データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 大連會議ニ關スル件(大連会議に関する件)

[場所] 
[年月日] 1922年4月4日
[出典] 日本外交年表竝主要文書下巻,外務省,21‐22頁
[備考] 
[全文]

大正十一年四月四日閣議決定

大連ニ於ケル我代表者ト齊多政府代表者トノ交涉ハ開始以來旣ニ七ケ月ヲ經過セルニ拘ラス未タ解決ニ至ラス右ハ彼我意見ノ異ルニ基クハ勿論ナルカ又華府會議ヲ始メ露西亞ニ對スル歐米諸國ノ態度其他各般ノ事情ニ基キ齊多側ニ於テ種々驅引ヲ爲スル依ルモノト思考セラルル處本交涉ハ可成速ニ之ヲ解決スル必要アリ特ニ最近浦潮派遣軍第十一師團ト第八師團ノ交代期ニ迫リ居ルヲ以テ諸般ノ事情ニ顧ミ此際一氣呵成ニ基本協定ノミニテモ調印ヲ濟マセタル上右交代ヲ實行スルコトナク直ニ第十一師團ヲ歸還セシメ守備區域ヲ縮小シ一面本交涉ノ促進ヲ計ルト共ニ他面我方ニテハ撤兵ノ誠意アルコトヲ示サントシ松島政務部長ニ電訓ヲ發シテ右方針ニ依リ談判セシメ本月中旬迄ニ調印ノ運ニ至ラサルニ於テハ談判ヲ打切ルノ止ムナキニ至ルヘキ旨警吿セシメタリ目下ノ處基本協定ニ付テハ我方ニ於テ出來得ル限リ寛大ノ態度ヲ示シタル結果双方意見一致ニ傾キタルモ尙先方ハ尼港事件解決及齊多軍ノ浦潮進出ヲ要求シ黑龍松花兩江航行權ニ付テハ我要求ヲ拒絕シ其他二三ノ點ニ付未タ意見一致セス今後齊多側ニシテ我方提示ノ期間內ニ我主張ヲ承諾セハ可ナルモ萬一到底之ヲ承諾スル見込ナキ場合ニ於テハ左記案ニ依リ措置スルコト可然

一、豫定ノ如ク第十一師團ト第十八師團{前5文字原文ママ}トノ交代ヲ實行スルコト或ハ談判纒ラサルニ拘ラス此際第八師團ヲ派遣スルコトナクシテ第十一師團ヲ歸還セシメ守備區域ヲ尼市方面迄縮小スルモ一策ナリト雖斯クノ如クスルトキハ齊多側ハ日本の要求ヲ拒絕ス爲却テ自己ニ有利ノ形勢ヲ生スル結果トナルヲ以テ益々我ニ對シ輕侮ノ念ヲ起シ今後ノ交涉ニ於テ我ニ不利ナル形勢ヲ馴致スヘキノミナラス政情安定ヲ期シテ撤兵セントスル帝國政府ノ方針ニ反スル結果ヲ齎スヘキニ付寧ロ此際交代ヲ斷行シテ暫ク形勢ヲ觀望スルヲ可トス

二、大連ニ於ケル談判ヲ打切リ我代表者ニ引揚ヲ命スルコト旣ニ我方ニ於テハ齊多側トノ談判ニ於テ漸次寛大ノ方針ヲ取リ最近於テハ寧ロ齊多側ニ有利ナル形勢ヲ齎ラス如キ程度ニ於テ話ヲ進メ來リタルニ依リ若シ齊多側ニシテ誠意談判ヲ纒ムル意志アラハ右程度ニ於テ折合フコト得策ナルニ拘ラス頑强ニ我要求ヲ應諾セサルニ於テハ彼等ハ「ゼノア」會議等ニ重ヲ置キ故意ニ談判ヲ遷延セシムルモノト思考セラルルニ付此際斷然交涉ヲ打切ルコト可然

三、形勢ノ推移ヲ待チ好機ヲ見テ可成速カニ撤兵ヲ決行スルコト前記ノ如キ方針ヲ取リ我方ニ於テハ暫ク現狀ヲ維持シテ形勢ノ推移ヲ待ツコトトスルモ將來永ク駐兵ヲ繼讀スルハ面白カラサルヲ以テ該地方政情ノ安定ニ努メ好機ニ於テ可成速カニ撤兵ヲ決行スルコト

要スルニ露國人ノ性癖トシテ談判ニ驅引多キヲ以テ這回ノ交涉ニ於テモ此點ヲ考慮スル必要アリ曩ニ英露ノ通商條約交涉ニ際シテモ數回談判ノ中止ヲ見タリ此際我方ニ於テ前記ノ如ク毅然タル態度ヲ示スハ將來ノ爲メ得策ト思考ス