データベース『世界と日本』(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 國際聯盟理事會に於ける顏中國代表演説(国際連盟理事会における顔中国代表演説)

[場所] 
[年月日] 1932年2月19日
[出典] 日本外交年表竝主要文書下巻,外務省,202-204頁.
[備考] 
[全文]

   昭和七年二月十九日

顏支那代表「今夜半から始まらうとする戰鬪を停止せしむべき思ひ切つた手段をこの四五時間に採らねばならぬ時に際し、理事會の時間を占領した日本代表の動機は充分に了解することが出來る。而も同代表は支那政府に對し多くの無禮なる言辭を弄したから余もそれに酬ゆる爲め多少の時間を貰ひたい」

「余は南北支那に居住し、各地を廣く旅行した。勿論若干の無秩序は認めるけれども、支那はヨーロッパ程の大さであり四億の人口を持つてゐることを忘れてはならない。斯かる大きな國に完全なる平和と秩序をどうして望むことが出來るか。又支那は專政君主國であつたが突然共和國に變つたと云ふ事實も忘れてならぬ。その調整の過程に於て若干の不安と混亂のあるは當然であるが、支那を以て崩壞と無政府の狀態にありとなすは明らかなる誹謗である。

日本代表は能く組織されたる國家のことを云はれたが、政府の統制を破りつゝある陸海軍を有する日本の樣な國が組織ある國家であるかどうかを疑ふのである。日本の外交官が理事會に出席し、誠實に種々の約束をなすに拘らず、而も翌日にはその約束が守られないと云ふのではそれは能く組織された政府を代表してゐると云ふべきであらうか。日本は二三の大國に對し錦州を侵略せずと明かに約束したに拘らず、數日ならずして錦州に入つてゐる。これでも能く組織されてゐる政府と云ふことが出來るであらうか。支那居留民は震災の際日本で鏖殺され、又昨年は朝鮮で百名以上の無辜の支那商人が殺された。これでも能く組織された政府であるか。余から見れば日本代表はその云つたことに何處か矛盾がある樣である。一方に於いて支那は組織されたる政府を持たないと云ひながら、他方に於てその政府と交涉することを主張しつゝある。若し支那が無組織の政府ならば何故日本は斯かるものと直接交涉をせんと主張するか。何故聯盟で問題を決しやうとしないのか。誠に理解し得ざるところである。

若し支那に無秩序と內亂がありとすれば、非難の多くは日本が負ふべきである。何となれば日本は年々何れかの側を援助して來たからである。過去二十年の支那の歷史を知るものは日本が何れかの政黨に對し軍資金及び武器乃至は兵隊の形に於て援助を與へたことを明かに證據立てることが出來る。これ卽ち日本が支那の强力となり統一されることを欲しないからである。茲に日本の政策と歐米諸國の政策との著しき相違を見ることが出來る。余はグレイ卿がイギリス議會に於てイギリスは支那の强大と統一とを欲する旨を述べられたことを記憶するが、日本は丁度その反對のことを祈つてゐる。九國條約にも支那をその難局より救はんとする歐米諸國の希望と意見が現れてゐる。

如何なる國家も革命的期間を通過せねばならない。歐米の大國も同一の經驗を經た。支那は後れてそれを通過しつつある。然るに日本は支那のこの困難を利用し、支那の統一を妨げた。例へば袁世凱や蔣介石等の大人物の下に統一の機會を持つ每に日本は現れて來てその運動の成功を妨げた。無秩序と混亂が支那に存在するならばそれは日本の隱謀に依ること大なるものがある。

今日上海は戰爭狀態にあり、滿洲は侵略者の鐵蹄の下に蹂躪され、南京は砲擊されてゐるのに、政府は安んじて活動を續けることが出來やうか。南京の政府官署がその職務を行ふ爲めに安全なる地帶に移らんとするは當然である。支那は今日程統一されたることは嘗てない。支那の軍閥は昔は互に戰つたけれども今は結合して外國人の侵略に對する防衞に協力しつゝある。

日本代表が日本は聯盟の保護を享有せずとの不滿を述べられたことは面白い。日本は保護を受けるどころか、嚴格なる處罰に値すると思ふ。一切の爆擊を濟まして滿洲に傀儡の國家を作り上げてから聯盟に訴へてその保護を求めんとする。斯かる要求は無鐵砲である。

日本代表の言は又他の諸國に對しても無禮である。蓋し他の諸國も支那で同一のことを行ひ、聯盟はこれを默認したと云ふからである。余は十二年支那に居り、支那の對外關係の歷史を知つてゐるが、こゝ數ケ月間日本が行つたやうな侵略行爲を他の國が行つたと云ふことを記憶しない。

日本代表は故張作霖のことを話されたが、余は彼をよく知つてゐる。彼は利口な男であつたが、日本の煽動に依つて中央政府に叛逆したこともあつた。日本は彼に援助を與へて利權を獲得したが、張作霖は愛國者で、戰爭が終へて後はその約束を履行することを拒み、その結果滿洲へ歸還の列車中に於いて日本人の手に依つて爆死した。

日本は支那に今侵入してゐる。支那の民衆が水害に惱んでゐるに對し博愛の精神に反して侵入した。日本は武士道と勇氣とに於て有名であるが、この行爲は眞の武士道であるか、最後に日本の行爲は賢明でない。力と脅迫とを以て問題を解決せんとするは永久の方策でない。滿洲は支那の穀倉である。過去二十年間二千萬の支那人が滿洲に渡つた。支那には莫大の人口あり、その過剩人口を送るべき空地を必要とする。日本代表はその人口の捌け口を見出す必要を强調され、余も亦それを認めるが、然し日本は滿洲に於ける移住定着に全然失敗した。日本は二十五年間其處に移住したが政府の奬勵及び資金の供給あるにも拘らず今日滿洲には僅か二十萬人あるに過ぎず、然るに支那は年に百萬人を送りつゝある。次に滿洲を以て滿洲人の土地と云ふは全く間違ひである。滿洲は千年前から支那人のものであつて、滿洲人が支那に入ると共に支那と滿洲との關係は密接になつた。支那は今日五つの種族より構成され、滿洲人はその一つである。今日では滿洲人の大部分は最早や滿洲に居ない。彼等は皇帝に從つて支那に入り、支那各地に散在し、從つて滿洲は純然たる支那である。滿洲は政治的、歷史的、種族的に支那の國であつて、日本代表の説明は信用すべきものでない。

日本代表は蒙古のことを話し、聯盟は蒙古に就いて何等注意を拂つてゐないと云つたが、蒙古は支那から分離し、而もこの事件は聯盟以前に起つたのである。滿洲と蒙古とは比較することは出來ない。

日本代表は幾度か日本が滿洲を併合する野心なきことを繰返された。然し余の記憶するところでは數十年前同じことを朝鮮に就いても聞いた樣に思ふ。日本は朝鮮を併合しないと云つた。而も今日朝鮮は日本帝國の一部となつてゐる。故に日本代表の言明は額面通り採ることは出來ない。」