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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 樺太千島交換條約(樺太千島交換条約)

[場所] 
[年月日] 1875年5月7日
[出典] 舊條約彙纂,第一卷第二部,外務省條約局,680-685頁.
[備考] 樺太島假規則(參考一)(樺太島仮規則(参考一))
[全文]

明治八年五月七日日比特堡府ニ於テ調印(佛文)

同年八月二十二日批准

同年同月同日東京ニ於テ批准書交換

同年十一月十日太政官布告

(譯文)條約

大日本國皇帝陛下ト

全魯西亞國皇帝陛下ハ今般樺太島(卽薩哈嗹島)是迄兩國雜領ノ地タルニ由リテ屢次其ノ間ニ起レル紛議ノ根ヲ斷チ現下兩國間ニ存スル交宜ヲ堅牢ナラシメンカ爲メ

大日本國皇帝陛下ハ樺太島(卽薩哈嗹島)上ニ存スル領地ノ權理

全魯西亞國皇帝陛下ハ「クリル」群島上ニ存スル領地ノ權理ヲ互ニ相交換スルノ約ヲ結ント欲シ

大日本國皇帝陛下ハ海軍中將兼在魯京特命全權公使從四位榎本武揚ニ其全權ヲ任シ

全魯西亞國皇帝陛下ハ太政大臣金剛石裝飾魯帝照像金剛石裝飾魯國シント、アンドレアス褒牌シント、ウラジミル一等褒牌アレキサンドル、ネフスキー褒牌白鷲褒牌シントアンナ一等褒牌及シントスタニスラス一等褒牌佛蘭西國レジウン、ド、オノール大十字褒牌西班牙國金膜大十字褒牌澳太利國シント、ヱチーネ大十字褒牌金剛石裝飾孛魯生國黑鷲褒牌及其他諸國ノ諸褒牌ヲ帶ル公爵アレキサンドル、ゴルチヤコフニ其全權ヲ任セリ

右各全權ノ者左ノ條款ヲ協議シテ相決定ス

 第一款

大日本國皇帝陛下ハ其ノ後胤ニ至ル迄現今樺太島(卽薩哈嗹島)ノ一部ヲ所領スルノ權理及君主ニ屬スル一切ノ權理ヲ全魯西亞國皇帝陛下ニ讓リ而今而後樺太全島ハ悉ク魯西亞帝國ニ屬シ「ラペルーズ」海峡ヲ以テ兩國ノ境界トス

 第二款

全魯西亞國皇帝陛下ハ第一款ニ記セル樺太島(卽薩哈嗹島)ノ權理ヲ受シ代トシテ其後胤ニ至ル迄現今所領「クリル」群島卽チ第一「シユムシユ」島第二「アライド」島第三「パラムシル」島第四「マカンルシ」島第五「ヲネコタン」島第六「ハリムコタン」島第七「ヱカルマ」島第八「シャスコタン」島第九「ムシル」島第十「ライコケ」島第十一「マツア」島第十二「ラスツア」島第十三「スレドネワ」及「ウシシル」島第十四「ケトイ」島第十五「シムシル」島第十六「ブロトン」島第十七「チヱルポイ」竝ニ「ブラット、チヱルボヱフ」島第十八「ウルップ」島共計十八島ノ權理及ヒ君主ニ屬スル一切ノ權理ヲ大日本國皇帝陛下ニ讓リ而今而後「クリル」全島ハ日本帝國ニ屬シ柬察加地方「ラパツカ」岬ト「シュムシュ」島ノ間ナル海峡ヲ以テ兩國ノ境界トス

 第三款

前條所載各地竝ニ其地產ハ此條約批准爲取換ノ日ヨリシテ直ニ全ク新領主ニ屬スル者トス但其各地受取渡ノ式ハ批准後雙方ヨリ官員一名又ハ數名ヲ撰テ受取掛トシ實地立會ノ上執行フヘシ

 第四款

前條所記交換ノ地ニハ其地ニアル公同ノ土地、人ノ下手セサル地所、一切公共ノ造築、壘壁、屯所及ヒ人民ノ私有ニ屬セサル此種ノ建物等ヲ所領スルノ權理モ兼存ス

現下各政府ニ屬スル一切ノ建物及動產ハ第三款ニ載スル雙方ノ受取掛役取調ノ上其代價ヲ按査シ其金額ハ其地ヲ新ニ領スル政府ヨリ出ス者ナリ

 第五款

交換セシ各地ニ住ム各民(日本人及魯人)ハ各政府ニ於テ左ノ條件ヲ保證ス、各民並共ニ其本國藉ヲ保存スルヲ得ルコト、其本國ニ歸ラント欲スル者ハ常ニ其意ニ放セテ歸ルヲ得役ルコト、或ハ其交換ノ地ニ留ルヲ願フ者ハ其生計ヲ充分ニ營ムヲ得ルノ權理及其所有物ノ權理及隨意信教ノ權理ヲ悉ク保全スルヲ得ル全ク其新領主ノ屬民(日本人及魯人)ト差異ナキ保護ヲ受クル事雖然其各民ハ竝共ニ其保護ヲ受ル政府ノ支配下{ジユリスヂクシヨンとルビ}ニ屬スル事

 第六款

樺太島(卽薩哈嗹島)ヲ讓ラレシ利益に酬ユル爲メ全魯西亞國皇帝陛下ハ次ノ條件ヲ准許ス

 第一條

日本船ノ「コルサコフ」港卽「クシュンコタン」ニ來ル者ノ爲メニ此條約批准爲取換ノ日ヨリ十ケ年間港稅モ海關稅モ免スル事、此年限滿期ノ後ハ猶之ヲ延スモ又ハ稅ヲ收メシムルモ全魯西亞國皇帝陛下ノ意ニ任ス全魯西亞國皇帝陛下ハ日本政府ヨリ「コルサコフ」港へ其領事官又ハ領事兼任ノ吏員ヲ置クノ權理ヲ認可ス

 第二條

日本船及商人通商航海ノ爲メ「ヲホツク」海諸港及柬察加ノ海港ニ來リ又ハ其海及海岸ニ沿ンテ漁業ヲ營ム等渾テ魯西亞最懇親ノ國民同樣ナル權理及特典ヲ得ル事

 第七款

海軍中將榎本武揚全權委任狀ハ未タ到來セスト雖モ電信ヲ以テ其送致スル旨ヲ確定セラルヽニ由リ其到ルヲ待タスシテ此條約面ニ記名シ其到ルヲ待テ各全權委任狀ヲ相示スノ式ヲ行ヒ別ニ其事ヲ記シテ以テ左劵トスヘシ

 第八款

此條約ハ大日本國皇帝陛下並ニ全魯西亞國皇帝陛下互ニ相許可シ而シテ批准スヘシ但各皇帝陛下ノ批准爲取換ハ各全權記名ノ日ヨリ六ケ月間ニ東京ニ於テ行フヘシ

此條約ニ權力ヲ附スル爲メ各全權各其姓名ヲ記シ並ニ其印ヲ鈐スルモノナリ

 明治八年五月七日卽一千八百七十五年(四月二十五日、五月七日)比特堡府ニ於テ

  榎本武揚(印)

  ゴルチャコフ(印)