[文書名] 巴里講和首相會議に於ける牧野全權の陳述(巴里講和首相会議に於ける牧野全権の陳述)
(電報譯文)大正八年四月二十二日
去ル一月余ハ日本ノ參戰事情竝ニ本件要求ニ關聯セル地方ニ於ケル實情ニ鑑ミ正當且公平ナリト認ムル日本ノ要求ヲ最高會議ニ提出シ之ニ關シ說明ヲ試ミル處アリタリ余ハ今回ノ機會ヲ利用シ膠州灣租借地竝ニ山東ニ於ケル獨逸ノ權利ニ關スル我方ノ要求ヲ一層詳細ニ說明セントス
日本政府カ一九一四年八月十五日獨逸ニ最後通牒ヲ送リ追テ日本ヨリ支那ニ還附ノ積リナル右地域ヲ無條件ニ日本ニ引渡サレムコトヲ求メタルコトハ尙ホ一般ノ記憶ニ存スル處ナリ
獨逸ハ一定期間內ニ回答ヲ與ヘス依テ日本ハ遂ニ武力ニ訴フルノ止ムヲ得サルニ至レリ日本ハ此等ノ措置ヲ執ルニ當リ常ニ英國ト協議シ協調ヲ保持シテ行動シタル次第ナリ
膠州ニ於ケル獨逸根據地ハ一九一四年十一月七日略取セラレ山東鐵道ト共ニ今日ニ至ル迄日本ノ占領スル處タリ
日本ハ戰爭結局ノ終熄ヲ見越シ一九一五年一月支那ニ對シ膠州灣租借地還附竝ニ山東省ニ關スル獨逸ノ他ノ權利處分ノ基礎ニ關シ豫メ協定ヲ遂ケ置カムカ爲メ支那ニ交涉スル處アリタリ之畢竟獨逸ニ對シ最終平和會議ニ於テ日本ノ要求ニ應スルコトヲ拒絕スルノ口實ヲ與ヘス且獨逸ヲシテ今後更ニ勢力ヲ恢復シ極東平和ヲ侵迫スルカ如キコトナカラシメムカ爲ニ外ナラス其後引續キ行ハレタル商議ノ結果一九一五年五月二十五日山東省ニ關スル條約竝ニ之ニ附屬ノ交換公文調印セラレタリ本條約ニ於テ支那ハ山東省ニ關シ獨逸カ支那ニ對シテ有セシ一切ノ權利利益及ヒ讓與ノ處分ニ關シ日獨政府間ニ協定セラルヘキ一切ノ事項ヲ認ムヘキヲ承認シ日本ハ交換公文ニ於テ獨逸ヨリ膠州灣自由處分權ヲ獲得シタル場合ニハ左記條件ノ下ニ之ヲ支那ニ還附スヘキコトヲ聲明シタリ
一、膠州灣全部ヲ商港トシテ開放スルコト
二、日本政府ノ指定スヘキ地域ニ日本居留地ヲ設クルコト
三、列國ノ希望トアラハ國際居留地ヲ設クルコト
四、右地域ノ還附ニ先テ獨逸公共營造物及ヒ財產竝ニ他ノ條件及ヒ手續ニ關シ日支政府間ニ協定ヲ遂クルコト
此等ハ凡テ自明ノ條件ナルカ或ル點ニ關シ茲ニ一言スルモ敢テ無用ノ業ニ非サルヘシ、右條件第二ニ規定スル日本居留地設置ノ義ハ支那多クノ重要開港又ハ開市場ニ見ラルルカ如キ特別ノ組織及法權ノ下ニ日本人竝ニ他國民(支那人モ含ム)居住ノ爲メ特ニ區劃セラルヘキ市區ノ一部分ノミニ關スルコトナリ
條件第四ノ「他ノ條件及ヒ手續」ナル語ハ租借地ヲ支那ニ還附スルニ際シ決定遵行セラルヘキ些細ノ條件及手續ヲ指ス
一九一七年ノ初葉日本ハ其ノ同盟國ト共ニ支那ヲシテ獨逸トノ外交關係ヲ斷タシメ出來得ヘクンハ之ニ對シ宣戰セシムルタメ慫慂方盡力スル處アリ遂ニ支那ハ一九一七年三月十四日獨逸ト外交關係ヲ斷チ同年八月十四日獨逸ニ對シ宣戰スルニ至レリ右ハ前記條約カ兩國間ニ締結セラレテ後二箇年ノコトナリ
其ノ後一九一八年九月二十四日卽チ支那宣戰後一ケ年以上一九一五年五月二十五日本件條約締結後三ケ年以上ヲ經タルトキ在東京支那公使ハ日本外務大臣ト幾多ノ公文ヲ交換セリ右公文ノ飜譯ハ旣ニ最高會議ニ提出セラレタリ、右公文ハ特ニ日本民政ノ撤廢膠濟鐵道ハ其所有者決定ノ上ハ日支合辦事業トシテ經營スルコト竝ニ鐵道ノ守備及警察ノ事項ヲ規定シタリ
支那公使ハ又膠濟鐵道ニ連結スル二鐵道線(電文不明ノ箇所アリ)ノ建設ニ關スル借款調達ノ件ニ關シ日本政府ノ援助ヲ求メタルニ付日本政府ハ之ニ應シ其ノ結果支那政府ト日本銀行家間ニ此等借款ニ關スル豫備契約締結セラレ支那政府ハ契約ノ條項ニ從ヒ銀行家ヨリ旣ニ二千萬圓ノ前渡ヲ受ケタリ
余ハ出來得ル限リ明瞭ニ事態ノ說明ヲ爲サンカ爲メ前顯ノ事實ヲ述ヘタル次第ナルカ之レニ依ルニ
第一、日本カ或ル條件ノ下ニ膠州灣ヲ支那ニ還附スルコトヲ約セルコト右條件ハ何レモ日本カ山東省ヨリ獨逸ヲ驅逐スル爲盡シタル功績ニ鑑ミ何等不正或ハ不公平ト認メラルルモノナキコト
第二、支那ノ對獨宣戰ハ右宣戰ヨリ約二ケ年前ニ日支間ニ締結セル條約其ノ附屬協定ノ効力ニ何等關係アルへキ筈ナク且右宣戰ハ何等前記條約及協定ニ關聯シタル形勢ヲ動カシ且之ヲ變更シ得ルモノニアラサルコト
第三、支那宣戰後一ヶ年以上ヲ經過シタル後締結セラレタル一九一八年九月ノ協定ハ到底一九一五年五月ノ條約ノ存在及其効力認知ノ上ナラテハ締結セラレ得ヘキモノニ非ス現ニ一九一五年ノ條約規定ノ或ル條項ハ後者規定ノ協定題目トナレルモノナリ卽チ一九一八年ノ協定ハ一九一五年條約ノ增補トシ其ノ續約タラシメムトノ積ニテ締結セラレ實際前者ハ後者ノ增補續約タル次第ナリ且支那ハ現ニ上記協定各項ニ從ヒ二千萬圓ノ前渡金ヲ受ケ居レルコトハ特ニ留意スヘキ點ナリ
余ハ更ニ日支間ニ還附實行ニ關シ篤ト劃定セル方針ノアルコトヲ附言セントス、右方針以外ノ方策ハ兩國間ニ協定濟ナル確定的ナル協約ニ反スルモノナリ
日本ノ要求ハ一九一五年ノ條約及一九一八年ノ協定ノ條項實行上租借地及山東省ニ於ケル獨逸ノ權利特權及讓與ヲ獨逸ヨリ得ムトスルニアルコト明ナリ
宣戰ノ結果土地租借ニ關スル條約ハ直ニ消滅スルモノナリト主張スルモノアル處斯ル主張ハ國際法上確立セル法規ノ認容スル處ニ非ス租借地內ニ於テハ獨逸ノ主權ノ行使ヲ許シ居ル租借條約ノ性質ニ鑑ミ膠州灣ノ租借ハ九十九年ト云フ時ノ制限アルコトヲ除カハ純然タル割讓ト認メ得ヘシ而シテ宣戰ハ土地割讓條約或ハ其ノ他ノ領土上ノ協定ヲ廢止スルモノナラサルコトハ一般ニ認ムル處ナリ
余ハ日本ノ拂ヒシ犠牲及從來ノ功績竝現在占領ノ事實ニ基キ國民ノ名譽ニ關聯セル日本ノ要求ニ對シテハ充分ナル滿足ヲ與ヘラルルコト確信ス
余ハ茲ニ對獨豫備條約中ニ入レラルヘキ條項草案ヲ提出セムトス(下略)