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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 土肥原秦德純協定に關する若杉參事官報告(土肥原秦徳純協定に関する若杉参事官報告)

[場所] 
[年月日] 1935年6月24日
[出典] 日本外交年表竝主要文書下巻,外務省,294-295頁.
[備考] 
[全文]

   北平本省 六月二十四日後發着

  若杉參事官

 廣田大臣

第二〇四號

察哈爾問題處理方ニ關シ來平中ノ土肥原少將ハ二十三日夜松井中佐及高橋武官ト共ニ秦德純ト會見シ大要

一、宋哲元軍ヲ槪ネ停戰協定線(昌平延慶ノ線)ノ延長線以西ニ撤退セシムルコト

二、察哈爾省ヨリ憲兵隊、國民黨部及藍衣社ヲ撤退セシメ排日行爲ヲ禁止スルコト

三、右一及二ハ二週間以內ニ實行ヲ了スルコト

四、張北事件ニ關シ謝罪シ直接責任者ヲ處罰スルコト

ノ申入レヲ爲シタル處秦ハ中央ニ請訓ノ上回答スヘキ旨ヲ約シタル趣ナリ右我方ノ要求事項ハ絕對極秘ニ附セラレタキ軍側ノ希望ニ付右樣御含アリタシ


   北平本省 六月二十七日後發着

  廣田大臣  若杉參事官

第一一四號

往電第二一一號ニ關シ

二十七日秦德純ヨリ土肥原少將ニ提出セル文書回答ノ內容大要左ノ如シ

一、張北事件ニ關シ遺憾ノ意ヲ表シ責任者ヲ免職ス

二、日支國交ニ不良ノ影響ヲ及ホスト認メラルル機關ヲ察哈爾省ヨリ撤退ス

三、日本側ノ察哈爾省內ニ於ケル正當ナル行爲ヲ尊重ス

四、昌平延慶大林堡ヲ經テ長城ニ至ル線以東ノ地域及獨石口北側ヨリ長城ニ沿ヒ張家口北側ヲ經テ張北縣南側ニ至ル線以北ノ地域ヨリ宋哲元軍ヲ撤退セシメ撤退後ノ治安ハ保安隊ヲシテ當ラシム

五、以上ノ撤退ハ六月二十三日ヨリ二週間以內ニ撤交ヲ完了ス

以上回答ノ內容ハ極秘ニ附セラレ度キ軍側ノ希望ニ付右樣御含アリ度シ


   北京本省 六月二十八日後發着

  若杉參事官

 廣田大臣

第二二○號

往電第二一四號ニ關シ

土肥原ノ本官ニ對スル內話ニ依レハ支那側承諾事項第三項(日本側ノ察哈爾省ニ於ケル正當ナル行爲ヲ尊重ス)ノ解釋トシテ土肥原秦德純間ニ口頭ヲ以テ約束セル支那側ノ承諾事項主要ナルモノ左ノ如シ

一、察哈爾省ニ於テ飛行場及無線電信設置ヲ許スコト

二、山東、山西移民ノ察哈爾入境ヲ阻止スルコト(同移民カ蒙古人ノ產業ヲ壓迫スルヲ救フ爲)

三、張家口ノ德華洋行ノ事業ヲ漸次立チ行カサル樣仕向クルコト(同洋行ヲ通シテ同方面ニ進出セル赤露ノ關係ヲ一掃スル爲)

四、察哈爾省ニ日本人ヲ軍事又ハ政治顧問ニ傭聘スルコト(差當リ松井中佐ヲ無給ニテ名譽軍事顧問ニスルコトニ打合濟ミ)

五、內蒙ニ於ケル我方ノ德王ニ對スル工作ノ如キモノヲ阻止セサルコト

右ニ付土肥原ノ語ル所ニ依レハ今回ノ交涉ハ特ニ非戰區域ト爲ササルモ同區域ト同樣察哈爾ニモ一種ノ緩衝的平和境ヲ設ケントスル趣旨ニ基クモノニシテ右協定ニ際シ秦德純並ニ蕭振瀛ハ關東軍代表タル土肥原ニ對シ極メテ恭順ノ態度ニテ漸次日本側ノ要求ニ副フ意嚮ナルヲ以テ充分ノ協力ヲ得度キ旨ヲ懇請シ土肥原ニ於テモ其ノ態度ニ付滿足シ居ル模樣ナリ本件ハ全然土肥原ノ本官ニ對スル友誼上內話セル次第ニ付絕對部外ニ洩レサル樣御注意ヲ請フ