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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 金玉均處分方訓令の義につき山縣內相回答(金玉均処分に関する山県内相回答)

[場所] 
[年月日] 1886年8月5日
[出典] 日本外交年表竝主要文書上巻,外務省,118‐119頁.
[備考] 
[全文]

  附屬書一 八月五日付內務大臣訓令神奈川縣知事宛

     二 同右東京府知事宛

   附記  八月十日付芳川內務次官ヨリ靑木外務次官宛

       通知

秘丁第一三號  八月五日接受

金玉均處分方御照會之旨ニ據リ神奈川縣知事及東京府知事へ夫々及訓令候條此段及御回答候也

 明治十九年八月四日

  內務大臣伯爵

   山縣有朋

外務大臣伯爵

 井上 馨殿

(附屬書一)

朝鮮國人金玉均カ我帝國ノ領地內ニ在留スルハ我邦ノ治安ヲ妨害シ且ツ外交上之平和ヲ障碍スルノ虞アリト認ムヘキノ理由アルニ付本大臣ハ特ニ委任セラレタル權限ニ依リ明治十九年六月十一日ヲ以テ命令書ヲ發シ貴下ニ命スルニ金玉均ヲシテ一定ノ期限內ニ自ラ我帝國ヲ去ラシメ彼若シ右期限內ニ於テ自ラ我帝國ヲ去ラサルニ於テハ必要ナル力ヲ用ヰ可成速ニ退去ノ命令ヲ決行セン事ヲ以テシタリ而シテ右金玉均ハ示定ノ期限內ニ於テ遂ニ自ラ我帝國ヲ去ラサルニ付貴下ハ本大臣ノ命令ヲ施行スル爲メ先ツ金玉均ヲ抑留ノ處分ニ付シタル旨ハ本大臣之ヲ領承セリ本大臣ハ今茲ニ更ニ貴下ニ命スルニ右金玉均ヲ我帝國ノ領地東京府營下小笠原島ニ護送セシムルニ付更ニ何分ノ命令ヲ逹スル迄ハ該島ヲ立チ去ルヘカラサル旨ヲ金玉均ニ申逹シ東京府へ引渡事ヲ以テス

依之此命令書ヲ以而前顯ノ權限ヲ貴下ニ附與ス

 明治十九年八月五日

  內務大臣

神奈川縣知事殿

(附屬書二)

朝鮮國人金玉均ヲ處分之義ニ付別紙之通神奈川縣知事へ命令ニ及ヒ候ニ付テハ同島在留中逃走等ノ虞無之樣相當ノ取締致スヘク將又右金玉均及同ク渡航スヘキ朝鮮人四名ノ義同島在留中ハ恤救規則ニ據リ其幾分ヲ取捨シ然ルヘク取扱致スヘシ

右訓令ス

 明治十九年八月五日

  內務大臣

東京府知事宛

(附記)

秘甲第七二號  八月十日接受

金玉均米國渡航之義ハ遂ニ確實ナル保證ヲ爲ス能ハサルニ付神奈川縣ニ於テ最初命令之通執行シ一昨八日ヲ以テ東京府へ引渡シ東京府ニ於テ昨九日午前六時三十分品川海出帆小笠原島へ向ケ護送

致候旨屆出候條此段及御通知候也

 明治十九年八月十日

  內務次官 芳川顯正

外務次官 靑木周藏殿