに積極的な努力を傾ける考えであります。

 伝統的に親善関係にある中華民国政府との間に、最近紛議を生じたことはまことに遺憾であります。中華民国政府とは友好的な外交関係を維持しつつ、中国大陸との間には、政経分離のもとに、民間ベースによる通常の貿易を行なうことがわれわれの方針であることもすでに明らかであります。私は、中華民国政府が、一日も早くわが国の真意を了解することを希望してやまないものであります。

 中国大陸が、わが国と一衣帯水の地にあり、広大な国土に六億余の民を擁しておることは厳然たる事実であり、一方、中共政権に関する問題は、国連等の場における世界的な問題であります。私は、これらの認識のもとに、国民諸君とともに、現実的な政策を慎重に展開していきたいと思います。

 ILO八十七号条約につきましては、でき得る限り早期にその批准を行なう基本方針に変わりはありません。すでに開会冒頭に関係法案とともに提出しておりますが、政府は、今国会において関係案件が成立し、同条約の批准が実現されることを切望するものであります。

 さて、国家民族の繁栄をはかり、世界諸国民との協力提携を深めようとするわれわれの努力は、次代をになう青少年に受け継がれることによって一そうその成果が高められます。高い知性、豊かな情操、たくましい意思を身につけ、それぞれその能力と個性を生かし、進んで国家の繁栄と人類の福祉に奉仕せんとする気概は、青少年みずからがこれを養わなければなりません。青少年がかかる努力をなし得るよう環境を整備し、適切な指導を行なうことこそ、人つくり政策の根本であり、かねて政府が努力を傾けていることろであります。

 最近、経済の繁栄に対して心の再建の必要を指摘する声は高まっております。善悪を判断できない社会は、いわば、人間の存在しない荒れ地であります。われわれにとって、民族の伝統に根ざす正しい価値観を確立することがきわめて大切であります。かくて初めて、われわれの創造的活力は、単に経済のみにとどまらず、政治、社会、文化、科学など、あらゆる分野に偉大な働きをなし得るものと考えます。私は、この観点に立って、道徳教育、家庭教育の充実強化、文化、科学の振興を一段と進め、家庭、学校、社会のあらゆる場において人間性の涵養をはかり得るよう配慮いたしたいと存じます。

 国家的、民族的なものを通じて、世界的、国際的なものに達するという考え方を新しい意味で再発見すべきでありましょう。人種、宗教、政治の別なく、世界の人が一堂に集まり、平和と親善の実をあげるというオリンピックの精神もまたここにあるものと信じます。東京大会を迎えるにあたり、私は、青少年はもちろん、国民諸君のすべてがかかる精神を高揚し、大会を意義あらしめるよう衷心より願うものであります。

 また、暴力の否定と法律等社会秩序の確立の上にこそ、真の自由と平和が保障されるのであり、小暴力といえどもこれを看過してはなりません。政府は、法を無視し暴力を行使するものには、警察力の強化と法の厳正な適用により対処する方針であります。国民諸君が暴力排除の気風を確立し、身近なところから人間尊重の機運が醸成されるよう期待してやまないものであります。

 本年は、憲法調査会の八年にわたる審議の結果が報告される予定であります。私は、この機会に国会と民族の基本について国民諸君の理解が一そう深まることを期待すると同時に、世論の動向を十分に尊重し慎重に対処いたしたいと考えます。

 行政制度についても、現在臨時行政調査会において検討を進められており、遠からず答申があるはずであります。行政制度とその運営が社会の進展に応じた効率的で前向きのものであることは、私の願うところであり、その改善に大きな希望を抱くものであります。

 わが国経済は、昭和三十七年十月に引き締め政策が解除されてより、回復基調に転じました。三十八年に入ってからも予想以上の拡大を続け、三十八年度の経済成長率は、実質八%をこえ、鉱工業生産は対前年度比で一三%の増加となる見込みであります。

 このような経済の上昇は、個人消費、財政支出等が引き続き堅調に伸びたのに加え、在庫投資の増大、設備投資の回復が見られ、総需要が全体として増大したことによるところが大きいのであります。輸出もまた、拡大された経済の基盤の上に予想を上回る傾向を示しております。また、過去の設備投資の結果、生産能力が大幅に増大し、企業が金融によって操業度を高く維持しようとしていることも、生産が高水準を続けている原因であります。

 これら需要、供給両面の事情を反映して、輸入の伸びは輸出の増加を上回りつつあります。このような経済の拡大は、設備投資または在庫投資の行き過ぎにより国際収支の危機を招いた過去二回の場合とその様相を異にしており、個々の需要面の要素で特に行き過ぎた増大が見られるわけではありません。しかし、国際収支は、輸入の増加が輸出の伸びを上回っている上、米国の利子平衡税法案等の影響もあって問題を生じており、また、農水産物、対個人サービス、中小企業製品等の値上がりによる消費者物価の騰勢が弱まっていないことも見のがしてはなりません。

 したがって、今後とるべき施策としては、絶えず国際収支及び消費者物価の動向に注意しつつ、総需要が適正な水準を越えないよう経済を引き締め基調で運用する必要がありますが、一方、近代化の立ちおくれている農業、中小企業の生産性の向上をはかることも重要な課題であるのであります。私は、政府、民間相協力して努力するならば、三十九年度のわが国経済は実質七%程度の安定した成長を達成し、この間に農業、中小企業の格差は縮小し、国際収支は逐次均衡化の方向へ向かい、消費者物価の動きも必ず安定基調を取り戻すものと信じておるのであります。

 IMF八条国への移行やOECDへの正式加盟を目前に控え、わが国は、いよいよ本格的な開放体制へ移行するきびしい局面を迎えております。わが国経済がこの新しい国際環境に適応しつつ安定成長を確保していくためには、長期にわたる国際収支の均衡をはかることが最も肝要であります。特に最近における国際収支の悪化は、運賃支払いの増加等、貿易外収支によるところが大きく、しかもこの傾向は、貿易規模の増大につれて拡大するおそれがあります。

 政府は、国際競争力強化のため、経済の質的強化を通じ、輸出の振興をはかるとともに、外航船腹の増強、観光事業の振興等、長期的視点に立った構造改善を積極的に推進して、国際収支の安定をはかる決意であります。なお、当面の国際収支の赤字に対しては、長期健全な外資の導入を促進するつもりであります。国民各位におかれましても、国産品の愛用、不用不急物資の輸入の自制等を通じて政府の施策に協力されることを期待いたすのであります。

 消費者物価については、政府は、三十九年度中に安定基調を回復することを目途に、強い決意をもってあらゆる施策を結集してまいる考えであります。公共料金その他政府の規制し得る範囲のものについては、本年度中は値上げを行なわない方針を堅持いたします。また、財政金融政策の適切な運用、農業、中小企業、サービス業の近代化、流通機構の改善等をはかるほか、労働力の流動化、公正な価格決定を阻害する要因の排除、供給不足物資の増産、輸入政策の弾力的な運用等の施策を一段と強化し、これらの総合的な推進により消費者物価の安定を期する決意であります。

 なお、物価水準を長期にわたって安定させていくためには、生産性向上の成果が、労使の力関係で企業利潤、賃金のみに分配せられることなく、国民経済的な見地から、価格の引き下げ等により消費者にも適正に均てんせられるよう、合理的な解決を期待するものであります。

 農業の生産性と農業従事者の所得は、順調に向上しておりますか{前1字ママ}、農業は自然的、経済的、社会的制約が強いため、他産業の成長におくれがちであります。このおくれを取り戻すには、生産基盤の整備と技術の進歩が最も大切であります。

 政府は、農業基本法に示された方向に従い、農地の流動化促進等による経営規模の拡大、土地改良など生産基盤の整備を推進するとともに、機械化をはじめ技術の革新を着実に推し進めて農業構造の改善をはかり、生産性の向上と総生産の増大を実現したいと存じます。また、需要の強い生鮮食料品の生産増加のため必要な措置を拡充することはもとより、中央卸売市場の整備、食料品総合小売市場の設置等流通機構の合理化をはかることといたしました。さらに、農林漁業金融公庫資金、農業近代化資金については、融資ワクを大幅に広げ、公庫資金の利率など貸し付け条件の改善、簡素化等の措置をとるほか、無利子の改良資金の貸し付けワクを飛躍的に増額することといたしております。

 中小企業の近代化の目標は、人、技術、設備を三位一体とした総合的な経営力を養い、欧米先進諸国の中小企業に劣らず、少ない人手で高い生産性を上げ得る企業に発展させることであります。

 政府は、中小企業基本法に示された方向に従い、設備の近代化、事業の共同化、技術水準の向上、流通経路の簡素化、小規模企業の経営改善等につき、画期的な施策を講ずることといたしました。なかんずく、設備の近代化については、低利かつ充実した財政資金の確保、信用補完制度の拡充等の措置をとるほか、中小企業金融全般について、質、量両面から必要資金の確保に配慮いたしたのであります。近代化のおくれておる商業部門を中心に、商店街ぐるみの近代化をはじめとして、店舗等の集団化、事業の共同化等の施策を積極的に行ない、人手不足に対処する経営の合理化と規模の拡大をはかってまいりたいと考えております。

 社会保障は、西欧諸国の水準を目標に逐年努力を重ねております。政府は、この際、厚生年金保険、国民健康保険等の給付の改善に着手するとともに、生活保護や、老人、児童、母子、心身障害者等各種の福祉対策の一そうの充実をはかることといたします。また、租税負担については、所得税、住民税を中心に、国税、地方税を通じ、平年度総額二千百八十億円に及ぶ、従来にない画期的な減税を行なうことといたしました。さらに、立ちおくれの目立つ道路、鉄道、港湾、通信等の産業関連施設、住宅、下水道、し尿処理施設等の生活環境施設を中心とする社会資本の充実に格段の努力を傾注することといたしております。

 最後に一言いたしたいと思います。

 新しい年は、国際的にも国内的にも解決を待つ多くの問題をかかえております。これらの課題の克服の上にわが国の飛躍と発展が築き上げられることは言うをまちません。

 日韓会談、OECDへの加盟、ILO条約批准等対外的諸懸案を解決して自主的な国民外向を展開し、わが国の進路を確定することが第一であります。また、経済の運営を誤らず倍増計画を国民生活に定着させることがその第二であります。内閣の基礎をなすわが自由民主党の近代化を推進し、公党の倫理性を高めるとともに、政治の基盤をなす選挙制度についても合理的な改正を行ない、議会政治に対する国民諸君の信頼にこたえることが第三の問題であります。オリンピック、IMF総会の開催など世界の関心が日本に集まるただ中で、これらの問題を解決するわれわれの責務はきわめて重大といわなければなりません。

 以上の三つは、私が真剣に取り組まなければならぬ当面の課題であります。私は、世論を背景に、勇断をもってこの事に当たる覚悟であります。国民諸君とともに歩む道が、前進する歴史の法則にかなうものであることを心から願いまして、私の演説を終わります。