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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 老中堀田備中守正睦と米總領事ハリス對話書抄(老中堀田備中守正睦と米総領事ハリス対話書抄)

[場所] 
[年月日] 1857年12月1日
[出典] 日本外交年表竝主要文書上巻,外務省,10頁.
[備考] 安政四年十月二十六日
[全文]

(上略)

一合衆國之所置は、外國と違ひ、東方に所領之國も無之候間、新に東方に所領を得候義は、相願不申候、

一合衆國之政府おゐては、他方に所領を得候義は禁申候、

一國々より、合衆國之部に入候義を願候事、是迄度々御坐候へ共、遠方懸隔居候所は、都て斷及ひ候、

一三个年以前、サントーウヰス嶋も、合衆國之部に加り度旨申聞候得共、是以斷申候、

一是迄一里たりとも、干戈を以、合衆國之部に入れ候義は、決て無御座候、

一是迄合衆國他邦と合盟致候儀も有之候へ共、右は干戈を用候儀に無之、條約を以相結候事に御座候、

一只今申上候義は、合衆國一體之風儀を、御心得迄に申上候義に御座候、

一五十年以來、西洋は、種々變化仕候義に御座候、

一蒸氣船發明以來、遠方懸隔候國々も、極手近之樣に相成申候、

一ヱレキトルテレカラフ發明以來、別て遠方之事も、速に相分り候樣罷成候、右器械を用候得は、江戶表より華盛頓迄、一時之間に應答出來致し候、

一カルホルニヤより日本え、十八日にて參候義出來いたし候も、蒸氣船發明故之義に御座候、

一右蒸氣船發明より、諸方之交易も、彌盛に相成申候、

一右樣相成候故、西洋諸州何れも富候樣罷成申候、

一西洋各國にては、世界中一族に相成候樣いたし度心得に有之、右は蒸氣船相用候故に御座候、

一右故遮て外と交を不結國は、世界一統いたし候に差障候間、取除候心得に御座候、

一何れ之政府にても、一統いたし候義を拒み候權は有之間敷、右一統いたし候に付、二つ之願御座候、

一其一は、使節同樣之事務宰相ミニストル一名アゲントを、都下え置附候樣致し度義に有之候、

一一方之願は、國々之もの勝手に商賣いたし候義相成候樣いたし度候

一右兩條之願は、亞墨利加而已に無之、國々之懇望に御座候、

一亞墨利加而已に無之候哉、

 一右申上候二个條は、亞墨利加之爲而已に無之、諸州之希望に御座候、

 一只今申上候は、西洋各國之希願にて、亞墨利加におゐては、左まて之願には無御座候、右は御分り相成申候哉、

一一應相分り候、

 一日本之危難は落掛り居申候、右は、英吉利差續歐羅巴各國之事に御座候、

 一英吉利國之水師提督ヤーメス、スチルリング取結候條約は、彼政府にては、不伏に御座候、

 一彼政府之心得にては、日本と之交も、各國同樣にいたし度と之事に御座候、

 一英吉利は、日本と爭戰致し候義を、好て心掛居候、右之次第は、次に可申上候、

 一英吉利は、東印度所領を、魯西亞之爲に、殊之外氣遣恐居候義に御座候、

 一近來英吉利佛蘭西一致し、魯西亞と戰爭およひ候は、魯西亞之所々蠶食いたし候を惡候て之義に御座候、

 一魯西亞之サカレン、アミルを領し居候義を、英國おゐて、尤惡居申候、

 一魯西亞は、彼筋より、滿州およひ唐國を横領可致義と、英吉利存居申候、

 一滿州並唐國を、魯西亞にて領候樣相成候はゝ、其兵を以て、英吉利所領之東印度を横領いたし候樣相成可申、左候へは、魯英之戰爭又候相起り候事と被存候、

 一右樣相成候はゝ、英國には、魯國を防候義、殊之外六个敷可有之、右を防候手段、英國おゐて、尤肝要之事と存候、

 一夫故好きサガレン並蝦夷箱館を領し候樣、英國にては心掛居申候、左候へは、魯國を防候に、格別之便と相成申候、

 一右之サガレン蝦夷を領候樣相成候はゝ、無數之海軍を兩所え渡し置、カムシヤッカ之港ぺートルボルスキとサガレンと之間を斷切候便と相成申候、

 一英國は、地續之滿州より、蝦夷之方を格別望居申候、

 一日本並唐國は、西洋各國同樣之交は開け不申、矢張一本立之姿に御座候、

 一兼て大統領より、唐國方今之振合に心を附候樣可致旨申付越候、

 一唐國は、十八个年前、英國と戰爭相起候、右之節アゲント都下に罷在候はゝ、其儀には及ひ申間敷と被存候、

 一唐國政府之存念は、廣東奉行之取扱を以爲相濟、政府にては不取扱樣可致と存候より、破れにおよひ候義に御座候、

 一唐東奉行全拵事いたし、程能政府え申立、しかのみならす、右奉行英國に對し、權高に有之候故、戰爭相起申候、

 一終には戰爭より、百萬人之人命を、唐國にては失ひ申候、

 一此戰爭に付、唐國之港々は、不殘英國に被乘取、剰南京をも被乘取申候、

 一右戰爭中之雜費は差置、和儀を求候爲、小判にいたし候へは五百萬枚唐國より英國え償として相渡申候、

 一右數百萬之人數幷數萬之金子相渡候義は、十分之一にて、其外之諸費等難申算事に御座候、

 一右之外唐國弱り候故、市中其外砦抔悉亂妨被致候、

 一右故唐國は、元來富候得共、彌衰へ、終に先年韃靼之戰爭同樣力を失候事に及ひ申候、

 一唐國之物成も、半分に減申候、右は韃靼も不伏に付、國用を分ち相送り候故、旁以疲幤いたし候、

 一前條之場合より、再度戰起候樣相成申候、

 一今又英吉利佛蘭西一致いたし、唐國え戰爭仕掛申候、只今之所にては、此上之行末如何相成可申哉、實に難計候、

 一只今之姿にては、何事も英吉利佛蘭西之望通聞濟候様相成可申、左も無之は、全國皆英佛兩國之所領と相成可申候、

・・・(中略)

 一合衆國大統領、日本之爲に、阿片を戰爭より危踏居申候、

 一戰爭之費は、時を過候へは、補方も有之、若阿片を呑覺候へは、年を重候共、取返し難相成候、

 一夫故阿片交易は、格別大切に御心附可被成様、大統領も申居候、

 一條約被成候はゝ、阿片之禁を聢と御立被成候様、大統領申聞候、

 一若亞墨利加人阿片持渡り候はゝ、日本御役人にて、御燒捨被成候とも、如何様に成共、御取計可被成候、

 一亞墨利加人上陸、阿片持越、呑弘候儀等有之候はゝ、阿片御取上、御燒捨之上、過料御取立被成不苦候、

 一大統領誓て申上候、日本も、外國同様港御開、商賣御始、アゲント御迎被置候はゝ、御安全之事と奉存候、

 一日本數百年戰爭無之は、天幸と奉存候、

 一餘り久敷治平打續候得は、却て其國之爲に不相成事も御座候、

 一治平打續き候得は、武事相怠、調練等行屆兼申候、

 一大統領考候には、日本人は、世界中之英雄と存候、尤英雄は、戰之節に臨候ては、格別貴きものに御座候得共、勇は術之爲に被制候もの故、勇而已にて術無之候ては、實は貴ひ候儀には難參ものに御座候、

 一戰爭には、蒸氣舶其外軍器宜物第一に御座候、

 一假令異國と合戰被爲成候とも、英國にては、左迄之事には有之間敷候得共、御國にては、御損失夥敷事と奉存候、

 一海岸唯一方に候とも、其難儀を受候儀は、難申盡事に可有之候、

 一日本は、誠に天幸にて、戰爭之辛苦は、書史にて御覽被成候迄、遂に實地を御覽被成候儀無之段、重畳之御事に御座候、

 一大統領心願も、日本人をして戰爭を史錄にて見及ひ、實地御熟覽無之様、致し度と之事に御座候、

 一英吉利佛蘭西兩國に候はゝ無論、假令一國に候とも、御國と格別掛隔居不申候はゝ、疾に戰爭相起候事に可有之、全掛隔候故、只今以其沙汰無之儀に御座候、

 一戰爭之終は、何れ條約取結不申候ては難相成事に候、

 一大統領之願は、戰爭に不到、互に敬禮を盡し、條約相結候様いたし度と之儀に御座候、

 一西洋近來名高き惣提督之語に、格別之勝利を得候戰よりは、つまらぬ無事之方宜と有之候、

 一大統領之心得にては、合衆國と堅固之條約御結被成候はゝ、必外國も右を規則と致し、御心配之儀等は、向後決て有之間敷奉存候、

 一大統領儀、御國之譽を不落、敬禮を盡し、條約取結、御混雑無之様心掛居申候、

 一合衆國政府之別府として罷越候、船も筒も無之私と、條約御取結相成候はゝ、御國之譽を落し候儀は有之間敷奉存候、

 一壹人と條約御結被成候と、品川沖え五十艘之軍船引連參候ものと條約被成候とは、格別之相違に御座候、

 一今般大統領より私差越候は、懇切之意より起候儀にて、隔意有之て之事には無之、外國より使節等差越候とは譯違ひ申候、右等之儀得と御推考可被下候、

 一殊に此度御開港御差許相成候ても、一時に御開と申儀には無之候、漸々時を追ひ御開相成候様いたし候はゝ、御都合可然と奉存候、

 一英國と條約御結に候はゝ、必右様には相成申間敷と、大統領も申居候、

 一猶阿片之儀は、合衆國之條約え、聢と御据被置候はゝ、英國にて削可申存候ても、相叶間敷候、

 一國々より、條約之爲、使節差越候とも、世界第一之合衆國之使節と、如斯御取極相成候と被仰聞候はゝ、決て其上彼是は申間敷候、

 一合衆國大統領は、別段飛離れ候願は不仕、合衆國民人え、過不及なき平等之儀御許之程を、願居候事に御座候、

 一二百年前、ポルトガル人イスパニヤ人御放逐被成候頃と只今とは、外國之風習大に異り申候、其頃は宗門之事を皆願居申候、

 一亞墨利加にては、宗旨抔は皆人々之望に任せ、夫是禁し又は勸候様之事更に無之候、何を信仰いたし候とも、人々之心次第に御座候、

 一西洋にては、一方之宗門を外宗に改候もの有之候とも、干戈を用候様之儀は、當時決て無之、其人之好に任せ候儀に御座候、

 一當時歐羅巴にては、信仰いたし候基本を見出し申候、右は銘々心より信候故、其心に任せ候より外致し方無之と、決着いたし申候、

 一是を禁し候も、又勸め候儀も不致候、

 一宗門種々有之候得共、詰りは人を善くいたし候趣意に付、彼を譲り是を譽、己の門に引入候は、宜からさる人之所爲に有之候、

 一亞墨利加にては、佛之堂も、邪蘇之堂も、一様に並ひ居、一目に見渡候様いたし有之、宗門に付、一人も邪心を抱き候もの無之、銘々安らかに今日を送申候、

 一ポルトガル人イスパニヤ人なと、日本え參り候は、自己之儀にて、政府之申付には無之候、

 一其頃罷越候ものは、商賣を致し、宗門を勸、其上干戈を以、日本を横領いたし候內存にて參り候儀と存候、

 一右參り候ものは、廉直之ものに無之、反逆をいたし候見込之もの故、其人物も推知られ申候、然處、幸當時は右様之ものは無之候、

 一當時は右様之もの相盡、世界一統睦くいたし度と、何れも心掛罷在候、

 一當時之風習は、一方之潤澤は一方に移し、何地も平等に相成候様致候事に御座候、

 一假令は、英國にて、凶作打續、食物に困り候得は、豊なる國より商賣を休め、其食物を運遣し候様之風儀に御座候、

 一交易と申候得は、品物に限り候樣相聞候得共、新規發明之儀抔、互に通し合、國益にいたし候も、又交易之一端に御座候、

 一諸州と勝手に交易いたし候得は、其國之もの、世界中之儀を悉く心得候様相成申候、

 一農作は、國中第一之業に候得共、國內之もの悉農作いたし候様には相成不申、其內には、職人も產業いたし候ものも有之、互に助合候儀に有之候、

 一國々にては、他國之方細工も奇麗にて、價も安き品も數多御座候、

 一國用より多出來いたし候品は、外國え相渡、其國に無之產物は、他邦より運入候儀に有之候、

 一夫故諸國と交易致し候得は、造り出し候品も多く相成、且は外國之品物も、自由に得候儀も出來いたし候、

 一自己に製不申品々も、容易に被得候は、交易に有之候、

 一交易は、互之辨利之爲、懇切之意よりいたし候事故、交易をいたし候得は、戰爭を避候様自然相成申候、

 一他邦より產物運入候節は、其租稅は必差出し申候、亞墨利加にては、右租稅を以て、國內之費用を償ひ、尙餘りは、年々寳藏え納置候事に御座候、

 一租稅之法種々有之候得共、先他邦より輸入致し候もの之稅より十分なるものは無之候、

 一交易之格別貴き儀は、尙繰返し可申上候、

 一國々之懇切は、交易よりと申上候は、交易いたし候得は、漸々睦く相成候儀に御座候、

 一私儀、日本え參り掛、シヤムえ罷越、條約相結申候、其後右振合を以、同國佛蘭西と條約相結候、右亞墨利加佛蘭西と條約相結候趣意は、兼て英吉利シヤムを奪候心組相見候故、其横領を防き候爲之儀に御坐候、

 一東印度は、只今一圓英吉利之所領と相成候得共、元來は數个國に分れ居候處、何れも西洋と條約不取結故、遂英國に一統被致候、右英國より被攻候砌、條約相結候與國等、助候もの無之故、容易に被攻取申候、

 一他邦と條約不取結、一本立之國之損なる儀、諸方において、右より別て心附申候、

 一故に日本於ても、東印度之振合を以、得と御勘考有之候様奉存候、

 一日本も交易御開相成候はゝ、御國之船印、諸州之港々にて見知候様相成可申候、

 一高山に格別眼力之宜人登り見候はゝ、亞墨利加洲之鯨漁船數百艘、日本國之周りに寄合、鯨漁いたし候儀相見可申候、自國にて難致業にも無之處、絕て不問、他國之ものに而己利を被得候段、笑止之事に御座候、

 一大統領より、亞墨利加にて心得居候儀は、何成共御傳申候様申付候、

 一軍船蒸氣船其外何様之軍器にても、御入用之品は、持渡候様可致、海軍之士官陸軍之士官步軍之士官幾百人成とも、御用に候はゝ、差出可申候、

 一大統領願には、西洋各國と、若確執等有之候節は、格別大切之取扱媒に被立置候様、兼て申唱心掛罷在候、

 一先亜墨利加國と條約御結被成候はゝ、外國々も右を踰へ望候儀は、決て有之間敷、右之廉則媒に相立候印に御座候、

 一私儀、日本え渡來いたし候節、於香港、英吉利之惣督シヨン、ボウリングに面會いたし候處、日本えの使節被申付候由、內々話聞候、其後御國に參り候てより、書翰四通差越申候、

 一勿論右面會は、私に出會候儀に御座候、右差越候書翰中、日本政府え係り候事認有之候、

 一右之內、日本え渡來之節は、日本人之是迄不及見程之軍船を率ひ、江戶表え罷出、御談判仕候心得之由に御座候、

 一江戶より外に可罷越處無之よし申越候、

 一右願之一は、ミニストル、アゲント之官人を、都府に留置候儀、第二は、日本數个所え、英船參、自國之品を賖候通勝手次第に、日本之品物を買調候様いたし度心願に有之、若右之願成就不致候はゝ、直に干戈に及ひ候心組之よし、尤唐國之爭戰にて、渡來いたし候期遲延いたし候よし申越候、

 一㝡前同人之見込にては、當三月、江戶に參り候筈に有之候、全唐國之戰爭故、延引およひ候事と奉存候、

 一佛蘭西も、同様に付、參り候節は、一同に可罷越候、

 一當時之處にては、㝡前より船數相殖候事に可有之候、

 一終り之書翰に申越候趣にては、蒸氣船計五拾艘餘に可致よしに候、

 一餘事には無之、唐國之戦爭故、遲延に及ひ候事に候、左も無之候はゝ、疾に参り候事に可有之候、

 一唐國戰爭相止み候はゝ、直様参候段、聊相違無之候、

 一格別上智之もの申候得には、今般唐國之戰、永くは相堪へ候儀、迚も出來申間敷よし、左候得は、無程御當地え参り可申候、

 一乍憚御手前様御同列樣御談判之上、其節之御取扱方等、御治定被成置候様奉存候、私考候處にては、交易條約御取結之外は、御扱方も有之間敷と奉存候、

 一少し模様相替り候交易條約は、早速にも御治定相成候事と奉存候、

 一私名前にて、東方に罷在候英吉利佛蘭西之高官え、書狀差遣し、日本政府に於て、交易條約御取結相成、尙外國えも、一般に御免許相成候筈之趣、申達候はゝ、五拾艘之蒸氣船も、一艘又は二三艘にて、事濟候様相成可申候、

 一今日は、大統領之存寄、並兼て申立置候英國政府之內存等、內々申上候儀に御座候、

 一今日は、私一世中之幸之日に御座候、

 一今日申上候儀、御取用相成、日本安全之御媒と相成候はゝ、無此上幸之儀に御座候、

 一右之趣、得と御勘考被成下、御同列様えも御申傳、御談判被遊候様仕度候、

一申聞候儀は、是迄に候哉、

 一是限に御座候、

一段々被申聞候趣、得と勘辨可及挨拶候、

 一只今申上候儀は、世界中之誠にて、一切取飾等無御座候、

右之通御座候、以上

巳十月

(幕末外國闘係文書之十八)