データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 朝鮮問題ニ關スル覺書(朝鮮問題に関する覚書,小村・ウェーバー協定)

[場所] 京城
[年月日] 1896年5月14日
[出典] 條約彙纂第一卷第二部,外務省,695‐697頁.
[備考] 訳文
[全文]

 明治二十九年五月十四日京城ニ於テ調印(英文)

 明治三十年二月二十六日發表

(譯文)

在京城日露兩國代表者ハ其ノ各自ノ政府ヨリ同樣ノ訓令ヲ受ケ協議ノ上左ノ通リ議定セリ

 一、朝鮮國王陛下ノ王宮へ還御ノコトハ陛下御一己ノ裁斷ニ一任スヘキモ日露兩國代表者ハ陛下ガ王宮ニ還御アラセラルヽモ其ノ安全ニ付キ疑●{りっしんべんに目の下に大}ヲ抱クニ及バザル時ニ至ラバ還御アランコトヲ忠吿スヘシ又日本國代表者ハ茲ニ日本壯士ノ取締ニ付キ嚴密ナル措置ヲ執ルベキ保證ヲ與フ

 二、現任內閣大臣ハ陛下ノ御一存ヲ以テ任命セラレタルモノニシテ多クハ過ル二年間國務大臣若クハ其ノ他ノ顯職ニ在リテ寛大溫和主義ヲ以テ知ラレタル人々ナリ日露兩國代表者ハ陛下ガ寬大溫和ノ人物ヲ其ノ閣臣ニ任命セラレ且ツ寬仁以テ其ノ臣民ニ對セラレンコトヲ陛下ニ勸吿スルコトヲ以テ常ニ其ノ目的ト爲スベシ

 三、露國代表者ハ左ノ點ニ付キ全ク日本國代表者ト意見ヲ同フス卽チ朝鮮國ノ現況ニテハ釜山京城間ノ日本電信線保護ノ爲メ或場處ニ日本國衞兵ヲ置クノ必要アルベキコト及現ニ三中隊ノ兵丁ヲ以テ組成スル所ノ該衞兵ハ可成速ニ撤囘シテ之ニ代フルニ憲兵ヲ以テシ左ノ如ク之ヲ配置スベキコト卽チ大邱ニ五十人可興ニ五十人釜山京城間ニ在ル十箇所ノ派出所ニ各十人トス尤右ノ配置ハ變更スルコトヲ得ベキモ憲兵隊ノ總數ハ決シテ二百人ヲ超過スベカラズ而シテ此等憲兵モ將來朝鮮政府ニ於テ安寧秩序ヲ囘復シタル各地ヨリ漸次撤囘スベキコト

 四、朝鮮人ヨリ萬一襲擊セラルヽ場合ニ對シ京城及各開港場ニ在ル日本人居留地ヲ保護スル爲メ京城ニ二中隊釜山ニ一中隊元山ニ一中隊ノ日本兵ヲ置クコトヲ得但シ一中隊ノ人員ハ二百名ヲ超過スベカラズ該兵ハ各居留地ノ最寄ニ屯營スベク而シテ前記襲擊ノ虞ナキニ至リ次第之ヲ撤囘スベシ又露國公使館及領事館ヲ保護スル爲メ露國政府モ亦右各地ニ於テ日本兵ノ人數ニ超過セザル衞兵ヲ置クコトヲ得而シテ右衞兵ハ內地全ク靜謐ニ歸シ次第之ヲ撤囘スベシ

 明治廿九年五月十四日京城ニ於テ

  日本國代表者 小村壽太郞

  露國代表者 ウエーバー