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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 五榜の掲示

[場所] 
[年月日] 1868年3月15日
[出典] 太政官
[備考] 明治元年3月15日
[全文]

第一札

 定

一 人たるもの五倫の道を正しくすへき事

一 鰥寡孤獨癈疾のものを憫むへき事

一 人を殺し家を焼き戝を盗む等の悪業あるましく事

 慶応四年三月 太政官


第二札

 定

何事によらすよろしからさる事に大勢申合せ候をととうととなへととうしてしひてねかひ事くわたつるをごうそといひあるひは申合せ居町居村をたちのき候をてうさんと申す堅く御法度たり若右類の儀これあらは早々其筋の役所へ申出へし御ほうひ下さるへく事

 慶応四年三月 太政官


第三札(青森県立郷土館蔵)

 定

一 きりしたん宗門の儀は堅く御制禁たり若不審なる者有之は其筋之役所へ申出へし御ほうひ下さるへく事

 慶応四年三月 太政官

第三札(福井県文書館蔵)*1*

 定

一 切支丹宗門の儀は是迄御制禁の通固く可相守事

一 邪宗門の儀は固く禁止候事

 慶應四年三月 太政官


第四札

 覚

今般 王政御一新に付朝廷の御条理を追ひ外国御交際の儀被仰出諸事於朝廷直に御取扱被為成万国の公法を以条約御履行被為在候に付ては全国の人民叡旨を奉戴し心得違無之様被仰付候自今以後猥りに外国人を殺害し或は不心得の所業等いたし候ものは朝命に悖り御国難を醸成し候而巳ならす一旦御交際被仰出候各国に対し皇国の御威信も不相立次第甚以不届至極の儀に付其罪の軽重に随ひ士列のものと雖も削士籍至当の典刑に被処条銘々奉朝命猥りに暴行の所業無之様被仰出候事

 三月 太政官


第五札

 覚

王政御一新に付ては速に天下御平定万民安堵に至り諸民其所を得候様御煩慮被為在候に付此折柄天下浮浪の者有之候様にては不相済候自然今日の形勢を窺ひ猥に士民とも本国を脱走いたし候儀堅く被差留候万一脱国の者有之不埒の所業いたし候節は主宰の者落度たるへく候尤此御時節に付無上下皇国の御為又は主家の為筋等存込建言いたし候者は言路を開き公正の心を以て其旨趣を尽させ依願太政官代へも可申出被仰出候事

 但今後総て士奉公人不及申農商奉公人に至る迄相抱候節は出処篤と相糺し可申自然脱走の者抱へ不埒出来御厄害に立至り候節は其主人の落度たるへく候事

 三月 太政官


{*1* ウィキペディアによれば「4月4日改正」とある。

参考URL:ウィキペディア

http://ja.wikipedia.org/wiki/五榜の掲示(2015年5月29日現在)}