データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] シベリア派遣軍の進出區域に關する件(シベリア派遣軍の進出区域に関する件)

[場所] 
[年月日] 1918年10月15日
[出典] 日本外交年表竝主要文書上巻,外務省,471頁.
[備考] 
[全文]

大正七年十月十五日閣議決定

西比利亞ニ於テ聯合軍ト協戮スヘキ帝國軍隊配置ノ問題ハ帝國政府ノ豫テ深ク念トセル所ナリ帝國政府カ東部西比利亞ノ地域以西ニ亘ル軍事的活動ヲ約スルコト能ハサルハ曩ニ六月二十四日在倫敦帝國大使ヨリ英國政府ニ致セシ機密覺書(前掲)中ニ述ヘタル所ニシテ當時如此行動ノ實行ニ關シ豫見シタル重大ナル困難ハ其ノ後幾多事態ノ變遷アリタルニ拘ハラス大體ニ於テ未タ除去セラルニ至ラス帝國軍事當局者「チエツク、スロヴァック」軍及露西亞愛國者ノ努力ニ對シ多大ノ同情ヲ有スルニ於テ毫モ渝ル所ナシト雖モ强固ナル東部戰線ヲ形成セントスル企劃ハ實際上成効ノ望ミナキヲ信ス

本問題ノ解決ニ當リ帝國政府ノ極メテ重要視スル他ノ一點ハ最近聯合與國政府ニ通牒サレタル米國政府ノ決定是ナリ右米國政府ノ意見ニ依レハ同政府ハ其ノ軍隊ヲ「オムスク」又ハ以遠ノ地點ニ配置スルヲ不可トシ且烏拉爾以西ニ於ケル軍事的活動ニ對シテハ何等援助ヲ與フルコト能ハサル旨ヲ宣言セリ帝國政府ハ西比利亞ニ於ケル軍事企劃ノ成効ヲ期セムカ爲ニハ共同交戰國政府全部ノ共同一致ニ基ク有形無形ノ援助ヲ必要ト認メ其ノ援助ヲ得サル行動ハ之ヲ執ルニ躊躇セサルヲ得ス以上ノ理由ニヨリ帝國政府ハ何等今ヨリ豫見シ難キ事態ノ發生セサル限リ目下貝加爾湖以東ノ地區ニ策動中ナル帝國軍隊ヲ其ノ以西ニ進出セシメサルコトニ決セリ