[文書名] 大日本國瑞典國條約書(日本國瑞典那耳囘國修好通商及ヒ航海條約,日本国瑞典那耳回国修好通商及び航海条約,日本・スウェーデン=ノルウェー修好通商航海条約)
明治元年戊辰九月二十七日(西曆千八百六十八年第十一月十一日)於神奈川調印(日、蘭文)
明治三年庚午閏十月二十八日批准
同年庚午十一月七日(西曆千八百七十年第十二月二十八日)於東京批准書交換
日本天皇ト
瑞典那耳囘ホーテン及ヒファンダーレンノ國王セー子マイシテート、カーレル、ベーデンガラーチーゴット、ト兩國ノ間ニ懇親ノ因ヲ結ヒ兩國ノ臣民ニ緊要ナル和親交易ノ條約ヲ結バン事ヲ決シ
日本天皇ハ其全權トシテ第二等官外國官副知事東久世中將第三等官外國官判事寺島陶藏井關齋右衞門ヲ任シ
瑞典那耳囘國王ハ、リッドル、デル、ヲルデ、ファン、デン、子ードルランドセンレーウー、コムマンデユル、ヱールステカラツセ、ダ子ブログヲルデ、ヲフイシール、デル、リヲポルドヲルデ、ファン、ベルギー、リッドル、テウヱーデカラツセ、デルコローンヲルデ、ファンプロイセン、日本在留和蘭國王殿下ノ、ミニストルレシデント、ジイルク、デ、ガラーフ、ファンポルスブルック、ニ命シ雙方其委任狀ヲ照應シ正實至適タルヲ檢査シ以テ左ノ條々ヲ合議決定セリ
第一條
日本代々ノ天皇ト
瑞典那耳囘代々ノ國王幷ニ兩國臣民ノ間ニ永久ノ平和無窮ノ懇親アルヘシ
第二條
日本天皇緊要ト鑑ミル事アラハ瑞典那耳囘ノ都府ストックホルムニ在留スヘキ公使(ヂプロマチーキアゲント)ヲ任シ又瑞典那耳囘國諸港ニ在留スヘキ領事官(コンシュライルベアムブテン)ヲ任スヘシ右日本ノ公使及ヒ總括領事官(コンシュルゼ子ラール)ハ故障ナク瑞典那耳囘ノ國內を旅行スヘシ
瑞典那耳囘國王緊要ト鑑ミル時モ
日本天皇ノ首都ニ在留スヘキ公使ヲ命シ又此條約ニテ瑞典那耳囘國人貿易ノ爲ニ開キタル日本ノ各港ニ在留スヘキ領事官ヲ命スヘシ右公使及ヒ總括領事官ハ故障ナク日本國內ヲ旅行スヘシ
第三條
神奈川長崎箱館兵庫大坂ノ港及ヒ市中ハ此條約施行ノ日ヨリ瑞典那耳囘臣民交易ノ爲ニ開クヘシ瑞典那耳囘臣民前條ノ港及ヒ市中ニ居住スル事ヲ許スヘシ其者等地所ヲ賃借シ又其地ニアル建物ヲ買ヒ且住宅倉庫ヲ建ル事ヲ許ストイヘトモ是ヲ建ルニ托シテ要害ノ堡砦ヲ營ムベカラス此規定ヲ守ル事ヲ證セン爲ニ其建物ヲ修補模樣替スルニ當リテ日本其掛リノ役人時々見分スル事當然タルベシ
瑞典那耳囘國ノ臣民居住スヘキ地所及ヒ建物ヲ營ムヘキ場所ハ其所ノ日本役人ト瑞典那耳囘領事官ニテ定ムヘシ各港規則ノ儀モ右同樣タルヘシ若シ日本役人及ヒ
瑞典那耳囘領事館ニテ取極メ難キ時ハ其事件ヲ日本政府ト瑞典那耳囘公使ノ處置ニ托スベシ
瑞典那耳囘國ノ臣民居住スヘキ場所ノ周圍ニハ日本人ノ方ニテ門柵ヲ設ル事ナク自由ノ出入ヲ妨クヘカラス瑞典那耳囘人無障遊步スヘキ規程ノ境界左ノ如シ
神奈川ニテハ川崎ト品川ノ間ニ在リテ江戸海灣ニ流レ落ル六鄕川筋ヲ限トシ其外ハ諸方十里トス
箱館ニテハ諸方十里トス
兵庫ニテハ京都ノ方ヲ除キ諸方十里
大坂ニテハ
一南ハ大和川ヲ界トシ舟橋村迄登リ夫ヨリ敎興寺村佐太迄横斷スルナリ
二界ノ市中ハ境外ナレトモ遊步ヲ許スベシ
三大坂ヨリ兵庫ノ往來道筋ハ京師ヲ距ル事十里外ト雖許スヘシ
都テ里數ハ各港裁判所ヨリ算スル陸路ノ程度ナリ
一里ハ佛蘭西尺ノ三千九百十メートルニ同シ
*1*長崎ニテハ其所ノ周圍ニアル御料所ヲ限トス
瑞典那耳囘人ノ內右界外ニ赴クモノハ日本政府ニテ取押領事官ニ引渡スヘシ領事官ハ右犯法ノ者相當ニ罰スベシ
第四條
日本ニ居留スル瑞典那耳囘人ハ自國ノ宗
旨ヲ自由ニ信仰シ且其居留地中ヘ宮社ヲ營ム事障リナシ
第五條
*2*日本ニアル瑞典那耳囘人ノ間ニ身上又ハ所持ノ品ニ就テ起ル爭論ハ都テ日本國在留瑞典那耳囘役人ノ裁斷タルベシ
瑞典那耳囘人日本人ニ對シ訟フベキ事アラバ其領事官ノ方ニ赴キ其旨ヲ訟フヘシ領事官ヨリ右訴訟ヲ差出セシ後裁判所役人吟味ノ上實意ニ處置スヘシ日本人ヨリ瑞典那耳囘人ニ對シテ訟フル事アラハ裁判所ニ赴キ其旨ヲ訟フヘシ裁判所役人ヨリ右訴訟ヲ差出シタル後領事官亦懇ニ相糺シ實意ニ處置スヘシ若シ裁判所役人又ハ領事官懇篤ニ處置シカタキ程ノ爭論起ル事アラバ裁判所役人及ヒ領事官倶ニ吟味ヲナシ正當ニ裁判スベシ若シ日本人瑞典那耳囘人ニ逋債アリテ償フ事ヲ怠リ又ハ僞計ヲ以遁レントスル時ハ日本役人盡力シテ正當ニ裁斷シ逋債ヲ償ハシムル事ヲ務ムヘシ瑞典那耳囘人逋債ヲ償フ事ヲ怠リ或ハ僞計ヲ以遁レントシ日本人ニ逋債ヲ償ハサル時ハ瑞典那耳囘領事官盡力シテ正當ニ處置シ逋債ヲ償ハシムル事同樣タルヘシ日本役人瑞典那耳囘領事官雙方共日本人或ハ瑞典那耳囘人ノ逋債ヲ引請償フ事ナシ
第六條
瑞典那耳囘人ニ對シ惡事ヲナセル日本人ハ日本役人ニテ糺明シ*3*日本法度ニ隨テ罰スヘシ
日本人或ハ外國人ニ對シ惡事ヲナセル瑞典那耳囘人ハ瑞典那耳囘領事官或ハ其威權アル瑞典那耳囘役人ニテ糺明シ瑞典那耳囘ノ法度ニ隨テ罰スヘシ裁斷ハ雙方共偏頗ナク正當ニ取捌クベシ
第七條
此條約及ヒコレニ添タル交易ノ規律ヲ犯セル過料又ハ品物ヲ取揚ル事ハ瑞典那耳囘ノ領事官ニ知ラセ領事官ヨリ言付ケシ過料又ハ取揚品ハ都テ日本政府ニ屬スベシ
運上所役人ニテ取押ヘシ荷物ハ瑞典那耳囘領事官ニテ裁斷スル迄ハ領事官ト運上所役人雙方ニテ假ニ預リ置ベシ
第八條
瑞典那耳囘人日本人ノ開港場ニ於テ自國ノ品物ハ勿論他國ノ品物ニテモ日本禁制ノ品ニアラザル交易ノ諸品ヲ輸入シ賣拂又ハ買入レ自國又ハ他國ノ港ヘ輸出スル事勝手タルベシ此條約ニ添タル稅則ニ基キ運上納濟ノ上ハ其他別ニ運上ヲ拂フ事ナシ
瑞典那耳囘人日本人ヨリ諸品物ヲ買ヒ又日本人ニ賣ル時又ハ受取拂ノ時ニテモ都テ日本役人コレニ立合フ事ナシ日本人誰ニテモ瑞典那耳囘人ヨリ諸品物ヲ買ヒコレヲ所持シ又再コレヲ賣トモ倶ニ妨ナカルヘシ
軍用諸品ハ日本政府或ハ外國人ニノミ賣拂フヘシ
第九條
日本ニ在留スル瑞典那耳囘人ハ日本人ヲ雇ヒ右日本人ヲ法度ニ違背セザル諸用ニ給スル事日本政府ニテ妨ケサルヘシ然リト雖此者日本ノ國禁ヲ犯セル時ハ日本政府ニテ罪スヘシ
第十條
此條約ニ添タル交易ノ規律ハ此條約ト一體ヲナスモノニシテ雙方トモニ堅ク相守ルヘシ
日本ニアル瑞典那耳囘國ノ公使ハ日本政府ヨリ委任セシ役人ト商議同心シ諸開港場ニテ此條約ニ添ユル交易ノ規則ヲ施行スルニ緊要至當ノ規律ヲ設クヘキ權アルヘシ
第十一條
各開港場ニテ密商奸曲ヲ防クタメ日本役人相當ノ規則ヲ設クヘシ
第十二條
瑞典那耳囘國ノ船日本ノ開キタル港に來ル時入港ノタメ水先案內ヲ雇フ事勝手タルヘシ又同國船規程ノ運上及ヒ逋債拂濟ノ上ニテ出港セントスル時モ同樣タルヘシ
第十三條
瑞典那耳囘國ノ商民ハ開キタル港ニ品物ヲ輸入シ規定ノ運上納濟ノ上ハ運上所ヨリ其證書ヲ得ル事勝手タルヘシ右證書ヲ所持セハ再其品物ヲ他ノ開港場ニ轉致スルニ當テ出入共二重ノ運上ハ取立サルヘシ
第十四條
瑞典那耳囘人ヨリ開港場ニ輸入セシ荷物此條約ニテ定メタル運上拂濟ノ上ハ日本人ヨリ國中何方ニ輸送スルトモ决テ運上又ハ輸送ノ運上ヲ取立ル事ナシ
第十五條
雙方ノ國人互ニ物價ヲ拂フニ日本幷外國ノ貨幣ヲ用ル事妨ナシ
諸貨幣ハ(日本銅錢ヲ除ク)輸出スル事ヲ得ヘシ又外國ノ金銀ハ貨幣ニ鑄タルモ或ハ鑄サルモ輸出スル事ヲ得ルナリ
第十六條
日本運上所ノ役人荷主申立ノ價ヲ不相當ト察スル時ハ其役人ヨリ相當ノ價ヲ附其附タル價ニテ其品ヲ買入ル事ヲ談スヘシ」{前一文字ママ}
若シ荷主コレヲ否ム時ハ運上所ニテ附タル價ニ準シ運上ヲ納ムヘシ承諾スルニ於テハ運上所役人其價ヲ減少セス直ニ其品物ヲ買上ヘシ
第十七條
瑞典那耳囘國ノ船日本海岸ニテ破船又ハ難風ニ逢ヒ漂着シ或ハ無餘儀日本國中ノ港ヘ來リテ危難ヲ遁レントスル事ヲ知ラハ速ニ其所ノ役人懇ニ是ヲ救ヒ其船中ノ人々ヲ厚ク扶助シ最寄ノ瑞典那耳囘領事館ヘ赴クヘキ方便ヲ與フヘシ
第十八條
瑞典那耳囘軍艦用意ノ諸品ハ神奈川長崎箱館兵庫幷大阪ニ陸揚シ倉庫ニ納メ瑞典那耳囘ノ番人ニテ守護シ得ヘシ夫カ爲運上ヲ納ムル事ナシ若シ其品ヲ日本人又ハ外國人ニ賣拂フ時ハ買人ヨリ規定ノ運上ヲ日本役所ヘ納ムヘシ
第十九條
輸出入ノ運上ハコレニ添タル稅則ニ基キ日本政府ニ納ムヘシ右稅則ハ千八百七十二年第七月一日ニ至リ再ヒ改ムヘシ
茶生糸ノ稅額ヲ改ムルコトニ付各國商議中ナレハ若シ各國ニテ改稅ノ上ハコレニ添ル稅則ニ揭ル稅額ハ日本政府ト瑞典那耳囘公使ト追テ此約定施行ノ折ニ確定スヘシ
第二十條
神奈川長崎箱館兵庫幷大阪ニヲイテ輸入スルモノ、求ニ應シ日本政府ニテ運上ヲ取立ルコトナク外國ヨリ輸入セシ品ヲ庫ニ入置用意ヲ爲スヘシ
日本政府ニテ其品ヲ預リ置ク間ハ盜難幷風雨ノ損害ナキヤウ引受ヘシ日本政府ニテ外國商人共右荷物火難ノ受合十分出來スヘキ樣堅固ノ土藏ヲ取建ヘシ附テハ荷物ヲ輸入スル人又ハ荷主コレヲ藏ヨリ引取ントスル時ハ運上目錄通リノ運上ヲ拂フヘシ其品物ヲ再ヒ輸出セント欲スル時ハ輸入運上ヲ收ムルニ及ス荷物ヲ引取節ハ何レニモ借庫ノ規則ニ從ヒ藏敷ヲ拂フヘシ
第二十一條
日本ノ產物ハ運送ノ陸路水路修復ノ爲メ諸商賣ニツイテ取立ル通例ノ運上ノ外ハ日本人ヨリ別ニ運送運上ヲ收ムルコトナク日本ノ內何レノ地ヨリモ外國交易ノ爲メ開キタル各港ヘ運送スルコト勝手タルヘシ
第二十二條
何レノ日本人モ日本開港場又ハ海外ニ於テ旅客又ハ荷物ヲ運送スヘキ各種ノ帆前船蒸氣船共買入ル、事勝手タルヘシ尤軍艦ハ日本政府ノ免許ナケレハ買入ル、コトヲ得サルナリ
日本人買入タル諸外國船ハ蒸氣船ハ一噸ニ付壹分銀三个帆前船ハ一噸ニ付壹分銀一个ノ運上ヲ定メ通リ收ル時ハ日本ノ船トシテ船目錄ニ書載スヘシ尤其船ノ噸數ヲ定ムル爲メ日本長官ノ需ニ應シ其筋ノ領事官ヨリ本國ノ船目錄ノ寫ヲ相示シ其眞ヲ證スヘシ
第二十三條
日本ノ諸商人政府役人ノ立合ナク相對ニ日本ノ開港場及ヒ此條約中第二十四條ニ載タル仕方ニテ海外ヘ出ル許ヲ得レハ各國ニ於テモ外國商人ト交易スルコト勝手タルヘシ尤日本商人通例商賣ニ付テ取立ル運上ヨリ餘分ハ日本政府ヘ收ムルコトナシ且諸大名幷其使用スル人々現在取締ノ規則ヲ守リ定メ通リノ運上ヲ納ムル時ハ日本役人ノ立合ナク諸外國又ハ日本ノ諸開港場ニ赴キ其場所ニテ交易スルコト右同樣勝手次第タルヘシ
第二十四條
何レノ日本人モ日本ノ開港場或ハ各國ノ港々ヨリ又ハ日本ノ開港場或ハ各國ノ港々ニ*4*荷物ヲ積送ルコト勝手タルヘシ且既ニ慶應二年丙寅四月九日(西洋千八百六十六年第五月二十三日)日本政府ヨリ觸書ヲ以テ布吿セシ如ク其筋ヨリ政府ノ印章ヲ得レハ修行又ハ商賣スル爲メ各國ニ赴クコトヲ得ヘシ且日本ト條約濟各國ノ船中ニ於テ諸般ノ職ヲ務ムル事故障ナカルヘシ外國人ノ雇置ク日本人海外ヘ出ル時ハ開港場ノ長官ヘ願出政府ノ印章ヲ得ルコト妨ケナシ
第二十五條
日本政府ハ外國交易ノ爲メ開キタル各港最寄船々ノ出入安全ノタメ燈明薹浮木瀨印等ヲ備フヘシ
第二十六條
日本政府ヨリ既ニ他ノ外國政府及ヒ臣民ニ許シ又ハ以後許サントスル殊典ハ瑞典那耳囘政府及ヒ臣民ニモ此條約施行ノ日ヨリ同樣ノ免許アルヘキヲ今玆ニ確定セリ
第二十七條
兩國ニテ此條約ヲ實驗シテ改革セントヲ要スル時ハ來ル壬申年(千八百七十二年第七月一日)後ニ至リ此條約再校ヲ申立ヘシ但其一年前ニ其趣ヲ通達スヘシ
第二十八條
瑞典那耳囘國ノ公使及ヒ領事官ヨリ日本役人ニイタス公事ノ書通ハ拂蘭西語ヲ以書スヘシ尤便利ノ爲此條約施行ノ時ヨリ三ヶ年ノ間ハ和蘭語或ハ日本語ノ譯文ヲ添ユヘシ
第二十九條
此條約ハ日本語二通和蘭陀語二通都合四通ニシテ其文ハ固ヨリ同義同意ナリト雖和蘭語ヲ以原ト見ルヘシ然リト雖若シ日本語ト和蘭語ト意味相違スルコトアラハ蘭語ニ基キ决定スヘシ
第三十條
此條約本書ハ
日本天皇ト
瑞典那耳囘國王トノ名ヲ記シ調シテ確定シ基本書ハ可成丈速ニ取替スヘシ但此條約ハ千八百六十九年第五月一日ヨリ施行スヘシ
右證トシテ日本明治元戊辰年九月廿七日卽西洋千八百六十八年第十一月十一日神奈川府ニヲイテ雙方委任ノ全權等姓名ヲ記シ印ヲ調スルモノナリ
東久世中將 花押
寺島陶藏 花押
井關齋右衞門 花押
D, De Graeff van Polsbroek,
(印)
{*1* 慶應二年「長崎遊歩規定取擴ノ書翰」アリ「開港開市規則」ノ中「長崎」ノ部ニ載ス
{*2* 「日本ニ在ル瑞典」以下ノ一章横文ニナシ}
{*3* 横文ニハ「明糺シ」ハ「召捕ヘ」トアリ}
{*4* 横文ニハ「港々ニ」ノ下「日本船又ハ外國船ヲ以テ荷物ヲ」云々トアリ}