[文書名] 恰克圖條約(恰克圖条約,恰克図条約,キャフタ条約)
千七百二十七年露曆十月二十一日
「ネルチンスク」ニ於テ調印
千七百二十八年六月十四日恰克圖ニ於テ批准書交換
大淸帝國皇帝陛下ノ勅令ニ從ヒ左ノ全權委員ハ平和條約ヲ締結シ及國境劃定ノ爲集合セリ
樞密顧問文官懲戒裁判所長內務大臣參與
「チヤビナ」
樞密顧問邊彊諸省管轄裁判所長赤軍將軍
「ツウグー」
兵部次官
「ツウリチン」
露西亞國全權大使「イルリヤ」伯爵
「サヴア、ウラジスラウイチ」
右兩帝國ノ全權ハ「ネルチンスク」ニ會合シ平和條約締結及國境劃定ノ爲左ノ協定ヲ爲セリ
第一條 本新協約ハ兩帝國ノ間ニ恒久ノ平和ヲ鞏固ナラシメムカ爲特ニ締結セラレタルモノニシテ爾今永久ニ兩國ハ其臣民ノ安全ヲ保持シ善ク兩國ノ和親ヲ尊重シ如何ナル反抗的事件モ發生シ得サル樣嚴重ニ各自ノ臣民ヲ統轄スルモノトス
第二條 今和親ヲ更新スルニ方リ兩國ハ兩國間ニ發生シタル過去ノ事件ヲ回顧スルヲ欲セス又今日迄ニ逃亡シタルモノハ返還セラルルコトナク從來ノ儘ニ放置セラルヘシ但シ今後逃亡スルモノアルトキハ如何ナル形式ニ依ルモ之ヲ妨止シ兩國ハ其逃亡者ヲ熱心ニ搜索且逮捕シテ國境ノ人民ニ引渡スヘシ
第三條 露西亞國大使「イルリヤ」伯爵「サヴア、ウラジスラウイチ」ハ支那大官等ト左ノ如ク協定ス
兩帝國ノ國境ノ劃定ハ極メテ重要ナル事件ニシテ現場カ踏査セラルルニ非サレハ之ヲ行フコトハ不可能ナリ故ニ露西亞國大使「イルリヤ」伯爵「サヴア、ウラジスラウイチ」ハ國境ニ赴キ支那侍從武官「チエルーフ」及近衞將軍「ベジユージ」及兵部次官「ツウリチン」ト協議シ兩國ノ國境ヲ左ノ如ク協定ス
恰克圖河畔ニ於ケル露西亞國衞舎ト「オロコイト」山上ニ在ル支那國石造衞舎トノ間ニ横ハル土地ハ之ヲ等分ニ兩分シ中間ニ境界標トシテ一箇ノ衞舎ヲ建テ同地點ニ兩國ノ交易場ヲ設置スヘク同地點ニ國境確定ノ爲兩國ヨリ委員ヲ派遣スヘシ
國境ハ前記地點ヨリ東方ニ向ヒ「ブルグテイ」山嶺ニ沿ヒ「キランスク」ノ衞舎ニ至ルヘシ「キランスク」衞舎ヨリ「チコイ」、「アラ、ハダイン、ウス」ニ沿ヒ之等四箇ノ衞舎ノ反對ノ側ニ在ル「チコイ」河ノ一部ヲ國境ト定ム
「アラ、ハダイン、ウス」ヨリ蒙古「ウブール、ハダイン、ウス」ノ衞舎ニ至リ「ウブール、ハダイン、ウス」ヨリ「ツアガン、オル」ノ地ナル蒙古ノ衞舎ニ至ル迄露西亞國臣民ノ占有セル土地ト支那國臣民タル蒙古人ノ衞舎トノ間ノ總テノ砂漠地ハ恰克圖ニ於ケルト同樣之ヲ等分ス即チ露西亞國臣民ノ移住セル土地ニ近ク山脈、連山及河川ノ存スルトキハ此等ヲ境界標ト定メ同樣ニ蒙古衞舎ニ近ク山脈、連山及河川ノ存スルトキハ此等ヲ境界標ト定ム但シ山脈及河川ノ存セサル平坦ナル土地ニ於テハ之ヲ等分シテ境界標ヲ建設ス
兩國全權ハ所謂「ツアガンオラ」ノ衞舎ヨリ「アルグン」河ノ岸迄赴キ蒙古ノ衞舎ノ背後ニ存スル土地ヲ調査シテ國境ヲ定ムヘシ恰克圖ト「オロゴイト」トノ兩地間ノ境界トシテ建設セラレタル國境衞舎ヨリ始マリ「オロゴイト」、「チーメン、コブノフ」、「ビチクツ、ホシエグ」、「ベレソツオロ」、「クークーチエロツーイン」、「ホンゴールオボ」、「ヤンホルオラ」、「ボゴスンアマ」、「グンドザンオラ」、「フツガイトオラ」、「コビモウロウ」、「ブグツダバガ」、「エコウテンマオイモウロウ」、「ドシトダバガ」、「キシニクツダバガ」、「グルビダバガ」、「ヌクツダバガ」、「エルギクタルガク」、「ケンゼマダ」、「ホニンダバガ」、「ケムケムチックボム」、「シャビナダバガ」ノ諸山ニ沿ヒテ西方ニ向ヒ此等諸山ノ山嶺ニ沿ヒテ中央ニ分界ヲ爲シ之ヲ國境トス此等諸山ノ山嶺ノ間ニ山脈及河川ノ存スルトキハ其山脈及河川ハ之ヲ等分シ其北側ハ露西亞國領トシ南側ハ支那國領トス全權ハ分界ヲ明記シ且其圖面ヲ作成シ相互ニ右文書及圖面ヲ交換シテ各自ノ大臣ノ許ニ持參セリ卑賤ノ輩ニシテ兩帝國ノ劃定セル國境ノ間ニ於テ盜賊ノ目的ヲ以テ徘徊シ土地ヲ占有シ若ハ右地域內ニ天幕小舎ヲ建設セル者ハ之ヲ搜索シ各其屬スル遊牧地ニ移セリ又國境地域ヲ安寧ナラシメムカ爲國境地域ヲ徘徊スル兩國臣民モ亦之ヲ搜索シテ各其屬スル天幕地ニ歸屬セシメタリ
黑貂五枚ヲ貢獻シタル兩國ノ「ウリヤンヒ」族ハ將來モ從前通リ其舊首ノ管下ニ残留スヘシ但シ黑貂一枚ヲ貢納シタルモノハ國境協定ノ成立シタル日ヨリ將來永久ニ右貢獻ヲ免除セラルヘシ右證據ノ爲ニ調書ヲ作成シ之ヲ兩國ノ間ニ交換スヘシ
第四條 兩國ノ國境劃定セラレ相互ニ逃走者ノ生セサルニ至リタルヲ以テ露西亞國大使「イルリヤ」伯爵「サヴア、ウラジスラウイチ」ト協定シテ兩帝國ノ間ノ自由交易ノ開始ヲ約セリ商人ノ數ハ之ヲ既ニ決定セラレタルカ如ク二百人ヲ超エサルモノトス右商人ハ三年ニ一回北京ニ赴クコトヲ得ヘキモ總テ商人ナルヲ以テ食糧品ハ給與セラレサルモノトス但シ賣手及買手何レノ側ニ對シテモ一切ノ稅ヲ徴收セサルモノトス商人カ國境ニ到着シタルトキハ右到着ヲ届出ツヘシ届出ヲ受理シタルトキハ官吏ヲ派遣シ右官吏ハ商人ニ會ヒ交易ノ爲之ニ同行スヘシ商人カ途中ニ於テ自費ヲ以テ駱駝、馬及食糧ヲ買ヒ又ハ勞働者ヲ雇入レムト欲スルトキハ之等ヲ買ヒ及雇入ルルコトヲ得
支那國官吏若ハ隊商ノ頭領ハ右商人ヲ統轄監督シ爭議ノ發生シタル場合ニハ公正ニ和解セシムヘシ頭領若ハ嚮導者ニシテ何等カノ功績アルトキハ之ヲ褒賞スヘシ兩國皇帝ノ勅令ニ依リテ禁止セラレタル物品以外ノ物品ハ其名稱ノ如何ヲ問ハス賣買スルコトヲ得
頭領ノ許可ナクシテ祕カニ滯留セムト欲スルモノアルトキハ之ヲ許スヘカラス病氣ノ爲死亡シタルモノアルトキハ其殘留品ハ其名稱ノ如何ヲ問ハス露西亞國大使「イルリヤ」伯「サヴア、ウラジスラウイチ」ノ規定セル如ク之ヲ本國ノ人民ニ引渡スヘシ
兩國間ノ交易ノ外ニ交易ノ爲「ネルチンスク」、「セレギン」及恰克圖附近ノ國境上ニ適當ナル場所ヲ選擇シ右地點ニ家屋ヲ建設シ籬若ハ柵ヲ以テ外部ヨリ見得ル樣之ヲ圍ムヘシ交易ノ爲右地點ニ赴カムト欲スルモノハ必ス眞直ナル路ヲ行クヘシ
交易ノ爲右通路ヨリ離レ又ハ他ノ地點ニ赴クモノアルトキハ其物品ハ之ヲ沒收スヘシ相互ニ同數ノ官吏ヲ任命シ同級ノ將校ヲシテ之ヲ監督セシムヘシ
右將校ハ共同シテ其土地ヲ守備シ相反目スヘカラス一切ノ爭議ハ露西亞國大使「イルリヤ」伯爵「サヴア、ウラジスラウイチ」ト協定セルトコロニ從ヒ之ヲ解決スヘシ
第五條 最近北京ニ於テ露國人ノ爲ニ設ケラレタル屋敷ハ露西亞國及今後來着スル露西亞人ノ爲ニ用ヒラルヘク右露西亞人ハ該屋敷內ニ住ムヘシ
又露西亞國大使「イルリヤ」伯爵「サヴア、ウラジスラウイチ」ノ申請ニ基キ露西亞國トノ事件ニ付監督權ヲ有スル支那國大官等ノ援助ニ依リ右屋敷內ニ一ノ敎會ヲ建設セリ
最近北京ニ來着セル一名ノ僧侶ハ右敎會內ニ住ムヘク其他來着豫定ノ三名ノ僧侶モ亦同居スヘシ
右僧侶ノ來着シタルトキハ從來着セルモノニ與ヘラレタルト同樣ニ食料ヲ給スヘシ
右僧侶ノ來着ノトキ敎會ハ開始セラルヘシ
右露西亞人ハ自國ノ法律ニ從ヒ自己ノ神ヲ祈禱シ禮拜スルコトヲ得ヘシ其他小兒四名及露西亞語及羅典語ヲ知レル靑年二名モ亦右敎會ニ住ミ之等ニ官費ヲ以テ食料ヲ給スヘシ右ノ小兒及靑年ハ露西亞國大使「イル・ヤ」伯「サヴア、ウラジスラウイチ」カ言語研究ノ爲ニ北京ニ滯留セシメムトスルモノニシテ研究完了セルトキニハ任意ニ歸國スヘシ
第六條 兩國間ノ交通ニハ印刷セラレタル旅劵ノ携帶ヲ要ス故ニ露西亞國ヨリ支那國ニ出張セシメラルルモノアルトキハ元老院若ハ露西亞法院及「トボルスク」總督ヨリ支那邊境諸省ノ管轄法院ニ宛テタル證書ヲ下付セラルヘシ又支那國ヨリ露西亞國ニ出張セシメラルルモノアルトキハ邊彊諸省管轄法院長ヨリ元老院若ハ露西亞國法院及「トボルスク」總督ニ宛テタル同樣ノ印刷セラレタル證書ヲ下付スヘシ
國境及國境地方ヨリ逃亡人、盜難及其他之ニ類似ノ事件ニ關シ書信ヲ發送スル場合ニハ露西亞國境ニ駐在スル市長、支那國國境ニ駐在スル「ツーシエーツーハン」、「オバンジヤントルジ」、「オバンタンジントルジ」ハ相互ニ右書信ニ署名調印シテ之ヲ發送スヘシ露西亞人カ「ツーシエーツーハン」、「オバンヂヤントルジ」、「オバンタンジントルジ」ニ對シ書信ヲ宛ツルトキハ右支那國官吏ハ之カ返信ヲ認ムヘシ右書信ヲ持參スル總テノ使者ハ必ス恰克圖ヲ經由シテ通行スヘシ重大事件ノ起レルトキハ一切ノ近道ヲ通行スルコトヲ許サルヘシ何人タルヲ問ハス故意ニ(恰克圖經由ハ遠キカ故ニ)近道ヲ通行スルトキハ露西亞國市長、衞戊司令官及支那國境汗等ハ右趣ヲ相互ニ通報シ且犯罪ヲ調査シテ有罪者ハ之ヲ處罰スヘシ
第七條 「ウド」河及其地方ニ關シテハ露西亞國大使「フエオドル、アレキセエウイチ」ハ支那帝國內裁判所大官「サムグート」ト協議シ『本件ノ解決ハ之ヲ留保シ他日文書若ハ使節ヲ通シテ結了スヘシ』ト言明セシヲ以テ右趣ヲ議定書ニ記載セリ之カ爲ニ支那帝國大官ハ露西亞國大使「イルリヤ」伯爵「サヴア、ウラジスラウイチ」ニ對シ『卿ハ女帝ヨリ總テノ事件ヲ決定スヘキ全權ヲ與ヘラレテ派遣セラレタルニ依リ我等ハ本件ニ關シ協約ヲ締結スヘキ必要アリ何トナレハ貴國ノ人民ハ絕エス「ヒムゴンツグリ」ト稱セラルル我等ノ領域ニ侵入シ今ニシテ協約ヲ締結セサルニ於テハ國境附近ニ居住スル兩帝國ノ人民ハ相互ノ間ニ爭議若ハ不和ヲ起サムコトモ計リ難シ之レ極メテ平和及協調ニ反スルカ故ニ速ニ協定スルノ必要アリ』ト言明セリ
露西亞國大使「イルリヤ」伯爵「サヴア、ウラジスラウイチ」ハ答ヘテ曰ク『此極東ノ土地ニ關シ女帝ハ余ニ之カ交涉ヲ委任セサリシノミナラス余モ亦此土地ニ付確然タル知識ヲ有セサルカ故ニ今ハ從來ノ儘ニ放置セサルヲ得ス然レトモ何人ニテモ我等ノ領域ヨリ國境ヲ通貫シテ赴カムトスルモノアルトキハ注意シテ之ヲ禁止スヘシ』ト
之ニ對シ支那國大官ハ『女帝カ卿ニ極東地方ニ關シ協定スルコトヲ委任セサリシ以上我等ハ之以上追求セサルヘシ本件ハ從來ノ儘ニ放置スヘシ然レトモ卿ノ歸國セラルルニ際シ貴國人民ニシテ國境ヲ越エテ赴カムトスルモノアルトキハ之ヲ逮捕シテ必ス處罰スヘシトノ旨ヲ訓令セラレヨ然レトモ卿等ハ以テ平和ヲ破壞セルモノト言フコト能ハス我國ノ人民ニシテ貴國國境ヲ通過スルモノアルトキハ請フ卿等又之ヲ罰セヨ
本會議ニ於テハ「ウド」河及其他ノ通商河川ニ關シテハ之カ協定ヲ爲サス從來ノ儘ニ放置スヘシ然レトモ貴國人民ハ現狀以上ニ移民シ土地ヲ占有スヘカラス』ト言明セリ
露西亞國大使「イルリヤ」伯爵「サヴア、ウラジスラウイチ」ハ之ニ答ヘテ『之等ノ事項ハ總テ歸國後明白ニ女帝ニ伏奏スヘシ又其他ノ事項モ精密ニ踏査シテ何等カノ協定ヲ結ヒ以テ本事件ヲ處理セムカ爲當該土地ニ關シ充分ナル地理的知識ヲ有スルモノヲ右地點ニ派遣スヘキ理由ヲ說明スヘシ本事件ハ事小ナリト雖モ現狀ノ儘ニ放任セムカ必ス兩國ノ平和ニ有害ナル影響ヲ與フヘシ尙本事件ニ關シ余ハ露西亞國元老院ニ通牒セリ』ト言明セリ
第八條 兩帝國ノ國境監督官ハ猶豫ナク各自國ノ事件ヲ公正ニ處理スヘシ自國監督官一己ノ利慾ノ爲ニ遲滯ノ生シタルトキハ兩國ハ各自ノ規則ニ從ヒ右監督官吏ヲ處罰スヘシ
第九條 一方ノ帝國ヨリ他方ノ一帝國ニ公用ノ爲ニ小吏若ハ大官ノ使者ノ差遣セラルル場合ニハ右ノ者ハ國境ニ至リ自己ノ使命ト官位トニ付宣明ヲ爲シ協議セムカ爲ニ他方國官吏ノ出張スル迄暫ク國境ニテ待ツヘキモ長ク滯留セシメサルコトヲ要ス到着後ハ住家ト食料トヲ與フヘシ使者カ貨物ノ交易ヲ許可セサル年ニ到着シタルトキハ商品ヲ携帶スルコトヲ得ス重要ナル事件ニ關シテハ一名若ハ二名ノ使者ヲ增加スヘシ此場合捺印セラレタル旅劵ヲ提示シ國境ノ官吏ハ直ニ馬車ト食料ト御者トヲ與へ其到着ヲ妨ケサルコトヲ要ス之レ露國大使「イルリヤ」伯「サヴア、ウラジスラウイチ」ト協定セルトコロナリ
兩國間ノ交通若ハ使者ノ派遣ハ極メテ重要ナルカ故ニ如何ナル形式ニ於テモ之ヲ遲延スヘカラス爾今文書ヲ遲延シ使者ヲ引止メ又ハ返書ヲ與ヘス又ハ徒ニ時間ヲ空費シテ返書ヲ遲延スルカ如キコトアル場合ニハ右行爲ハ平和ニ適應セサルモノナルカ故ニ紛議ノ解決セラルル迄使者及商人ノ通行ヲ禁止シ且之ヲ引止メ右紛議ノ解決後平常ノ交通ヲ開始スヘシ
第十條 爾今兩國ノ臣民ニシテ逃亡スルモノアルトキハ逮捕セラレタル現場ニ於テ之ヲ處罰スヘシ武装シタルモノ掠奪殺害ヲ犯シ國境ヲ越エテ逃亡スルトキハ之ヲ死刑ニ處スヘシ又武器ヲ持シ捺印セラレタル旅劵ナクシテ國境ヲ越エテ逃亡セムトスルモノアルトキハ假令掠奪殺害ヲ犯ササルモノト雖モ其罪ニ準シテ之ヲ罰スヘシ官吏若ハ其他ノモノニシテ自己ノ首長ニ對シ竊盜ヲ犯シ逃亡シタルトキハ其犯罪カ露西亞國領內ニ於テ爲サレタル場合ニハ之ヲ絞殺シ支那國領內ニ於テ爲サレタル場合ニハ之ヲ逮捕シ現場ニ於テ斬首刑ニ處シ贓物ハ之ヲ其首長ニ返還スヘシ國境ヲ越エテ獣類其他ノ家畜ヲ盜ミタルモノアルトキハ裁判ヲ受クル爲ニ右犯人ヲ當該地方裁判官ニ引渡スヘシ該裁判官ハ右犯罪カ初犯ノ場合ニハ贓物價格ノ十倍ノ罰金ヲ課シ二犯ハ二十倍ヲ課シ三犯ニハ死刑ヲ課スヘシ國境ヨリ遠カラサル國境地方ニ於テ自己ノ利慾ノ爲二營業スルモノアルトキハ營業貨物ハ之ヲ國庫ニ沒收シ營業者ハ裁判官ノ判決ニヨリテ之ヲ處罰スヘシ卑賤ナル人民ニシテ旅劵ナクシテ國境ヲ越エタルモノモ露西亞國大使「イルリヤ」伯ノ定メタルトコロニ從ヒ之ヲ處罰スヘシ
第十一條 本平和條約ハ左ノ方法ヲ以テ之ヲ交換セリ
露西亞國大使「イルリヤ」伯「サヴア、ウラジスラウイチ」ハ露西亞語及羅典語ノ本書一通ニ署名調印シテ之ヲ支那國大官ニ手交シ支那國大官ハ滿洲語、露西亞語及羅典語ノ本書一通ニ署名調印シテ之ヲ露西亞國大使「イルリヤ」伯「サヴア、ウラジスラウイチ」ニ手交セリ
本條約ハ之ヲ正確ニ印刷ニ附シ廣ク一般ニ知悉セシムル爲ニ之ヲ一切ノ國境官吏ニ配布セリ