データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 外國との和親に關する諭吿(外国との和親に関する諭告)

[場所] 
[年月日] 1868年3月10日
[出典] 日本外交年表竝主要文書上巻,外務省,33‐34頁.
[備考] 
[全文]

 外國御應接の儀者上代崇神仲哀御兩朝之頃より年を逐而盛に成來り、遠邇之各國歸化貢獻有之、其後唐國とは常に使節相往來或は居留し其交際も亦自ら親敷候。

 此時に當り船艦之利未た開けす故に三韓四近と唐國而己、西洋各國之事は暫差置、印度地方尚明確ならす候、然るに近代に至り而者萬民所知之如く船艦之利航海之術其妙を窮め萬里之波濤比隣之如く相往來し、一時幕府之失措とは乍申皇國の政府に於て誓約有之候事は、時の得失に因て其條目は可被改候得共、其大體に至り候ては妄に否可動時萬國普通之公法にして、今更於朝延是を變革せられ候時は却て信義を海外各國に失はせられ、實以不容易大事に付、不被爲得止於幕府相定置侯條約を以御和親御取結に相成候既に先般御布令被爲在候上は皇國固有の御國體と萬國の公法とを御斟酌御採用に相成候者、是亦不被爲得止御事に候。仍而越前宰相以下建白之旨趣に基き、廣く百官諸藩之公議に依り、古今の得失と萬國交際之宜を折衷せられ、今般外國公使入京参朝被仰付候元來膺懲之擧は萬古不朽之公道にして、縱令和親を講するとも其曲直に依て各國不得止之師相起り候其例し不少付ては攻守の覺悟勿論之事に候得共、和親之事は於先朝既に開港被差許候に付、皇國と各國との和親爰に相始り居候處、其節は幕府え御委任之儀に付諸事交際之儀於幕府取扱來り候。然る處此度王政一新萬機從朝廷被仰出侯に付ては、各國交際之儀直に於朝廷御取扱に可相成者元より之御事に候。今や御初政之御時總而之事件は全く總裁始當職之責に有之候。何分某等不肖之身を以て大任を負荷し、非常多難之時に逢候上は深く恐懼思慮を加へ、天下之公論を以て及奏聞今般之事件御決定被爲在候。且國內未た定らす海外萬國交際之大事有之候得者、普天率濱協心戮力共に王事に勤労し、萬國交際を始萬機悉く既往將來を不論、無忌憚詳論極諫有之度、唯急務とする所は時勢に應し活眼を開き、從前の弊習を脫し、聖徳を萬國に光耀し天下を富岳之安に置き、列聖在天之神靈を可奉慰、上下擧て此趣意を可奉謹承候事

 二月十七日 太政官代

  三職

(附)

外國公使の參朝に關する布吿

  二月十七日(三月十日)

 先般外國御交際の儀叡慮の旨被仰出候に付ては、萬國普通の次第を以各國公使等御取扱被爲在候。然る處此度御親征被仰出不日御出輦被爲遊候に付ては、御餘日も無之御事に付、各國公使急に参朝被仰付候に付、此段可相達被仰出候事。