[文書名] 間島ニ關スル協約(間島に関する日清協約)
明治四二年(一九〇九年)九月四日北京ニ於テ調印
明治四二年(一九〇九年)九月八日官報揭載
前文
大日本國政府及大淸國政府ハ善隣ノ交誼ニ鑒ミ圖們江カ淸韓兩國ノ國境タルコトヲ互ニ確認シ竝ニ妥協ノ精神ヲ以テ一切ノ辨法ヲ商定シ以テ淸韓兩國ノ邊民ヲシテ永遠ニ治安ノ慶福ヲ享受セシメムコトヲ欲シ茲ニ左ノ條款ヲ訂立セリ
第一條
國境ノ劃定
日淸兩國政府ハ圖們江ヲ淸韓兩國ノ國境トシ江源地方ニ於テハ定界碑ヲ起點トシ石乙水ヲ以テ兩國ノ境界ト爲スコトヲ聲明ス
第二條
開放地
淸國政府ハ本協約調印後成ルヘク速ニ左記ノ各地ヲ外國人ノ居住及貿易ノ爲開放スヘク日本國政府ハ此等ノ地ニ領事館若ハ領事館分館ヲ酌設スヘシ開放ノ期日ハ別ニ之ヲ定ム
龍井村
局子街
頭道溝
百草溝
第三條
雜居地域
淸國政府ハ從來ノ通圖們江北ノ墾地ニ於テ韓民ノ居住ヲ承准ス其ノ地域ノ境界ハ別圖ヲ以テ之ヲ示ス
第四條
法權
圖們江北地方雜居區域內墾地居住ノ韓民ハ淸國ノ法權ニ服從シ淸國地方官ノ管轄裁判ニ歸ス淸國官憲ハ右韓民ヲ淸國民ト同樣ニ待遇スヘク納稅其ノ他一切行政上ノ處分モ淸國民ト同樣タルヘシ
右韓民ニ關係スル民事刑事一切ノ訴訟事件ハ淸國官憲ニ於テ淸國ノ法律ヲ按照シ公平ニ裁判スヘク日本國領事官又ハ其ノ委任ヲ受ケタル官吏ハ自由ニ法廷ニ立會フコトヲ得但シ人命ニ關スル重案ニ付テハ須ラク先ツ日本國領事官ニ知照スヘキモノトス日本國領事官ニ於テ若法律ヲ按セスシテ判斷セル廉アルコトヲ認メタルトキハ公正ノ裁判ヲ期セムカ爲別ニ官吏ヲ派シテ覆審スヘキコトヲ淸國ニ請求スルヲ得
第五條
土地家屋ノ保護
圖們江北雜居區域內ニ於ケル韓民所有ノ土地、家屋ハ淸國政府ヨリ淸國人民ノ財產同樣完全ニ保護スヘシ又該江沿岸ニハ場所ヲ擇ミ渡船ヲ設ケ雙方人民ノ往來ハ自由タルヘシ但シ兵器ヲ携帶スルモノハ公文又ハ護照ナクシテ境ヲ越ユルヲ得ス雜居區域內產出ノ米穀ハ韓民ノ販運ヲ許ス尤モ凶年ニ際シテハ仍禁止スルコトヲ得ヘク柴草ハ舊ニ依リ照辨スヘシ{沿岸ニ...自由タの行の上に「往來の自由」、境ヲ越...販運ヲの行の上に「米穀及柴草」の文字あり}
第六條
吉長鐵道ノ連絡
淸國政府ハ將來吉長鐵道ヲ延吉南境ニ延長シ韓國會寧ニ於テ韓國鐵道ト連絡スヘク其ノ一切ノ辨法ハ吉長鐵道ト一律タルヘシ開辨ノ時期ハ淸國政府ニ於テ情形ヲ酌量シ日本國政府ト商議ノ上之ヲ定ム
第七條
帝國官吏ノ引上及領事館ノ設置
本協約ハ調印後直ニ效力ヲ生スヘク統監府派出所竝ニ文武ノ各員ハ成ルヘク速ニ撤退ヲ開始シ二箇月ヲ以テ完了スヘシ日本國政府ハ二箇月以內ニ第二條所開ノ通商地ニ領事館ヲ開設スヘシ
右證據トシテ下名ハ各其ノ本國政府ヨリ相當ノ委任ヲ受ケ日本文及漢文ヲ以テ作成セル各二通ノ本協約ニ記名調印スルモノナリ
明治四十二年九月四日
宣統元年七月二十日
北京ニ於テ *1*
大日本國特命全權公使 伊集院彥吉(官印)
大淸國欽命外務部尙書會辦大臣 梁敦彥(花押)
*1* 原文では下のように表記されている。
明治四十二年九月四日 | 北京ニ於テ |
宣統元年七月二十日 |