データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 長春會議松平代表への訓令及請訓(長春会議松平代表への訓令及請訓)

[場所] 長春
[年月日] 1922年9月23日
[出典] 日本外交年表竝主要文書下巻,外務省,26‐27頁.
[備考] 
[全文]

大正十一年九月二十三日本省發電

 內田外務大臣

 長春

 松平代表

第二六號

貴電第五〇號ニ關シ今日迄ノ經過ニ徴スルニ露國側ハ協定案各條ノ內容ニ付テハ姑ク措キ基本協定ノ適用範圍及効力發生時期ニ關シ我主張ニ明白ナル同意ヲ與ヘサルノミナラス却ツテ先ツ北樺太撤兵問題ヲ提起スルノ意圖ヲ有スルモノノ如クナル處基本協定ノ適用範圍ヲ帝國ト極東共和國間ノ關係ニ限リ調印ト共ニ卽時其ノ効力ヲ發生セシメ爾餘諸問題ニ關スル交涉ハ之ヲ基本協定成立後ニ讓ルコトハ我方確定方針ニシテ右ハ旣ニ大連會議ニ於テ彼我意見ノ一致ヲ見タル所ナルノミナラス過般ノ豫備交涉ニ於テモ其ノ趣旨旣ニ明ニシテ帝國政府ニ於テハ此ノ際其ノ一部ト雖譲步ノ餘地ナキニ付貴官ノ努力ニモ拘ラス露國側ニ於テ猶我主張ヲ拒絕スルカ又ハ言ヲ左右ニ托シテ不當ニ會議ヲ遷延セシメ大體本月末頃迄ニ明答ヲ與へサル場合ニハ貴官ハ會議ヲ打切リ引揚ケラレ差支ナシ但シ先方ニ於テハ基本協定ノ効力發生時期ト北樺太撤兵時期トヲ關聯セシメ以テ會議破裂ノ原因ヲ我北樺太駐兵問題ニ歸セムト努ムヘシト思考セラルルヲ以テ申ス迄モナキ儀乍ラ此ノ點ニ付特ニ細心ノ注意ヲ拂ハレ北樺太ニ關係アル問題ニ付テハ我方ニ於テ基本協定成立後交涉ヲ開始スルニ何等異存ナク而カモ此ノ點モ亦大連會議ニ於テ彼我意見ノ一致ヲ見タル所ナルノミナラス豫備交涉ニ徴スルモ其ノ趣旨明白ナル所以ヲ說示セラルルト共ニ我方ニテハ先方ノ希望ニ顧ミ基本協定締結後引續キ勞農政府トノ間ニ通商協定ニ關スル交涉ニ入ルニ同意シ且非宣傳非敵對ニ關シテモ同政府トノ間ニ文書ヲ以テ取極ヲ爲スニ異存ナキコトトシ百方和衷的態度ヲ示シタルニ拘ラス露西亞側ハ極テ誠意ヲ缺キ不當ニ從來ノ行懸ヲ無視シ這般豫備交涉ニ依ル了解ヲ覆ヘサムトスルモノナルコトヲ指摘セラレ會議破裂ノ場合ニハ其責全ク彼ニ在ルコトヲ闡明セラレタシ


大正十一年九月二十日本省着電 松平代表

 內田外務大臣

第五〇號

露國側ハ何事カ莫斯科政府ト電報ノ往復ヲナシ居ルモノト見ヘ十六、十七ノ兩日休會シ十八日ハ開會シタルモ單ニ外部ノ體裁ヲ繕フ爲ニシテ餘リ會議ノ進捗ニ氣乘リセサルモノノ如クナリシカ今十九日午前午後ノ會議ニ於テハ往電第四九號ノ通殊更ニ請訓ノ口實ヲ見出サント努メタルモノト察セラル殊ニ薩哈嗹北部ノ撤兵ヲ尼港事件ノ解決ニ關聯セシメタルコトハ今日迄承知シ居ラスト謂フカ如キ無智ニ非スンハ餘リニ白々シキ口實ヲ種ニシテ會議ノ休會ヲ申出タルハ益々「ヨッフエー」ノ誠意ナキコトヲ明ニスルモノニシテ彼等ハ總テ對內宣傳ニ極メテ重ヲ置キ居ルモノト觀察スルノ外ナク前記ノ言動ノ如キ亦之ニ基キタルモノカト思ハル而テ往電第三五號及第四四號ヲ以テ申進タル露國側ニ於ケル協約締結躊躇ノ理由ノ外彼等ハ當地ニ於テ本邦新聞記者一部ノ者ト密接ナル接觸ヲ保チ又我新聞紙ノ論調ニ注意シ新聞ノ輿論カ寧ロ露國側主張ヲ擁護シ居ルモノト考へ居ルコトモ亦先方ヲシテ右ノ態度ニ出シムルニ與テ力アルモノナルヘク旣ニ最近ノ北京日報ニ現レ居ル當地「ダリタ」通信ニモ「ヨッフエー」ノ言トシテ日本新聞記者ハ政府ノ意見ニ賛セス寧ロ露國側ノ意見ヲ支持シ居ル旨通信シ居レリ又昨十八日露國委員一行中ノ陸軍顧問ハ突然北京ニ赴キタル事實アリ前記ノ次第ニテ露國側ハ適當ナル口實ヲ發見シテ日本側トノ談判ヲ打切リ北京ニ於テ支那側トノ交涉ニ移ラントノ計畫ヲナシ目下打切リニ關スル準備ヲナシ居ルモノカトノ本官等ノ推測ハ益々深クナリ來タル狀態ナリ旣ニ我方ニ於テハ出來得ル丈ケ誠意ヲ以テ妥協ヲ計リツツアルニ拘ラス「ヨッフエー」ノ如キ惡辣不誠意ノ態度ヲ以テシテハ假令一時決裂ヲ糊塗スルモ到底最後ノ成果ヲ結フコト能ハスト思考スルニ付寧ロ當方ニ於テ打切リヲ決心シ先方ヨリ次回ノ會議ニ打切リヲ申出レハ勿論然ラサル場合ニ於テモ機會ヲ見テ當方ヨリ最後ノ案ヲ示シ之ニ諾否ノ回答ヲ求メテ應セサレハ引揚クルコト却テ後日ノタメ得策カト思考ス尤モ先方ハ前述ノ如ク對內政策ヲ主トシテ考へ居ルモノトモ思ハルルニ付右ノ如キ態度ニ出スルコトハ却テ先方ハ望ム所ナルヤモ知レス御詮議ノ上何分ノ御回示ヲ請フ

本電政務部へ電報シ公使、奉天、哈爾賓へ暗號ノ儘郵送セリ