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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 天津條約(天津条約)(1858年6月26日調印)

[場所] 天津
[年月日] 1858年6月26日
[出典] 支那及び満州關係條約及公文集,外交時報社編,250-260頁.
[備考] 
[全文]

   千八百五十八年六月二十六日天津ニ於テ調印、千八百六十年十月二十四日北京ニ於テ批准書交換

大不列顚愛蘭聯合王國女皇陛下及淸國皇帝陛下ハ兩國間ニ存スル誤解ヲ止メ將來兩國ノ關係ヲ一層滿足ナル基礎ニ置カムコトヲ希望シテ兩國間ノ現行條約ヲ改正改善スルニ決シ之カ爲

大不列顚愛蘭女皇陛下ハ

  聯合王國貴族最古最貴「シツスル」勲位伯爵「エルジン、エンド、キンカーデイン」ヲ

淸國皇帝陛下ハ

  東閣大學士正白旗滿洲都統總理刑部事務桂良及

經莚講官吏部尙書鑲藍旗漢軍都統稽査會同四譚官花沙納ヲ

夫々其ノ全權委員ニ任命セリ

各全權委員ハ互ニ全權委任狀ヲ示シ其ノ良好妥當ナルヲ認メタル後左ノ諸條ヲ協定締結セリ

第一條 千八百四十二年八月二十九日江寧(南京)ニ於テ署名セル兩國間ノ和親條約ハ茲ニ更新確認セラルルモノトス追加條約及通商章程ハ之ヲ改正改善シ其ノ規定ノ實質ヲ本條約中ニ網羅シタルヲ以テ前記追加條約及通商章程ハ茲ニ之ヲ廢棄ス

第二條 大不列顚女皇陛下及淸國皇帝陛下ハ將來ノ調和ヲ一層良好ニ保全セムカ爲和親大國ノ一般慣行ニ從ヒ女皇陛下ノ適宜ト認ムルトキハ大使、公使其ノ他ノ外交官ヲ北京朝廷ニ任命シ得ヘク又淸國皇帝陛下モ同樣ニ其ノ適宜ト認ムルトキハ大使、公使其ノ他ノ外交官ヲ聖「ジエームス」朝廷ニ任命シ得ヘキコトヲ互ニ約ス

第三條 淸國皇帝陛下ハ大不列顚女皇陛下ノ任命セル大使、公使其ノ他ノ外交官カ英國政府ノ意思ニ從ヒ其ノ家族及從者ト共ニ首府ニ常住シ又ハ隨時首府ニ來往シ得ヘキコトヲ約ス右ノ者ハ淸國ノ君主ト同樣ノ地位ニアル獨立國ノ君主ヲ代表スルモノナルヲ以テ其ノ尊嚴ヲ毀損スルカ如キ儀式ヲ行ハシメラルルコトナカルヘシ又他方ニ於テ右ノ者ハ女皇陛下ノ大使、公使又ハ外交官カ獨立且同樣ナル歐洲諸國ノ君主ニ對シテ行フト同一形式ノ儀禮ヲ淸國皇帝陛下ニ致スヘシ

 尙女皇陛下ノ政府ハ女皇陛下ノ使節ヲ收容スル爲北京ニ建物敷地ヲ取得シ又ハ家屋ヲ借入ルルコトヲ得ヘク淸國政府ハ之ヲ援助スヘシ

 女皇陛下ノ代表者ハ自己ノ僕婢從者ヲ選擇スルノ自由ヲ有シ其ノ僕婢從者ハ如何ナル障礙ヲモ受ケサルヘシ

 女皇陛下ノ代表者又ハ其ノ家族從者ニ對シ動作又ハ言語ニ於テ不敬又ハ暴戾ノ所爲アリタル者ハ何人ト雖之ヲ嚴重ニ處罰スヘシ

第四條 女皇陛下ノ代表者ノ自由行動ニ對シ防害又ハ故障ヲ加フヘカラス又右ノ者及其ノ一行中ノ何人モ隨意ニ來往旅行シ得ヘシ加之右ノ者ハ其ノ欲スル所ニ從ヒ海岸ノ何レノ地點ニ由リテモ其ノ信書ヲ發受スヘキ充分ナル自由ヲ有スヘク且該書狀及附屬物件ハ之ヲ神聖不可侵トス右ノ者ハ其ノ書狀傳送ノ爲特別傳達使ヲ用フルコトヲ得ヘク該傳達使ハ其ノ旅行ニ付淸國政府ノ爲公信ヲ送達スルニ使用セラルル者ト同樣ノ保護及便宜ヲ與ヘラルヘシ又一般ニ右ノ者ハ泰西諸國ノ慣例又ハ承認ニ依リ同階級ノ官吏ニ與ヘラルルト同一ノ特權ヲ享有スヘシ

 大不列顚國ノ外交使節ニ關スル一切ノ經費ハ英國政府ノ負據タルヘシ

第五條 淸國皇帝陛下ハ女皇陛下ノ大使、公使其ノ他ノ外交官ト全然同樣ノ基礎ニ於テ面接又ハ書面ニ依リ相共ニ事務ヲ處理セシムヘキ大官ヲ內閣大學士又ハ尙書中ノ一員ヨリ任命スルコトヲ約ス

第六條 大不列顚國女皇陛下ハ女皇陛下ノ朝廷ニ派遣セラレタル淸國皇帝ノ大使、公使又ハ外交官カ其ノ版圖內ニ於テ右確保セラレタル特權ヲ享有スヘキコトヲ約ス

第七條 女皇陛下ハ淸國皇帝ノ版圖內ニ一名又ハ數名ノ領事ヲ任命スルコトヲ得右領事ハ女皇陛下カ英國通商上必要ト認ムル淸國開港場ノ何レタリトモ之ニ駐在スルノ自由ヲ有スヘシ右ノ者ハ淸國官憲ヨリ相當ノ敬意ヲ以テ待遇セラルヘク且最惠國領事官ト同一ノ特權及免除ヲ享有スヘシ

 領事及領事代理タル副領事ハ道臺ト同格タルヘク副領事、副領事代理及通譯官ハ知府ト同格タルヘシ右ノ者ハ公務上ノ機宜ニ應シ全然同等ノ基礎ニ於テ面接又ハ書面ニ依リ此等官吏ノ官署ト交通スルコトヲ得ヘシ

第八條 基督敎ハ新敎徒又ハ羅馬加特力敎徒ノ何レノ信仰スル所タルヲ問ハス共ニ德義ノ實行ヲ奬メ己ノ欲スル所ヲ他ニ施スヘキヲ人ニ敎フルモノナリ從テ其ノ宣敎者又ハ信仰者ハ淸國官憲ノ保護ヲ受クルノ權利ヲ有ス又平穩ニ其ノ職分ニ從事シ法律ニ違反セサル者ハ迫害又ハ干渉ヲ受クヘキモノニ非ス

第九條 英國臣民ハ娯樂ノ爲又ハ商業上ノ目的ノ爲英國領事ノ發給シ且地方官憲ノ副署セル旅劵ヲ以テ內地ノ何處ニモ旅行スルコトヲ茲ニ許容セラル此等ノ旅劵ハ請求アルトキハ通過セル地方ニ於テ檢閲ヲ受クル爲提出スルコトヲ要ス旅劵ニ反則ノ點ナキ場合ハ所持人ハ進行ヲ許サルヘク又其ノ荷物又ハ商品ノ運搬ノ爲人夫ヲ雇入レ又ハ船舶ヲ借入ルルニ對シ何等故障ヲ加フルコトナカルヘシ

 旅客ニシテ旅劵ナキカ又ハ法律違反ノ廉アリタルトキハ處罰ノ爲之ヲ最寄領事ニ引渡スヘシ但シ必要ナル拘束以上ノ虐待ヲ受ケシムヘカラス開港場ヨリ里程百里ヲ超エス且期間五日ヲ過キサル小旅行ヲ爲ス者ニ付テハ旅劵ヲ要セス

 本條ノ規定ハ船員ニ適用セス船員ニ對スル適宜ナル拘束ニ付テハ領事及地方官憲ニ依リ之カ規制ヲ設クヘシ

 政府敵對者ニ依リ擾亂セラレタル南京其ノ他ノ都市ニ付テハ其ノ恢復セラルル迄ハ旅劵ヲ交付セス

第十條 英國商船ハ長江(揚子江)ニ於テ貿易ヲ爲スコトヲ得ヘシ尤モ長江一帶ハ匪徒ノ爲ニ擾亂セラレ一港モ現ニ貿易ノ爲ニ開放セラルルモノナシ但シ鎭江ハ本條約署名ノ日ヨリ一年內ニ開放セラルヘキモノトス

 平和ノ恢復セラルルヤ否ヤ英國船舶ハ又漢口ノ如キ上流ノ港ニ於テ貿易スルコトヲ許サルヘシ但シ其ノ港ノ數ハ三箇所ヲ超エサルヘク又英國公使カ淸國內閣大學士ト協議ノ上貨物揚卸ノ港タルコトヲ定メタルモノトス

第十一條 江寧(南京)條約ニ於テ開放セラレタル廣東、厦門、福州、寧波、上海ノ市邑ニ加フルニ英國臣民ハ牛莊、登州、臺灣、潮州(汕頭)及瓊州(海南)ノ市邑及港ニ來往スルコトヲ得ヘシ右ノ者ハ隨意ニ何人トモ交易シ又其ノ船舶ト貨物トヲ以テ自由ニ來往スルコトヲ許容セラル

 右ノ者ハ前記市邑及港ニ於テモ己ニ貿易ノ爲開放セラレタル港ニ於テ享有スルト同一ノ特權、利益及免除ヲ享有スヘク其ノ中ニハ居住ノ權利、家屋買入又ハ貸借ノ權利、敷地借入ノ權利竝寺院、病院及墓地建設ノ特權ヲ含ムモノトス

第十二條 港其ノ他ノ場所ニ於テ家屋、倉庫、寺院、病院又ハ埋葬地ヲ建築又ハ開設セムト欲スル英國臣民ハ人民間ニ行ハルル割合ニ從ヒ衡平ニ且何レノ側ニ對シテモ苛酷ト爲ラサル樣所要土地又ハ建物ニ付テノ栔約ヲ爲スヘシ

第十三條 淸國政府ハ英國臣民カ法律上ノ規定ニ從ヒ淸國臣民ヲ使役スルニ對シ何等ノ制限ヲ加へサルヘシ

第十四條 英國臣民ハ貨物又ハ旅客ノ運送ノ爲隨意ノ小船ヲ借入ルルコトヲ得此等ノ小船ニ支拂フヘキ金額ハ當事者間ニテ之ヲ決定スヘク淸國政府ノ干渉ヲ受ケサルモノトス此等ノ小船ノ數ハ制限セラレサルヘク又小船又ハ荷物運搬ノ人夫ニ關スル獨占權ハ何者ニ對シテモ許與セラレサルヘシ右ノ者等ノ間ニ密輸入ノ行ハルルトキハ犯罪者ハ勿論法律ニ從ヒテ處罰セラルヘシ

第十五條 英國臣民間ニ起リタル財產上又ハ身分上ノ權利ニ關スル一切ノ問題ハ英國官憲ノ裁判管轄ニ屬スヘシ

第十六條 英國臣民ニ對シ刑法上ノ罪ヲ犯シタル淸國臣民ハ淸國法律ニ從ヒ淸國官憲之ヲ逮捕處罰スヘシ

 淸國ニ於テ罪ヲ犯シタル英國臣民ハ大不列顚國法律ニ從ヒ領事其ノ他當該權限ヲ有スル官吏之ヲ審問處罰スヘシ 

第十七條 淸國人ヲ訴フヘキ權利ヲ有スル英國臣民ハ領事館ニ赴キテ其ノ被害ヲ陳述スヘシ領事ハ事件ノ眞相ヲ訊問シ和解ノ處置ヲ取ル樣盡力スヘシ同樣ニ淸國人カ英國臣民ヲ訴フヘキ理由ヲ有スル場合ニ於テモ領事ハ等シク其ノ訴ヲ聞キ和解セシムル樣力ムヘシ爭論カ領事之ヲ和解セシムルコト能ハサル如キ性質ノモノナルトキハ領事ハ淸國官吏ノ援助ヲ請ヒ相共ニ事件ノ眞相ヲ調査シ衡平ニ之ヲ決スヘシ

第十八條 淸國官憲ハ英國臣民ノ身體及財產カ侮辱又ハ暴行ヲ被リタル場合常ニ之ニ對シ充分ナル保護ヲ與フヘシ放火又ハ盗難ノ場合ニハ地方官ハ直ニ盗難物件ノ回復、騒擾ノ鎭定及犯罪者ノ逮捕ニ必要ナル處置ヲ執ルヘク犯罪者ハ法律ニ從テ之ヲ處罰スヘシ

第十九條 英國商船カ淸國領水內ニアル際盗賊又ハ海賊ニ掠奪セラレタル場合ニ於テハ淸國官憲ハ該盗賊又ハ海賊ヲ逮捕處罰シ且盗難物件ヲ回復スル爲一切ノ手段ヲ盡スノ義務ヲ負フヘク回復セラレタル盗難物件ハ所有者ニ返還スル爲之ヲ領事ニ引渡スヘシ

第二十條 英國船舶カ淸國海岸ニ於テ難破若ハ坐礁シ又ハ淸國皇帝版圖內ノ港ニ避難スルノ己ムヲ得サルニ至レル場合ハ何時タリトモ淸國官憲ハ該事實ヲ知得スルヤ否ヤ直ニ其ノ救助安全ノ方法ヲ執ルヘシ船中ノ人々ハ懇切ナル取扱ヲ受クヘキモノトシ且必要アルトキハ最寄領事所在地ヘノ輸送ノ便宜ヲ供與セラルヘシ

第二十一條 淸國臣民タル犯罪人カ香港又ハ香港碇泊ノ英國船中ニ逃レタルトキハ右犯罪人ハ淸國官憲ノ敵當ナル請求ニ基キテ捜索セラルヘク且其ノ罪ノ證明ヲ得タル上之ヲ引渡スヘシ 

 同樣ニ淸國人タル犯罪人カ開港場ニ於ケル英國臣民ノ家屋又ハ船舶中ニ逃亡シタルトキハ右犯罪人ハ庇護又ハ隱蔽セラルルコトナク英國領事ニ對スル淸國官憲ノ適當ナル請求ニ基キ之ヲ引渡スヘシ

第二十二條 淸國人ニシテ英國臣民ニ對スル負債ヲ償却セス又ハ僞リテ失踪シタルトキハ淸國官憲ハ右ノ者ヲ逮捕シ負債ノ償却ヲ强制スルニ全力ヲ盡スヘシ英國官憲モ亦等シク英國臣民ニシテ僞リテ其ノ踪跡ヲ晦シ又ハ淸國人ニ對スル負債ヲ償却セサルトキ之ヲ處分スルニ全力ヲ盡スヘシ

第二十三條 貿易ノ爲香港ニ赴ケル淸國人ニシテ同地ニ於テ負債ヲ爲シタルトキハ右負債ノ償却ハ同地ニ於ケル英國裁判所之ヲ處理スヘキモノトス但シ淸國人ノ債務者カ失踪シ且右ノ者カ淸國領土內ニ不動產又ハ動產ヲ有スルコト判明セルトキハ淸國官憲ハ英國領事ノ請求ニ基キ之ト協同シテ當事者間ニ正當ノ處置ヲ執ルニ全力ヲ盡スノ義務アルモノトス

第二十四條 英國臣民ハ其ノ輸入又ハ輸出セル一切ノ商品ニ付稅率表ニ定ムル稅金ヲ支拂フヘキモノトス尤モ如何ナル場合ニ於テモ他ノ外國臣民カ要求セラルル以外又ハ以上ノ稅金ヲ支拂ハシメラルルコトナカルヘシ

第二十五條 輸入稅ハ貨物陸揚ノ際ニ之ヲ支拂フヘク又輸出稅ハ貨物船積ノ際ニ支拂フヘキモノトス

第二十六條 南京條約第十條ニ依リ定メラレ且輸出入品ニ付從價約五分ノ稅金ヲ課スル樣見積ラレシ稅率表ハ爾來該條約中ニ列擧セル物品ノ價格低落シタル爲右諸物品ニ課セラルル稅金カ當初ノ見積ヲ甚シク超過スルニ至レルコト判明シタルニ因リ前記稅率表ハ之ヲ修正スルコトト爲リ本條約署名後直ニ戶部大臣ヲ上海ニ派遣シ英國政府ノ派遣スル代表者ト共ニ其ノ修正ヲ互ニ協議セシムル樣淸國皇帝ニ奏請スヘキモノトス但シ修正稅率ハ本條約批准後直ニ其ノ效力ヲ發生スヘシ

第二十七條 各締約國ハ十箇年ヲ超過シタル後新定稅率及本條約通商條項ノ改正ヲ要求スルコトヲ得ヘシ然レトモ最初ノ十箇年ノ滿了後六箇月以內ニ雙方ニ右要求ヲ爲ササルトキハ稅率ハ前十箇年滿了ノ時ヨリ起算シテ尙十箇年間其ノ效力ヲ有スヘシ爾後十箇年滿了ノ時每ニ付總テ右同斷トス

第二十八條 南京條約第十條ニ依リ關稅納付濟ノ英國輸入品ハ通過稅ノ外ニ何等ノ課稅ナクシテ內地ニ運送セラルヘク通過稅ノ額ハ關稅額ニ對シ一定ノ割合ニ超過スヘカラサルコトヲ定メタルニ因リ又其ノ稅額ニ付精密ナル通知ヲ受ケサリシ爲英國商人ハ地方官憲カ外國市場ニ仕向ケラルル生產物及淸國內地ニ仕向ケラルル輸入品ニ對シ通過稅トシテ突然且專斷的ニ課稅シ貿易上ノ損害ヲ生セシムル旨ヲ訴へ居リシニ因リ現在英國貿易ノ爲開放セル一切ノ港ニ於テ本條約署名後四箇月以內ニ(今後開放セラルヘキ一切ノ港口ニ於テモ同期間內ニ)收稅監督官ハ領事ノ請求ニ基キ生產地及船積港間ノ生產物竝貿易港及領事指定ノ內地市場間ノ輸入品ニ課スヘキ稅額ヲ聲明スルコトヲ要ス且右ニ關スル布告ハ英文及支那文ニテ一般ニ公示セラルヘシ

 尤モ英國臣民ニシテ內地ニテ購求セル生產物ヲ港ニ運送シ又ハ輸入品ヲ港ヨリ內地市場ニ運送セムトスル際一時ニ稅金ヲ納付シテ其ノ貨物ニ付一切ノ通過稅ノ煩ヲ免レムト欲スルトキハ其ノ隨意タルヘシ此ノ場合ノ課稅額ハ輸出品ニ付テハ物品ノ通過スル最初ノ徴稅所(常關)ニ之ヲ納ムヘク輸入品ニ付テハ其ノ陸揚港ニ於テ之ヲ納ムヘシ右納付ノ際證明書ヲ交付シ之ニ依リ他ノ一切ノ內地稅ヲ免除スヘシ右課稅額ハ能フ限リ從價二分五厘ノ割合ニ近カラシムル樣之ヲ計算スヘシ且關稅率改正ノ爲上海ニ開カルヘキ協議ニ於テ各品目每ニ之ヲ決定スヘシ

 一時拂タルト否トヲ問ハス通過稅ノ支拂ハ輸出入海關稅ニ何等ノ影響ヲ及ササルヘク海關稅ハ從來ノ通箇別的ニ及全部的ニ賦課セラルヘシ

第二十九條 英國商船ニシテ積載量百五十噸ヲ超ユルモノハ一噸每ニ鈔銀四錢ノ噸稅ヲ課スヘク百五十噸以下ノモノハ一噸每ニ鈔銀一錢ヲ課スヘシ

 凡ソ船舶ニシテ淸國ノ或開港場ヨリ他ノ開港場又ハ香港ニ出帆セムトスルトキハ船主ノ請求ニ依リ稅關ヨリ特別證明書ヲ受クルノ權利ヲ有ス該證明書ヲ示ストキハ其ノ出帆ノ日ヨリ起算シテ四箇月間ハ淸國各開港場ニ於テ噸稅ヲ納ムルコトヲ免除セラルルモノトス

第三十條 英國商船ノ船主ハ該船舶到着後四十八時間內ニ限リ荷卸ヲ爲サスシテ其ノ儘出港スルコトヲ得其ノ場合ニ於テハ噸稅ヲ納ムルヲ要セス然レトモ右四十八時間經過後ハ噸稅納付ノ義務ヲ生スルモノトス但シ入港又ハ出帆ニ關シ其ノ他ノ手數料又ハ課金ヲ徵收セラルルコトナカルヘシ

第三十一條 英國臣民カ各開港場間ニ旅客手荷物、信書、食料品其ノ他ノ免除品ノ運搬ニ使用スル端艇ハ噸稅ヲ納付スルノ要ナシ然レトモ課稅セラルヘキ物品ヲ運搬スル荷物船ハ六箇月每ニ一回噸稅ヲ支拂フヘシ其ノ割合ハ一登錄噸ニ付鈔銀四錢トス

第三十二條 領事及稅關監督官ハ必要ト認ムル場合ニハ航路標識又ハ燈臺ノ設置竝浮標及燈船ノ配置ニ關シ會同協議スヘシ

第三十三條 稅金ハ千八百四十三年七月十三日廣東ニ於テ定メラレタル品位率ニ從ヒ紋銀又ハ外國貨幣ヲ以テ淸國政府ヨリ受取方ヲ認可セラレタル銀行業者ニ之ヲ支拂フヘシ

第三十四條 戶部ヨリ廣東稅關ニ發給セル基本器ニ從ヒテ準備セル度量衡ノ基本器ヲ稅關監督官ヨリ各港ノ領事ニ交付シテ統一ヲ保チ混亂ヲ防クヘシ

第三十五條 英國商船カ開港場二到着シタル際ハ港內ニ入ラムカ爲水先案內者ヲ雇フノ自由ヲ有ス同樣ニ一切ノ正規稅金ノ納付ヲ了シ出港ノ用意ヲ爲セル際モ港外ニ導カムカ爲水先案內ヲ選擇スルコトヲ得

第三十六條 英國商船カ開港場ノ港外ニ到着スルトキハ稅關監督官ハ一名又ハ數名ノ官吏ヲ派シテ之ヲ看守セシムヘシ該官吏ハ自己ノ便宜ニ從ヒ自己ノ小船中ニ居リ又ハ英國商船中ニ留マルモノトス其ノ食糧及經費ハ稅關ヨリ之ヲ供給スヘク又船主又ハ受託者ヨリ如何ナル報酬ヲモ受クヘカラス右ノ規定ヲ犯シタルトキハ收歛ノ額ニ應シテ之ヲ罰スヘシ

第三十七條 入港後二十四時間內ニ船簿及船積證書ヲ領事ニ差出スヘシ領事ハ其ノ後二十四時間內ニ船名、登錄噸數及積荷ノ性質ヲ稅關監督官ニ通知スヘシ船主方ノ怠慢ニヨリ入港後四十八時間內ニ上述ノ規制ヲ遵行セサルトキハ船主ハ遲滯一日每ニ五十兩ノ過料ヲ納ムヘシ尤モ過料總額ハ二百兩ヲ超ユヘカラサルモノトス船主ハ積荷目録ノ正確ナルコトニ付責任ヲ負フモノトス右目録ハ船內載貨ノ細目ニ付充分且眞實ニ記載スヘシ虚僞ノ目録ヲ差出ストキハ船主ハ五百兩ノ過料ニ處セラルヘシ尤モ稅關吏ニ渡シタル後二十四時間內ニ該目録中ニ誤診アルコトヲ發見シタルトキハ過料ヲ出サスシテ之ヲ修正スルコトヲ得

第三十八條 稅關監督官ハ領事ヨリ正式ノ通知ニ接シタル後船舶ニ對シ船艙ヲ開クヘキ許可ヲ與フヘシ船主ニシテ右許可ナクシテ船艙ヲ開キ荷卸ヲ始ムルトキハ五百兩ノ過料ニ處セラルヘク且卸シタル荷物ハ悉ク之ヲ沒收スヘシ

第三十九條 英國商人荷物ヲ陸揚若クハ船積セムトスルトキハ稅關監督官ノ特別ノ許可ヲ受クヘシ右許可ナクシテ陸揚又ハ船積シタル荷物ハ沒收セラルルコトアルヘシ

第四十條 特別ノ許可ナクシテハ一船ヨリ他船ニ貨物積換ヲナスコトヲ得ス右不法積換ヲ爲シタル貨物ハ之ヲ沒收スヘシ

第四十一條 稅關監督官ハ一切ノ稅金納付濟ト爲リタルトキハ出港免狀ヲ交付スヘク然ル後領事ハ船舶解纜ノ爲ニ船簿ヲ返付スヘシ

第四十二條 稅率ニ依リ從價稅ヲ課セラルヘキ物品ニ關シ英國商人カ淸國官吏ト其ノ評價上意見合ハサルトキハ雙方共ニ商人兩三名ヲ呼來リテ當該物品ヲ閲覧セシメ此等ノ商人カ買求メムト欲スル最高價格ヲ以テ其ノ物品ノ價格ト看做スヘシ

第四十三條 稅金ハ各物品ノ正味重量ニ付之ヲ課稅スヘク其ノ風袋及包装量ヲ控除スヘシ或物品例へハ茶ノ風袋ヲ決定スルニ當リ英國商人カ稅關吏ト意見合ハサルトキハ雙方共ニ每日凾中ヨリ若干凾宛ヲ撰ミ之ヲ先ツ風袋共ニ衡リ後ニ其ノ風袋ノミヲ衡リ右若干凾ノ風袋ノ平均量ヲ以テ全部各風袋ノ重量ト看做スヘク此ノ原則ニ依リ他ノ一切ノ品物及荷物ノ風袋ヲ決定スヘシ尙決定セサル他ノ論點アルトキハ英國商人ハ其ノ領事ニ訴フヘシ領事ハ公平ニ之ヲ處置スル爲事件ノ詳細ニ付稅關監督官ト協議スヘシ但シ右ノ訴ハ二十四時間以內タルヘク然ラサレハ之ヲ受理セサルヘシ論點ノ決定セサル間ハ稅關監督官ハ其ノ帳簿ニ當該物品ヲ記入スルコトヲ見合ハスヘシ

第四十四條 毀損セル物品ニ對シテハ毀損程度ニ應シテ稅金ノ公平ナル低減ヲ爲スコトヲ得之ニ關シテ爭論ヲ生シタルトキハ從價稅ヲ納ムヘキ物品ニ關スル本條約條項所定ノ方法ニ依リ之ヲ決定スヘシ

第四十五條 英國商人開港場ニ商品ヲ輸入シ既ニ其ノ稅金ヲ納メ更ニ同一物ヲ再輸出セムト欲スルトキハ稅關監督官ニ之ヲ願出ツルコトヲ得ヘク稅關監督官ハ關稅ノ逋脫ヲ防ク爲適當ノ官吏ヲシテ之ヲ檢査セシメ稅關帳簿ニ記入セラレタル該物品ニ對スル納稅額カ商人ノ陳述ト一致シ且該物品カ當初ノ記號ヲ其ノ儘ニ存スルヤ否ヤヲ見ルヘシ其ノ後該物品出港免狀及納稅額ノ覺書ヲ作リ之ヲ商人ニ交付シ且他ノ開港場ノ稅關官吏ニ其ノ事實ヲ證明スヘシ

 右一切ノ手續ヲ了シタル後該物品ヲ積載セル船舶ノ入港ニ際シ檢査ノ上萬事符合スルトキハ船艙ヲ開キ更ニ稅ヲ納ムルヲ要セスシテ前記物品ヲ陸揚スルコトヲ許サルヘシ然レトモ右檢査ノ際稅關監督官カ關稅ノ逋脫アルコトヲ發見シタルトキハ該物品ハ淸國政府之ヲ沒收スヘシ

 英國商人カ納稅濟ノ輸入品ヲ外國ニ再輸出セムトスルトキハ淸國內ノ他港ニ再輸出ノ場合ト同一ノ手續ヲ經テ引戾免狀ヲ受取ルヘシ該免狀ハ輸出入稅納付ノ證トシテ稅關ニ差出スヘキモノナリ

 英國船舶ニテ淸國ノ一港ニ運送セラレタル外國穀物ハ其ノ陸揚セラレタルモノ皆無ナルトキハ故障ナク再輸出ヲ爲スコトヲ得

第四十六條 各港ニ於ケル淸國官憲ハ詐欺又ハ密輸入ニ因ル收入ノ損害ヲ防カムカ爲再適當ト認ムル方法ヲ執ルヘシ

第四十七條 英國商船ハ本條約ニ依リ開放ヲ宣言セラレタル貿易港以外ノ港ニ赴クヘカラス又不法ニ淸國ノ他港ニ入リ又ハ其ノ海岸ニ於テ穩密ニ貿易ヲ爲スヘカラス其ノ條項ニ違反スル船舶ハ其ノ載貨ト共ニ淸國政府之ヲ沒收スヘシ

第四十八條 英國商船カ密輸入ニ關係スルトキハ當該物品ハ價格又ハ性質ノ如何ヲ問ハス淸國政府ニ沒收セラルヘク船舶ハ爾後貿易ヲ禁セラレ其ノ淸算カ完了スルト同時ニ退去セシメラルヘシ

第四十九條 本條約ニ基キ執行セル過料金及沒收品ハ淸國政府ノ公務ニ使用セラルヘシ

第五十條 女皇陛下ノ外交官及領事官ヨリ淸國官憲ニ宛テ發スル公信ハ爾今總テ英文ヲ以テ認ムヘシ尤モ當分ノ間ハ支那文ノ飜譯ヲ添附スヘキモ英文及支那文ノ原本間ニ意味ノ相違アル場合ニハ英國政府ハ英文原本ノ示ス意味ヲ以テ眞義ト爲スモノトス

    本條項ハ現ニ協商セル條約ニ適用セラレ其ノ支那文原本ハ英文原本ニ依リ愼密ニ訂正ヲ經タリ

第五十一條 爾今英國女皇陛下ノ政府若クハ臣民ニ對シ首都又ハ地方ニ於ケル淸國官憲ノ發セル淸國公文書ニ於テ「夷」ノ文字ヲ使用セサルモノトス

第五十二條 英國軍艦敵意ナクシテ入港シ又ハ海賊追捕ニ從事スルトキハ淸國皇帝版圖內ノ何レノ港ヲ問ハス之ニ入港スルノ自由ヲ有シ又食糧購入、給水及必要ノ場合ニハ其ノ修繕ヲ爲ス爲充分ノ便宜ヲ受クヘシ右軍艦指揮官ト淸國官吏トノ應接ハ對等ノ禮式ヲ以テスヘシ

第五十三條 締約國ハ淸國近海ニ於ケル海賊ノ横行ニ依リ淸國人及外國人ノ通商上被レル損害ニ鑑ミ共同シテ其ノ鎭壓方法ヲ講スヘキコトヲ約ス

第五十四條 英國政府及臣民ハ從前ノ諸條約ニヨリ附與セラレタル一切ノ特權、免除及利益ヲ茲ニ確認セラル又英國政府及臣民ハ淸國皇帝陛下カ他國ノ政府又ハ臣民ニ對シ既ニ附與シ又ハ將來附與スヘキ一切ノ特權、免除及利益ニ付自由且平等ニ均霑スルコトヲ得ヘシ

第五十五條 大不列顚國女皇陛下ハ好意ヲ繼續セシムル希望ノ證トシテ廣東事變ニ基ケル費用及損失ニ對スル賠償條件ヲ本條約ノ條項ト全然同等ノ效力ヲ有スル特別條欵中ニ包含セシムルコトニ同意ス

第五十六條 大不列顚愛蘭聯合王國女皇陛下及淸國皇帝陛下ノ各自親署セル本條約批准書ハ署名ノ日ヨリ一箇年內ニ北京ニ於テ交換セラルヘシ

右證據トシテ雙方ノ全權委員ハ本條約ニ署名調印ス

基督紀元千八百五十八年六月二十六日即淸曆咸豊八年五月十六日天津ニ於テ本書ヲ作成ス

    エルジン、エンド、キンカーデイン(印)

    桂良(印)

    花沙納(印)

  附屬特別條欵

廣東ニ於ケル淸國官憲ノ失策ニ因リ英國臣民ノ被リタル損失ニ對シ二百萬兩ノ金額及女皇陛下カ賠償ヲ得且條約規定ノ遵守ヲ强制セムカ爲起スノ己ムヲ得サリシ遠征軍ノ經費ニ對シ更ニ二百萬兩ノ金額ヲ廣東省ノ官憲ヨリ淸國ニ於ケル女皇陛下ノ代表者ニ支拂フヘシ

右支拂ヲ爲スヘキ時期及方法ニ關スル必要ノ措置ハ女皇陛下ノ代表者ニ於テ廣東省ノ淸國官憲ト協議ノ上之ヲ決定スヘシ

前記ノ金額全部ノ支拂ヲ了シタル時ハ英國軍隊ハ廣東市ヨリ撤退スヘシ

基督紀元千八百五十八年六月二十六日即淸曆咸豊八年五月十六日天津ニ於テ本書ヲ作成ス

   (署名調印者同前)