データベース『世界と日本』(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 日華停戰條件(日華停戦条件)

[場所] 
[年月日] 1937年8月7日
[出典] 日本外交年表竝主要文書下巻,外務省,368-369頁.
[備考] 
[全文]

   八月七日於總理室(外務陸海三大臣花押)

一、停戰提議ハ支那側ヨリ持出サシムル樣外務省ニ於テ大至急裏面工作ヲナス

二、時局收拾ノ條件ハ槪ネ左ノ通リトス

 (甲)非武裝地帶ノ設定

*1*(1)德花、張北、龍門、延慶、門頭溝、涿州、固安、永淸、信安、濁流鎭、興農鎭、髙沙嶺ヲ連ヌル線(線上ハ之ヲ含ム)ノ以東及以北地區ヲ非武裝地帶トシ右地域內ニハ支那軍ハ駐屯セサルモノトス

 右地區內ノ治安ハ保安隊ヲ以テ維持ス該保安隊ノ人員及裝備ニ關シテハ別ニ定ムル所ニ依ル

*2*(2)實昌、張北、龍門、延慶、門頭溝ヲ連ヌル線(線上ハ之ヲ含ム)ノ以東及以北竝ニ之ト接續スサ河北省內永定河及海河左岸(長辛店及附近髙地竝ニ天津周邊ヲ含ム)地區ヲ非武裝地帶トスルコトニ同意ス(此ノ場合ニ於テモ保安隊ノ件前項ニ同シ)

*3*(3)支那側カ非武裝地帶ノ設定ニ付一定ノ期限ヲ附スルコトヲ條件トシテ前記(1)若ハ(2)ヲ受諾スヘキ旨强ク主張スル場合ニハ期限付ニ同意シ差支ナシ(但シ期限付ノ場合ニハ期限滿了ノ際ノ措置ニ付更ニ硏究ス)

(但シ期限付ノ場合ニハ期限滿了ト共ニ新ニ滿支國境ニ沿フ地區ニ一定ノ線(例ヘハ長城ヨリ三〇粁)ヲ劃シテ非武裝地帶ヲ設定スルノ了解ヲ確立シ置クモノトス)

(乙)帝國ノ許與シ得ル限度

(一)必要ニ應シ我方駐屯軍ノ兵數モ事變勃發時ノ兵數ノ範圍內ニ於テ出來得ル限リ自發的ニ縮少スルノ意向アル旨表示ス

(2)塘沽停戰協定

 (之ニ準據シ成立セル各種約束ヲ含ム、但シ北平申合ニ準據セル各種申合卽チ(1)長城諸關門ノ接收(2)通車(3)設關(4)通郵(5)通空ハ解消セラレサルモノトス)土肥原秦德純協定及梅津何應欽協定ハ之ヲ解消ス(尤モ現ニ河北省內ニ進出シ居ル中央軍ハ省外ニ撤退スヘキコト勿論ナリトス)

 但シ右非武裝地帶內ノ排日抗日ノ取締及赤化防止ヲ嚴ニスルコトヲ約セシム

(3)冀察及冀東ヲ解消シ南京政府ニ於テ任意右地域ノ行政ヲ行フコトニ同意ス

 但シ右地域ノ行政首腦者ハ日支融和ノ具現ニ適當ナル有力者タルコトヲ希望ス

 尙右ニ關連シ北支ニ於ケル日支經濟合作ノ趣旨ヲ協定ス、但シ右ハ日支平等ノ立場ニ立テル合辦其他ニ依ル合作タルコト勿論ナリ

*4* 「(註、冀東ノ解消ハ差支ナシトノ肚ナルモ交涉ノ懸引ニ充分利用スル樣考慮スヘキモノトス)」

(丙)以上(甲)及(乙)ニヨル停戰談ト同時ニ又ハ引續キ從來ノ行懸リニ捉ハレサル日支國交調整ニ關スル交涉ヲ行フモノトス其案ハ別ニ具ス

備考

一、前記日支間停戰ノ話合成立シ支那軍隊ノ非武裝地帶外撤收及中央軍ノ河北省外撤退ヲ見タル上ハ我軍ノ撤收ヲ開始スルモノトス

 (尤モ前記話合成立ト共ニ適宜我方撤收ノ意向ヲ聲明ス)

二、尙右停戰ノ話合成立シタルトキハ日支双方ニ於テ從來ノ行懸リヲ棄テ眞ニ兩國ノ親善ヲ具現セントスル「ニユーデール」ニ入ルモノナルコトヲ聲明スルモノトス

{以下、余白に記載あり

*1* 第一案 外務省ノ交涉ニ委スルコト

*2* 第二案 最後的決定トスルコト

*3* 交涉ノ經過ニヨリ考究スルコト 第一案外務省ノ交涉ニ委スルコト 第二案最後ノ案トシテ考へ置クコト

*4* 外務省ノ肚ニ置クコト}