データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 朝鮮事變善後處理に關する日淸往復文書(朝鮮事変善後処理に関する日清往復文書)

[場所] 
[年月日] 1894年6月21日
[出典] 日本外交年表竝主要文書上巻,外務省,141‐143頁.
[備考] 
[全文]

(譯文)

以書簡致啓上候陳者本使ハ唯今本國政府ヨリノ電訓ニ接シ候處貴國政府ヨリ御商議相成候朝鮮事變及善後ノ方法ニ付テハ篤ト考慮ヲ加ヘタル上左ノ通リ及回答候

 一朝鮮ノ變亂ハ已ニ鎭定シタレハ最早淸國兵ノ代テ之ヲ討伐スルヲ煩ハサズ就テハ兩國ニテ會同シテ鎭壓スヘシトノ說ハ之ヲ議スルノ必要ナカルヘシ

 一善後ノ方法ハ其意美ナリト雖トモ朝鮮自ラ釐革ヲ行フヘキコトトス淸國尙ホ其內政ニ干預セズ日本ハ最初ヨリ朝鮮ノ自主ヲ認メ居レバ尙更其內政ニ干預スルノ權ナカルベシ

 一變亂平定後兵ヲ撤スルコトハ乙酉ノ年兩國ニテ定メシ條約ニ具在スレハ今茲ニ又議スベキコトナカルベシ

以上ハ本使ヨリ已ニ御面話ニ及置候得共尙爲念以書簡申進候 敬具

 光緖二十年五月十八日(我六月二十一日)

  淸國特命全權公使 汪鳳藻

日本國

 外務大臣 陸奥宗光閣下

 淸國政府の回答に對する日本政府の態度通吿の件

六月廿二日附發遣 廿三日朝送附ス

親展送第四二號

  外務大臣 陸奥宗光

大淸

 特命全權大使 汪鳳藻閣下

以書簡致啓上候陳者閣下ハ貴國政府ノ訓令ニ從ヒ朝鮮國變亂鎭定幷善後ノ辨法ニ關スル帝國政府ノ提案ヲ御拒絕相成候趣貴曆光緖二十年五月十八日附ノ貴簡ヲ以テ御申越相成致閱悉候

顧テ朝鮮國刻下ノ情勢ヲ察スルニ於テ貴政府ト所見ヲ同フスル能ハサルハ帝國政府ノ遺憾トスル所ニ有之候

之ヲ旣往ノ事蹟ニ徵スルニ朝鮮半島ハ朋黨爭鬩內訌暴動ノ淵叢タルノ慘狀ヲ呈シ而シテ斯ク事變ノ屢々起ル所以ハ獨立國ノ責守ヲ全フスルノ要素ヲ缼クニ職由スルモノト確信スルニ足ルヘキ義ニ有之候

彊土接近ト貿易ノ重要トヲ慮ルニ於テモ亦朝鮮國ニ對スル帝國ノ利害ハ甚タ緊切重大ナルヲ以テ彼國內ニ於ケル慘情悲況ヲ拱視傍觀スルニ堪ヘズ候

情勢此ノ如クナルニ當リ帝國政府措テ之ヲ顧ミサルハ啻ニ平素朝鮮ニ對シ抱持スル隣交ノ友情ニ戾ルノミナラズ我國自衞ノ道ニモ背クノ誚ヲ免レズ候

帝國政府ニ於テ朝鮮ノ安寧靜謐ヲ求ムル爲メニ種々ノ計畵ヲ施スノ必要ハ已ニ前述ノ理由ナルヲ以テ更ニ之ヲ看過スル能ハズ今ニシテ遲疑施ス所ナクシテ日ヲ曠フセバ該國ノ變亂愈ヨ長ク滋蔓スルニ至ルベク候是ヲ以テ帝國政府ニ於テ其兵ヲ撤去スルニハ必ス將來該國ノ安寧靜謐ヲ保持シ政道其宜ヲ得ルコトヲ保證スルニ足ルノ辨法ヲ協定スルニ非サレバ決行シ難ク候且ツ帝國政府カ斯ク撤兵ヲ容易ニ行ハサルハ啻ニ天津條約ノ精神ニ依遵スルノミナラス復タ善後ノ防範タルヘクト存候

本大臣ガ斯ク胸襟ヲ披キ誠衷ヲ吐クニ及ヒ假令貴國政府ノ所見ニ違フ事アルモ帝國政府ハ斷シテ現在朝鮮國ニ駐在スル軍隊ノ撤去ヲ命令スル事能ハズ候

此段御回答旁本大臣ハ茲ニ重ネテ敬意ヲ表候 敬具