[文書名] 大東亞政策に關する重光駐英大使意見具申(大東亜政策に関する重光駐英大使意見具申)
電信寫 倫敦 昭和十五年八月五日發
本省 昭和十五年八月六日着
重光大使
松岡外務大臣
第一三五六號(館長符號扱)
今回大東亞政策ヲ確立實行セラルルニ對シ滿腔ノ敬意ヲ表ス右ニ關シ此ノ際左ノ點(從來ノ電報ト重複スル嫌アルモ)氣附ノ儘申進ス
一、今日ノ形勢ニ於テハ我態度ハ獨伊ニ對シテハ獨自ノ並行政策遂行カ可然ク其ノ程度運用ニ付テハ蘇聯ノ並行政策ノ遣口ハ非常ニ參考トナルト思ハル
伊國ノ同盟政策ハ伊國ノ地理上已ムヲ得サルニ出テタルモノナルモ伊國ノハ將來獨逸ニ對シテハ大體追從的地位ヲ保ツニ過キス日本ハ極メテ有利ナル地理的地位ヲ有シ又世界ニ於ケル地位ヲ建設スルコトカ目的ナルニ付根本ニ於テ政策ノ獨自性ヲ確保スルコトカ要點ナリト考フ次テ大東亞ニ於ケル我地位ヲ建設スルニハ直接ニハ小國(佛蘭或ハ葡)ノ犧牲ニ於テ行ヒ(間接ニハ英米側ノ犧牲トナルヘキモ)他國トノ衝突ヲ避ケ一時ニ相手ヲ多クセス各個處分ノ方策ヲ以テ最少限度ノ損害ヲ以テ最大ノ利益ヲ收ムルコトヲ考慮スル要アラン
二、蘇聯ハ獨トノ並行政策ニ依リ「バルト」東歐ヲ經略シ巴爾幹ニ於テ之(獨伊)ト妥協シ次ニ「イラン」土耳古「イラク」方面(或ハ芬蘭ノ地位ヲモ固ムト思ハル)ニ向フモノト察セラルルモ常ニ英(佛)等大國トノ直接衝突ヲ避ケツツ强ク中立ヲ標榜シ戰爭ニ關係ナキ小國ニ對シテ其ノ權益ヲ擴張シツツアリ結局ハ英國ノ植民地ノ根本的動搖ニ向ツテ進ミツツアルモ常ニ英國ニ對シテ妥協ノ餘地ヲ存シツツ最少限度ノ損害ニ於テ最大ノ効果ヲ擧ケント虛々實々ノ苦心ヲ爲シ居ルカ如シ
三、英國カ東歐黑海方面ヨリノ外交的退却ヲ餘儀ナクセラレ又東亞方面ヨリモ同樣ノ狀態ニシテ曩ニ其ノ勢力中心ヲ上海ヨリ香港ニ移シ更ニ又香港ヨリ新嘉坡ニ移スニ至リタルハ其ノ間ノ消息ヲ物語ルモノニシテ其ノ對支政策ノ根本モ變更シツツアリ米國ト雖「モンロー」主義擴張堅持ハ東亞方面ヨリ退却ノ姿勢ヲ意味シ石油屑鐡ノ禁輸モ畢竟進ンテ事ヲ構ヘントスル積極政策ニアラスシテ防禦(若クハ妨害)手段タル消極政策ナリ英米ノ政策ハ共同(「ジヨイント」)政策ニアラスシテ平行(「パラレル」)政策ナルモ右平行政策モ今日迄ノ所必シモ目的及運用ニ付完全ニ一致シ居ラス右ハ我方ノ態度ニ懸ル所ナルカ我方ニ於テ條理ト且正々堂々タル態度ヲ以テ大東亞政策ヲ遂行スルニハ英米ヨリノ障害ハ自然ニ除カレ行クモノト見テ然ルヘシ英米ニ對スル我方ノ態度ハ尙主義及立場ヲ問題トスル必要アルト同時ニ實益ノ點ヲ充分ニ考慮スルヲ要スヘシ
四、茲ニ注意ヲ要スルハ太平洋ニ於テ日本ト英米トヲ衝突ニ導キ以テ恰モ蘆溝橋事件ヨリ支那問題ニ對シテ日本ヲ引込ミタルト同シク太平洋ニ於テ收拾シ得サル事態ヲ誘出シ歐洲戰爭ヲ世界戰爭トシ其ノ間ニ重大ナル漁夫ノ利ヲ占メントスル有力ナル運動活潑ニ行ハレ居ル點ナリ右ハ英米ニ於テハ左翼ヲ中心トスル在來ノ反日運動ノ强化ニシテ他ハ成可ク日本ヲシテ英米ヲ挑發セシメテ衝突ニ導カントスル運動ナリ何レモ終局ノ目的ニハ差アルモ直接ノ目的ハ一致シ居レリ要スルニ大東亞ニ於ケル政治的經濟的ニ實力アル地位ヲ建設スルカ我政策ノ眼目ナルモ之ニ付テハ支那問題ハ矢張リ大キナ腹ニテ結末ヲ着クルノ態度ヲ示スハ我方ノ弱味ニアラスシテ甯ロ我强味ヲ表示スル譯ト思ハル我今日ノ大ナル國際的地位ニ鑑ミ他國ニ對シ哀願若シクハ追從的態度ハ勿論他國ヨリ惡用セラルルハ不可ニシテ國家ノ要求スル所其ノ信スル所ニ向ツテ主張ヲ爲スト共ニ複雜ナル國際關係ニ於テ不慮ノ實損害ヲ防キ何レノ國ニ對シテモ之ヲ利用シ得ル範圍內ニ於テハ凡ユル手段ヲ講スルコト外交上要諦ト信セラル對蘇關係ヲ緩和シ對英米關係ニ就テモ周到ト考慮ト用意トヲ以テ進ムコト素ヨリ必要ト思考セラル(三日)
米、獨、伊ヘ轉電セリ