データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 我現役軍人を中國中央政府又は地方官憲の顧問として傭聘せしむるの件(我現役軍人を中国中央政府又は地方官憲の顧問として傭聘せしむるの件)

[場所] 
[年月日] 1922年7月27日
[出典] 日本外交年表竝主要文書下巻,外務省,25‐26頁.
[備考] 
[全文]

大正十一年七月二十七日閣議決定

一、現役軍人ヲ其儘他國ノ軍隊ニ編入セシメ若クハ其軍事顧問トシテ聘ニ應セシムルハ世界大戰前獨逸カ土耳古ニ對シテ行ヒタル所ニシテ之カ爲メ參謀本部ニ籍ヲ有シ參謀總長ノ指揮下ニ屬スル現役軍人カ直接他國ノ軍事ニ當リ延テ其政治ニ干與スルノ端ヲ啓キ茲ニ陰然軍人本位ノ外交ヲ誘致シ國際上面白カラサル狀態ヲ發生スルニ至ルヲ自然ノ成行トス況ンヤ世界大戰以來時勢ハ一轉シ軍閥外交ハ世界ノ唾棄スル所トナリ現役軍人ヲシテ他國ノ制度ニ干與セシメ其政治ニ容喙セシムルカ如キハ到底世界大勢ノ認容セサル所ナルヲヤ

獨逸カ軍閥ノ頭目トシテ外世界輿論ノ非難ヲ受ケ內軍閥政治ノ弊害ニ堪エス茲ニ戰敗ノ重要ナル原因ヲ作リシハ世人ノ耳目ニ新ナル所ナリ

二、然ルニ日本ハ未タ世界大戰前ノ舊套ヲ脫セス我參謀本部ニ籍ヲ有スル帝國現役軍人カ支那中央政府若クハ地方官憲ノ聘ニ應シテ到ル處其軍事顧問等ノ地位ニアリ恰モ獨逸參謀本部ノ戰前ニ行ヒタル所ヲ其儘墨守シツツアルニ似タリ而モ之等顧問ハ支那各地ニ駐在スル我參謀本部ノ特務機關駐在武官或ハ研究員ナルモノト連絡ヲトリ遙ニ內地參謀本部竝陸軍省ト相呼應スルノ狀態ナリ

支那ノ如キ政變常ナク面モ每次ノ政變必ス軍閥カ其主タル動力ヲナセル國ニアリテハ是等軍閥ノ顧問トナレル帝國軍人亦直接若クハ間接ニ支那ノ政變ニ干與スルノ例乏シカラス而シテ支那軍閥ハ之等ノ顧問ヲ利用シテ必ス何等カ自己ニ有利ナル地步ヲ見出サンコトヲ力メ少クトモ依テ以テ日本ノ後援アルヲ吹聽スルノ具ニ供ス彼等カ高價ナル顧問ヲ傭聘スル寧ロ單ニ此目的ニ出テタリト云フヲ得ル有樣ナリ從テ政變アル每ニ必ス顧問連ノ活躍トナリ而シテ我陸軍側ノ運動トナリ宣傳トナリ無責任ナル軍人ノ報吿カ遂ニ我大陸軍ノ首腦ヲ動カシ極端ナル二重外交ヲ曝露スルコト從來寧ロ常例トナレリ又爲ニ政府ニ於テハ支那政變ニ對シ斷エス不偏不黨內政不干涉ヲ聲明セルニ拘ラス因襲ノ久シキ之等軍事顧聞等ノ行動ノ爲結局充分ニ其政策ヲ遂行スルヲ得ス而シテ之カ爲外國ノ輿論ハ帝國カ穩密ニ之等軍事顧問ヲ通シ支那政變ヲ奇貨トシテ何等漁夫ノ利ヲ收メントスルモノノ如ク誤解シ若クハ之ニ關シ各種無根ノ報道ヲ誇張シ爲ニ帝國政府ハ外交上常ニ不利益ノ地位ニ陷リ終始辯明ノ立場ニ立タサルヘカラサル有樣ニシテ日本ノ受クル損害蓋シ計ルヘカラサルモノアリ最近奉直戰ノ際ニ於ケル張作霖日本顧問武官ノ行動ハ正ニ其適例タリ

三、上記ノ弊害ハ外交當局者ノ多年嘗メ來レル苦キ經驗ニテ幸ニ時勢ノ變化ニ乘シ速ニ之カ矯正ニ力ヲ注キ機會アル每ニ陸軍側ヲシテ反省轉化セシムルノ努カヲ吝ムヘカラス從テ我在支各公館長ニ於テモ此種ノ顧問傭聘又ハ續聘ノ問題アル場合ニハ上記ノ通リ事態ノ重要ナルヲ自覺シ支那側へ對シ交涉ヲ開クニ先チ豫メ請訓ノ上本省ノ意嚮ニヨリ行動スルコト絕對ニ必要ナリ別紙齊々哈爾ノ例モアリ右ノ趣旨婉曲ニ各公館長ニ一律內訓スルコトト致度シ