データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 間島問題に關する閣議決定(間島問題に関する閣議決定)

[場所] 
[年月日] 1909年8月13日
[出典] 日本外交年表竝主要文書上巻,外務省,318−320頁.
[備考] 
[全文]

 明治四十二年八月十三日

帝國政府カ日淸兩國間ニ存在スル政治上並經濟上ノ密接ナル關係ニ鑑ミ將來如何ナル場合ニ於テモ常ニ淸國ニ於テ優勢ナル地位ヲ占有スルニ努メ之ト同時ニ今後益々滿洲ニ於ケル我特殊ノ地位ヲ確保シ且漸次列國ヲシテ之ヲ承認セシムルノ手段ヲ執ルヘキコトハ帝國對淸政策ノ根本主義トシテ曩ニ廟議ノ決定セル所ナリ然ルニ其後淸國ハ滿洲ニ關スル彼我交涉ノ案件ヲ仲裁裁判ニ附セムコトヲ提議シタルノミナラス其ノ之ヲ撤回スルニ至リタル後ニ於テモ尙妥協ノ誠意ヲ表セサリシヲ以テ帝國政府ハ安奉線改築ノ如ク我ニ明白ナル條約上ノ權利アリテ而カモ滿韓經營ノ爲メ特ニ急施ヲ必要トスルモノヲ除キ其ノ他ノ滿洲ニ關スル懸案ニ付テハ暫ラク現狀ヲ維持スヘキコトニ決セラレタリ

然ルニ安奉線改築ノ斷行ハ淸國政府ヲ動カシ豫テ政府部內ニ存在シタル日淸關係改善論ニ刺戟ヲ與へ同政府ヲシテ滿洲懸案ノ解決ヲ急ニスルノ必要ヲ認メシメ同政府ハ今回我カ曩ニ提出セル解決案ニ對シ其對案ヲ送致シ且速ニ懸案ノ解決ヲナサムコトヲ我ニ提議スルニ至レリ

滿洲ニ關スル懸案ハ其性質何レモ現狀ヲ維持スル爲我ニ失フ所ナキモノニ屬スト雖現狀ノ維持タル一時已ムヲ得サル臨機ノ處置ニ止マリ固ヨリ是ヲ以テ永遠ノ方策トナスヲ得ヘキモノニ非ス兩國間ニ懸案ノ繫屬スルアリテ久シク之カ解決ヲ見サルカ如キハ其事件ノ性質如何ニ拘ラス旣ニ兩國ノ親交ヲ阻碍スルノ結果ヲ免カレス殊ニ我ニ於テ其ノ滿洲ニ有スル所ノ特殊ノ地位ヲ確立セムトスルニ當リテハ事實ニ於テ該地方ニ於ケル經營ヲ進捗シテ我根底ヲ深クスルコトヲ必要トシ之カ爲ニハ一方ニ於テ淸國官民ノ感情ヲ融和シ平穩ニ經營ヲ進マシメ他方ニ於テハ列國ヲシテ我經營ノ淸國ノ同意ヲ經タル合理ノ行爲タルコトヲ承認セシムルコトヲ要ス從テ廟議ノ決定ニ基キ淸國ニ對シテ我優勢ナル地步ヲ保持シ併セテ滿洲ニ於ケル我特殊ノ地位ヲ確立セムト欲スルトキハ可成速ニ懸案ヲ解決シ以テ兩國間ニ於ケル不快ノ因ヲ絕ツコトヲ必要トス而シテ右ノ目的ヲ達セムカ爲ニハ今回淸國反省ノ期ハ又逸スヘカラサルノ好時期ナリトス

滿洲ニ關スル懸案中淸國政府ノ最モ重キヲ置ク所ハ間島問題ニ在リ該問題ニ關シテハ曩ニ廟議ノ決定ニ基キ該地方ニ對スル領土權ノ主張ヲ固守セス專ラ韓人保護ノ目的ヲ達スルヲ主旨トシ淸國政府ニ交涉シタル處彼我双方論議ノ末同問題ノ最要點ハ遂ニ該地方雜居韓人ニ對スル管轄問題ニ歸着スルニ至レリ而シテ淸國政府ノ主張ハ强イテ是等韓人ヲ以テ淸國臣民ナリトナスニ非スシテ其目的トスル所ハ右韓人ニ對スル裁判權ヲ自國ノ手ニ保有セムトスルニアルカ如シ抑是等韓人ハ一種特別ノ歷史ヲ有スル移民ニシテ之ヲ淸國ニ於テ自國臣民ナリト主張スルモ亦多少ノ理ナキニ非ス之ヲ以テ淸國ヲシテ彼等韓人ニ關スル裁判權ヲ抛棄セシムルカ如キハ到底淸國ノ敢ヘテシ得ヘキ所ニ非サルノミナラス同國ニシテ雜居地域住民ノ七割ヲ占ムル韓人ニ對シ裁判權ヲ有セストセハ該地方ノ統治ハ非常ノ困難ヲ見ルヘキヲ以テ同政府カ到底右ニ對スル裁判權ノ抛棄ヲ承諾セサルヘキハ明白ナル次第ナリ此故ニ間島問題ニ關スル妥協ヲ遂ケ之ト同時ニ各種滿洲ニ關スル懸案ヲ解決セムト欲スルトキハ少クトモ我ニ於テ韓人裁判權問題ニ關シ多少ノ讓步ヲナスノ覺悟無カルヘカラス然ルニ元來我ニ於テ韓人ニ對スル裁判權ヲ保有セムコトヲ欲スルハ之ニ依リ韓人保護ノ任ヲ完フセムトスルニ外ナラス從テ保護ノ目的ニシテ之ヲ達スルヲ得ハ必スシモ裁判權ヲ我ニ收メサルヘカラサル次第ニ非サルノミナラス各國人カ淸國ニ於テ治外法權ヲ享有スルハ何レモ開港市居住者若クハ內地遊歷者ニ止マリ廣大ナル不開地域ニ雜居スル人民ニ對シテ裁判權ヲ保有スルカ如キハ淸國ト各國間ニ於ケル條約ノ未タ之ヲ認メサル所ナリ之ヲ以テ淸韓條約ニ依リ我ニ屬スル所ノ領事裁判權ナルモノハ之ヲ普通外國人ノ享有スル權利ト同一ノモノト認ムヘク之ヲ目シテ間島雜居地ニ居住スル韓人ニ及フモノト解スルハ妥當ヲ缺クニ似タリ殊ニ滿洲ニ於ケル我權利ハ旣ニ遠ク西北ニ延ヒテ長春、吉林ノ線ニ至レル次第ナルヲ以テ滿韓交境邊陬ノ地ニ於ケル少數韓人ノ裁判權ヲ重視シ之カ爲メ各種懸案ノ解決ニ障碍ヲ與フルカ如キハ決シテ得策ナリト謂フヘカラス之ヲ以テ我ニ於テ此際日淸兩國關係ノ大體ニ鑑ミ韓人管轄問題ニ於テ幾分ノ讓步ヲ爲シ雜居地居住韓人ニ關シテハ强イテ裁判權ノ保有ヲ主張セス之ト同時ニ是等韓人保護ノ目的ヲ達スル爲メ韓人ニ關スル裁判ニ付テハ我ニ於テ特ニ官吏ヲ派シテ之ニ立會ハシメ以テ同地ニ一種ノ會審制度ヲ布クコトトシ一面淸國政府ヲ滿足セシメ一面韓人保護ノ根本主義ヲ貫徹スルコトトシ間島問題ハ大體左ノ方案ニ依リ之ヲ妥結スルコトトシ他ノ五問題ニ付テハ旣定ノ方針ニ依リ淸國ト交涉ヲ遂ケ淸國ヲシテ充分我要求ヲ容レシムルニ努ムルヲ得策ナリトス

一、豆滿江ヲ以テ淸韓兩國ノ國境ト爲シ同江上流地方ノ境界ハ日淸兩國委員ヲシテ之ヲ調査決定セシムルコト

二、淸國ヲシテ間島ニ於テ三四ケ所ノ開市場ヲ設ケシメ我ニ於テ該地方ニ一ケ所ノ領事館及數ケ所ノ分館ヲ置クコト

三、間島ニ於テ一定ノ區域ヲ定メ淸國ヲシテ該地域內ニ於ケル韓人ノ雜居ヲ承認セシムルコト

四、淸國ヲシテ間島ニ於ケル韓人旣得ノ權利及利益ヲ保障セシメ且天賓山鑛山ヲ日淸合併ト爲スヲ承諾セシムルコト

五、淸國ヲシテ間島地方ト他ノ淸韓地方トノ交通及貿易ヲ障碍セシメサルコト

六、在間島開市場區域內ニ居住シ又ハ內地ヲ遊歷スル韓人ニ付テハ我ニ於テ領事裁判權ヲ行使スルコト

七、在間島開市場以外ノ雜居地域ニ居住スル韓人ニ關シテハ淸國ヲシテ裁判權ヲ行使セシメ我ハ官吏ヲ派シテ其裁判ニ立會ハシムルコト

八、吉長鐵道ヲ會寧ニ延長スルノ件ハ假令今回淸國ノ同意ヲ得ル能ハストスルモ他日ノ素地ヲ爲スタメ適當ノ形式ヲ以テ此ノ際之ヲ淸國ニ提議シ置クコト