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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 滿洲問題に關する協議會(満州問題に関する協議会)

[場所] 東京永田町内閣総理大臣邸
[年月日] 1906年5月22日
[出典] 日本外交年表並主要文書上巻,外務省,260‐269頁.
[備考] 
[全文]

 明治三十九年五月二十二日閣議決定

開會時刻 明治三十九年五月二十二日午後二時四十五分

場所 東京永田町內閣總理大臣邸

列席者  統監 侯爵 伊藤博文

     樞密院議長 侯爵 山縣有朋

     元帥 侯爵 大山巌

     內閣總理大臣 侯爵 西園寺公望

     樞密顧問官 伯爵 松方正義

     伯爵 井上馨

     陸軍大臣 寺內正毅

     海軍大臣 齋藤實

     大藏大臣法學博士 阪谷芳郞

     外務大臣 子爵 林董

     陸軍大將 伯爵 桂太郎

     海軍大將 男爵 山本權兵衛

     參謀總長 子爵 兒玉源太郞

伊藤統監 本日ハ余ノ要求ニ依リ總理大臣ヨリ諸公ノ御曾合ヲ促サレタルヲ以テ余ハ先ツ愚見ヲ陳述致スヘシ顧レハ本年二月余ノ韓國ニ赴任スル前ニ當リ時ノ外務大臣加藤高明君ヨリ滿洲問題ニ關シ各國ヨリ種々ノ照會ヲ受ケ之ニ對スル回答ヲ爲スノ必要アリト雖モ軍衙ト外務省トノ交涉容易ニ解決セサルヲ以テ回答遷延セル事情ヲ聞キタルカ故ニ大磯ニ山懸大山兩侯加藤外務大臣及當時ノ參謀次長兒玉大將ノ御會合ヲ乞ヒ殆ト一日ヲ費シ協議ヲ盡シタル結果一ケ條ヲ除クノ外懸案ノ問題ヲ悉ク解決シ之ヲ決行スルコトトナレリ爾來余ハ任地ニ在リテ外務省ト各國間ノ往復電報ニテ事情ヲ承知シタルノミナルカ三月末頃ニ至リ米國政府ハ滿洲問題ニ關シ我政府ニ嚴重ナル照會ヲ寄セ來リ英國ニ於テモ議會ノ問題ニ上ル等ノコトアリ余ハ甚タ憂慮セリ如何トナレハ是レ獨リ日本ノ外交問題ナルノミナラス其影響ハ間接ニ韓國ニ波及スルノ虞アレハナリ日本ノ滿洲ニ於ケル行動ニ對シ列國ノ物議ヲ招キ海外ノ諸新聞ヨリ非難攻擊ヲ蒙レハ目下韓國上下ノ人心ハ未タ全ク日本ニ服セス動モスレハ陰ニ款ヲ露國ニ通シテ日本ノ政略ニ反對セントスルモノナキニアラサレハ如斯非難ハ怱チ韓人ヲシテ種々ナル空想ヲ抱カシムルヲ以テ余ハ職責上之カ等閑ニ附スルヲ得スト思惟セリ曾々余ハ東京駐劄ノ英國大使ヨリ機密ナル私書ニ接シタリ本書ハ同大使ヨリ京城駐在英國總領事代理ニ送附シ親シク謁ヲ統監ニ求メテ手交セヨト命シ總領事代理ハ大使ノ命ヲ遵奉シテ余ニ傳達シタルモノナルカ故ニ德義上之ヲ世上ニ公ニスルヲ得サレトモ諸公ノ爲メニ其要領ヲ譯述スレハ左ノ如シ

 是レ或ハ拙者ノ誤見ナルヤモ圖ラレサルモ目下英米ノ貿易社曾ニ殆ト公言セラレ居ルハ滿洲ニ於ケル日本ノ軍官憲ハ軍事的動作ニ依リ外國貿易ニ拘束ヲ加へ滿洲ノ門戶ハ曩ニ露西亞ノ掌中ニ在リシ時ニ比シ一層閉鎖セラレタルコトナリ而モ其閉鎖主義ハ專ラ歐米人ニ對シテ行ハレ日本人ニ對シテハ開放主義ヲ實施シツツアリト云フ故ニ昨今米國ヨリ日本政府ニ對シ電信命令ニテ嚴重ナル照曾ヲ爲シ英國政府モ亦同樣ノ擧ニ出テタリ愚見ニ依レハ現時日本政府ノ取ル政略ハ卽チ露國ト戰爭ヲ有シタル際日本ニ同情ヲ寄セ軍費ヲ供給シタル國々ヲ全ク阻隔スル日本ノ自殺的政略ト評スルノ外ナシ抑々諸外國ノ日本人ニ同情ヲ寄セ軍費ヲ供給シタルハ日本カ門戶開放主義ヲ代表シ此主義ノ爲メニ戰フヲ明知シタルカ故ナリ然ルニ日本ノ軍事的方面ニ於テ唱道セラルル說ヲ聞クニ露國ハ早晩復讐ヲ企ツヘキヲ以テ今日ヨリ之ニ對スル設備ヲ滿洲ニ於テ爲スノ必要アリト此說或ハ可ナラン乍併今日ノ儘ニテ進マハ日本ハ與國ノ同情ヲ失ヒ將來開戰ノ場合ニ於テ非常ナル損害ヲ蒙ルニ至ルヘシ日本ノ政治家ニ於テ斯ノ如キ明白ナル利害關係ノ見エサル道理ナシ否日本ニハ此政策ハ狂氣シミタル政策ナリト其眼ニ映スル政治家モ固ヨリ多々アルヘシ若シ然ラストスレハ如上ノ說ハ或ハ拙者ノ誤見ナルヤモ圖ラレス云々ト是レ「マクドナルド」大使カ三月三十一日附ヲ以テ余ニ寄セラル私書ノ大要ナリ余ハ本書ヲ接受シテ我國前途ノ爲ニ益々憂慮セリ加之他方ニ於テ歐電ハ頻リニ日本ハ再ヒ露國ト戰フノ準備ヲ爲セリ日本人ハ「ポーツマス」條約ヲ以テ講和條約ト認メス休戰條約ト目シツツアリト報シタルヲ以テ當時北京ノ露淸談判ハ斯ノ如キ報道ヲ口實トシテ遷延日ヲ曠フシ容易ニ結了セス隨テ露國ハ滿洲撤兵ヲ進捗セス極東ノ形勢容易ナラサルニ至ルヘキヲ察シタリ然ルニ英大使ノ書ヲ見ルニ及ンテ復讐說ハ日本ヨリ傳ハリタルヲ知リ日本ノ爲メニ此報道ヲ頗ル痛惜セリ其後山縣侯爵ヨリノ書簡ニ接シ之ヲ披見スレハ滿洲問題ニ就テハ實行上ニ關スル軍官憲ト外務省トノ意見充分ニ協合セス爲メニ外國ニ向テ返答モ遷延シ外國ノ疑惑ヲ招クノ虞アリトアリ尙侯ハ此書ヲ以テ西園寺首相ノ滿洲旅行ヲ報セラレタリ此報ニ接シ余ハ大政總攬ノ局ニ當レル西園寺侯カ親シク滿洲ノ實地ヲ視察セラルルハ邦家ノ爲メ至極結構ナルコトト思ヘリ同時ニ支那方面ヨリ來ル報道ヲ見ルニ袁世凱ハ日本ニ對シテ不滿ノ念ヲ抱キ日本ノ滿洲ニ於ケル行動ヲ以テ北京條約ノ違反トナシ內田公使伊集院總領事萩原書記官等ト會見シタル際ニモ每ニ之ヲ明言セリ此等ノ報吿ハ定メテ諸公ノ御一覽ヲ經タルモノト信ス若シ今日ノ儘ニ放任セハ啻ニ北淸ノミナラス二十一省ノ人心ハ終ニ日本ニ反抗スルニ至ルヘシ愚見ニ依レハ日本ハ淸國ニ對シテ指導者勸吿者ノ位置ニ立タサルヘカラス淸國目下ノ狀況ヲ見ルニ一般人心ハ決シテ平穩無事ナリト稱スルヲ得ス淸人中ニハ國權恢復ノ意見ヲ抱クモノ多ク其勢力決シテ侮ルヘカラス外國人ハ此意見ヲ目シテ排外思想ト爲スモノノ如シ孰レニモセヨ其波及スル所ハ卽チ同一ノ結果ヲ生スルニ至ルヘシ孰レノ方面ヨリ觀察スルモ日本ニ取リテハ淸國ニ騷亂起ラサルニ如クハナシ隨テ可成淸人ノ不滿ヲ買ハサル樣努ムルハ日本ニ取リテ最モ適當ナル方策ナリト信ス然ルニ淸國政治家中最モ日本ニ同情ヲ寄セ居ル袁世凱スラ斯ノ如キ言ヲ敢テスルニ至リテハ日本ノ爲メニ甚タ取ラサル所ナリ余カ軍事ニ容喙スルハ或ハ冗辯ナリトノ謗リヲ免レサルヘキモ趣旨ヲ明瞭ナラシムル爲メニ敢テ卑見ヲ披瀝スヘシ曩ニ北淸團匪ノ亂アルヤ之ヲ鎭壓スル爲メニ大兵ヲ迅速ニ派遣シ得ルノ位地ニ在リタルハ露西亞ト日本ノ兩國ナリシト雖モ日露戰爭以後ノ今日ニ於テハ露軍ハ遠ク北滿洲ニ退キタルヲ以テ有事ノ日ニ於テ咄嗟ノ間ニ大兵ヲ淸國ニ出シ得ルモノハ單ニ我日本ノミナリ數年ヲ出テスシテ若シ淸國ニ變亂ヲ生シ各國出兵スルカ如キコトアラハ露西亞ハ必ス南滿洲ヲ通過シテ兵ヲ北淸ニ出サント要求スヘシ然ルニ是レ日本ノ到底承諾スルヲ得サル所ナリトスレハ日本ハ今日飽マテ淸國ノ平和維持ニ努力セサルヘカラス隨テ滿洲ニ於テモ淸國人ノ滿足スル方針ヲ取ラサルヘカラスト思考ス西園寺侯モ親シク滿洲ヲ視察セラレタルカ故ニ定メシ種々御意見モアラン余ハ自ラ見ル所ニ隨ヒ外務省ノ吏員ニ命シテ諸公ノ机上ニ在ル條ヲ本會議ニ提供セシメタリ故ニ本案ハ決シテ外務省案ニ非ス余一個ノ私案ナリ其外務官吏ニ命シテ調製セシメタルハ本案調製ノ際參考ニ資スヘキ書類ハ多ク外務省ニ在ルカ故ナリ詳細ナル事項ハ本案中ニ揭載セルモ尙二三ノ說明ヲ爲スヘシ現ニ滿洲ニハ軍政官ナルモノアリ之ニ關スル規定ヲ見ルニ淸國人ノ不滿ヲ唱フルハ當然ナルヘシ撤兵ノ今日露西亞ヨリ讓受ケタルモノヲ保持スルハ當然ニシテ何人モ異議ヲ挿ム謂ナシ然ルニ實際ノ事實ハ此範圍外ニ出テツツアリ軍政署ノ綱領ナルモノヲ見ルニ之ヲ實行スレハ淸國人ノ活動スル餘地更ニナシ否領事ト雖モ活動スルコトヲ得ス軍事當局者ハ固ヨリ相當ノ御考慮アルヘシト雖モ自分ノ見ル所ニ依レハ軍政署ナルモノヲ廢スルニ非サレハ不可ナリ斷然之ヲ廢シタル上ハ該地方ノ行政ハ之ヲ淸國官憲ニ一任セサルヘカラス如何トナレハ該地方ニ行政ヲ布キ人民ヲ保護スルハ淸國ノ責任ナレハナリ若シ淸國ニシテ行政及人民保護ノ實ヲ擧クル能ハサレハ日本ヨリ之ヲ援助スルモ可ナリ今日ノ如ク日本ニ於テ軍政ヲ布キ居ル以上ハ淸國ニ於テ行政保護ノ責任ヲ取ル能ハサルハ當然ナリ然ラハ此責任ハ日本之ヲ取ラサルヘカラス如何トナレハ旣ニ權力ヲ有スル以上ハ之ニ伴フ義務ノ履行ハ到底免レサル所ナレハナリ尙又事情ヲ明ニスル爲メニ余ハ進テ直言セント欲スルモノアリ此事タル或ハ軍事當局ノ意ニ協ハス其感情ヲ害スルカ如キ虞ナキニアラサレハ豫メ寛恕ヲ乞フ余カ種々ナル方面ヨリ聞知シテ蓋シ事實ナラント推測スル所ニ依レハ軍事當局者ハ撤兵期間ハ十八ケ月ナルヲ以テ明年四月迄ハ戰時中ト同樣ノ軍事的措置ヲ取ルモ可ナリトノ解釋ナル由此解釋ニ基キ或ハ種々ナル事業ニ著手シ或ハ租稅ヲ徵收セラルルカ如シ然ルニ現在撤兵シテ單ニ鐵道守備隊ノミヲ留メ五月一日ヨリ旣ニ安東縣ヲ開放シ六月一日ニ至レハ更ニ又奉天ヲ開放セントスルノ今日ニ於テ斯ノ如キ解釋ヲ取ラルルハ余ノ了解ニ苦ム所ナリ余ハ滿洲今日ノ現狀ト軍事的動作トハ到底撞著シテ符合セサルモノナリト信ス加之外國ノ非難ニ依レハ日本ヨリ大連ニ入ル貨物ハ無稅ナルニ反シ上海芝罘等ヲ經テ大連ニ輸入セラルルモノハ淸國沿岸貿易稅率ニ準シ課稅セラルルカ故ニ事實上日本品ト外國品トノ間ニ取扱ノ差違ヲ生スト云フ而シテ外務省ハ此點ニ付テモ答辯ニ苦ムノ位地ニ在リ愚見ニ依レハ縱令近キ將來ニ於テ戰爭ナシトスルモ財政上ノ見地ヨリ觀察シテ日本ハ少クモ英米人ノ人心ヲ滿足セシメ其同情ヲ得サルヘカラス然ラサレハ結局何人モ共ニ困却スヘキ故ニ余ハ諸公御會合ノ本席ニ於テ審議ヲ盡サレ其轍ヲ改ムルコトニ廟議ヲ一決セラレンコトヲ切望ス微衷帝國ノ前途ヲ思フノ餘リ敢テ苦言ヲ吐キタルハ幸ニ諸公ノ寛容ヲ乞フ所ナリ此外韓國ニ關スル問題モ種々アレトモ自ラ別問題ナルヲ以テ混同ヲ避クル爲メ更メテ御協議致スヘシ

伊藤統監ノ演說後列席諸公各意見ヲ述ヘラレタルカ大體論ニ關シテハ毫モ異議ナシトノコトニテ結局西園寺總理大臣ヨリ提出セラレタル左ノ決議案卽チ

 大體ノ論ハ全會一致ノコト

 右ノ意ニ基キ將來ノ經綸ヲ進ムルコト

 關東總督ノ機關ヲ平時組織ニ改ムルコト

 軍政署ヲ順次ニ廢スルコト但シ領事ノ在ル處ハ直ニ之ヲ廢スルコト

 ニ一致シ其他ハ逐條審議ニ入ラスシテ散會セリ

(附記)兒玉參謀總長ヨリ決議文第四項中ノ「直ニ」ハ文字通リ實行スルモ差支ナキヤトノ質問ニ對シ林外務大臣ヨリ「事情ノ許ス限リ可成速カニ」ノ意味ニ解釋スヘキ旨答辯アリタリ

○滿洲ニ於ケル各國通商上門戶開放主義ヲ保持スルハ帝國カ夙ニ中外ニ宣明シタル處ニシテ曩年滿洲還附ニ關スル露淸交涉ノ際ヨリ帝國ハ常ニ英米兩國ト提携シテ該主義ノ擁護者トナリ尋テ日露間ニ平和ノ破裂ヲ見ルニ至リテモ帝國ハ累次列國ニ對シ滿洲ハ勿論韓國ニ於テスラ通商的利益ニ關シテハ必ス上記傳來ノ政綱ヲ恪守シ毫モ他意アルモノニアラサルコトヲ聲明セリ故ニ列國モ亦平和克服ノ暁ニハ日本ハ出來得ヘキ丈ケ速ニ該主義ヲ實践シ滿洲ノ門戶ヲ列國ノ通商ニ開放スヘキコトヲ期待シ殊ニ從來同地方ニ於テ最モ多ク商業上ノ利害關係ヲ有シタル英米二國ハ亦最モ多ク之ヲ期待セリ然ルニ事實滿洲ニ於ケル我行動ハ往々ニシテ彼等ノ豫期ニ反シ帝國ハ多年ノ主張ト累次ノ聲明トヲ沒却シテ滿洲ノ門戶ヲ閉鎖シ獨リ自ラ同地方ノ利益ヲ壟斷セントスルモノナリトノ感想ヲ與國政府及人民ニ懷カシムルニ至レリ之レ帝國ノ爲メ甚タ取ラサル處タルヤ疑ヲ容レス

 次ニ露國トノ關係ヲ顧ルニ帝國ハ交戰二十閱月間陸海共ニ連戰連捷ノ功ヲ奏シ畢ニ平和ヲ克復シ得タルヲ以テ我ニ於テハ露國ヲシテ舊怨ヲ忘レ努メテ我ニ親マシムルノ策ヲ取ラサルヘカラス素ヨリ之ト同時ニ警戒ハ懈ルヘカラスト雖若シ平和克復ノ今日ニ於テモ依然敵人ナルカノ如キ態度ヲ以テ露國人ヲ遇シ又ハ他日ノ復讐戰ヲ期シ公然之ニ備フルカ如キ行動ヲ爲サンニハ之レ會々露國武斷派ノ術中ニ陷ルモノニシテ彼等ハ之ヲ口實トシ極東ノ武備ニ力ヲ盡シ「ポーツマス」條約ハ恰モ一時ノ休戰條約タルカ如キ觀ヲ呈スルニ至ルヘシ此ノ如キハ亦帝國ノ爲メ甚タ取ラサル所タルヤ疑ヲ容レス

 將又淸國ハ如何ン惟フニ日露戰爭ノ結果東西兩洋ハ大ニ相接近シ極東ノ事態ハ一層明ニ歐米諸國ノ眼底ニ映シ來リタルヲ以テ彼等ハ之ニ應シ其政策ヲ定ムヘキヤ論ヲ俟タス而シテ極東ニ於テ尋テ來ルヘキハ淸國問題ニシテ之ヲ諸般ノ趨勢ユ徵スルニ同國ハ早晩列强ト一大紛擾ヲ惹起スルニ至ルヘシ此間ニ在リテ帝國ハ淸國ニ對シ指導者タル地位ニ立ツヘキ乎若クハ列國ト共ニ利益ヲ分タン乎蓋シ日露戰爭以前ニ在リテハ彼ノ義和團事變ノ時ノ如ク淸國トノ紛擾ニ際シ急ニ同國へ大兵ヲ派送シ得ルモノハ日露兩國ナリシモ今ヤ露國ハ南滿洲ヨリ退キテ北方ニ偏在スルヲ以テ若シ露兵ヲシテ南下セシメンニハ之レ卽チ戰爭前ノ狀態ニ復歸スルモノニシテ帝國ノ承諾シ得ヘキ所ニアラス然ラハ則チ帝國タルモノハ宜ク淸國ニ對シ指導者タルノ地位ニ立チ斯ル紛擾ノ發生ヲ豫防セサルヘカラス而シテ此ノ如ク指導者タルノ地位ヲ有センカ爲メニハ我從來ノ政策ヲ追ヒ淸國上下ノ款心ヲ結ヒ彼等ヲシテ益々我ニ信賴セシムルノ方針ニ出テサルヘカラス然ルニ平和克復后ノ我行動ハ此方針ト背馳シ北京條約ノ規定ヲモ無視シ淸國中央及地方官憲ヲシテ漸ク我眞意ヲ疑ハシム此ノ如クンハ多大ノ犠牲ヲ供シテ滿洲ヲ淸國ノ爲メニ克復シタル好意ハ沒了セラレ却テ帝國ヲシテ淸國ノ怨府タラシムルモノニシテ其帝國ノ爲メニ甚タ取ラサル處タルヤ亦一點ノ疑ヲ容レス

 蓋シ事ノ茲ニ至レルハ其根底ニ於テ滿洲ハ撤兵終了期卽チ來年四月迄ハ依然戰時狀態ニ在リトノ見解ニ基クモノ多シトス然レトモ之レ大ナル誤解ニシテ戰時狀態ハ講和條約ノ確定ト共ニ休止シ平和狀態ニ移リタルモノニシテ唯大兵ハ立ロニ之ヲ撤回スルコト能ハサルカ故ニ一定ノ期限ヲ約シタルニ止マリ撤兵其モノハ平和的行動ナリ殊ニ我方ハ事實上旣ニ撤兵ヲ終リ目下滿洲ニ殘留セルハ鐵道及電信守備兵ノミ然ルニ之ヲ以テ依然昌圖以南ノ滿洲全部ヲ占領セルモノトナシ軍政ヲモ戰時ノ儘ニ繼續シ來年四月迄之ヲ維持セントスルカ如キハ實際ノ情況ニ伴ハサル主張ニシテ一般ノ肯諾ヲ得ヘキ事柄ニ非ス且權利ニハ自ラ義務ノ伴フモノアリ故ニ我方ニ於テ飽迄占領權ヲ主張シ軍政ヲ維持セントセハ勢ヒ我占領區域若クハ軍政管內ニ於ケル秩序維持ノ責ニ任セサルヘカラス此ノ如キハ到底不可能且不得策ニシテ寧ロ淸國政府ヲシテ全然滿洲內地ニ於ケル秩序維持ノ責任ヲ取ラシメ而シテ我方ノ助力ヲ以テ之ヲ全ウセシムルノ策ヲ講スルニ若カストス

 之ヲ要スルニ滿洲ニ於ケル我施設ハ國際條約及帝國ノ累次聲明シタル政綱幷ニ實際ノ情況ニ伴ハンコト緊要ニシテ然ラスンハ遂ニ與國ノ同情ヲ失シ帝國ノ威信ヲ傷ケ將來ニ於テ回復スヘカラサル不利ヲ招クニ至ラン就テハ尙目下懸案タル各種ノ問題ハ大體左ノ如ク處理スヘシ

一、關東總督ノ名稱ハ適當ノ時機ニ於テ之ヲ改ムルコト

二、軍政ハ撤兵期間終了ヲ俟タス漸次之ヲ廢止スルコト

三、地方ノ秩序維持ノ爲メ北洋練軍ヲ南滿洲ニ入ルルコトヲ許スコト

四、大連開放ハ可成之ヲ速ニシ同港ニ於テ賦課セル淸沿岸貿易稅ハ之ヲ廢止スルコト

五、大連開放ニ付キテハ速ニ同所ニ相當ノ司法機關ヲ設ク民刑事共ニ其管轄ニ歸セシムルコト

六、安東縣新市街地及南滿洲鐵道停車場敷地內ニハ外國人ノ居住營業ヲ許スコト但シ露人ニ對シテハ之ヲ相互的ニナスコト

七、露國人ノ旅順ニ歸住スルコトハ日本人ノ哈爾賓地方ニ歸住スルコトヲ條件トシテ之ヲ許スコト

八、營口道臺ノ赴任ハ可成速ニ之ヲ許スコト

九、新民屯奉天間鐵道ハ淸國ニ賣渡ノ協議ヲ開クコト

十、木材廠ノ事業ヲ中止シ鴨綠江森林合同經營ニ付テハ淸國ト協議ヲ開クコト

十一、奉天城內其他處々ノ人車鐵道中實際不用ナルモノハ速ニ之ヲ撤去シ又ハ場合ニヨリ人民ニ下渡シ日淸合同經營ノ計畫ヲ立テシムルコト

十二、軍政官ノ淸國人ヨリ徵收セル船車稅ハ之ヲ廢止スルコト

  軍政撤廢ニ關スル實行方法

一、淸國地方官及各國領事トノ交涉事務幷ニ軍人軍屬以外ノ日本臣民ニ對スル裁判事務ハ總テ領事ノ管轄ニ屬セシムルコト(但シ實施ノ日ハ調査ノ上決定スルコト)

二、領事官又ハ領事館出張員ナキ地方ニ於ケル交涉案件ニシテ軍事上ニ係リ且急速處分ヲ要スルモノハ現ニ其地ニ駐在スル軍部ニ於テ淸國地方官ト交涉シ其地方管轄ノ領事館又ハ領事館出張員へ通知スルコト

三、關東總督府又ハ軍政官ノ發シタル日本臣民ニ對スル諸規則ハ一旦總テ領事ニ於テ之ヲ引繼キ追テ必要ニ從ヒ之ヲ改廢スルコト

四、地方衛 {空白ママ}事務ハ停車場敷地內ハ領事之ヲ管理シ其他ノ地方ハ領事ニ於テ淸國地方官ト共同シ又ハ淸國地方官ヲシテ相當ノ方法ヲ立テ之ヲ實行セシムルコト(日本人ノ檢黴事務等ハ假令停車場外ニ住スルモノト雖領事ニ於テ之ヲ管理スヘキハ勿論ニシテ守備隊衞生部ハ是等ニ付領事ニ必要ノ幇助ヲ與フルコト)

五、領事ハ糧秣買入等ニ付守備隊ト淸國官民トノ間ニ立チ守備隊ノ便宜ヲ圖ルヘキコト

六、軍政官ノ施設ニ係ル電話ハ派遣員實地ニ就キ其處分ヲ定ムルコト

 病院商品陳列場煉瓦製造所等ノ如キハ其處分ヲ領事ニ一任スルコト

七、營口ハ最モ重要ノ場所ニシテ從來淸國地方官ノ駐在スルモノナク軍政官ハ依然民政ヲモ司リ其施設中ノモノ亦少カラス要スルニ他ノ軍政署所在地ト大ニ趣ヲ異ニスルヲ以テ軍政署ヲ廢シ淸國地方官ヲ入ルルニ付テハ大要左ノ條件ヲ提出シ淸國政府ノ同意ヲ得タル上之ヲ實施スルコト

 (イ)日淸間ノ約束(日淸談判會議錄第十四號)ニ遵ヒ軍隊衞生上必要ナル檢疫及防疫規則ヲ日本政府ト協議ノ上制定スルコト

 (ロ)軍政官ノ施設ヲ承認スルコト

 (ハ)警察及衞生事務ハ淸國地方官ニ引渡スモ日本領事ニ於テ不行屆ノ點アリト認ムルトキハ淸國地方官ハ其請求ニ應シ必ス適當ノ處置ヲ執ルヘキコト並ニ警察及衞生事務執行ニ付テハ日本警察官及醫師ヲ雇入ルヘキコト

 (ニ)海關事務ハ道臺ノ管轄ニ移スモ其收入ハ依然正金銀行ニ預入レシムルコト

 (ホ)常關事務モ亦道臺ノ管轄ニ移スモ其收入ハ正金銀行ニ預入レ淸國地方官日本領事ト協議ノ上地方公共ノ費用ニ充ツルコト

尤モ右ノ條件ト雖之ヲ從來ノ歷史ニ徵スルニ淸國ノ同意ヲ得ルコト頗ル困難ナルモノアリ就テハ交涉ノ結果多少讓步ノ必要アルヘク而シテ軍政廢止ハ唯一ノ交換問題ナルカ故ニ右ニ關スル協議纒マル迄ハ軍政ハ大體ニ於テ今日ノ儘繼續スルコト

八、安東縣モ亦他ト事情ヲ異ニシ諸般ノ新設計アリ殊ニ大ナルハ防水工事ニシテ其財源ハ「ジヤンク」稅及材木稅等ナリ

 就中右「ジヤンク」稅ハ每月二千餘圓ノ收入アル處軍政ヲ廢スレハ領事ニ於テ引繼キ支那人ヨリ徵收スルコトハ不可能トナル然ラハ淸國地方官ヲシテ工事ヲ爲サシメンカト云フニ元來右防水工事ハ專ラ我停車場敷地(新市街ヲ含ム)ヲ保護スル爲メナルヲ以テ是亦無理タルヲ免カレス就テハ右工事完成迄軍政ヲ繼續スルカ又ハ鐵道監部ニ引渡スコト(工事完成迄ニハ今後尙一二ケ月ヲ要スルコトナリ)

 停車場敷地內ナル新市街ノ設計等ハ將來南滿洲鐵道經營ノ一部ニ屬スヘキヲ以テ右經營緖ニ就クニアラサレハ其完成ヲ期シ難キハ勿論軍政ヲ廢スレハ勢ヒ收入ヲ減スルヲ以テ現在ノ設計モ幾分中止スルノ已ムヲ得サルコトアルヘシ但シ是非共繼續ノ必要アルモノハ其經費ヲ調査シ國庫ヨリ支出ヲ求ムルコト

 從來韓國其他我專管居留地ニ於テハ何レモ居留民役所ナルモノアリテ租稅徵收土木衞生敎育等ノ事務ヲ管掌セリ安東縣ニモ一旦同樣ノモノヲ設ケラレタルモ役員其人ヲ得ス弊害多カリシ爲メ之ヲ廢シ右等一切ノ事務ハ再ヒ軍政署ニ於テ之ヲ行ヒ居レルカ領事館ニ於テ引續キ右等事務ノ全部ヲ自ラ行フコトハ事實不可能ナルニ依リ新ニ一ノ機關ヲ作リ適當ナル人物ヲ選ミ領事ノ監督ノ下ニ右等事務ヲ管掌セシムル心要アリ就テハ此等ノ準備モ成リタル上軍政ヲ撤スルコト

九、其他ノ各軍政署ハ第一第三第四第六等ノ手順付キ次第撤廢スルコト

十、外務者ハ昌圖(若クハ通江子)鐵嶺新民屯遼陽ニ奉天領事館出張員ヲ瓦房店ニ營口領事館出張員ヲ置キ軍政官ヨリ事務ヲ引繼カシムルコト

十一、軍政撤廢前安東縣ニ於ケル領事ト軍政官ノ權限ハ大體左ノ主義ニ據ルコト

 (イ)淸國地方官トノ交涉事務及在留日本臣民ニ對スル警察及裁判事務ハ專ラ軍事ニ關スルモノノ外盡ク領事ニ於テ之ヲ擔任スルコト

 (ロ)外國領事トノ交涉ハ總テ領事ニ於テ之ニ當ルコト

 (ハ)地方衞生事務ハ領事軍政官及淸國地方官協同シテ之ニ任スルコト

 (ニ)軍政上ノ設備經營ニシテ永久ニ亙ルモノハ豫メ領事ト協議スルコト

 其他ノ事項ハ必要ニ應シ定ムルコト

十二、右ノ細目ニ付テハ實地調査ノ上多少變更ヲ要スルコトアルヘク又此以外ニ處分ヲ要スルコトモ勿論アルヘシ右等ハ派遣員協議ノ上適宜ニ處分スルコト

  滿洲ニ關スル件

 (一)關東總督ノ名稱ニ關スル件

旅大租借ニ關スル露淸條約ニハ租借地ノ長官ニ對シ總督巡撫ノ名稱ヲ用ユルコトヲ禁セルカ帝國政府ニ於テハ戰時以來關東總督ナル官ヲ置キ之ヲ今日ニ襲用セルヲ以テ淸國政府ハ滿洲ニ關スル日淸條約ノ規定ニ違背スルモノトナシ之ニ對シ抗議ヲ提出セリ

 (二)軍政署ニ關スル件

滿洲ハ昌圖・鐡嶺・奉天・遼陽・瓦房店・新民屯・營口及安東縣ノ八軍政管區ニ分タル淸國政府ハ平和克復ノ今日尙軍政ヲ繼續スヘキ理由ナシトシ特ニ先ツ新民屯ノ軍政撤廢ヲ希望セリ

 (三)奉天ニ北洋練軍ヲ入ルルコト

滿洲內地ハ馬賊漸ク猖獗ヲ極メントスルノ實況ニシテ現ニ奉天ノ如キスラ城內ノ停車場間ニハ盜賊出沒シ日本人モ之レカ禍ニ罹リタルモノアリテ夜間ハ全ク通行者ナキ有樣ナリ依テ奉天將軍ハ袁世凱ノ下ニアル新式兵若干ヲ奉天ニ入レ府城附近ノ秩序ヲ維持センコトヲ希望シ其他ノ地方ニモ追々北洋練軍ヲ入ルル希望ナリ

 (四)大連ニ於ケル沿岸貿易稅賦課ノ件

帝國官憲ハ大連ニ於テ淸國ノ規則ニ遵據シ沿岸貿易稅ヲ賦課セリ其結果同一種類ノ商品ト雖上海其他ノ淸國地方ヨリ來ルモノハ同稅ヲ賦課セラレ帝國諸港ヨリ來ルモノハ課稅セラレス英國政府ハ之ヲ以テ實際上商品ノ生產地ニ依リ其待遇ニ差等ヲ設クルモノトナシ且大連ニ於テ淸國沿岸貿易稅ヲ賦課スルハ大連ヲ淸國領土ノ一部ト見做スニアラサレハ實行スヘカラサルコトトナシ帝國政府ニ對シ問合ヲナシ來レリ

 (五)大連ニ裁判所設置ノ件

大連開放ニ付テハ速カニ同所ニ相當ノ裁判所ヲ設クルコト緊要ナルヘシ目下民事ハ民政署ニ於テ勸解的ニ取扱ヒ刑事ハ軍法會議ニ附セリ然レトモ外國人ニ對シ同一ノ裁判法ヲ適用スルハ必ス物議ノ原因ナルヘキカ故ニ速カニ普通裁判所ヲ設ケ又ハ民政署ノ司法委員ニ相當資格アル裁判官ヲ任命シ民刑事ヲ併セテ其管轄ノ下ニ歸スルコト必要ナルヘシ

 (六)安東縣買收地ニ關スル件

米國政府ハ日本カ外人ヲ排斥シ自ラ安東縣其他ニ於テ通商上樞要ノ地區ヲ盡ク買收シツツアリトテ異議ヲ提出シ又淸國政府ハ日本政府ニ於テ安東縣大東溝其他ニ於テ民有地ヲ强買セリトテ抗議ヲ提出セリ

 (七)旅順ニ財產ヲ有スル外國人ノ居住ニ關スル件

開戰前ヨリ旅順ニ財產ヲ有スル者ニシテ今後同地ニ復歸シ之ニ居住センコトヲ希望スル者アリ而シテ日露講和條約ニ依リ帝國政府ハ露國ノ讓與セル地方ニ於ケル露國人ノ財產權ハ之ヲ尊重スヘキコトトナレルヲ以テ露國政府ニ於テ右條約ニ依リ露國人ノ旅順ニ復歸シ之ニ居住スルコトヲ許サンコトヲ請求セリ

 (八)營口道臺赴任ニ關スル件

營口道臺ハ日淸條約會議錄ニ於テ撤兵以前ト雖該條約確定後在淸日本公使淸國政府ト協議シ可成速カニ其赴任ヲ許スコトトナリ居レリ故ニ淸國政府ハ該條約批准交換後間モナク帝國政府ニ對シ右ノ交涉ヲ閉始シ來レリ

 (九)新民廳奉天間輕便鐵道改築ニ間スル{前3文字ママ}件

新民廳奉天間ノ軍用鐵道ハ日淸條約談判ノ際我ニ於テ之ヲ淸國ニ賣却スルコトヲ約シタルモノナリ然ルニ右ノ輕便鐵道ハ本邦內地ニ於テ入用アリシ爲メ帝國官憲ハ軌道車輌ヲ本邦へ送還シ之ニ代ユルニ狹軌鐵道ヲ築造スルコトトシタリ淸國政府ハ之ヲ以テ軍用鐵道賣却ノ約束ニ違反スルモノトシ之ニ對シ抗議ヲ提出セリ(目下本鐵道ハ旣ニ土工ヲ終リ軌條ヲ敷設スル迄ニナリ居レリト云フ)

 (十)木材廠ニ關スル件

陸軍木材廠ハ昨年來鴨綠江上流ノ森林ヲ伐截シ且ツ淸國人民ノ自ラ截伐運出スルニ木材ニ對シテハ十本ニ付五本ハ廉價ニ買上ケ一本ハ義捐トシテ收用シツツアリタルカ近來淸國官民間ニ苦情多キ爲メ右ノ義捐ハ之ヲ廢シ其代リ殘リ五本ニ付每一本三十錢宛徵稅シツツアリ淸國政府ハ日淸協約ニ基キ兩國合同木植公司ノ協定未タ成立セサルニ先チ帝國官憲ニ於テ自ラ森林ヲ伐截シ或ハ不當ノ代價ヲ以テ民有木材ヲ買收スルカ如キハ甚タ不法ナリトナシ之ニ對シ抗議ヲナセルト同時ニ奉天將軍ハ命ヲ地方ニ下シ來年四月撤兵ヲ終ル迄木材ノ流下ヲ禁セリ尙又袁世凱ヨリハ淸國木材商ニ於テ旣ニ五十萬兩ヲ支出シ日本商人ト合同會社ヲ組織スルノ準備成リタルニ付速カニ日本商人ノ來淸ヲ希望スル旨ヲ北京政府ニ申出テ同政府ヨリ我方へ照會シ來レリ

 (十一)人車鐵道ニ關スル件

軍政署ハ奉天遼陽其他處々ニ於テ人車鐵道ヲ敷設セルカ就中奉天城內ノ分ニ對シテハ同地將軍ハ痛ク反對シ淸國政府ヨリモ其撤去ヲ請求セリ

 (十二)帝國官憲ノ租稅徵收ニ關スル件

通江子ニ於ケル支那「ジヤンク」稅及營口新民屯ニ於ケル支那車稅等ニ對シテモ淸國政府ハ異議ヲ提起セリ

尙此外ニモ左ノ問題アリ

 (十三)遼河鐵道橋ニ關スル件

昨冬結氷中我陸軍當局ニ於テハ前項鐵道ノ改築ト共ニ遼河ニ架橋セリ然ルニ該架橋ハ水面ヨリ高サ約二十尺ナル處支那「ジヤンク」ノ帆柱ハ平均四十餘尺ナルヲ以テ該橋下通行ノ際非常ノ困難ヲ感シ居レルカ終ニ營口領事團ノ問題トナリ領事團ニ於テ遼河ヲ上下スル「ジヤンク」ノ數ハ約二萬八千隻ノ多キニ上ルヲ以テ此等ノ帆柱ヲ盡ク自在ニ倒シ得ル樣改造センヨリハ鐵道橋ヲ高ムル方却テ經費少ナカルヘシトテ該橋ノ改造ヲ公然我軍政官ニ請求セリ