データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 榎本釜次郎と普魯西人「ゲルトネル」との蝦夷島七重村及其の附近の土地三百萬坪開墾約定書,榎本釜次郎ガルトネル約定書,蝦夷地七重村開墾條約書(蝦夷地七重村開墾条約書)

[場所] 
[年月日] 1869年3月31日
[出典] 日本外交年表竝主要文書上巻,外務省,34‐37頁.
[備考] 
[全文]

第一條 一ガルトネル氏歐羅巴風に習ひ農業法を弘めんとするを以て有志の輩十二名及ひ農夫五十人を撰み彼等をして三ケ年の間農業法を敎授すへき事

一歐羅巴風農業法を速に廣く國內に知せんため右十二名幷に農夫五十人は三ケ年每に引替可申事

一ガルトネル氏は右農夫五十人えは相當の住居を與ふへし併し食料を給せす其業の輕重に隨ひ相當之給料を宛行へき事

一生徒十二名はガルトネル氏より同様住居せしめ食料宛行候事

一生徒十二名之內にて若業術敎授覺不得者有時はガルトネル氏より此人を引替候事

第二條 一此一條に付てはガルトネル氏七重幷に近傍の荒野三百萬坪蝦夷政府より九十九ケ年間限り借請け此地面は不殘定杭を立堺致すへし此條約決定致せし上は貸渡候地面中に出來せし建物產物惣て諸品は日本政府の附屬品同様たるへし右惣ての附屬品は此期年卽ち九十九ケ年間はガルトネル氏或は跡續のものえ貸置九十九ケ年後に至りては此附屬品且地面等取戾すに償ふ事なくして政府の有となるへき事

第三條 一ガルトネル氏開業前家屋器械農具牛馬諸種下水植物等諸入用品の爲元金を出すへし此入費幷に植木荊棘を伐拂ひ道路を開き木石を集め種植の畑を造る所惣て開發の入費の積りは當人の意に任せ置へし最初ガルトネル氏此開業入費五萬弗と告られたるを以て日々の失費帳を政府に見せ每年費す所の高少くも其高の十分一たるへきを政府に證すへし若此初年中ガルトネル氏費す所の高前に載る所の高に滿さる時は此條約書は發失せるものとして諸物其價を拂わすして政府に取戾可申事

第四條 一政府に於てガルトネル氏え洋暦一千八百六十九年第七月一日より十ケ年間無稅にて三百萬坪を貸渡可申事但初め十ケ年間無稅なれは費す所の元金は其間に取戾し得へく且利益有へき事明かなり

一十一ケ年目より三十五ケ年目迄ガルトネル氏政府え一段部に付一ケ年金貳朱宛出稅致候事

一三十六ケ年目より六十五年目迄ガルトネル氏政府え一段部に付一ケ年銀壹分宛出稅致候事

一六十六ケ年目より九十九年目迄一段部に付一ケ年銀貳分宛出稅致候事

一十一ケ年後出稅の勘定は西洋七月第一日に納可申事其爲開墾出來可致場所は見分の上坪數を量り地圖を仕立置へし尤開發出來かたき山谷河流及ひ公けの道路は三百萬坪の外たるへき事

一かく定めたる地所は縱令開發致さすとも必す其稅差出可申事

一ガルトネル氏え貸渡候地面は少くも五ケ年試みを爲さるを得さるを以て政府に於て十五ケ年前此地面を取戾す事なかるへし其後政府に於て貸渡候地面取戾すには左の件々に從ふへし

一十五ケ年目に政府に於て此地面を取戾さんと思はゝ開業入費不殘卽其時迄費したる元金幷に五ケ年分の地稅及ひ禮金として元金高の一割を拂可申事

一第二度目卽ち二十五ケ年目に政府において此地面を取戾す時は開業に付夫迄費したる元金不殘拂可申事

一其後取戾す法左の如し

一三十五年目に此地面を取戾には其時迄費したる開業入費十分の七を拂可申事

一四十五年目に此地面を取戾には開業入費十分の六を拂可申事

一五十五年目に此地面を取戾には開業入費十分の五を拂可申事

一六十五年目に此地面を取戾には開業入費十分の四を拂可申事

一七十五年目に此地面を取戾には開業入費十分の三を拂可申事

一八十五年目に此地面を取戾には開業入費十分の二を拂可申事

一九十五年目に此地面を取戾には開業入費十分の一を拂可申事

一百年目の初に至れは貸渡せし地面中に出來せる諸品物及ひ地面共ガルトネル氏え入費等不拂して政府え取戾事素より出來致候事

一右地面取戾さんとする節は其事を期年の前年に知らすへき事

第五條 一ガルトネル氏え政府より此農業の外同氏え開拓の事に付相賴度一儀出來侯はゝ同人其儀を己の職とし相勤可申乍然右様之節多少彼か職業に係たる事同人へ自由を與へ懇切に取扱可申事

一政府に於てはガルトネル氏を農業法に達せし者と思ふ故に農業法を托し以て此地を開拓せしむ且政府に於てはガルトネル氏の力に依て以て此蝦夷全島を利せんことを欲するを以て同氏此一條に付多く利益を得ん事を望む

一政府に於てガルトネル氏え惣て委任し生徒十二名を召遣とも又否さるも同氏の意にあるへし

一ガルトネル氏日本の農夫を召抱候儀は一は政府植民のため一は歐羅巴人を召遣ふより安直にして同氏の爲たるを以てなり

第六條 一若ガルトネル氏此開拓に付同氏助力のため歐羅巴人を召抱侯節は必すプロイス人員に極らるへし其譯は農業に付訴へ事ある時容易に事を決する爲なり

一ガルトネル氏日本人を召抱へ候時は相對にて約束致し候事但し其事に付政府におゐて諸面倒を省くへし

一若しガルトネル氏日本商人を要する節は政府に於て其商人を周旋すへし

第七條 一ガルトネル氏此開業に付條約相定りし上は何事に限らす同人手を引候事能わさるへし若左様之儀有之時は地面幷に附屬の物盡く政府に於て償ひなく取戾可申事

一ガルトネル氏病氣か或は不慮の災害ありて農業をなすあたはさる時はプロイス岡士より同人代りの者を差出候事若六ケ月相立候て其代出來不致時は諸物政府に取戾すへし

一六ケ月間にプロイス岡士の紹介によりて其代りの者出來せは政府役人及ひ岡士立會之上出來せし品物幷地面等同人代理の者え引渡候事

一前に載る件々之外は此條約書決して他人に讓り申間鋪事

第八條 一此條約面に載る地稅之外は地所幷產物に付別段政府え稅を納むる事なし

此條約書は日本語日耳曼語英吉利語にて認め雙方共英文を以て證據と可致事

 明治二年二月十九日

 西暦一千八百六十九年第三月三十一日

  蝦夷島總裁の命を奉して

   箱館奉行

    永井玄蕃 印章花押

   同並

    中島三郎助 印章花押

    (L.S)R. GAERTNER.

C. GAERTNER,

Consul for the North German Confederation.

(L,S,)

遂一覧候

  蝦夷島總裁

   榎本釜次郎 印章花押

(註)

本契約書は日、獨、英の三ケ國語を以て認めあるも英文の分を正文とす