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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 防穀事件處理に關する閣議決定(朝鮮防穀事件処理に関する閣議決定)

[場所] 
[年月日] 1893年4月12日
[出典] 日本外交年表竝主要文書上巻,外務省,139‐140頁.
[備考] 
[全文]

  明治二十六年四月十二日閣議決定

防穀損害賠償事件ニ付テハ去ル八日特ニ閣議ヲ乞ヒ大石辨理公使ヲシテ袁氏ニ懇談セシメ其助力ヲ藉リ朝鮮政府ニ向テ具サニ利害ノアルトコロヲ陳シテ迅速ニ本件ヲ完結スルノ是ナル事ヲ勸メシムル樣試ミル事ニ廟議一決致居候處去ル一昨十日大石公使四月二日附機密第廿四號信ヲ接到シ之ヲ一讀スルニ同公使カ朝鮮政府トノ談判ノ模樣旣ニ通常外交上ノ範圍ヲ逸出シタル情勢ニ立チ到リ居候儀ヲ發見セリ例セハ去ル三月廿五日朝鮮世子宮殿下御誕辰拜賀ノ日大石公使ハ同國王殿下ニ向ヒ趙督辦ノ行爲ヲ非難シ直チニ陳奏スル所アリシ如キ又其後彼我當局者間往復ノ公交中外交上ノ禮式ヲ缼キ甚シキニ至テハ往々罵詈誣謗ニ近キ文字ヲ見ルニ至リ居候是レ彼此爭論ノ極此異象ヲ激出セシ事ナルヘクシテ未タ遽カニ其曲直ヲ論定スヘカラスト雖トモ如此勢ニ迫リタル以上ハ同公使モ最早樽爼ノ間ニ本件ヲ落着スル能ハサルヘク而シテ彼我ノ惡感觸此ニ至リタル上ハ假令過般閣議ニテ一決セシ袁氏ヲシテ居中調停ノ勞ヲ取ラシムルノ方策ヲ試ミルモ或ハ滿足ナル結果ヲ見ルニ至ラサルヤモ難被計ト懸念致候就テハ若シ該方策ニシテ好結果ヲ得レハ格別若シ然ラサル場合ニ當テモ先頃同公使ヨリ申出ノ方策ヲ順次實行スルハ我廟議ノ許サヽルモノトセハ更ニ他ニ一種ノ方案ヲ考出シ此進退惟谷ノ難ヲ避ケサルヲ得ス其一方案トテ別ニ良案無之候得共彼兩國ノ間ノ爭端ヲ以テ第三者ニ中裁ヲ托スル事卽チ同公使ヲシテ斷然朝鮮政府ニ向テ最後ノ申入ヲナサシメタル上ニテ之ヲ召還シ而シテ或ル一國ヲシテ兩間ニ立テ彼此ノ爭鮎ヲ中裁セシムル事ヲ試ミルモ亦一方策ト被存候今般當省參事官松岡郁之進ヲ京城ニ派遣シ過日閣議ニ於テ決定セシ旨趣ヲ以テ大石公使ヘ訓令ヲ傳逹シ且ツ事情詳細ニ陳述爲致先ツ第一方策(卽チ袁氏ニ居中調停ノ勞ヲ取ラシムルノ方策)ヲ實行セシメ而シテ萬一此方策ニシテ其效ヲ奏スル能ハサル場合ニ到レハ其機會ヲ失ハスシテ直チニ第二方策ヲ實行スル爲メ一方ニ於テハ大石公使ヲシテ朝鮮政府へ最後ノ申入ヲ爲サシメ尋テ之ヲ召還シ他ノ一方ニ於テハ或ル一國ヲ撰テ兩爭ノ中裁ヲ托スル事ヲ試ムヘシ

右兩個ノ方策ハ實ニ從來日韓兩國ノ外交上ノ行懸リヨリ生出シタル不幸ナル爭論ニ對シ勉テ平和ノ手段ヲ以テ其局ヲ結ハン事ヲ講スルモノナレトモ我國人ニ向テハ大石公使申出ノ如キ方策ヲ執ルニ非スンハ恐クハ其滿足ヲ得難カルヘク然ルトキハ以上孰レノ方策ヲ執ルモ蓋シ我國人ノ失望ト非難トヲ招キ我廟略ハ優遊不斷ナリ軟弱ナリトノ批評ヲ免カレサルヘク候得共過日來閣議決定ノ方針ニ從ヒ只管ニ平和手段ヲ以テ此事ヲ落着セント欲セハ到底以上陳述スルカ如キ方策ヲ用フルノ外致方可無之ト存候而シテ外交上ノ方針苟クモ一タヒ決定シタル以上ハ容易ニ變換スヘカラサルモノナルニ因リ本日廟議一決相成候上ハ他日世諭ノ如何ニ拘ハラス此方針ヲ斷行スルノ外又致方無之義ト存候以上陳述スル所孰レモ外交上重要ノ事件ニ付茲ニ預メ閣僚諸公ノ御決議ヲ乞置候也

外務大臣 睦奥宗光

(朱書)

「二十六年四月十二日閣議決定」

大石公使ハ此後ノ談伴上ニ於テモ又タ袁氏居間ノ調停上ニ於テモ若シ金額減少シテ談判相纒ル見込アレハ金額減少ニ同意スヘシ

 但シ朝鮮政府ヨリノ惠與金トシテ之ヲ受領スルヲ得ス

右四月十二日閣議決定セリ (諸大臣花押)