[文書名] 日獨伊三國條約に關する樞密院審査委員會議事槪要(抄)(日独伊三国条約に関する枢密院審査委員会議事概要(抄))
九月二十六日
(前略)
河合顧問官 條約第三條ハ最モ重要ト思考ス本官ハ日米開戰ヲ信スルモノニ非サルモ最惡ノ場合ヲ考慮シテ軍部大臣ハ何等敗ケヲ取ラサル丈ノ覺悟アリト信スルカ之ニ就テ何等カ本官等ニ安心ヲ與フル樣御說明ヲ承リ度シ又蘇聯カ日本ニ向テ事ヲ起ササルモノトモ限ラス此ノ場合獨逸ハ如何ナル態度ヲ執ルモノト考ヘラルルヤ
東條陸軍大臣 本大臣ハ主トシテ陸軍ノ見地ヨリ御回答ス最惡ノ事態ニ陷リタル際對米作戰ニ要スル陸軍ノ兵力ハ極一部分ヲ使用スルニ過キス其ノ點ハ御懸念ハ無用ト思考ス然シ乍ラ對米作戰ハ結局對蘇作戰ヲ考慮セサレハ完全ナリト云ヒ難シ依テ日蘇ノ國交調整ハ極メテ重要ナル問題ニシテ之カ有效ニ完成スレハ軍事的準備ハ餘程樂ニナルモノト考ヘ得ル處蘇聯ノ性格上日本トシテ準備ヲ怠ル譯ニハ參ラスト思考ス尙支那事變ニ付テハ本條約ヲ有效ニ活用スルコトニ依リ最惡ノ事態發生前事變ノ解決ヲ圖リ度キ考ナリ
及川海軍大臣 現存艦隊ノ戰備ハ完成シ居レルヲ以テ決シテ米國ニ敗ケハ取ラサルモ戰爭カ長期ニ亘ル場合ニハ米國ノ海軍充實計書ノ實現ニ伴ヒ我方トシテモ充分ノ準備ヲ爲ス要アリ此ノ點ニ付テハ海軍トシテモ萬全ノ策ヲ講シ居ル次第ナリ
河合顧問官 本官ノ最モ心配スル所ハ物資ノ關係ナルカ一體長期戰トナリタル場合ドノ位ノ間ハ差支ナキ御考ナリヤ
星野企畫院總裁 昨日御說明申上ケタル通リ(企畫院總裁ハ其ノ前日樞密院定例參集ニ於テ物資動員計畫ニ付詳細ナル說明ヲ行ヘリ)數年前ヨリ我國ハ諸物資ノ自給自足ヲ覺悟シテ準備シ來レルカ二十一億ノ輸入ノ中十九億ハ英米ニ依存セル有樣ナルカ故ニ經濟上ノ壓迫强化ノ場合條約第三條發動ノ場合ヲ考ヘテ萬全ノ策ヲ講スル必要アリ鐵ニ付テ云ヘハ本年ノ生產高ハ五百二十萬屯ノ見込ナルカ最惡ノ場合ニモ四百萬屯ハ生產シ得ル見込ナリ現在軍備竝ニ軍需ニ使用セルモノ百五十萬屯其ノ他ハ生產力擴充竝ニ民需官需ニ充當セルモノナルカ屑鐵カ來ラサル場合又ハ鐵材ノ輸入ナキ場合ヲ考慮シテ生產力擴充ニ手加減ヲ加ヘ民需官需ヲ制限スレハ左程窮境ニハ立タサル見込ナリ非鐵金屬ニ付テハ鐵ノ樣ニハ參ラヌモ世界中ヨリ目下蒐集ニ務メ居ルヲ以テ之亦左程心配ハ要ラヌト思考ス最モ重大ナルハ石油ナルカ現在ハ多量ヲ米國ニ依存シ居リ殊ニ航空機用揮發油ハ殆ント全部ヲ米國ヨリノ輸入ニ仰キ居ル處國內ノ增產ヲ圖ルト共ニ米國以外ヨリ獲得スル方法ヲ講セサルヘカラス最近航空油ニ付テハ相當ノ「ストック」ヲ得タリ然レ共對米戰爭長期ニ亘ル場合鐵其ノ他ノ金屬類ノ場合トハ異リ日滿支三國ノ中ノミニテハ自足出來サルニ依リ出來得ル限リ速ニ蘭印又ハ北樺太等ヨリ石油獲得權ヲ確保スル必要アリ此ノ點ニ付テハ今回ノ獨逸側トノ話合ニ於テモ問題トナリタル點ナリ又目下蘭印ニ於テ平和裡ニ石油ヲ獲得スル交涉カ行ハレ居ルモノト御了解願度シ
河合顧問官 昨日ノ御話ノ時ニモ石油ニ付テハ軍部ニ於テモ相當ノ準備アリト云フ意味ノコトヲ申サレタルカ軍部大臣ヨリモ御答弁願度シ
及川海軍大臣 海軍トシテハ相當長期ノ準備ヲ有ス又人造石油ニ付テモ目下施策中ナリ
東條陸軍大臣 陸軍ノ資材ニ付テモ相當ノ期間ハ堪エ得ル樣準備アリ非常ナル長期戰トナレハ航空機用機械化部隊用ノ油ニ付テ考慮スル必要アリ
右ニテ一旦休會
午後一時十分再開
石井顧問官 第三條ニ依リ一國カ攻擊セラルル時ハ直ニ參戰義務ヲ生スルモノナリヤ何等カ此ノ點ニ付話合アリタルヤ
松岡外務大臣 交換文書中ニ「一締約國カ條約第三條ノ意義ニ於テ攻擊セラレタリヤ否ヤハ三締約國間ノ協議ニ依リ決定セラルヘキコト勿論トス」(在京獨逸大使來翰)トアルハ御質問ノ點ヲ明確ナラシムル爲本大臣ノ要求ニ依リ挿入シタルモノニシテ攻擊アリタルヤ否ヤニ付テ協議シ協議纒マレハ自働的ニ共同シテ戰ハサルヘカラサル處何時如何ナル方法ニ依リ援助スルヤハ締約國各々自主的ニ決定シテ協議スルコトトナル次第ナリ(中略)
石井顧問官 本條約ニハ同盟條約ニ殆ント必ス存在スル單獨不講和ニ關スル規定ナキ處右ハ何等カ特殊ノ思惑アリタル次第ナリヤ
松岡外務大臣 本件ハ一切話出サリキ實ハ本大臣トシテハ先方カ云ヒ出セハ之ヲ挿入スルモ差支ナシト思考シタルカ先方カ之ニ觸レサル場合ニハ之ヲ設ケサル方可ナリト思ヒタリ何トナレハ本條約ハ本大臣ノ考ニテハ戰爭ヲ防止スルコトカ目的ニシテ戰爭スルコトカ目的ニアラサルニ依リ開戰ヲ豫想スル單獨不講和ノ規定ヲ設ケサル方可ナリト思ヒタルコトカ一ノ理由ニシテ他ノ理由ハ萬一戰爭カ始マレハ此ノ點ハ戰爭初期ニ互ニ約束スレハ宜シト考ヘタルヲ以テ之カ規定方ヲ申出サリシ次第ナリ
(中略)
窪田顧問官 倏約第三條ノ文字上ヨリ見レハ現ニ歐洲戰爭又ハ日支紛爭ニ參入シ居ラサル一國ノ中ニハ蘇聯モ含マルルモノト考フルカ蘇聯トノ關係ハ如何ナルモノナリヤ獨逸ト蘇聯トハ何等カ話合アリタル次第ナリヤ
松岡外務大臣 其ノ疑問ヲ避クル爲第五條ヲ設ケタル次第ナリ尙本大臣カ「スターマー」ニ對シ蘇聯トノ間ニ何カ本條約ニ付話アリタルヤト訊ネタルニ對シ「スターマー」ハ否定的ノ回答ヲ爲シ居リタルカ本大臣ノ想像スル所ニテハ「スターマー」ハ「モスコー」通過ノ際蘇側ト何等カ話ヲ爲シ居ルモノト考ヘ居レリ其ノ證據ト思ハルル一ノ事實アルカ「スターマー」ハ八月二十三日ニ伯林ヲ出發セル處同日「リッベントロープ」外相ハ來栖大使トノ會見ニ於テ何等言及セサリシカ「スターマー」ハ二十四日ニ東鄕大使ニ會見シタル際ニハ獨逸側ハ日本ト政治條約ヲ締結スル積ナル旨ヲ話シ居ルヲ以テ其ノ間「スターマー」ハ蘇聯當局ト何カ話ヲ爲セルモノト思考セラル
窪田顧問官 米蘇接近ノ噂モ聞ク處本條約ハ之ヲ促進スルコトトナル惧ナキヤ此ノ點ハ如何
松岡外務大臣 米蘇接近ニ付テハ外務省ニ於テモ各方面注意シテ眞相ノ把握ニ努メ居ル處今日迄確實ト認メラルル情報ニハ接シ居ラス本大臣ハ未タ具體的ノ何物モナシト考ヘ居レリ尙「スターマー」ハ日蘇ノ國交調整ノ成功ニ付テハ極メテ明白ニ其ノ可能性ヲ述ヘ獨逸ノ斡旋ヲ申出タル次第ニシテ此ノ點ハ交換文書ニ記載サレタル通ナリ
(中略)
南顧問官 次ニ日蘇關係ニ付承リ度シ萬一日米戰爭カ起リタル場合蘇聯ハ恰モ歐洲戰爭前ニ英佛ト獨トヨリ引張凧トナリタルカ如ク日米兩國ヨリ提携ノ手ヲ差延スコトトナルヘシト思ハル故ニ日米關係ヲ考フルニハ先ツ蘇聯トノ國交調整ヲ行ヒテ後此ノ條約ノ交涉ヲ爲スコトハ出來サリシモノナリヤ何故ニ蘇聯トノ交涉ヲ後廻シニシテ獨逸ノ言分ニノミ從フモノナリヤ
松岡外務大臣 蘇聯トノ國交調整ニ付テハ前內閣時代ニ中立條約ヲ提議セリ本大臣モ就任以來探リヲ入レテ見タルカ蘇側ハ前內閣ノ提議ヲ受諾スル條件トシテ「ポーツマス」條約ノ再檢討、北樺太利權ノ回收等殆ント拒否的ノ條件ヲ附シテ受諾ヲ回答シ來タレルカ如キ有樣ナリ依テ本大臣ハ蘇聯トノ國交調整ハ獨逸ヲ利用スル他ナシトノ結論ニ達シ本條約ニ對スル獨逸側ノ提議ヲ受諾スル次第ナリ
(中略)
林顧問官 條約ノ主眼トスル點ハ對米關係ナルカ對蘇關係ハ此ノ際最モ愼重ニ考慮スル必要アリト存ス外務大臣ノ御說明ニ依レハ對蘇關係ニ付樂觀的ノ考ヲ有シ居ラルルヤノ印象ヲ得タルカ本官ノ有スル情報ニ依レハ日蘇間並ニ獨蘇間ノ關係ノ將來ニ付相當惡キ材料モアリ例ヘハ昨年獨蘇不可侵條約カ締結セラレタル際「スターリン」カ共產黨員ニ與ヘタル訓示ノ內容ニ付自分ノ有スル確實ナル情報ニ依レハ「スターリン」ハ蘇聯カ今度獨逸ト提携シタルハ西歐赤化ノ一ノ手段ナリ又之ニ依リ決シテ東進政策ヲ抛棄シタルモノニアラス時期至ラハ積極的ニ出ル積リナリト述ヘタル由ナルカ之等ノ點ニ付テハ外務大臣ハ如何御考ナリヤ
松岡外務大臣 日蘇國交調整カ爾ク容易ナリトハ自分モ考ヘ居ラス唯獨逸ハ蘇聯ニ對シテ相當ノ壓力ヲ加ヘ得ルコトハ之ヲ認メサルヘカラス自分ノ有スル確實ナル情報ニ依レハ昨年蘇聯カ何故ニ英佛ト離レテ獨逸ト提携スルニ至レリヤト言フニ其ノ動機ノ最モ重要ナルーハ「ヒトラー」ハ「スターリン」ニ對シテ若シ獨逸側ノ要求カ容レラレサレハ獨逸ハ蘇聯ヲ攻擊スヘシト申傳ヘタリト言フコトナリ之等ヨリ判斷シテ日蘇國交調整ニ獨逸ヲ斡旋セシムルコトハ相當有效ナリト考ヘ居レリ(後略)