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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 廣田「リース・ロス」會談、重光「リース・ロス」會談要領(広田「リース・ロス」会談、重光「リース・ロス」会談要領)

[場所] 
[年月日] 1935年9月10日
[出典] 日本外交年表竝主要文書下巻,外務省,298-303頁.
[備考] 
[全文]

  廣田外務大臣「サア、フレデリック、リース、ロス」トノ會談要領

   (昭和十年九月十日午後四時)

重光次官及ヒ「クライブ」大使同席ス

會談時餘ニ及ヘル處要領左ノ通リ

「リースロス」 極東旅行ハ今回カ初メテニシテ渡支ニ先タチ貴國ニ立寄リ要路ノ人々ト意見交換ヲ試ミント欲ス、自分カ「ロンドン」ニ於テ入手セル情報ニ依リ判斷スレハ支那ノ經濟不況ハ極メテ深刻ナル模樣ニシテ上海方面ノ情況ハ殊ニ險惡ナルモノアリ之ヲ放置スレハ經濟破綻ヲ來ス恐レアリト考ヘラルル處貴大臣ノ御觀測如何ト尋ネ

大臣 自分ハ寧ロ樂觀的ナリ上海ニ於ケル有力支那銀行筋ノ意見トシテ現下ノ不況カ必スシモ甚シク險惡ニアラス政府ノ資金モ內債等ヲ以テ賄フ餘地アリトノ觀念ヲ聞キ居レリ蓋シ目下經濟活動休止シ居ルヲ以テ遊資ハ銀行預金トナリ居ルニ依ルト答ヘラレ

「リースロス」 甚タ以外ナル御話ナリ上海ニ遊資{前2文字の右側に(アイドルマネー)とあり}ナトアリ得ヘシトハ想像セサリキ自分ハ金融頗ルtightナリト考へ居タリ何レニセヨ南京政府カ上海銀行(何レモ政府御用機關トナレリ)ヨリ借金ヲ續クル現狀ヲ繼續セハ近ク必ス財政破綻ヲ來スヘシト述へ

大臣 支那ノ經濟機構ヲ論スルニ際シテハ都市經濟ト地方經濟トヲ明確ニ區別シテ考フルヲ要ス上海ノ如キ開港場經濟ハ內地、奥地經濟トハ全ク相違スルヲ忘ルヘカラスト注意セラレ

「リースロス」 而シ猶都市經濟建直リ上海ノ如キ都會カ景氣ヲ取戾セハ自然右ハ內地經濟ニモ好影響ヲ與フヘシ

 又支那ノ經濟安定ノ爲ニハ貨幣制度ノ確立ヲ要スル處滿洲國ノ幣制ノ如キ方法ハ如何日本側ノ所見承リ度シ

 又宋子文等ハ外債募集ニ望ミヲ寄セ居ル樣子ナルモ舊外債ノdefaultト將來外債ノ擔保トナルヘキモノニ有望ナルモノ見當ラサルトノ理由ニ依リ「ロンドン」市場ニ於ケル起債ノ如キハ到底問題トナラサル模樣ナリ

 尤モ「クレヂツト」ナラハ考慮シテ見テモ宜シ但シ「クレヂツト」供與ニ際シテハ關係國特ニ日本トノ了解達成ヲ必須條件トスルコト勿論ニシテ且(一)支那ノ政情情安定ニ赴キ(二)「クレヂツト」・ノ使途建設的事業(例ヘハinternal reforms)ニアルコトヲ前提トスト述ヘ此點ニ關シ日英間ニ於テ協力(co-operation)可能ナルヘキヤト問フ

大臣 滿洲國ノ幣制確立ハ立スルニ日本ノ指導ト援助ニヨリ始メテ行ハルル次第ニテ目下ノ支那ニテハ到底見込ナシ又唯漫然ト「クレヂツト」話ニ應スルハ考ヘモノニテ結局南京政府ノ浪費スルトコロナルヘシ愼重現狀ニ付硏究ノ上相當ニ筋ノ立チタル話ニモナラハ外國方面ニ於テ動キ出スコトモアルヘシト考へ居タル次第ナルカ支那側トシテモ英國乃至日本等カ單獨借款ニ乘出スモノトハ期待セス關係國殊ニ日英間ニハ協同關係生スヘシト推測シ居ルモノノ如シト答ヘラレ

「リースロス」 夫レハ好都合ナリ但シ此處ニ考慮ヲ要スル重大問題アリ滿洲國問題卽之ナリ

 日本ハ同問題ヲliquidateスル考無キヤト尋ネ

大臣 支那ノ現狀ニ顧ミ滿洲國問題ノ解決ノ如キハ論外ノコトニ屬スト應セラレ

「リースロス」 滿洲國ノ獨立ハ支那ノ財政收入ヲ著減セシメタリ此際日本側ニ於テ支那ノ債務ヲ滿洲國ニ於繼承セシムルコトトシ支那ヲシテ同國ヲ正式ニ承認セシムルカ如キ解決法ニ賛成セラルレハ甚タ妙ナルヘシト考フ滿洲國ノ建國宣言ニ於テ示シタル態度ハ支那債務繼承ノ點ニ付テハ尠クトモhighest grade of international gentilityニ達セサルモノニシテ遺憾ナリ何レニセヨ滿洲問題未解決ノ儘ニテ存置セラルル間ハ日支間ニ腫物(soreト言ヘリ)力殘サルル譯ニテ財政再建ニモ政治安定ニモ支障ヲ來ス次第ナレハ承認問題ヲ第一着ニ解決スルコト賢明ナルヘシ故ニ滿洲國カ支那ノ債務ヲ繼承スルトカ(財政的代償)若クハ滿洲國ヲ除外スル(Manchuria set aside)支那領土保全ニ付キassuranceヲ與ヘラルル(政治的代償)トカノ便法ニ依リ支那ヲシテ滿洲國承認ヲ行ハシムルコト如何カト存スト縷述シ

大臣 實ハ蔣介石以下ノ要人ハ何レモ結局滿洲國承認ノ他無シト考ヘ居ルモ唯今之ヲ敢行シ得サル迄ノ話ニテ從テ南京政府ハ滿洲國否認ノ態度ヲ取ラスde factoニハ同國ヲ承認シ居ルト同然ニシテ詰ル所承認問題ハ滿洲國ノ關スル限リ現狀ニテ滿足シ居ル狀態ナリヲ以テ同國側ヨリ承認取付方運動スル必要無シ承認ノ利益ハ寧ロ支那側ニ在リ(「リ」ハ首肯シ居タリ)貴下ニ於テモ渡支ノ上親シク各方面ト接觸セラレ本件ニ對スル支那側ノ態度眞相硏究ニ相成ルコト然ルヘシト答ヘラレ尙支那ノ經濟不況ノ根本原因ハ同國ノ基礎的機構ノ崩壞ト天災ニ因ルコト多シ例ヘハ治水事業ノ如キハ近年全ク顧ラレサリシ爲メ往昔苦心シテ作リタル堤防等モ見ル影無ク破損シ其爲メ水災等猛威ヲ振フニ至ル近キ例ニテハ折角栽培セラレタル棉花カ漢口北方地域ノ洪水ニ依リ壞滅シ內地紡績業ノ需要ヲモ滿足セシメ得サル結果トナレリ又支那ハ膨大ナル經濟單位ニシテ旅行者ハ夥シキ鷄卵ノ輸出セラルルヲ知ルモ一羽ノ鷄ヲモ發見セサルコトサヘアリ歐洲流ノ經濟觀念ヲ以テ支那ヲ律スルコトハ動モスレハ不測ノ誤算ヲ生スル虞アリト說明セラル

「リースロス」 天災ノ頻々タルハ政府ノ豫算ニ餘裕無ク冶水其他ニ手ノ廻ラサル結果ニアラスヤト反問シ

大臣 現狀ニ於テハ幾ラ金カアツテモ軍費ニ費消セラルルカ精々ナラント答ヘラル

 次イテ次官ヨリ米國ノ銀政策カ支那經濟不況ノ最大ノ原因ナル點ヲ指摘シ(「リースロス」モ全然同感ナリト云フ)、「リースロス」ハ銀行組織ヲ改善シテ銀ニbaseセサル新通貨(new dollar)ヲ基礎トシ一時的ニモセヨ恐慌切拔ケ策トシ度シト言ヒ議論ノ遣リ取リアリ、「リースロス」ハ右ノcurrency re-form)ニ必要ナラハ借款ヲ許與スルニ吝ナラスト述ヘタルモ次官ハ右カ成功覺束無カルヘキヲ注意ス

 最後ニ「リースロス」ハ本日ノ御話ハ虛心坦懷ニ意見ヲ述ヘタルモノナルモ右ハホンノbrief outlineニシテ實ハ借款ノ件ニ付テハgreat detailsヲ用意シ來レルコトニモアリ且自分ノ使命ハdefinite actionニアルヲ以テ東京滯在中更ニ次官其他關係各方面ト充分意見ノ交換ヲ致シ度ク必要アラハ渡支後再ヒ來朝シ日英協力ノ基礎發見ニ努力スヘシト述ヘ

 大臣 滯在中ハ隨時有吉大使ト聯絡アリ度ク又南京ニ於テハ須磨總領事ト會談セラレ度ト言ハレ會談ヲ終ル。


  重光次官ト「リースロス」トノ會談(津島大藏次官及「クライブ」大使列席)

   (昭和十年九月十七日於次官々邸)

「リースロス」 

過日(九月十日)外務省ニ於テ貴下御列席ノ上廣田外相ニ對シテ申入レタル諸點ニ對シ御回答ヲ得度シ。

右申入ノ要領ヲ再述スレハ左ノ如シ

支那今日ノ財政上ノ難局ヲ放任スレハ支那ハ遂ニ紙幣ノ濫發ヲ誘ヒ經濟狀態ハ混亂ニ陷リ世界ノ渇望スル對支貿易ノ改善モ望ミ難シ。之ヲ救フ爲ニ支那ニ於テ欲スルニ於テハ財政上ノ援助ヲ與ヘ幣制ヲ改革安定セシメ以テ政狀ノ平靜ニ資スルコト適當ト認。財政上ノ援助ヲ供與スル爲ニハ保障(「セキユリチー」)ヲ要ス。右保障ハ支那時局ノ安定ヲ意味スル處時局ノ安定ノ爲ニハ先ツ日支關係ノ正常化ヲ要シ其ノ爲メニハ支那ヲシテ滿洲國ヲ承認セシムルコト必要ナリ。自分ノ所持スル考案ハ支那ニ有力ナル中央銀行ヲ興シ紙幣發行權ヲ獨占セシメ外國ヨリノ援助資金ヲ以テ倫敦ニ「リザーブ」ヲ設ケテ紙幣ハ磅貨ニ「リンク」セシメテ銀本位制ヨリ離脫セシメ以テ爲替ノ安定ヲ計リ其運用ノ爲メニ右中央銀行ニ英人顧問ヲ入レテ監督ニ任セシムルコトトス。他方支那ヲシテ滿洲國ヲ承認セシメテ時局ノ安定ヲ導キ滿洲國ハ獨立前支那ノ負擔セシ內外債(外債ノミナラス)ノ適當ノ割合例ヘハ關稅收入ノ割合ヨリシテ全體ノ三割トシ年額約百萬磅ノ負擔ヲナシ之ヲ支那ニ支拂フコトトシ之ヲ右中央銀行運用ノ資金ニ加フルコトトシ度シ。

重光次官

「廣田外相ハ友誼協力ノ精神ヲ以テナサレタル過日ノ御申入ニ對シ篤ト謝意ヲ表シ且ツ貴下カ支那ニ於ケル調査終了後立案セラルル考案ニ付テハ充分檢討ノ上意見ヲ述フルコトトスヘク、尙貴國トノ協力ノ點ハ常ニ重キヲ置クモノナルコトヲ傳言セラレタリ」ト回答シ更ニ先方ノ質問ニ對シ重光次官ハ自分一個ノ考ナリトシテ左ノ通應答セリ

「セキユリチー」ニ關聯スル滿洲國承認ノ問題ナルカ、此點ニ關シ日本人ノ感情ヲ述フヘシ。日本人ハ支那ノ時局ハ漸次改善ノ途上ニ在リト信シ居レリ。數年前ハ全然混亂ノ狀況ニ在リ「ゼネバ」ニ於テ排日ボイコツトカ是認セラレタル時ハ實ニ其ノ極度ニ達セリ。日本カ聯盟ヲ脫退シ自分單獨ノ責任ヲモツテ處理スルコトトナリテ以來支那事局ハ漸次安定ノ一途ヲ辿リ今日尙其途上ニ在リ。卽チ數年來ノ苦心ヲ重ネタル滿洲國ノ問題ノ如キ日支兩國直接交涉ノ問題トシテ處理セラレテ初メテ效果ヲ擧ケ得ヘク、若シ第三者カ再ヒ之ニ介入スル於テハ支那ハ舊套ニ歸リ之ヲ利用シテ時局ハ逆轉スルノ可能性アリ。而シテ滿洲國ノ承認ノ如キハ支那ノ爲メニ利益ニシテ滿洲國トシテ別ニ特ニ獲ル所ナカルヘキハ過日說明アリシ通リナリ。故ニ此問題ハ日滿支ノ間ニ必ス遠カラス交涉アルコトトナルヘシ。素ヨリ斯ル自然ノ流レヲ助長スル爲メ第三者カ間接ニ盡力スルハ多トスル所ナルモ、斯ル政治問題ヲ財政援助ノ當面ノ專門事項ニ關聯セシメサルコト可然シ次ニ支那政府ニ對スル財政援助其ノモノニ付テ見ルモ過日廣田大臣ヨリ說明アリタル通リ支那政府ニ對スル財政援助カ其ノ用途ノ監督等ノ政治上ノ問題ニ觸レスシテ果シテ有效適切ニナシ得ルヤ疑問ナリ。又通貨改革ノ問題ニ付テハ貴下ノ考案ハ大體滿洲國ニ行ハレ居ル組織ヲ傚ハントスルモノナルカ政治ノ確立ナキ支那ニ於テ實行出來難カルヘキハ之亦過日說明アリシ通リナリ。從ツテ日本側ハ如何ナル方法ニ於テ財政援助ヲ供與シ得ルヤ其考案ヲ立ツルヲ得サルヲ以テ貴下ノ支那調査ニ依ル結果ヲ見テ賛否ヲ決セントスルモノナリ。尙滿洲國ノ稅關收入ヲ支那側債務支拂ニ當ツルカ如キハ滿洲國ニ於テ如何ニ考フルカ、少ク共日本外務大臣カ之ヲ豫メ他ト約束シ得ル性質ノモノニアラス。

質問ノ應答ハ右ノ範圍ヲ出テサリシモ其他注意スヘキ點ハ左ノ通リ

「リ」

 英國ハ日本ト共同セントスルモノナルカ財政援助ニ必要ナル國際的ノ管理(「コントロール」)ニ對シテハ日本ハ反對ナリヤ

重光次官

 元來國際管理ハ其ノ政治的ノモノニ對シテハ―而シテ政治的意味ヲ含マサルモノアリヤ疑ハシ―支那自身ニ於テ反對スヘシ。日本トシテモ政治的國際管理ノ制度ヲ更ニ設定スルハ主義トシテ賛成スル能ハス、蓋シ右ハ支那時局ノ安定ニ面白カラサル影響ヲ與フルカ故ナリ。英國ハ日本ト共同スト云ヒツツ、米佛ヲ誘ヒ常ニ成ルヘク廣ク國際的組織ニナサント試ムルカ如シ

「リ」

 米、佛等ヲ招キシハ成ルヘク財政援助ニ對スル考案ニ信用ヲ廣ク與ヘ度キ意ニ出ツ。英國ハ先ツ日本ト共力シ度意向ナリ

「クライブ」大使

 日本ハ海關制度ニ於ケル總稅務司ノ地位ノ如キハ一種ノ政治的國際管理ト見ルヤ

重光次官

 少ク共支那ハ之ヲ以テ最高級ノ政治的國際管理ナリト考ヘ居レリ。而シテ之ヲ否定スルノ理由ナキカ如シ今日再ヒ海關制度ノ如キモノヲ財政方面ニ樹立セントセハ、其ハ不可能ニ近カラン

「クライブ」

 支那幣制ヲ確定スル爲メニハ滿洲國ニ於ケルカ如キ完全ナル政治上ノ「コントロール」ヲ要ストノコトナル、必要ナルニ於テハ日本ニ於テ之ヲ行フノ意ナリヤ

重光次官

 滿洲國ニ於ケル幣制改革ヲ採用セントノ意見開陳セラレタルヨリ起レル問題ナリ滿洲國ニ於ケルカ如キ「コントロール」ヲ行フノ意思ナキニ依リ日本側ニ考案浮ハサル次第ナリ

「リ」

 支那ノ財政狀況ハ極度ニ窮迫シ居レリト思考セラレサルヤ

重光次官

 支那ハ過去ニ於テ常ニ財政難ヲ有セリ、今日ノ窮迫カ過去ノ困難ニ勝ルヤ否ヤハ不明ナルモ、若シ政治的問題ニ觸レスシテ今日何等カノ財政援助ヲ供與シ得ル方法アリヤ否ヤカ問題ナリ。自分等ニハ考案ナシ一ツニ貴下ノ調査ノ結果ヲ期待スルノ外ナシ

「リ」

 自分ハ前述ノ如キ考案ヲ持チテ來朝セル次第ナルカ之ニ對シテ日本側ノ賛成ヲ得スシテ支那ニ到リ支那側ト協議ノ上成案ヲ得タル際日本側ニ於テ之ニ應セサレハ英國單獨ニテ之ヲ行フ運ヒニ至ルヤモ計難シ

重光次官

 支那側ハ種々英國ノ援助ヲ得ン事ヲ希望シテ策動スヘキモ、彼等ノ言說カ果シテ支那ノ現狀ニ卽スルヤ否ヤハ充分檢討スルノ要アリ。卒直ニ云ヘハ財政援助ノ如キハ時機尙早ノ感アリ。尙貴下ニ於テ成案作製前日本出先官憲(有吉大使及不在ノ際ハ南京ニテハ須磨書記官)トニ斷エス連絡ヲトラレ度シ

「リ」

 右ハ自分ノ特ニ希望スル所ナリ。日本側ノ所說ニハ失望セリ。自分カ果シテ成案ヲ得ルヤ否ヤ不明ナルモ成案ヲ得ルコトトナラハ支那滯在ハ六週間位ナルヘシ

重光次官

 何レニシテモ各種ノ問題ニ付意見ノ交換ヲ行フハ日英協調ノ爲メ有益ナルニ付成ルヘク東京經由歸國セラレ度シ

「リ」

 成ルヘク御話ノ通リニ致スヘシ