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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 「支那に於ける帝國地步の擁護に關する硏究」(支那に於ける帝国地歩の擁護に関する研究)

[場所] 
[年月日] 1927年4月8日
[出典] 日本外交年表竝主要文書下巻,外務省,92−95頁
[備考] 
[全文]

(帝國ノ對支外交政策關係一件)

昭和二年四月八日

 四月七日宇垣陸相ヨリ若槻總理ニ口頭ニテ述ヘタル要旨

 四月十二日畑陸軍次官持参

近時勃發シタル南京ノ掠奪、漢ロノ暴擧、北京ノ共產黨猟リ{前2文字ニ(ママ)とルビあり}事件等ノ如キハ目下偉大ナル力ヲ以テ支那ヲ根底ヨリ動搖セシメツツアル所ノ大ナル震動、烈シイ渦卷ノ中ニ生シタル一少波紋ニ過キサルモノト考察シテ宜シイ

乍併當路者トシテハ之ヲ冷眼視シ、放擲シ置ク譯ニモ行カヌカラ勿論遺憾ナル事柄トシテ取扱ヒ相當ノ始末ヲ付ケルモノモ必要ナルカ此等ノ小ナル波紋ニ眩惑セラレ或ハ突發ノ事件ニ憤激シ夫レヲ好機トシテ覇道的野心ヲ弄シタリ又ハ報復的ノ强暴ナル手段ニ訴ヘテ時局ノ前途ヲ益々紛糾セシムルカ如キコトハ避クヘク努メネハナラヌ、須ラク東亞ノ大局ト帝國ノ地位ニ照シ時局ノ推移ニ鑑ミ茲ニ冷靜且隱健ナル方策ヲ確立シ其ノ遂行ヲ徹底スルコトカ何ヨリ肝要テアルト認メル方策樹立ノ前提トシテ左記ノ諸點ヲ十分ニ考慮判斷スルノ必要カアル

判斷

一、支那カ共產黨化スルヤ赤化スルヤノ問題ハ夫レカ支那國民ノ眞正ナル理解並共鳴ニ基キタルモノナリヤ否ヤハ疑問ノ餘地大ニ存スルモ外形上ノ上ニ於テハ確ニ共產化シ赤化シツツアルノ事實ハ今日何人モ恐ラク非認スルコトハ出來マイ

二、支那ノ共產化赤化ノ運動カ下火トナリ範圍カ擴大スル恐ナキヤ否ヤノ問題ハ昨年初秋漸ク湖南湖北ニ顏ヲ出シ得タモノカ冬ニハ江公西福建ヲ侵略シ今初春ニハ江蘇浙江ヲ席卷シ今ヤ將ニ河南、安徽、山東ヲモ壓伏セントスルノ趨勢ヲ示シテ居ル、此ノ事實ヨリ推論セハ支那ノ共產運動ハ列强カ袖手傍觀此儘ニ放任シ置ケハ遠キ將來ハイサ知ラス當分ノ間ハ決シテ下火ニモナラス範圍モ漸次擴大シテ夫レカ直隷滿蒙ニ迄彌漫シ來ルノハ單ニ時日ノ問題タルニ過キスト認メ得ル

三、支那ノ政治及社會ノ組織ヤ思想カ共產化シ赤化スルトモ帝國ニ何等ノ影響ナシトハ今日ニ於テハ何人モ考ヘ得マイ、長江流域ニ多クノ歳月ヲ費シテ植付ケタル帝國ノ利権ヤ企業カ全ク萎縮シ居留民カ永年ノ努力ニヨリテ築キ上ケタル權利資產ヲ放擲シテ命カラカラニ引上ケヲ餘儀ナクセラレ居ル現在ノ事實丈ケテモ無影響ナリトノ言議ヲ許サヌコトヲ立證シテ餘リアル、過去ノ此ノ沿革ヲ顧ミルトキハ將來ニ於テ其ノ慘狀カ更ニ擴大蔓延シテ少シモ帝國ヲ害毒スルノ恐ナシトハ今日何人モ確言スルコトハ出來マイ

四、支那ノ現時ノ排外運動ハ唯一英國ヲ目標トスルモノテアリ帝國カ寄ルナ障ルナ荒立テルナト云フ方針テ進メハ帝國ハ此ノ運動ノ對𧰼物タルヲ免カレ得ルノミナラス却テ日支親善ヲ助長シテ經濟的ニハ英ノ失ヒタル地步ニ代リテ大ナル利益ヲモ收メ得ル樣ニナルト考ヘ居タリシ如キ刹那的ノ迷夢ハ現在吾人ノ眼前ニ展開サレツツアル事實ニ當面シテハ全然醒メタコトト信スル、將又一時英ニ代リテ占メ得タル若干ノ地步アリトスルモ夫レハ支那ノ秩序恢復後ニ於テハ所謂經濟的ノ競爭卽チ品質價格嗜好等ノ適否ニヨリ、左右セラルヘキ浮萍的ノ地步タルコトモ分ツタト思ハレル、從テ今日ニ於テハ何人モ日本丈ケカ將來支那國ヨリ獨リ好イ子扱ヲ受ケ得ヘシト云フ樣ナ迂闊ナ事ヲ考ヘ居ルモノモアルマイ

五、長江流域ニ於ケル帝國ノ地步ハ主トシテ對外企業家ノ奮鬪ニヨリテ築キ上ケラレタノテアル、利害ノ打算ニヨリテ建設セラレタノテアル、從テ今日之レカ擁護ニ巨大ノ國力ヲ要スルコトニナレハ遺憾ナレトモ利害ノ打算上之ヲ放棄シ一時居留民全部ヲ引上ケルモ可ナリト云フ樣ナ極端論モ起ラナイト限ラヌカ山東、直隸殊ニ滿蒙ニ於ケル帝國ノ地步ハ利害ノ打算以外ニ尙國民ノ鮮血ヲ以テ書カレタル歷史、深甚ナル國民的感情カ强ク附キ纏ツテ居ルコトヲ決シテ忘レテハナラヌ

六、支那ニ關係ヲ有スル列强ハ今日何レモ支那時局ノ推移ニ就キ非常ニ恐慌ヲ來シテ協調ノ緩解シ破壞シタルヲ悔ミテ居ル樣テアル已ムヲ得ス獨力ニテ支那ニ對峙スヘキコトアル場合ヲ憂ヘテ長江筋ハ勿論北支那方面ヨリモ漸次居留民ノ引上ケヲ爲シ他面ニハ更ニ增兵ヲモ考慮シツツアル、又他方支部ニ於テハ國民ノ恒產アルモノハ南方共產派ノ苛斂誅求所謂彼等ノ聲明シ揭クル所ノ招牌ト彼等ノ行ヒツツアル實際ノ懸隔甚シクシテ軍閥一味ノ遣リ方ト同工異曲タルニ失望シテ切ニ平和ノ招來ヲ熟望シテ居ル唯今日ノ狀勢ヲ隨喜シ得意テアルノハ無產勞働階級ノ一部ノミ過キサル實狀ニアルコトモ何人モ非認スルヲ得マイ

七、支那國民黨內ニ於ケル左右兩派ノ分解作用ハ今日ニ於テハ若干其ノ緖ニ就キ北方派モ少シハ結束改善ニ注意シ來リツツアルノ形勢ナルモ尙彼等獨力ニテ何レモ共產派ヲ制壓スルノ力十分ナリトハ認メ難ク又兩者ノ協同合作ノ仕事モ第三者ノ斡旋支持ヲ受ケネハ成立シ難キ程度ニ彷徨シテ居ル樣テアル

對策

支那時局ノ推移並彼等ノ對日感情ノ狀態ハ上述ノ如ク判斷シ得ルカラ今日迄帝國カ隱忍自重シテ居タノハ機宜ノ手段ナリシト考フルモ今日以後不相變此ノ態度ヲ繼續シテ行ク丈ケテハ到底此ノ大勢ヲ防止スルコトモ輕減スルコトモ出來ネハ之ヲ改善シ或ハ之ヲ他方面ニ轉換スルコトモ困難テアル、卽チ帝國トシテハ從來ノ行掛リヤ拘束ヨリ蟬脫シテ今ヤ消極雌伏ノ如キ態度ヨリ更ニ積極雄飛ニ移ルヘキ時機テハナイカ無爲ノ形ヨリ有爲ノ體ニ轉化スヘキ秋カ正ニ到來シテ居ル樣ニ考ヘラルル卽チ大要左記ノ如キ方策ヲ確立シ奥地ニ於ケル帝國臣民ノ保護方法ノ進捗ニ伴ヒ漸ヲ追ヒ之レカ實行徹底ニ努ムルコト極メテ緊要ナルヲ感スル

第一、列强間ノ對支協調ヲ緊密ナラシムルコトニ今日迄ヨリモ更ニ步を進ムルコト、少クトモ列强ノ支那ニ對スル立場ト企圖ニ就キ相互ニ隔意ナキ意見ノ交換ヲ爲シ以テ他方ニ利用セラルルコトナク帝國ヲ中心トシタル協調ノ完全ナル形成ニ導クコト

第二、列强ノ協調ニヨリテ共產派ヲ包圍スヘキ政策ヲ採ルコト

其一 列强間ノ言論機關ヲ通シテ露國ノ對支態度及支那共產派ノ行動ヲ排擊シテ彼等ノ反省自覺ヲ促スコト

其二 實力ヲ以テ山東、江蘇、浙江、福建、廣東ノ要點ヲ押ヘテ封鎖的ノ形ヲ造リ特ニ露國ヨリスル軍器、軍需品等ノ輸入ヲ抑止シ又之ヲ支持ノ基點トシテ漸次貿易及企業ノ恢復ヲ圖ルコト

第三、長江上流地域及其ノ南方ニ於ケル共產派ノ抑壓驅除ハ主トシテ南北兩派ノ隱健分子ニ軍資ト武器トヲ列强諒解ノ下ニ或ハ協同シテ供給シ彼等ヲシテ其ノ衝ニ當シムルコト之レカ爲ニハ兩派ノ妥協協同ヲ必要トスルヲ以テ更ニ其ノ成立ニモ相當ノ助力ヲ與フルコト

此等方策ノ徹底的遂行ニハ相當長時日ヲ要スヘキ恐レアルニヨリ最初ヨリ持久ノ覺悟ヲ以テ之レニ當リ從テ提供スヘキ物質ノ如キモ勉メテ節約シ且主トシテ對策第二ノ其ノ一及第三ノ手段ニ依リテ目的ノ遂行ヲ圖リ第二ノ其ノ二ノ運用ヲ必要トスル場合ニ於テモ勉メテ海軍ヲシテ當ラシムル如ク處置スルコト

以上ノ方策ニ基キテ中南支那ニ於ケル共產派ノ驅除抑壓ニ勉ムルコトハ北支那及滿蒙(西伯利方面ヨリ侵入スル共產化ニハ本案以外ニ特別ノ考慮ヲ要ス)等ニ及ホスヘキ危難ヲ未然ニ防止シ且現ニ中、南支ニ彌漫擴大シツツアル混亂危害ヲ抑止掃除スヘキ適切ナル手段ニシテ今ヤ帝國カ右ニ關スル決意ヲナシ之レカ遂行ニ邁往スヘキ時機ニシテ今日尙荏苒逡巡決スル所ナクンハ將來多大ノ犠牲ヲ拂フモ及ハサルノ痛恨事ニ直面スル日ノ遠カラス來ルヘキヲ恐ル

若シ夫レ更ニ進ンテ支那ノ堅實ナル統一、帝國地步ノ增進ニ關スル問題ノ如キハ尙別個ノ策案ヲ要スヘキモ兎ニ角現在ニ於ケル帝國地步ノ擁護維持カ此等問題ノ解決ニ進ムヘキ必須先決ノ要件ナリト認ムルニヨリ茲ニ此ノ硏究ヲ試ミタル所以ナリ矣

 陸軍側ノ腹ノ中

一、十六枚目ニ「勉メテ海軍」トアルモ結局陸軍ヲ出ス外ナカルヘシト考ヘ居ルモノノ如シ

一、漢口占領ヲ陸軍ニ於テ研究シタル處長江兩岸ノ要地ヲ占メツツ進軍スル關係上約三ヶ月二個師團ヲ要スル爲不可能ト斷定セリト云フ

一、廣東ハ全然英國側ニテ靑島ハ全然日本側ニテ占領スル考案ナカルカ如シ