[文書名] 條約改正に關する井上外相上奏書(条約改正に関する井上外相上奏書)
明治十九年五月二十九日
條約改正上奏書
即今旣ニ條約改正ノ會議ヲ開キタルヲ以テ今日ノ形勢ヲ審ニシ且將來ノ政策ヲ檢定査究センカ爲メ舊ニ溯ホリ其談判ノ沿革ヲ尋釋スルハ蓋シ須要ノ事項ナリ抑モ本大臣ニ於テハ此ノ重大ナル國事ノ處辨ニ付辱ナクモ我皇帝陛下ノ信任ヲ奉スルヲ以テ啻ニ其目的ヲ逹スヘキ最良ノ方法ニ依リ外國政府ト商議ヲ爲スノミナラス外交上ノ談判ヲ以テ我帝國ノ爲メ法律行政及ヒ經濟上自由ニ國權ヲ執行シ國際法ニ遵ヒ萬國ト交通シ以テ遂ニ純然タル不覊獨立ノ地位ニ逹スルカ爲メ必要ナリト思量スル所ノ內地ノ政策及ヒ立法ノ諸件ニ付本大臣ノ確信外國公使ト直接ノ懇話ニヨリ本大臣カ得タル經驗トニ據リ漫ニ辭ヲ飾ラス忠實ニ其事情ヲ 皇帝陛下ノ叡聞ニ逹シ併テ之ヲ閣議ニ提出スルハ本大臣ノ本分ナリトス
夫レ明治十五年即西曆千八百八十二年ノ會議ハ外交政策ノ新路ニ就キタル發端ナリシヲ以テ各人尙ホ常ニ之ヲ記億スヘキハ本大臣ノ毫モ疑ヲ容レサル所ナリ蓋シ此政策ハ曾テ外國ノ督促ニ出テタルニ非ス全ク我皇帝陛下ノ趣旨ニ基ケリ而シテ同年四月五日及ヒ六月一日兩度ノ會議ニ於テ外國公使へ左ノ事項ヲ報道シタリシハ實ニ本大臣ノ快然タル職務ナリキ
外國人民ニ於テ自今日本國ノ法律及ヒ裁判ニ服從シ以テ從來我帝國ノ進步ニ恰好セス及ヒ我國民ノ銳意熱心シテ改革ニ從事スル精神ニ反對ナル彼ノ異常ノ情況ヲ改正スルトキハ我皇帝陛下ノ政府ハ其自由ノ權內ニ於テ斷然各外國人民へ住居貿易及ヒ不動產ノ所有權ヲ讓與スヘシト
本會ノ會議錄ニ由リ判然ナルカ如ク我政府ノ要求ニ付テハ曾テ一人ノ之ヲ不當ナリト唱道シタル者ナク又外國代表者ノ演說ニ徴スルモ帝國政府ノ高尙ナル政策ヲ稱揚感嘆セサル者殆ント之レナシ是ニ於テ爾來外國人カ我國ニ對シ日本政府尙ホ舊政略ヲ維持スルノ名ヲ負ハシムル能ハス或ハ外國人ノ待遇其宜キヲ得スト謂フ者アルヲ聞カサルニ至レリ而シテ本大臣ハ同僚各大臣モ亦爾來今日ニ至ルマテ確乎トシテ此新政略ヲ執ラルルコトヲ信スルナリ
明治十五年即千八百八十二年ノ會議幷ニ裁判管轄ニ關シ本大臣ノ計畫シタル重大ノ改正案ハ之ヲ實施スルコトヲ得サリキ蓋シ是レ一二外國政府ニ於テ其代表人ノ報吿ニ信憑シ且日本ニ在リ貿易ニ從事スル其臣民ノ妄言ニ驚愕シ日本政府ノ要求ニ應スヘキ時未タ至ラスト思惟セシニ由緣セリ
締盟國ニ於テ暫ラク協議ヲ遂ケタル後在伯林我公使館ノ斡旋ニ依リ獨逸政府ハ先進シテ各國ヲ慫慂シ終ニ其議論漸ク確定シ我企望ニ對シ較々友誼ヲ表明スルニ至レリ是レ即チ明治十七年即千八百八十四年五月英國公使ヨリ本省へ左ノ主意ヲ登載スル覺書ヲ送付スルニ至リタル所以トス
(第一)他ノ締盟國ニ於テ千八百八十二年ノ會議ニ提出セシ改正稅目ヲ承諾セハ我亦之ヲ承諾スヘキコト但其實施前充分ノ通知ヲ要スルコト
(第二)貿易ニ付一層ノ便利ヲ要求スルコト
(第三及ヒ第四)英國公使ノ意見ニ據リ關稅及ヒ貿易規則ヲ包含シ得ヘキ通商條約ヲ別ニ約定スルヲ承諾スルコト
(第五)自今十二年ノ後新ニ議定ニ付スヘキ取極ニ據リ日本全國ヲ開キ茲ニ於テ外國人ノ貿易住居及ヒ不動產ヲ所有スルコトヲ許容スルニ付テハ日本政府ハ自由ニ海關稅權ヲ有スルヲ得ヘキコト
蓋シ裁判管轄ノ問題ニ付テハ左ノ一節ヲ錄スルコト甚タ緊要ナリ同覺書ニ曰ク「大不列顚國ハ其在日本領事裁判管轄ヲ持續スルハ在日本英國人民ノ利益ニ付正當ノ保護ヲ爲スニ於テ必要ナル時限外ニ之ヲ繼續スルノ意ナシ」ト又曰ク「故ニ通商條約ノ最短期ヲ十二年トスルモ英國政府ハ外國領事裁判權ノ廢止ニ關スル問題ヲ日本政府ト何時ニテモ討議スルニ付故障セサルヘキヲ承諾セリ」ト斯ノ如ク英國ト雖モ其領事裁判權ヲ廢止スル問題ニ付テハ日本ニ於テ何時タリトモ之ヲ評議ニ提出スルノ權アルコトヲ承認セリ蓋シ明治十五年即千八百八十二年ノ前ニ於テ英國公使ノ主持シタル說ニ比スルトキハ本大臣ハ千八百八十二年ノ會議ヲ以テ道徳上ノ點ヨリ論スルトキハ到底好結果ヲ致セシモノト認メサルヲ得ス此覺書ノ出ルヤ本大臣ト英國公使及ヒ其他ノ公使トノ間久シキニ涉レル困難ノ談判ヲ經タリ就中商業上ノ讓與ニ係ル問題ハ其議論殊ニ甚シク爲メニ英國公使ハ特約開港場六箇所以上ヲ開キ尙ホ內外人組合商業且貿易旅劵ノ方法ニ基キ內國ニ於テ貿易ヲ爲スノ許可ヲ受ケンコトヲ要求スルニ及ヘリ然レトモ已ニ議定シタル政策アルヲ以テ本大臣ハ彼ニ對シ裁判管轄ニ付均等ノ要求ヲ爲サスシテ廣大ナル商業上ノ讓與ヲ爲スコト能ハサリキ乍去明治十七年即千八百八十四年八月四日ノ親書ニ登載シタルカ如ク幾多ノ困難ヲ侵シタル後漸ク相互ニ了解シタリ蓋シ此內議ハ我ニ於テ主トシテ行政法及ヒ行政處分ニ關スル管轄權ヲ領収スルニ付我レ亦彼ニ讓ルニ限アル商業上ノ便利ヲ以テスルニ在リ而後英公使覺書ニ對スル我政府覺書ヲ作リ其中主トシテ左ノ要求ヲ揭載セリ
(第一)千八百八十二年會議ニ於テ各全權委員ヨリ提出シタル稅率ヲ變更セス六月前ノ通知ヲ以テ之ヲ實施シ其他商業上ノ問題及ヒ通商條規モ亦同時ニ之ヲ處理スルコト
(第二)日本全國ヲ開クトキハ我政府ハ稅權ヲ有シ裁判管轄權モ亦我政府之ヲ領収スヘキコト
此事項ニ付右覺書中左ノ明文アリ
日本政府ハ外國貿易ニ關スル讓與ヲ爲スコト及ヒ外國人ノ帝國各部ニ随意入進スルコトヲ欣喜スルト雖モ茲ニ一ノ故障アリ即チ外國政府ニ於テ其臣民ノ日本裁判權ニ悉ク服從スルヲ許容セサルコト是ナリ而シテ日本政府ノ外國人ニ對シテ悉ク帝國ヲ開クニハ外國政府ニ於テ先ツ此主義ヲ承認セサルヘカラサルノ必要アル旨彼ノ政府ヲシテ判然領知セシメンコトヲ勉メサルヘカラス云々」ト
(第三)同時ニ三四箇所ノ特約開港場ヲ外國貿易及ヒ雜居ノ爲メニ設定スルコト
(第四)新旅劵規則ヲ設ケ商業事務ヲ除クノ外法律ノ許容スル目的ヲ以テ旅行スルコトヲ許スコト
(第五)日本人民十年以內ノ期限ヲ以テ外國船ヲ雇入ルコト
(第六)通商條約ハ十年ノ後之ヲ廢止ス但此時期ニ至リ外國ニ於テ領事裁判權ヲ全廢スルニ於テハ日本全國ヲ開クヘキコト又右廢止ノ行ハレ難キトキハ通商條約ノ改正ヲ爲スヘキコト
(第七)外國人行政規則警察規則及ヒ地方規則ヲ遵守スヘキコト但罰金三十圓或ハ禁錮十日ニ過キサル罰ハ日本裁判官ニ於テ之ヲ判決シ及ヒ判決ヲ執行スヘシ然レトモ此範圍ヲ超過スルモノハ領事裁判所ニ於テ日本諸規則ニ遵ヒ處分シ及ヒ執行スヘキコト開港場ハ姑ク之ヲ治外法權ノ下ニ置クモ向後何時ニテモ本件ニ付談判ヲ爲スヲ得ヘシ又在開港場外國人ト雖モ前陳ノ諸規則ヲ遵守スルノ義務アルヘキコト
(第八)逮捕權ハ日本政府ニ於テ之ヲ掌握スヘキコト
(第九)在特約開港場外國人ト日本人トノ間ニ起ル五百圓以上ノ民事訴訟ノ審判ハ日本裁判所ニ於テ之ヲ管轄スヘキコト
(第十)開港場若クハ特約開港場ニ於テ工業又ハ製造ニ從事スル外國人ハ日本人民ト同一ノ稅ヲ納ムヘキコト
(第十一)雇外國船乘組ノ外國人ハ貿易ヲ爲スヲ得サルコト
(第十二)船舶乘組海員ノ懲戒權ハ船長ニ於テ之ヲ有スヘキコト
(第十三)居留地取締方法ノ改良ハ向後ノ談判ニ由リ之ヲ議定スヘク又從前ノ居留地ヲ一層擴伸セル區域內ニ於テ不動產ノ所有ヲ許可スルコト但外國人不動產ヲ所有スルトキハ土地所有ニ關スル我法律規則及ヒ稅則ヲ遵守スヘキコト
(第十四)日本政府ハ外國人カ日本人ト組合商業ヲナシ及ヒ工業會社幷ニ商業會社ノ株劵ヲ所有スルコトヲ免許センカ爲メ嗣後之ヲ議定スルノ準備ヲ爲サント欲ス但シ此等特殊ノ免許ヲ與フルニ就テハ組合商業ヲ營ミ若クハ工業又ハ商業會社ノ株主タル外國人ハ其商業上若クハ株劵及ヒ不動產等ノ事ニ付總テ日本政府ノ法律及ヒ裁判ニ服從ス可キコト
(第十五)日本政府ハ最惠國條款ノ修正ヲ企望スルコト
(第十六)今後外國ノ商標及ヒ專賣特許ノ保護ヲ議定スルコト
右ノ諸項ハ各締盟國ニ於テ條約改正ノ基礎ト爲スコトヲ承諾シタル覺書ノ概要トス尤モ佛國政府ハ此覺書ヲ以テ爾後談判ノ起點ト爲サンコトヲ明言シ生絲及ヒ絹物ニ對スル輸出稅ヲ廢止センコトヲ特別ニ請求シタリ
此覺書ノ要旨ハ明治十五年卽千八百八十二年ノ發議トハ實際稍々相違セリト雖モ其精神ハ全ク右發議ヨリ生シタルニ外ナラス但タ裁判權ノ如キ其一部分ヲ日本裁判所ニ収メ他ノ一部分ヲ外國裁判所ニ屬シ以テ之ヲ分離セサルヲ得サルニ至リシハ本大臣ニ於テ固リ遺憾トスル所ナリ何ントナレハ之ヲ實施スルニ當リテ警察官等カ其權限ノ果シテ如何ナル點ニマテ及フ可キカヲ判別スルハ頗ル困難ナル可ケレハナリ然レトモ右ハ今日マテ各國公使トノ談判ノ結果ニシテ萬々止ムヲ得サルニ出タルモノトス然レトモ又一方ヨリシテ觀察スルトキハ縱令ヒ一部分ニモセヨ我裁判權ヲ回復シ得ルハ卽チ治外法權ノ制已ニ其破潰ノ端ヲ開キタルヤ明白ナリトス
夫レ此ノ裁判權ヲ彼我ニ分離スルハ實際長ク之ニ因ルコトヲ得サル所ナリ治外法權ノ制ハ正ニ其破潰ノ端ヲ開クノ機ニ至レリ本大臣ハ敢テ此ノ半途ノ改正ニ安ンセス嗣後尙ホ巧ミニ談判ヲ遂ケ從來商業上禁止ノ件ヲ外國人ニ許與スル割合ニ應シ我裁判權ヲ彼ヨリ漸次回復シ終ニ外國ヲシテ純然タル不覊獨立ノ地位ニ至ラシメンコトヲ期ス
本大臣ハ該覺書ノ主意ニ基キ條約改正案ヲ起草シ公然其會議ヲ開クニ先タチ豫メ各外國全權委員ノ意見ヲ質サンカ爲メ明治十八年卽千八百八十五年六月中私信ヲ以テ內密ニ之ヲ各國全權委員ニ通牒シタリ而シテ各委員ハ腹藏ナク種々ノ異見ヲ陳述セシヲ以テ復タ幾多ノ參考ヲ加へ本年卽千八百八十六年五月第一回ノ條約改正會議ニ於テハ公然提出シタルモノナリ
右草案ハ其體裁宜シキヲ得且精密ナル點ヨリ考案ヲ下ストキハ之ヲ當初ノ草案ニ比シ一大改良ヲ加ヘタルカ如シト雖モ其大要ハ尙ホ明治十七年卽千八百八十四年八月起稿シタル覺書ニ準據シタルモノナリ
今右改正案ヲ此ニ詳記スルコトハ殆ント徒勞ニ屬スヘシ故ニ其之ヲ起草シタル主意大要ヲ擧ケテ足レリトス
(第一)貿易及ヒ船舶規則ニ關シ外國人ノ有スヘキ權利ハ彼ヨリ我ニ裁判管轄權ヲ割與シタル割合ニ應スル部分ニ過キス卽チ
(イ)特約開港場ノ規定ヲ立ツルコト
(ロ)日本人民ニ外國船舶ノ雇入ヲ爲スコトヲ許可スルコト
(ハ)外國人民ト日本人民トノ間ニ組合商業ヲ許可セントスルコト(但シ其細則ハ追テ制定スヘシ)
(第二)右ノ讓與ニ對シ日本政府ニ於テ海關稅ヲ增加シ及ヒ新ニ噸稅等ヲ課スルノ外左ノ諸件ヲ請求セリ
(イ)外國人ニ對シ日本帝國各所ニ於テ普ク日本行政規則ヲ適用スルコト
(ロ)新旅劵規則ニ依リ內地旅行中及ヒ特約開港場ニ於テ外國人ニ對スル裁判權ノ一部ヲ有スルコト卽チ刑事ニ付テハ罰金三十圓以內禁錮十日以內民事ニ付テハ金額五百圓ニ逹スル迄日本裁判所ニ於テ其裁判權ヲ有スルコト但シ其不動產ニ關スル事件又ハ內地旅行中起リタル訴訟事件ニ付テハ何等ノ制限ヲ置カサルコト
(ハ)在特約開港場外國人ニ課稅ヲ爲スノ權ヲ有スルコト又從來ノ開港場ニ於テハ何程迄カノ點ヲ限リ課稅スルヲ得ヘキヤノ取極ヲ爲スコト
抑現今我國ニ於テ外國人カ一種例外ノ地位ニ立ツ所以ハ左ニ列記スル三箇ノ特典ヲ有スルニ因レリ
(一)刑事上民事上及ヒ行政上ノ事件ニ付日本法律ヲ適用スルヲ得サルコト
(二)日本裁判所ノ管轄外ニ在ルコト
(三)其他總テ行政官吏ノ所爲ニ對シテ其管轄外ニ在ルコト
然ルニ草案ノ計畫ニシテ果シテ外國政府ノ承諾ヲ受クルニ於テハ日本行政規則ハ今後我裁判所ニ限ラス尙ホ外國裁判所ニ於テモ外國人ヲシテ之ヲ遵守セシムルノ效力ヲ有シ且ツ我刑法ヲ犯ス者アルトキハ其犯人ヲ我警察官ニ於テ逮捕シ其本國裁判所ニ於テ處刑ヲ受シムル迄ハ外國人ニ對シ我刑法其效力ヲ有スヘキノ主意ヲ領知セシメ以テ前文第一ノ障礙ヲ除クヲ得ヘシ又第二ノ點ニ付テハ日本裁判所ハ特約開港場及ヒ內地ニ於テ禁錮十日罰金三十圓迄處罰ノ權ヲ有スヘク又第三點ニ付テハ捕縛差押家宅搜索ノ權ヲ有スヘキカ故ニ我行政權ハ少クトモ其一部分ヲ適用スルヲ得ルノ原則ヲ設定スヘシ且ツ民事裁判權ハ通常五百圓ヲ定度トシ例外ノ場合ニ於テハ此定度ヲ置カサルヘシ
改正會議ニ於テハ未タ草案ノ本題ヲ議スルニ至ラスト雖モ旣ニ左ノ順序ニ依リ問題ヲ討議スヘキノ手續ヲ定メタリ
(一)海關稅ノ增加及ヒ商業上ノ事項(二)之ニ對スル日本政府ノ讓與(三)管轄權
然ルニ英國公使ヨリ本大臣ヘノ內談ニ由レハ日本政府ニ於テ貿易ニ關スル區域ヲ一層擴伸スルコトヲ許容スルニ非サレハ右裁判權ニ關スル廣大許容ヲ爲スコトハ承諾スルコトヲ得ストノコトナリ假令英公使ニ於テ日本政府ノ發議ヲ承諾スルモ日本在留英國人民ハ之ニ承服セス從テ彼等ヨリ其本國ノ議院ニ反對論ヲ提出シ條約ノ批准ヲ故障スルモ計リ難キトノ虞ヲ抱持セリ
本大臣ノ英國公使及ヒ日耳曼公使ヨリ聞キタル所ニヨリ考察スルトキハ貿易上ノ讓與ニ關シ英公使ノ提出スヘキ條項三箇アルカ如シ(尤日耳曼公使ニ於テハ本件ニ付甚タ懇篤ナル仲裁ヲ爲シタリ)
卽其要求ニ係ル條項ハ左ノ如シ
(第一)寛大ノ趣意ニ基キ日本人外國人ノ組合商業ニ關スル規則ヲ直ニ制定スヘキコト
(第二)特約開港場條規ニ準シ東京府內ハ何所ヲ問ハス特約開港場ト同樣外國人ヲ住居セシメ貿易ニ從事シ及ヒ不動產ヲ所有スルノ權ヲ附與スルコト
(第三)內地貿易特許劵ヲ設ケ自由ニ內地ニ於テノ貿易ヲ許スコト
乍去兩全權委員ハ若シ日本政府ニ於テ右ノ要求ニ付滿足ナル承諾ヲ爲サハ亦之ニ對當スヘキ方法ニ據リ日本政府ノ管轄權ヲ擴充スルコトヲ承諾スヘキ旨本大臣へ陳述セリ
本大臣ハ之ニ應ヘテ日本帝國政府ハ明治十五年卽千八百八十二年ノ宣言ヲ以テ確實明白ニ表示シタルカ如ク常ニ最モ自由ナル政策ニ熱心セルコトヲ辯明セリ蓋シ目今考案ニ付シタル讓與ハ日本政府ヨリ發言シタルニ非スシテ是レ本大臣カ數回談判ヲ經タル後本會議ノ根基トセサル可ラサル覺書ニ包含シタル締盟國ヨリ要求ノ結果ナリ尤モ明治十五年卽チ千八百八十二年本大臣ノ提出ニ係ル考案ヲ外國政府ニ於テ排斥スルニ立チ至リタル理由ハ敢テ質疑セサリキ本大臣ハ管轄ノ全權ヲ日本ニ於テ享受スル時ニ至ラサレハ直接又ハ間接外國貿易ノ爲メ日本ノ內地ヲ開キ以テ彼カ商業上ノ特權ヲ擴充スルコトヲ許諾セサル義ヲ英吉利及ヒ日耳曼公使ニ悟ラシメンコト最モ肝要ナルヲ思量シタリ
過日提出シタル議案ノ外更ニ一部ノ讓與或ハ一層裁判管轄權ヲ分割スルコトハ固ヨリ本大臣ノ考量スルヲ得サルモノニ付苟クモ其全部ヲ附與スルカ否ラサレハ現今要求ノママニ置カサルヘカラサル旨ヲ陳述シタリ
抑本大臣ニ於テ此宣言ヲ爲シタル理由タル他ナラス卽チ英國公使カ希望スル如キ組合商業ヲ新條約ト同時ニ直ニ施行スルヲ許可スルトキハ外國人ノ商業ニ付唯表面ニ於テハ內地ヲ開カサル迄ニシテ其實此組合商業ナルモノハ外國人カ豫ネテヨリ熱心希望スル內地通商特許劵ノ讓與ヲ爲スト其結果ヲ同シク卽チ一般ニ內地通商ノ特殊權ヲ讓與スルト其結果ヲ異ニスルコトナカル可シ故ニ若シ今遽ニ之ヲ許ストキハ帝國政府ハ他日充分ナル裁判管轄權ヲ得ンコトヲ要求スル場合ニ至リ我ヨリ讓與スルノ區域最早空手トナル可キノ虞アルコトヲ確信シ遂ニ此宣言ヲ爲ササルヲ得サルニ至レリ抑條約改正事務ノ全局ヲ按シテ約言スレハ貿易上彼ニ讓與スヘキ權利ノ交換トシテ我裁判權ヲ回復スヘキコト必要ナルニ付テハ本大臣ハ必勝ノ算アリト確認スルニアラサレハ其讓與中最價値アル內地通商若クハ之ト其結果ヲ同クスヘキノ虞アル事件ヲ容易ニ放擲スルコト能ハサルナリ
前顯ノ問題ハ從來機密ノ通牒及ヒ懇話ニ由テ之ヲ領シタレトモ獨リ英吉利公使ノミナラス其他ノ全權委員ニ於テ亦爾後ノ集會ニハ何時ニテモ公然之ヲ會議ニ提出スルヲ得ヘク又多分之ヲ提出スルニ至ルヘシ
目今ノ談判果シテ成就スヘキヤ否全ク疑問ニ屬スレトモ本件タル實際我外交政策ノ全問題ニ波及シ其性質甚タ重大ナリ故ニ最モ肝要ナル左ノ諸項ニ對シ豫メ我 皇帝陛下ノ勅許ヲ請ヒ奉ンカ爲メ之ヲ閣議ニ提出セサル可カラサルノ議トナレリ
第一 條約改正會議ニ於テ商業ニ關スル讓與ノ不充分ナルヲ根基トシ現今ノ草案ヲ終局スル能ハサル場合ニ望ミ若シ他ノ委員ヨリ明治十五年卽千八百八十二年ニ於テ提出シタル懸議ノ主意ニ同樣ナル議ヲ提出スルコトアラハ卽チ千八百八十二年ノ提出案ノ幾多ヲ改良シテ我裁判管轄ノ全權ヲ挽回シ之ニ換フルニ充分ナル商業上ノ自由ヲ與フヘキノ準備ヲ爲シ本大臣ヲシテ各國全權委員ニ向ヒ確然之ヲ明言スルコトヲ得セシムヘキヤ
第二 帝國政府ハ裁判所組織ノ改正及ヒ法律編制或ハ諸行政區域權限順序ヲ制定スル等ノ事業ヲ迅速ニ決行スルノ決意ヨリシテ本大臣ヲシテ第一項ノ宣言ヲ爲スコトヲ得セシムルニ至レハ我政府ハ一層更ニ勵精シテ常ニ撓ムコト無ク又中止スルコト無ク必ラス右等ノ事業ヲ擧ケ他日外國公使ヨリ萬一ニモ本大臣ニ向ヒ右ノ宣言ニ付云々セシムルコト無キヲ保スルヲ得ラル可キヤ我外交政略ノ全體ニ就テ之ヲ論スレハ右問題中第一項ハ實際施行セラレ然ルヘキ理由アルヤ明ナリ故ニ帝國內閣ノ此政策ヲ認可セラレンコトヲ本大臣ニ於テハ寸時モ猶豫セス熱心懲慂スル所ナリ然ルニ第二項ニ至リテハ本大臣旣ニ明治十五年閣議ニ提出シ當時已ニ決議ヲ領シタルモノナレハ今日更ニ復タ閣議ヲ經ルニ及ハスシテ決行スルニ妨ケナキモノト雖モ其事體重大ナルヲ以テ鄭重ノ上ニ尙鄭重ヲ加へ更ニ確乎不拔ノ決議ヲ請ハント欲スルナリ否ラスシテ一個人ノ資格トシテハ勿論日本帝國外務大臣トシテモ妄リニ過分ノ責任ヲ一身ニ集ムルハ決シテ甘心セサル所ナリ
而シテ前顯外國全權委員中民法、商法、訴訟法、裁判所組織等ニ關シ日本法律編制ノ現狀如何云々ヲ以テ本大臣ニ質問スル者アランニ現況ニ徴スレハ本大臣ハ不幸ニモ右委員へ明治十五年卽チ千八百八十二年ノ回答卽チ「右ハ準備中ナリ」ト回答スルヲ得ルノミ是ニ於テカ右全權委員或ハ更ニ本大臣ニ對シ「貴政府ハ法律及ヒ訴訟法改正ニ付大イニ準備ヲ爲シタリト雖モ千八百八十二年後ノ進步ハ果シテ當時ノ會議ニ於テ外務大臣ノ宣言シタルカ如キ結果ナルコトヲ保證シ得ルヤ」ト質問セハ則チ本大臣ハ準備年限中ニ我政府必ス其責任ヲ負擔シ充分ノ準備ヲナシ得ヘシト確答セサルヲ得ス然ル時ハ其答言タルヤ一個人ノ私言ニ非ス卽我政府ノ公言タル勿論ナリ
本月一日改正會議ヲ開クニ方リテヤ本大臣ハ自己ノ職務ヲ體シ帝國政府ニ於テ其裁判權ノ一部ヲ挽回シ實施スルニ關シテハ充分責任ヲ負擔スル覺悟ナリト確信シタリ而シテ往々會議ヲ重ヌルニ際シ商議ノ情況ニ由リ若シ全體ノ管轄權ヲ挽回領収セサル可ラサルニ至ラハ帝國政府果シテ此責任ヲ負擔トス確言スルヲ得ヘキヤ否ニ至リテハ敢テ帝國內閣ノ決議ヲ乞ハサル可ラス
尙又爰ニ爭フ可ラサル一大事實アリ卽チ日本帝國ノ開明事業年一年進步スルヤ亦タ言ヲ俟スト雖モ歐羅巴各國ノ政府モ亦姑息ニ安セサルヤ明カナリ故ニ吾々若シ之ニ追及センコトヲ希望セハ一層勤勉労苦セサル可ラス故ニ吾々ニシテ之ニ追及スルニ非サレハ如何程賢明ナル外務大臣及ヒ如何程ニ鍜鍊セル外交官アルモ亦某外國政府ニ於テ如何程厚意ヲ表スルモ到底吾人ノ希望スル目的ヲ逹スルヲ得サルヘシ
本大臣ハ假令ヒ歐羅巴各國政府勵精ノ労ヲ千百スルモ必ラス之ニ追及シテ以テ我々ノ目的ヲ逹センコトハ獨リ本大臣カ畢生ノ力ヲ以テ切ニ期スル所ナルノミナラス實ニ我 皇帝陛下聖旨ノ在ル所ナルコトヲ信シ謹ンテ茲ニ之ヲ奏聞シ帝國內閣ノ議ヲ請ハント欲ス
右謹ンテ上奏ス
明治十九年五月二十九日
外務大臣伯爵 井上馨