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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 綏遠工作の中國に及ぼせる影響に關する川越大使上申(綏遠工作の中国に及ぼせる影響に関する川越大使上申)

[場所] 
[年月日] 1936年11月25日
[出典] 日本外交年表竝主要文書下巻,外務省,354-355頁.
[備考] 
[全文]

   南京 十一月二十五日 後發

   東京 十一月二十五日 夜着

    須磨總領事

  有田外務大臣

 第九六一號ノ一ノ四

貴電第二四五號ニ關シ

川越大使ヨリ

一、往電第九四八號ノ四ノ趣旨ハ今次ノ交涉事項ニ關シテハ御承知ノ通リ双方ノ意見大體一致シ居ルニ拘ラス支那側ニ於テ綏遠問題ニ引縣ケ之カ締結ヲ爲スヲ肯セス却テ先手ヲ打ツテ交涉ヲ決裂セシメントスヘキヲ見越シ且ハ日獨協定發表後當分ノ情勢ハ決シテ我方ニ有利ナラサルハ往電第九五六號高宗武ノ談話ニ依ルモ明カナルニ鑑ミ之カ對抗策トシテ我方ヨリ進ンテ一應ノ結末ヲ着ケ且之ニ依リ正式會議ヲ打切リ我方カ綏遠工作ノ傍交涉ヲ續行セントスルカ如キ矛盾セル態度ヲ執リツツアリトノ支那側全般ノ觀測及重苦シキ空氣ヲ一掃スル一方情勢次第ニ依リテハ之ヲ以テ支那側ノ反省ヲ促シ往電第九四四號ノ二程度ノ成果ヲ得ントスルモノニシテ本使等ニ於テ苦心慘憺ノ結果漸ク茲迄漕付ケ猶凡ユル努力ヲ爲スニ拘ラス如何トモ爲シ難キ場合已ムヲ得ス執ルヘキ手段トシテ悲壯ナル覺悟ヲ以テ熟慮ノ上得タル結論ナルコトハ御賢察ノ通リナリ

二、綏遠問題ニ對スル支那側空氣ハ豫想外日ニ激化シ來リツツアリ又中央要人ノ態度ハ往電九五四號呉鼎昌ノ談話ノ通リナル處二十五日須磨ヲ來訪ノ際高宗武ノ談ニ依ルニ高カ本使ト張群トノ會見ヲ澁リ居ルハ會見ノ上ハ張ヨリ綏遠問題ニ言及セサルヲ得サルコトトナリ自然交涉ヲ決裂ニ導ク惧アルカ爲ナル由ニテ(右ハ宣傳トノミハ思ハレス)支那側トシテハ綏遠工作一段落後ナラテハ交涉ヲ取纒メ得サル立場トナルヲ以テ此ノ際之ヲ切離スコトハ我方不斷ノ努力ニ拘ハラス到底望ナク又中央軍部ノ態度及交涉ト綏遠問題ヲ切離サシメンカ爲ノ本省ニ於ケル御苦心ノ程ハ充分推察スルモ元來內蒙工作カ帝國ノ旣定方針ナル以上今次ノ如キ時機及方法ニ付テハ意見モアルヘキモ旣ニ始ツタ以上ハ之ヲ中止スルヲ得サルヘク萬一不用意ニ中止スルカ如キ場合ハ當然結果スヘキ支那ノ侮日的態度ハ暫ク措クトスルモ內蒙工作ハ根本的ニ打擊ヲ受クヘキハ勿論滿洲國ノ統治ニモ重大ナル影響ヲ及ホシ帝國國策ノ核心ニ觸レ來ルヘク此ノ觀點ヨリセハ綏遠工作一段落後交涉ヲ纒メントスルカ如キハ言フヘクシテ行ハレスト認メラル

三、政府ニ於テ或ハ現在ノ交涉狀態ヲ繼續スルコトニヨリ內蒙情勢ノ激化ヲ幾分ナリトモ阻止シ得ヘシトノ御內意モアルヘキモ右ハ一應尤モノコト乍ラ前記二ノ事情ヨリ考フルニ果シテ幾何ノ期待ヲ持チ得ヘキヤ餘程考慮ヲ要シ又先般綏遠視察後當地ニ立寄レル大橋次長ノ實狀談ニ依ルモ形勢決シテ樂觀ヲ許ササルモノアルヤニ存セラル

四、本件交涉ヲ茲迄漕付ケ得タルハ從來ノ御訓達ニ基キ本使等ニ於テ一體不可分ノモノナルコトヲ斷ヘス支那側ニ强調シ來レル結果ナルコト御承知ノ通リナル處此ノ際成都事件或ハ排日問題ヲ切離シ解決ヲ急ク態度ヲ示スニ於テハ本使ノ立場ハ暫ク措クトスルモ帝國政府ノ綏遠問題ニ對スル弱味ヲ暴露スル結果トモナルヘク

 又前記會談ニ於テ高ハ須磨ニ對シ交涉ノ成否ハ今ヤ內容ノ大小如何ニアラスシテ綏遠工作ヨリ生スル一般的空氣如何ニ懸ル次第ナル旨ヲ明言シ居リ我方ヨリ冒頭貴電ノ御訓示ニ基キ支那側ニ當リ見ルモ所詮承諾ヲ得ラレサルヘク却テ帝國ノ威信ヲ失墜スルニ止マル結果トモナルヘシ

五、就テハ御訓電ニ基キ此ノ{前2文字ママ}共努力ヲ重ヌヘキモ萬策盡キタル場合ハ當方ノ見透ニ依リ往電第九四八號ノ案ニテ進ム外ナカルへク右ハ決シテ交涉ノ打切ニアラサルコトハ往電第九五七號等ニテモ明カニシテ或程度交涉ノ成果ヲ收メントスルト共ニ帝國ノ威信ヲ保チツツ一應ノ引込ヲ付ケ且後日交涉再開ノ餘地ヲ殘シ置ク次第ナルニ付テハ內政上ノ關係等機微ナルモノアルヘキハ感慨ニ堪ヘサル所ナルモ前記諸點篤ト御考慮ノ上再應御詮議相煩度シ