データベース『世界と日本』(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 松岡外相スターマー特使會談要旨(松岡外相スターマー特使会談要旨)

[場所] 
[年月日] 1940年9月9日
[出典] 日本外交年表竝主要文書下巻,外務省,452-453頁.
[備考] 
[全文]

   昭和十五年九月九日(後五時―七時)

   昭和十五年九月十日(後五時半―六時半)

松岡外務大臣スターマー非公式會談要旨(駐日獨逸大使陪席)

一、獨逸ハ今次戰爭カ世界戰爭ニ發展スルヲ欲セス一日モ速ニ之ヲ終結セシムル事ヲ望ミ而シテ特ニ米國ノ參加セサラン事ヲ希望ス

二、獨逸ハ此際對英本國戰爭ニ關シ日本ノ軍事的援助ヲ求メス

三、獨逸ノ日本ニ求ムル所ハ日本カ有ユル方法ニ依リテ米國ヲ牽制シ其ノ參戰ヲ防止スルノ役割ヲ演スルコトニ在リ獨逸ハ現在ノ處米國ハ參戰セスト思惟スルモ而モ萬コレ無キヲ期セントスルモノナリ

四、獨逸ハ近キ將來ニ於テ獨米間ニ衝突起ルヘシト考フル能ハサルモ、然レトモ日米ノ衝突乃至戰爭ハ何時カハ不可避ナル可シ

五、獨逸ハ日獨間(勿論伊モ含ミテ)ニ了解或ハ協定ヲ成立セシメ何時ニテモ危機ノ襲來ニ對シテ完全ニ且效果的ニ備フルコト兩國ニトリ有利ナリト信ス、斯クシチノミー若シ防止シ得トスレハー米國カ現在ノ戰爭ニ參加スルコト又ハ將來日本ト事ヲ構フルコトヲ防止シ得ヘシ

六、日獨伊三國側ノ決意セル毅然タル態度-明快ニシテ誤認セラレサル底ノ態度ノ堅持ト其ノ事實ヲ米國ヲ始メ世界ニ知悉セシムル事ニヨリテノミ强力且有效ニ米國ヲ抑制シ得、反之軟弱ニシテ微溫的ナル態度ヲ取リ若クハ聲明ヲナス如キハ却ツテ侮蔑ト危險ヲ招クニ止マル可シ

七、獨逸ハ日本カ能ク現下ノ情勢ヲ把握シ以テ西半球ヨリ來ルコトアル可キ危險(或ハ現ニ迫リツツアルヤモ知ルヘカラス)ノ重大性ト現實性トヲ自覺シ以テ米國始メ他ノ列國ヲシテ揣摩臆測ノ餘地ナカラシムル如キ日獨伊三國間ノ協定ヲ締結スルコトニ依リテ之ヲ豫防スル爲迅速ニ且決定的ニ行動センコトヲ望ム

八、申ス迄モナク獨(及伊)ハ米ヲ大西洋ニ於テ牽制センカ爲全力ヲ盡ス可ク又日本ニ對シ直ニ軍事的裝備例之飛行機、戰車及其ノ他ノ兵器並若シ日本ニ於テ希望セラルルナラハ之等ニ人員ヲモ附シテ合理的ニ融通シ得ル限リ供給スルハ勿論ソノ他ノ方法ニ依リテモ極力對日援助ヲ惜マサル可シ

 (松岡大臣ハ日本ニシテ獨ノ希望スル意味及方法ニヨリテ樞軸ニ參加スルニ於テハ此等ノ事項ハ樞軸陸海混合委員會ノ如キモノニ委ネラル可キモノナリト申述ヘタリ)

九、獨逸ハ日本ノ大東亞ニ於ケル政治的指導者タル事ヲ認メ之ヲ尊重スルハ勿論ニシテ此等ノ地域ニ於テ獨逸ノ欲スルトコロハ經濟的性質ノモノナリ日本ノ目的達成ノ爲獨ハ日本ト協力スルノ準備アリ、而シテ獨逸ハ當然日本カ獨人ノ企業ヲ容認庇護シ又獨ノ現在及將來必要トスル資材ヲ之等ノ地方ヨリ獨ヲシテ取得セシムル爲日本ノ最善ヲ盡サレンコトヲ期待ス

十、先ツ日獨伊三國間ノ約定ヲ成立セシメ然ル後直チニ蘇聯ニ接近スルニ然カス、日蘇親善ニ付獨ハ「正直ナル仲買人」タルノ用意アリ而シテ兩國接近ノ途上ニ越ユヘカラサル障害アリトハ覺エス從テ差シタル困難ナク解決シ得ヘキカト思料ス、英國側ノ宣傳ニ反シ獨蘇關係ハ良好ニシテ蘇聯ハ獨トノ約束ヲ滿足ニ履行シツツアリ

十一、樞軸國(日本ヲ含ム)ハ最惡ノ危機ニ備フル爲徹底的用意アルヘキハ勿論ナルモ併シ一面獨逸ハ日米間ノ衝突回避ニ有ユル努力ヲ吝マサルノミナラス若シ人力ノ能クナシ得ル所ナラハ進ンテ兩國關係ノ改善ニスラモ盡力スヘシ

十二、獨逸ハ對英戰爭終結前ニ速カニ且ツ名實共ニ眞ニ樞軸ニ參加センコトヲ日本ニ求メントスルニ當リ米ヲモ含ムアングローサクソン王國トマテハ言ハサルモ(註畢竟スルニアングローサクソン王國ニ對スル鬪爭ニ發展セサルヲ得サルヘシトノ意ヲ仄カシタル反語ナリ)實ハ全大英帝國ニ對シ一大鬪爭ヲ行ヒツツアリト云フ遠大ナル觀點ニ立ツモノナリ現在ノ戰爭ハ或ハ程ナク終結スルナランモ右ニ云フ一大鬪爭ハ何等カノ形ニ於テ今後幾十年尙繼續スヘシ(松岡大臣モ此ノ事ヲ强調セリ)而シテ右遠大ナル目的ノ達成セラルル迄三國ハ最モ緊密ニ結盟シ倶ニ共ニ相倚リ相助クヘキナリ

十三、今回ノ高議ニ伊太利ノ參加ス可キ時期ハ獨逸外務大臣ニ於テ考慮シ日本外務大臣ニ通報ス可シ、獨政府ハ未タ伊太利ト話合ヒタル事ナシ又スターマー若クハ獨側ノ何人モ蘇聯官憲ト本問題ニ付會談セル事ナシ

十四、スターマーノ言ハ直チニリツベントロツプ外務大臣ヨリノ言葉ト取ラレ差支ナシ

十五、日本外務大臣モ以上數點ニ付ソノ所見ヲ開陳スルトコロタルモ本覺書ニハ之ヲ記錄セス