データベース『世界と日本』(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 上海附近中國軍撤退要求通牒(上海付近中国軍撤退要求通牒)

[場所] 
[年月日] 1932年2月18日
[出典] 日本外交年表竝主要文書下巻,外務省,201-202頁.
[備考] 1932年2月19日発表
[全文]

   二月十九日發表

 在上海村井總領事ハ二月十八日午後九時呉上海市長ニ對シ左記公文ヲ提出セリ

一月二十八日夜貴國第十九路軍及便衣隊カ日本陸戰隊ヲ攻擊シテヨリ以來閘北方面ニ於テ日支兩軍ノ對抗アリ二十九日夕刻兩軍間ニ戰鬪行爲停止ノ約成リタルモ貴國軍隊側ニ於テ屢約ニ背キテ我方ヲ射擊又ハ砲擊シ我方ニ於テモ之レニ應戰セサルヲ得サル實情ニアリ且又貴國軍隊ノ計畫的ナル挑戰ニ依リ呉淞及江灣方面ニモ軍事行動ヲ見ルニ至リタリ此ノ間貴方ニ於テハ第十九路軍ノ勝利ニ關スル無稽ノ虛報ヲ各方面ニ流布スル一方我方ノ公正ナル行動ニ凡ユル誹謗ヲ加ヘタル結果第十九路軍ハ租界ノ防衞及居留民ノ保護以外他意ナキ我軍ニ對シテ更ニ新ナル攻擊ヲ加ヘツツアリ便衣隊亦各所ニ出沒シテ依然惡辣狂暴ナル行動ヲ止メス在留日本人ハ勿論上海租界ハ之カ爲非常ナル脅威ヲ受ケ居ル次第ニシテ本總領事ハ此ノ際速ニ兩國軍隊ノ衝突ニ依ル不幸ナル事態ノ終局ヲ見ルコト極メテ必要ナリト認メ左記ノ條件ニ依リ速ニ戰鬪行爲ヲ終結セシムルコトトシタク茲ニ貴國軍隊ニ對シ右要望受諾ト共ニ之カ切實實行方御轉達アリタシ若シ貴國軍隊ニ於テ右要望ヲ應諾セサルニ於テハ日本軍隊ハ之レニ對シ行動ノ自由ヲ有スルモノナル次第爲念申添ユ

一、中國軍隊ハ二月二十日午前七時迄ニ第一線ノ撤退ヲ完了シ二月二十日午後五時迄ニ黃浦江左岸共同租界西北端、曹家渡鎭、周家橋鎭及蒲淞鎭ヲ連ヌル線以北租界ノ北部境界線以北並黃浦江右岸爛泥渡及張家樓鎭ヲ連ヌル線以北ニシテ租界ノ境界線ヨリ二十粁ノ地域(獅子林砲臺ヲ含ム)ノ外ニ撤退ヲ完了シ右地域內ニ於テ砲臺其ノ他ノ軍事施設ヲ撤去シ並新ニ之ヲ設ケサルコト

 上海附近ニ於テ前記撤退地域ニ屬セサル地域ニアル日本人ノ生命財產ハ中國側ニ於テ完全ニ保護スルコト右保護完全ナラサル時ハ日本側ニ於テ適當ノ手段ヲ執ルヘシ

 便衣隊ハ中國側ニ於テ一切有效ニ禁止スルコト

二、日本軍ハ中國軍ノ撤退ヲ確認シタル後ニ於テハ虹口附近ニ於ケル工部局道路地域(虹口公園ノ周圍ヲ含ム)ヲ保持スルニ止ムルコト日本軍ハ中國軍ノ撤退開始以後ハ射擊爆擊及追擊ノ動作ヲ行ハサルコト但シ飛行機ニ依ル偵察ハ此ノ限リニアラス

三、中國軍ノ第一線撤退完了後日本軍ハ其ノ實行ヲ確認スル爲護衞兵ヲ有スル調査員ヲ撤退地域ニ派遣ス

四、上海附近(撤兵地域ヲ含ム)ニアル外國人ノ保護ニ付追テ商議ヲ行フコト

追テ第十九路軍カ今回ノ行動ヲ執ルニ至リタルハ二月十五日附貴市長宛本總領事書翰中ニモ言及シタル通畢竟貴市長カ一月二十日附本總領事ノ要求ニ對スル一月二十八日附貴市長ノ御回答中ニ表示セラレタル抗日會ノ卽時解散及其ノ他排日運動ノ禁止ニ關スル約束ヲ切實ニ實行スルノ誠意ト能力トヲ有セサリシニ依ルモノト認メラル依テ本總領事ハ貴市長ニ對シ前記貴市長ノ約束ヲ迅速且完全ニ實行セラレン事ヲ茲ニ重ネテ要求スルモノナリ

本總領事ハ大ナル關心ヲ以テ貴市長ノ本件實行ヲ監視スルモノニシテ若シ實績擧ラサルニ於テハ我方ニ於テ適當ナル手段ヲ執ラサルヲ得サルニ至ルヘキモノナル事ヲ茲ニ併セテ聲明ス