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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 日本國和蘭國和親假條約(日蘭和親仮条約)

[場所] 長崎
[年月日] 1855年11月9日
[出典] 舊條約彙纂,第一卷第二部,外務省條約局,189‐198頁.
[備考] 安政二年九月三十日
[全文]

安政二年九月三十日(西曆千八百五十五年十一月九日)長崎奉行和蘭甲比丹ト長崎ニ於テ議定

長崎奉行荒尾石見守、川村對馬守、御目付淺野一學、和蘭國王之大全權、於日本和蘭領事官、リツトル、デル、オルデ、フアン、デン、ネードルランツセン、レーウ、「メーストル」(敬語)ヤン、ヘンデリツキ、ドングル、キユルシユス、安政二年乙卯九月三十日、長崎府において、

決著取極書

 第一个條

一和蘭國民江是迄差免候場所江、警固人無之、出島より出行之儀、勝手次第可爲事

 第二个條

一和蘭人日本之掟を犯し喉はゝ、出島在留高官之者江爲知可申候、左候はゝ、同人をして、和蘭政府より、其國法通り戒め可申事、

 第三个條

一和蘭人日本人より不都合之取扱を請候節は、於日本和蘭高官より其旨訴、日本重役より吟味之上、日本國法通り戒可申事、

 第四个條

一若外々日本港津、他之國民之爲に開に相成候はゝ、和蘭陀江も直に同樣之免許可有之事、

 第五个條

一和蘭國王軍船之士官、或は其他乘組之內、或は和蘭陸軍之向、於日本死去致し候はゝ、葬送之節、其者之位階に因て、船中にては、空砲相放ち、墓所に於ては、小筒空發致し、其外之儀式は、是迄之通りに候事、

 第六个條

一長崎入港之和蘭商船海岸に近寄候はゝ、是迄之通國旗之外に合符之密旗を可揚事、

 但、軍船は合符之密旗所持不致事、

 第七个條

一右兩旗硫黄島遠見之者見受候はゝ、目當として、是迄之通同所旗竿に和蘭國旗を可引揚事、

 但、軍船も同樣之事、

 第八个條

一和蘭軍船商船とも、是迄之通高鉾島裏手に碇入候事、

 第九个條

一長崎奉行其爲に直樣差遣候番士官一同、出島和蘭商館之役人罷越、其國之船に紛無之儀聢と申出候上は、右船帆を揚或は蒸氣又は日本挽船を以入港いたし候儀、是迄之通にて、質人は不差出候事、

 第十个條

一船々乘組之者共は、端船相用ひ、外船々並出島江通路可致、且養生之爲、港內乘𢌞り可申候、尤商船之水夫共儀は、其端船に船頭按針役之內乘組候節に限り候事、

 但、出島水門之外は、勿論上陸致間敷、且日本船之乘組と出會候儀不相成、尤爲目印和蘭之旗を建可申事、

 第十一个條

一出島水門之外は、端舟を以上陸致間敷事、

 第十二个條

一出島は外塀番所詰所之外は、住居土藏等都て長崎奉行取計を以、和蘭商館江爲讓受、地面は爲借受候事、

 但、外塀番所詰所之外は、都て滯在之和蘭高官之支配に有之、商館入費にて取賄可申事、

 第十三个條

一出島內土藏住家修復取建取拂或は變革等之節、其段奉行所江相屆、和蘭商館脇荷銀を以、日本職人相雇ひ、材木等是迄之通買入候事、

 第十四个條

一出島滯在之和蘭人、其端船或は日本船を以、港內乘𢌞候儀差支無之、尤上陸は不致、右船々を以、港內において、養生之爲、釣等致し候分は不苦事、

 但、爲目印和蘭之旗を建可申事、

 第十五个條

一水門之鑰は、和蘭館高官之者江預け置候事、

 第十六个條

一表門之鑰は、勤番之日本役人預り候事、

 第十七个條

一商賣舶按針役以下船方之者共は、是迄之通表門出入身許探改候事、

 但、水門本船にては改無之事

 第十八个條

一出島より市中江持出、或は市中より出島江持入候荷物は、是迄之通改有之、蘭船出島往返之荷物は改無之事、

 但、密買之儀は、嚴重に制當可致候事、

 第十九个條

一和蘭商船長崎港內滯船中、仕役に付出島江入込候、日雇其外之日本人取締之爲、番士官是迄之通出島江出役可致候事、

 第二十个條

一商賣方之處置は、仕來之振合に可有之、和蘭荷物藏之鑰は、不斷出島滯在高官之者預り、日本封印に不及候事、

 第廿一个條

一日本掟に從ひ免許を受候日本人は、都て出島江立入候事、

 第廿二个條

一長崎おいて、都て辭儀應對、日本人は日本之作法、和蘭人は和蘭之作法に可致事、

 第廿三个條

一時宜に寄、出島滯在之和蘭人は、唐船幷外國船に託し書翰差送候事、

 第廿四个條

一日本和親之外國船長崎港碇泊中、其船主に和蘭人書翰往復いたし候事、

 第廿五个條

一和蘭船人別改は、入津出帆之節兩度いたし、出島は無之事、

 第廿六个條

一和蘭商船玉藥武器は、大砲同樣本船江差置候事、

 第二十七个條

一献上物御役人方進上物幷八朔は、是迄之通之振合に可致、商館商賣筋は、改革無之、此後商賣筋に付、日本方或は和蘭方にて改革いたし度事有之候はゝ、長崎奉行和蘭領事官勘考之上、相定可申事、

 第二十八个條

一若規定相立度事有之候節は、長崎奉行和蘭領事官にて相加可申事、且和蘭人之爲め煩と可相成廉は、可成は廢し候樣可致事、

 第二十九个條

一和蘭國と日本之條約相整候上は、此取極書共相廢し可申候、若右條約手間取候はゝ、此取極之書を以無異儀取行ひ、和蘭日本兩國君承諾同樣相心得べく候、尤兩國君承諾之印書は、其爲め被任候兩國之高官調印之上、此取極書調印之日付より二个年之內、長崎おいて取替申、尤左之个條之外は直樣取行可申事、

 第一个條に有之候緩優之儀、當卯年十月廿二日より取行可申事、

第九个條第十二个條第十三个條第十四个條第十八个條第廿个條第廿六个條都合七个條之分は、當卯年十一月廿三日以後取行候事、

爲證據、大日本國長崎奉行荒尾石見守、川村對馬守、御目付淺野一學、和蘭國王之大全權、於日本和蘭領事官、リツドル、デル、オルデ、フアン、デン、ネードルランツセン、レーウ、メーストル」{」はママ}ヤン、ヘンデリツキ、ドングル、キユルシユス、於長崎府比取極書に名判致し候、

 安政二年乙卯九月三十日

  荒尾石見守 花押

  川村對馬守 同

  淺野一學 同

〔備考〕大日本古文書幕末外國關係文書之十三第三六頁以下ニ據ル