[文書名] 下の關事件取極書(下関事件取極書)
元治元年甲子九月二十二日(千八百六十四年第十月二十二日)於横濱調印(日、英、蘭文)
同年(洋曆)十一月九日批准
長門周防の諸侯毛利大膳敵對を爲し大君にて條約面を眞實に取行ふ事難かるへき程の掛念ありしに因り大不利顚、佛蘭西、合衆國、及和蘭の目代外國船を打壤し且貿易を妨る爲に右大名にて打建たる臺場を破壤せん爲め同盟の船隊を無餘儀下の關の海路に送れり且又謀反の大名を罰する事大君政府の職務なれは條約各國貿易の損害と軍隊の諸雜費とを大君政府にて引受へきなれは下名の條約各國目代と大君政府の全權若年寄酒井飛驒守と千八百六十三年第六月以來毛利大膳條約各國の旗章へ對し敵對及ひ暴業を爲せしに付總ての苦情を纏めん事を欲し且同時に戰爭の償金並下の關に送りたる同盟軍隊の諸雜費等を聢と取極ん爲め次に載する四箇條を取極たり
第一
各國に拂ふへき高は三百萬ドルラルと取極たり右高の內に是迄長門の諸侯暴業を爲せしに付拂ふへき總ての償金も加へあるへし右は償金及ひ下の關を燒さる償金並各國同盟船隊の諸雜費を云へし
第二
右拂方の儀は各國目代より此取極書*1*の本書並各國政府よりの命令を受け大君政府に報告する日附より右總高を六割にして則五十萬ドルラル宛四季に(三箇月每に)拂ふへし
第三
然れ共右各國にて敢て金子を求る主意無けれ共日本と交際を厚くせんか爲なり雙方の利を尙充分に爲ん事を唯希望する所なれは大君殿下にて右償金の代りに損失並損害の償として若し下の關の港或は內海に在る貿易に適宜なる港を開んと欲する旨を申出る時は各國政府に於て其を承諾爲す歟或は償金*2*を金子にて受取るへき存意あらは前に取極る如くなるへし
第四
此取極書の日附より十五箇日の內に大君政府にて本書を取替すへし右證據として各國と日本の全權此取極書を英文蘭文及ひ和文に綴り各五通宛書記し調印せり右の內英文を原文とすへし
元治元年九月廿二日(西曆一千八百六十四年十月二十二日)
酒井飛驒守 花押
英國特派全權公使
ルゼルフォルト、アールコック 手記
佛國全權公使
レオン、ロセス 手記
米國辨理公使
ロベルト、エッチ、プライン 手記
和蘭總領事兼公使
ド、デ、ガラーフ、ファン、ポルスブルーク 手記
(附記)
米利堅合衆國政府ハ千八百八十三年(明治十六年)上下議院ノ決議ヲ以テ七十八萬五千弗八十七仙ヲ還賜セリ
*1* (一)「取極書ノ本書」トハ「批准」ヲ云フ
*2* (二)横文ニ據ルニ償金以下「或ハ償金ヲ金子ニテ受取ルヘキ歟各國政府ノ存意ニ任スヘシ」トノ意義ナリ